劇場公開日 2020年3月14日

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「桜の花びらになって散りたい」ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5桜の花びらになって散りたい

2020年4月7日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

幸せ

 コロナ禍の影響で週末は閉館している映画館が多い中、シネスイッチ銀座は週末でも上映を続けている。賛否はあるだろうが、映画館としてのひとつの姿勢であり、閉館するも上映するも、どちらの決断もそれなりに評価されなければならないと思う。
 テレビを観ていると、ロクな番組がないことがわかり、どうしても映画に行きたくなる。コロナ禍の対策も重要かも知れないが、精神衛生も大事である。日本の自殺者はWHOによれば毎年6万人。1日164人が自殺しているのだ。新型コロナで亡くなる人が増えているのかも知れないが、それを遥かに上回る数の人々が自殺しているのである。この事実をどのマスコミも報道しない。
 コロナ禍で経済が縮小した結果、自殺者は更に増えるだろう。政治家は行きあたりばったりの対策で右往左往しているが、世界の片隅では沢山の人々がひっそりと自殺している。コロナ禍が終わってからの自殺対策では実は遅いのだ。感染者数と同時に自殺者数を発表するといい。

 この時期に本作品を映画館の大画面で鑑賞できたことは非常に幸運だった。微生物を含む生命全般についてのドキュメンタリーだからである。
 兎に角映像が美しい。流石に動物の番組を作ってきた監督だけのことはある。撮らなければいけないシーンはすべて網羅しているし、スローやアップなどを巧みに使った映像で和ませてくれる。
 夫婦の農場にとても重要な役割を果たすコンサルタントのアランには独特の哲学がある。自然農法で大切なことは、植物と動物、それに微生物が相互作用しながらエネルギーを循環させることである。つまり自然界の多様性(diversity)そのものがエネルギーと秩序と調和を生むのである。その結果として農畜産物が収穫される。人間は自然の多様性を損なわないように気を遣わなければならない。
 映画はその具体例を美しい映像で表現する。動植物が栄養を摂取し、排泄する。その排泄物は他の動植物にとっての栄養となる。時間が経過すると植物も動物も死骸となって土に帰るが、それもまた次の世代の動植物にとっての栄養となる。あるいはある植物にとっての天敵は他の動植物にとっての重要な栄養源であったりする。人間は勝手に害獣とか害虫などと分類しているが、動植物そのものは益でも害でもないのだ。
 食物連鎖の中で重要な役割を果たすのが微生物である。細菌について人間は善玉菌とか悪玉菌とか日和見菌とか、勝手に分類しているが、生物の多様性そのものが秩序と調和を生むのであれば、悪玉菌も病原菌もそれなりの役割を担っていると考えるのが公平だ。ウイルスについても同様で、人間にとっては炎症を引き起こしたり、免疫不全をもたらしたりするウイルスであっても、善悪の判断の対象外である。

 生は死を内包している。あらゆる生物は誕生と死亡、自己複製を繰り返しながら、時には突然変異を起こしたりして変化し続けている。ジュラ紀に地球に君臨していた恐竜も、もはや化石でしか見ることができない。ヒト科ヒト属ヒトであるホモサピエンスも例外ではなく、環境の変化と適応力のバランスから、やがて淘汰されていくのだ。
 本作品は、その全体をすべてよしとして力強く肯定しているかのようである。新型コロナウイルスがパンデミックを引き起こし、多くの人や動物が死ぬ。そしてまた生物は変化し、新しい生物が誕生する。善と悪の彼岸に真理が存在すると考えれば納得のいく話である。
 家族が死んでもそんなことが言えるのかと、屡々問題を矮小化する人がいるが、巨視的な問題は巨視的に議論すべきであって、個々の人間の幸不幸と重ね合わせるのは論点をずらしているだけだ。日々刻々と変化していく環境の中では、ペストもコヴィッド19も条件と偶然によって発生したパンデミックであり、地球の歴史にとっては善でも悪でもないし、幸でも不幸でもない。
 本作品の美しい映像を観ると、生命というものは失われるからこそ美しいということがわかる。花は散るから美しいのだ。いつの日か自分も死んで土に帰り、微生物に分解され、桜の木の栄養にでもなって、その美しい花びらの一片となり、そして散りたいと、そんなふうな思いが沸き起こる。素晴らしい作品である。

耶馬英彦