「俺は楽しんだ。だが・・・(追伸参照)」ヒノマルソウル 舞台裏の英雄たち CBさんの映画レビュー(感想・評価)
俺は楽しんだ。だが・・・(追伸参照)
俺は楽しんだ。たしかに。
1998年2月、冬季五輪長野大会でのスキージャンプ男子団体で日本が金メダルをとったのは観たし、その4年前1994年のリレハンメル五輪で残念にも銀メダルに終わったのも観た。リレハンメルでは、葛西、岡部、西方、原田の日本チームが、本作の主人公である西方の135mを筆頭に快調なジャンプをみせ、最後の原田がわずか105m飛べば優勝というところまできた。ところが、原田は大失敗ジャンプ。まさかの97.5m。結果は銀メダルというあまりにも残念な結果。すべての物語はここに始まり、次のオリンピックで悲願の金メダルを獲得するという経過は、まさにドラマチック。
少し横道にそれるが、俺は、プロ野球にかって存在していた "近鉄バファローズ" というチームのファンだった。1988年、最終日のダブルヘッダーに連勝すれば大逆転優勝というところまでたどり着いた近鉄は、第1試合を終盤の決勝打で劇的に勝ち、その勢いのまま第2試合もリードして迎えた8回裏、まさかの同点本塁打を浴び、規定による時間切れ引き分けに終わり、涙のうちに優勝を逃した。しかし、翌1989年、近鉄はみごとに優勝をなしとげ、俺はTVの前で歓喜の涙を流した。
長々とこの話を書いたのは、「こんな感激、二度とないだろうな」 と当時感じたからだ。しかし、上記したように、1994年から98年と2つの冬季五輪をつないで語られた本作のドラマチックな展開は、まさにこれと同じではないか! 「スポーツ観ていると、こんなすごい感動が、何度も味わえるのか」 と心から感じた。
さて、この話、一般には、金メダルを逃す大失敗ジャンプをしてしまい、周りから戦犯扱いの非難揶揄を受け続けた原田が、次のオリンピックで名誉を取り返す話として語られることが多い。しかし本作は、前述したようにリレハンメルで135mを飛んだ西方が、長野の直前でけがをして代表入りを逃し、試合前に黙々と飛び続けるテストジャンパーをこなす姿に焦点をあてている。「4年前に失敗したお前(原田)がなぜ試合に出ていて、135mを飛んだ俺(西方)がなぜテストジャンパーをしているんだ!?」という誰にもぶつけようのない欲求不満を抱えたまま、ただテストジャンプを飛び続ける西方。そして試合は始まる。
1本め、好調ジャンプを続ける日本チームの中で、原田がまさかの失敗ジャンプ。1回めを終えて、日本はまさかの4位。さらに、雪が激しくなったため1回めの結果で順位を決めるしかないかという雰囲気が出てくるという最悪の展開に。かろじて、「25名のテストジャンパーが全員飛んだら、2回目を行ってはどうか」という提案が審判団に受け入れられた。コーチは「だめだ、お前たちがケガする危険があるのに、こんな気候の下で飛ぶことを許すことはできない」 と言うが、ジャンパーたちはそれぞれの背景を抱えながら、「飛ばせてください。俺たちのオリンピックを終わらせないでください」 と訴え、飛ぶことを許される。さあ、25人は無事に飛べるかどうか。
という話で、自分はとても楽しんだ。感動も新たにできた。それはその通りなのだ。
追伸
だが・・・。
この話の "肝" は、「ケガする危険があるのに、テストジャンパーは飛びたいと言い、コーチ陣がそれを受け入れる」 点だ。ジャンパーが飛びたいと言うのは、もちろんそうだろう。では、コーチ陣はそれを受け入れてよいのか。そして、それよりも、観ている俺たちはそれを美談と感じるべきなのだろうか。
高校野球で言えば、たいへんな球数を投げ続けた投手が「腕が折れても投げます」と言い、それを聞いて「〇〇と心中します」という監督がいたとする。それを聞いて、いい話だと受け入れる俺たちがいるとしたら、それは正しいのだろうか?
この話をいい話と受け取ることは、意識していなかろうと、「危険があっても行うべき」という無言の圧力をスポーツ界にかけていると考えるべきではないだろうか。彼等の身体は、彼等のものだ。どう使おうと彼等の自由ではある。だからこそ、あの環境で「俺は飛ばないよ」と言うやつがいてもなんら否定される理由はない。この話は、たまたまそういうやつはいなかった、そして「運良く」誰もケガせずに終わった、ということだ。しかし、それを「これこそ美談、目指すべき姿だ」ともてはやしてしまっては、それは「(こうした環境下では)断るべきではない」という無言の圧力をかけていることになってしまっているのではないだろうか?
そんなわけで、自分は楽しんだのに勝手な言い方だとはわかっているが、こうした映画はこれが最後になることを願っている。
若者は、この映画を評価しないのではないだろうか。今の自分も、残念だが、評価できない気持ちだ。映画の出来はよい。だが、主題は、今、評価してはいけない内容だから。
「巨人の星」他で梶原一騎が描いてきた「チームのために、俺の腕が折れようとも、俺は投げる」という姿は、本人がそれを選ぶことは自由だが、周囲がそれを期待することは決して許されないことなのだ。さらに、そういうことがあった時にその行為を賞賛することは、今後そうした状況に出くわす選手たちに、無言の圧力をかけることにつながると、俺たち全員が自覚すべきなのだろうと、心から思う。
おまけ1
西方が飲み屋で歌う「TOKIO」。「トキオは空を飛ぶ♪」..多くのジャンパーが歌うんだろうな、やっぱ、と思ったらなんか楽しかった。
おまけ2
長野五輪のジャンプ団体戦の観客4万5千人!! けっこう入るんだね、スキー場って。驚き。
今晩は。
この映画を観て、手放しで喜べなかった気持ち・・・
確かに私もあの吹雪の中でテストジャンパーを飛ばせた事に、
違和感を感じる自分がいました。
その気持ちをCBさんのレビューは見事に、書かれていて・・・
納得しました。
ありがとうございます。
(真夏にこの映画の感想を語るのも、季節外れですが・・・)
おじゃましました。