「2人のレイチェル」ロニートとエスティ 彼女たちの選択 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
2人のレイチェル
厳格すぎるユダヤ・コミュニティ。ラビである父が亡くなった報せを聞き、突如NYからイギリスへと戻ってきたカメラマンのロニート。ラビ・クルシュカには子どもがいないと報じている新聞もあるが、驚きもあるが、自身が逃げ出したこともあり、妙に納得するロニート。彼女はエスティとレズビアンの関係だったことを父に見つかった経緯があったのだ。
LGBTに不寛容な超正統派ユダヤ・コミュニティ。当然レズは禁止、結婚したら異性に触れることも禁止、外出するときはカツラ着用、ちなみに自慰行為も禁止、外から見たら相当息苦しい世界だ。男は幼少期に割礼。色んな映画にその割礼ネタがあったりする。
「今でも女しか愛せないの?」「うん」。この時のレイチェル・マクアダムスの表情が素晴らしくて、うっとりしてしまう。コミュニティに生きていかねばならないから、親友であるドヴィッドと結婚したエスティ。そして、ロニートとともに愛し合った過去を思い出す・・・
一緒にNYへ逃げる?とも想像するが、そこはそれで宗教的背景と、これまで生きてきた過去もあり、簡単にはいかない。それでも夫のドヴィッドの「自由だ」という答えを導き出すのだった。選択の自由。単にどこへでも行けという意味ではない。自由という不文律さえあれば精神的自由が得られる。このまま夫婦生活を続けるのだって自由なのだから。
ロニートも父の死を知らせてくれたのがエスティだけだったことに憤慨。このまま彼女がいなかったことにしようとしている周囲の人たち。それでもロニートは諦め顔。NYでの生活が彼女を強くしたのだろうか。ちなみに男性とのセックス描写カットが数秒あるし、「金曜日にセックスして土曜は安息日?」という皮肉めいた台詞もある。
冒頭の入れ墨だらけの老人を撮るロニート。ユダヤ教ではタトゥも禁止。どことなく、自由を勝ち得たユダヤ老人といった印象が残った。上手く対比させていたように思います。そして、告別式での周囲の視線がとてもえげつなかった。「何しにきたの?いまさら」顔だ。村八分という言葉も思い出したのですが、村八分だって葬式には寛容です・・・