幸せへのまわり道のレビュー・感想・評価
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銀幕の隣人ロジャースと対話し、癒される
フレッド・ロジャースの冠番組「Mister Rogers’ Neighborhood」のオープニングから始まるこの作品は、その後も観客席の私達が彼の番組を見るような体裁で物語が進んでゆく。時折挟まれるスタジオトーク、場面が転換する時のジオラマ映像。この舞台装置で、観客はロジャースの言葉に自然と耳を傾ける態勢になる。 作中で描かれるのは、ジャーナリストのロイドが取材を通じロジャースとやり取りする中で自己を見つめ直し、長年にわたり縁を切っていた父親と向き合ってゆく物語だ。ただし、ロジャースはロイドにこれといった具体的なアドバイスはしない。取材中のわずかなやり取りでロイドの心にあるわだかまりを見抜き、ロイド自身がそれを言葉で表現するよう誘導する。 この経緯を表現するにあたり、ずっと二人の会話劇が続く訳ではない。最初は頑なだったロイドの心が動き出した辺りから、番組に登場するぬいぐるみの世界にロイドが入り込むといった、ファンタジックで暗喩的な描写が出てきたりする。また、二人がカフェで向かい合っている時、ロジャースの勧めでロイドが1分間目を閉じ、自分を愛してくれた人を思い瞑想するシーンがある。その時周囲の喧噪が消え、実際に体感1分間程度の静寂がスクリーンに流れるのだ。 これらのシーンを見ていると、ぬいぐるみの世界にトリップしたロイドではないが、いつしか自分自身がロジャースによるカウンセリングを受けているような錯覚を覚えた。わだかまりを表現する言葉を探し、幼いころの記憶をたどり、自分を愛してくれているであろう人のことを思う。エンドロールが流れる頃には、涙するような感動とはまた違った、心の奥底がしみじみと癒される感覚に包まれていた。不思議な映画だ。 作中ロジャースの過去についてはほとんど言及がなく、彼の妻とロイドの言葉によるわずかな性格描写があるだけだ。物語の「動き」がある部分の主体はロイドと父親との話で、ロジャースは狂言回しと言ってもよい。 にも関わらず、彼の穏やかな表情の奥のどこか一筋縄ではいかない感じ、複雑さがひしひしと伝わって来るのは、脚本の妙もさることながらトム・ハンクスの力量だろう。しばらく見ないうちに老いた雰囲気が出て顎回りがぽっちゃりとしていたが、それがまたいい貫禄になってある意味進化していた。 不良親父役のクリス・クーパーもいい味を出していて、ベテラン俳優二人のいぶし銀の演技を楽しめる映画でもある。
ロールモデルを目指す覚悟と努力、そして代償。
フレッド・ロジャースという全米では知らない者はいないというオジサンのことをこの映画で初めて知った(その後伝記ドキュメンタリーは観た)。長寿子供番組のホストであり、映画も子供番組の体で始まる。まず街のミニチュアが映り、トム・ハンクス扮するミスター・ロジャースが撮影スタジオのセットに入ってくる。何十年と繰り返されたお決まりの仕草を再現するオープニングから、ちょっとおかしな匂いが漂っている。
このアメリカの名士の取材をすることになったやさぐれ記者が、ロジャースの影響で変わっていく、というのが本筋なのだが、本作の凄みを体現しているのは、助演的存在のハンクスの方だ(ラストも彼が締めるのだから主演と言っていいと思うが、アカデミー賞では助演男優賞にノミネートされた)。
ロジャースの作り上げた子供番組の世界は、完全に子供に向けた作り物に見えるのだが、主人公の記者は、それだけでは収まらない何かを感じ取る。癒やしと解放の感動ストーリーではあるのだが、他人を癒すほどの立派な人間であり続けるには、実は恐ろしいほどの努力と葛藤が水面下で渦巻いていることを、この映画はしっかりと描いてしまっている。
美談ではあるが、『ハクソー・リッジ』にも似た、狂気に近い美談であると、ラストの“音”で教えてくれる。背筋がゾッとするような、とんでもないものを観てしまった。
聖人と呼ばないで
いつでも物腰やわらかく、過剰なまでに人を敬うフレッド・ロジャースを指して主人公の記者が「聖人」と形容すると、傍にいたロジャース夫人がそれを否定する。あの人は生まれながらの聖人ではなく、努力によってそれを為しているのだと。日々、怒りを溜めながら生きる現代人からすれば、ロジャースは異端であり、どことなく怪奇ですらある。その張り付いた笑顔の奥にあるはずの闇を想像せずにはいられない。ただ、同時に彼の信条に畏敬の念も感じるだけに、そんな闇はあってほしくないとも願う。映画はロジャースの真実を断定することこそしないが、薄暗いスタジオの中で彼がひとり行う「努力」に、観客はゾッとして背筋を凍らせることに。
リアルな心の現実とファンタジーの混ざり合ったいい意味で不思議な映画
あたたかい気持ちになる良い映画でした。
結局自分の中に抱えてるものに自分の意思で対峙して自分で解決しないと前に進めないんだなあとつくづく感じました。
その対峙のさせ方がファンタジーな演出でそれはそれで世界観とマッチしてて素敵でした。不思議の国のアリスみたい。
とはいえ最後の終わり方は少しビターでした。どんなに聖人に見えてもやっぱり人間で、ストレスは溜まっているんだなあ。自分で望んでやっているとはいえ共感しすぎるタイプはやっぱり生きるのがしんどいですね。彼が安らかに幸せに生きられることを祈るばかりです。ほんとに。他人事ではない。
フレッドロジャース
2024年4月11日 映画 #幸せへのまわり道 (2019年)鑑賞 優秀だが嫌われ者のジャーナリストが、子供番組の司会者として人気の #フレッド・ロジャース にインタビューして交流したことから、自分自身や父との確執に向き合うようになる #トム・ハンクス の柔和な表情が人を幸せにする
素のトム・ハンクスてどんな人なんだろうかと思わせられた作品?!
俳優とはこういう人のこと言うんだと思わせるトム・ハンクスの作品。 感情の起伏がほとんどなくいつも落ち着いていて淡々と話すロジャース。電車の中で彼を見かけた乗客たちの一人が歌い出し車内中に歌声が響き渡る。 まるで神様を見つけたような乗客の表情からロジャーの人柄が伝わってくる。 そこでも冷静な態度だった。 一人の孤独を解決するために真剣に寄り添い、違う方向に向かいそうになっても諦めず最終的には一人の悩める男、家族を幸せに導く。 長寿子供番組のホストだったらしいが日本で言えば徹子の部屋の子供版ような感じだろうか? トム・ハンクスの淡々とした演技の影響か大きな感動はなかったが自分自身が穏やかな気持ちになれた不思議な映画としか言い様がない トム・ハンクス、偉大な俳優を感じさせられた作品だ。 それにしてもこの作品の参加を良く決めたなあ。
自分を愛し培ってくれた人への感謝を忘れないための、1万ワードのものがたり
1968年から30年以上の長きに渡りピッツバーグのローカル子供番組『Mister Rogers' Neighborhood』の司会を務め、国民的ヒーローとしてアメリカテレビ史に名を残すフレッド・ロジャース(1928~2003)を扱った、大人のための優しい教育映画。虎や王様(フライデー13世のネーミングが一寸辛口)のパペットを操り、ジオラマ模型を駆使した子供向けの番組でも、死や戦争、そして離婚などのシリアスなテーマも扱い、自作の親しみ易い歌で語り、広い世代のアメリカ人に支持され敬愛されていたようです。フレッドの経歴に、ピッツバーグ神学校で学びアメリカ合衆国長老派教会というところから聖職者に任命されたとあることから、番組の好感度の高さにはキリスト教の神父(牧師)の諭しという要素もあったのではないかと思われます。この聖人のようなフレッドの紹介記事を上司から無理やり依頼された雑誌記者ロイド・ヴォーゲルとの出会いを描いたストーリーは、1998年の雑誌エスクァイヤに掲載されたトム・ジュノー著『Can You Say...Hero?』を原作として、家族を棄てた父との確執から抜け出せず人や自分を傷つけてしまう、父親になりたての男性の成長変化を分かり易く描いています。当初は400ワードに収める取材一回で済むものが、父親が倒れ余命幾ばくも無いとなってから再度フレッドのいるピッツバーグに向かう展開で急転する彼の心理変化は、結果的にロイドの人生観を変えた私的でこころ温かい1万ワードの記事になって、広くアメリカの人たちに受け入れられました。それによって、妻ジョアンから見たフレッド・ロジャースの実像、“聖人と見られるのは努力と訓練の賜物で、完璧な人間でもなく短気な性格”であり、“怒りを抑える道を選んでいる”ことが紹介され、そのために“聖書を読む、泳ぐ、人の為に祈る、たくさん手紙を書く”ことが語られています。 雑誌記者ロイドに対するフレッドの見立ても語られて、“信念を持って、正しさと間違いの区別を付けられる人、父との関係がそれを培っている。父親の影響で今の君がある”と言い切っているところが鋭いですね。劇中で描かれるナショナル・マガジン・アワーズ受賞の名誉を得る優秀な記者でありながら、ロイドの上司エレンは批判もあることに気に掛けています。フレッドは、ロイドの記事を読んで人情が無い人と断言しながら、そんなロイドが好きと懐の深さを見せます。物語が進むにつれて、病身の母から去り家庭を省みなかった父へ対する怒りが彼の正義感の源泉であり、父への復讐が彼を仕事人間にさせていたことが分かってきます。改めて考えると、喜怒哀楽の中で一番複雑で厄介なのが、怒りです。この怒りをコントロールできることが、人生を豊かにする近道なのかも知れません。 雑誌記事から生まれたこの脚本はシンプルで分かり易い反面、奇麗ごとに終始する語りに物足りなさがあるのも事実です。しかし、主人公ロイドが次第にフレッドの人間的な魅力に引き寄せられ、ある意味取り憑かれて行くところが丁寧に、映像としても面白く表現されていて好感を持ちました。場面変化をジオラマで説明する遊びの演出も、番組へのオマージュが感じられて良いですね。アメリカのテレビの英雄フレッドを演じるに相応しい、アメリカ映画の最も模範的な俳優トム・ハンクスの終始落ち着いた演技の深さと何とも言えない優しさが、素晴らしいと思います。仕事に邁進しながら何時も不満気で人に冷たく当たるロイドを演じるマシュー・リスも堅実な演技でハンクスと対峙して好印象を持ちました。ロイドの妻アンドレアのスーザン・ケレチ・ワトソン、フレッドの妻ジョアンのメアリーアン・ブランケット、ロイドの父ジュリーの後妻ドロシーのウェンディ・マッケイ、ロイドの上司エレンのクリスティーン・ラーティと、女優陣の安定した演技にも不足がありません。しかしこの脇役の中で最も個性を生かしたのが、父ジュリーを演じたクリス・クーパーでした。自分勝手な生き方をしてきて、孫が産まれて漸くどう生きるべきか分かって来たとロイドに謝罪する男の愚かさや狡さが、作品にあった重さで絶妙に表現されていました。役と俳優の個性が生むキャスティングの妙と言えます。 充実した演技のハーモニーを演出した女性監督マリエル・ヘラーには特に不満も無く、そつなくこなしています。その中で際立って興味深かったのは、ロイドが押し掛けてフレッドの家に一泊した朝の、レストランでの食事シーンです。人生の答えを求めて来たロイドにフレッドが語ります。(自分を愛し培ってくれた人々を思い浮かべてごらん)。ここでロイドに向けたフレッドの視線がカメラに向けられ、しばらくの時間、俳優トム・ハンクスが観客を見詰める演出を施したことが、そのままこの映画のメッセージであり、ヘラー監督の制作意図であるのでしょう。このカットの慈愛に満ちたトム・ハンクスの表情を観るだけでも価値があります。
アメリカ人なら30倍面白い
何もしらない日本人でさえこれほど面白いのに、TV番組なら「おかあさんといっしょ」、タレントなら徹子さんくらい国民的な人気作が主役なわけですからアメリカ人は感涙モノでしょう。 場面展開で多用されるシオラマがファンタジー的で秀逸、更にカメラワークが抜群でした。 ただ、ハンクス選手が絡んでいないシーンが平凡で、絡んでいるシーンとの落差が大きい、裏返せばハンクス選手の凄さが体感できる作品です。
許しを決断する時
愛している者ほど許すことが難しいという台詞はとても真理を言い当てていると感じた。
人は無条件に人を愛するということはなかなか出来ない。
こちらが愛を示せば、相手もそれに応えてくれるとどうしても期待してしまう。
そしてその期待に裏切られた時ほど心の傷は深い。
許すということはその心の傷を抱えたまま、相手を受け入れることであると思う。
言葉で言うほど簡単ではない。
売れっ子ではあるが辛辣な記事を書くことで有名なライターのロイドは、過去のわだかまりからどうしても父親を許すことが出来ない。
その理由は物語が進むにつれて明らかになっていくが、妻のアンドレアがいくら諭しても、父親のジェリーが歩み寄ろうとするのを頑なに拒み続ける。
攻撃は最大の防御というが、彼は自分の心の弱い部分を守るために父親に対して怒りの感情をぶつけ続ける。
そして人の神経を逆撫でするような記事を書き、他人に対して冷たい態度を取ってしまう。
そんな彼は編集長から子供向け番組の人気司会者フレッド・ロジャースへの取材を依頼される。
オープニングのとても可愛らしい番組のセットがとても印象的だ。
そして物腰柔らかくテレビの向こうに語りかけるフレッドの姿から、彼が常人とは違う意識で物事を見ていることに気づかされる。
彼はおそらく人と接する時に、ほぼ意識のベクトルが相手側にあり、あまり自分を防御することにフォーカスを当てていないのだろう。
だから彼はロイドが不躾な質問をしたり、否定的な意見を言ったりしても、それを聞き流すのでも反論するのでもなく、ただそのまま受け止め気付きを与えてくれたことに感謝の言葉まで述べる。
最初は自分が取材をする側なのに自分のことばかりを話させるフレッドに戸惑っていたロイドだが、何故か彼のことを気にせずにはいられなくなってしまう。
それは彼がありのままの自分を受け入れようとしてくれるからだろう。
人はどうしても防御のために自分を飾り立ててしまう。
やがてフレッドは徐々にロイドの心を解きほぐしていく。
つくづく人の頭は不思議なものだと考えさせられる。
同じことが起こっても人によって捉え方はまったく異なるし、どれだけ有難い教えを受けたとしてもそれが心に響かなければただ素通りするだけだ。
フレッドは人に気付きを与えてくれる存在だ。
彼の言葉は子供だけでなく、むしろ凝り固まった大人にこそ必要なのかもしれない。
やがてロイドは自分の弱さを受け止め、感情と向き合うようになる。
そしてジェリーとのわだかまりも少しずつ解けていく。
ジェリーは病気の妻と子供たちを放り出して別の女のもとへ行ってしまう身勝手な男だったが、彼もまた自分の弱さを受け入れ、過去を償いたいと思い続けていたのだ。
しかしジェリーは病により余命僅かとなってしまう。
ようやく生きる道が分かって来たところで、残された時間がもうないことに苦笑するジェリーだが、それもまた人生というものなのかもしれない。
まるでヨガの瞑想をするかのような安らぎを与えてくれる映画で、フレッド役のトム・ハンクスの穏やかな物腰に心が温かくなった。
完璧な人間などどこにもいないように、ラストにピアノを弾きながら少しだけヒステリックな姿を見せるフレッドの姿に思わず苦笑いしてしまった。
最初にあったワールドトレードセンターが最後にない。
後、一時間。さて、今更、捨てられた親父を恨み、クドクドいじけている事は無いと思うが。
兎に角『トム・ハンクス』さんのイメージを崩さない様に作った良心的ではあるが、偽善的な映画でしかない。
女性監督が願望する父親像だ。しかし、いくら改心しても、駄目な男は駄目なままである。女性はそれを理解すべきだ。我が父は死ぬまで馬鹿な男だった。と言うよりも、死ぬ間際の方が、始末に負えなかった。
でも、我が親父は、僕達兄妹妹を捨てた訳では無い。この映画の主人公は家族がいる。また、父親にも彼女がいるんだから、こんなメソメソして、何を悩んでいるんだ。
僕は、親父が死にそうと連絡あった時、残業して家に帰って風呂に入ってから、病院へ行った。勿論、臨終には間に合わなかった。でも、何も後悔していない。
この映画の司会者のことは何も知らないが、美談で有ることは間違いないわけだから、宗教を無視した道徳映画でしかない。
年をとっただけで、良心が芽生えて、善人に変わると言う発想が可笑しい。年取れば、普通は頑固になると思うが。だから『PLAN75』が必要なのではないか?頑固に生きられても、社会に負担をかけるだけ。だからなのでしょ。
この映画の主人公の父親には『苦労しているから神がいる』とトム・ハンクスはのたまうが、所謂『死神』だろう。
最後の最後だけの映画だと思う。余計な事を描き過ぎ。
不気味。
優しく心温まる寓話に見えて、 人の世の底に蠢く憎悪、不信、暴力、欺瞞をこそ撮らぬことで、寧ろ炙り出そうとしたに見えた。 玩具風ミニチュアの摩天楼にあのビルを晒す剥き出しの痛恨と憎悪など。 トムハの完全無欠な善人ズラには薄気味悪い憎悪が折り畳まれている。 不気味。
人の心の中に入る込む技💗
長寿番組の司会者の実話のお話し。 タダの人気だけでは続かないと思う。 やっぱり司会者の方の心が人々を引きつける魅力があるって事だと思う。 語りかけられ、話したくなる司会者。 なんか、黒柳徹子を思い浮かべてしまった
許す事は決断すること
トムハンクス扮する長寿子供番組の司会者フレッドロジャースは、許す事は決断することと言った。フレッドロジャースは、マシューリス扮する雑誌記者のロイドボーゲルが取材に来る事を知った。 何か不思議な展開だったね。ロイドは病んでるね。仕事もプライベートも。父親との確執があったにせよ雑だな。でも記者としての腕は確かだったんだね。記事を見てフレッドロジャースが家まで気遣って来てくれたりしてさ。
トム・ハンクスで押しまくる
この役は彼にしかできないですね。リアリティと理想と夢の間で行き来する人間模様を演じるとそれが説得性をもってやってくる。 日常生活でのトム・ハンクス自身はどんな人なのだろう、と思ったりするのは少し意地悪でしょうかね(笑
さすがのトム・ハンクス
「幸せへのまわり道」というタイトルとトム・ハンクス、これだけで良い作品だろうと思いながら観ました こういう作品でのトム・ハンクスにやはりハズレなし はずれてるのは邦題… 作品の内容は本当に良くて、1分間の沈黙のシーンやトム・ハンクス演じるフレッド・ロジャースのいろいろな言葉に涙がポロリ ロジャースはいわゆる「良い人」で、確かにそんな人になりたいと思うけど、あまりにも聖人すぎて、最初の方のロイドのロジャースへの接し方に共感していました いつも良い人すぎると建前だけの本音を隠した人のような 心があったまる作品で本当に良かったけど、ラストのロジャースがズシンときたままで、「心があったまる作品」で終わりませんでした
要所要所では
基本は退屈だったけど、電車の中の場面とか要所要所でグッとくる場面があった。しかしこんな長寿番組は知らなかったな。アメリカでは文化として根付いてるみたいだから、よりわかりやすいのかも。穏やかな映画だった。 評価:3.2
ハートウォーミングな話では終わらない
実話に基づくハートウォーミングなお話と思いきや、ラストのトム・ハンクスのピアノ演奏が、この映画の奥行きをさらに拡げたものにしてくれています。 映画の半ばに、フレッド・ロジャーズの夫人が、「彼は聖人ではない」と語る場面がありますが、そのことばの意味の重みを、ラストが私たちに語ってくれます。 それは決してフレッド・ロジャーズという存在を傷つけるものではなく、逆に、そこまでしてフレッド・ロジャーズという役割に徹した人物の尊さを私たちに伝えてくれます。
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