子供はわかってあげないのレビュー・感想・評価
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「水は海に向かって流れる」実写化と見比べると、良さが一層引き立つ
本作を公開当時見逃して残念に思っていたが、田島列島の人気コミックの実写映画化という点で共通する「水は海に向かって流れる」(2023年6月公開)を観るにあたり参考のため配信で鑑賞。「南極料理人」「横道世之介」など大好きな作品の多い沖田修一監督、やはり期待を裏切らず楽しませてくれる。冒頭前触れなく始まって観客を面食らわせる劇中アニメへの尋常ならざる力の入れようなどは、「おらおらでひとりいぐも」の遊び心を想起させると同時に、やはり人気コミックを原作とした石井裕也監督作「町田くんの世界」(町田くんを演じた細田佳央太が本作の主人公の一人・門司くん役)にも似た、邦画界で量産される青春漫画実写化作品の定型を作家性で打破する強い意志を感じさせもする。 上白石萌歌がちゃんと高校の水泳部員に見えるすっぴん(に見えるナチュラルメイクかもしれないが)で、しっかり日焼けしながらプールや海で演じているのも高ポイント(インタビューによると、きちんと夏に順撮りしたという)。そうしたリアルな若者像を丁寧に映像化した点も魅力になっている本作と見比べると、「水は海に向かって流れる」で描かれる世界は表面的でどうにも嘘っぽく、量産型の青春ドラマ邦画の枠を抜け出せていないと感じる。田島列島原作の映画2作品で比較するなら、この「子供はわかってあげない」に軍配を上げたい。
不思議なおかしさが、やがて胸を打つ
冒頭、主人公の女子高生が好きなアニメーションから始まり、沖田修一監督の前作「おらおらでひとりいぐも」の冒頭のアニメ同様に、これから始まる物語展開の布石を打ってきてニヤリとさせられます。ここから全編を通して、どこか不思議なおかしさが続いていきます。
それは上白石萌歌演じる高校2年生、水泳部員の美波が、真面目に、真剣になればなるほど笑ってしまうという性質ともつながってくるのです。普通であればシリアスで「ワケあり」な状況や事情のはずなのですが、本作には飄々とした“肯定のまなざし”が通底していて、辛いことも優しく受け止め、ユーモアあふれるあたたかさで描かれていきます。それは原作のまなざしに、沖田監督の人間やこの世界への独特なまなざしがプラスされているからなのでしょう。
高校生が日焼けしている、という当たり前の素晴らしさ
なんでこんなにしあわせな映画ができるのか? 沖田修一監督のもっているリズムとユーモアや、その世界観で漂っているような俳優たちの妙演など、素晴らしいポイントはいくつもあって、何の話かよくわからないまま、しあわせに時間が過ぎていく。なんだこれ、発明か。 そして数ある青春映画の中でも特異とも言えるのが、上白石萌歌演じる主人公、朔田美波の、毎日を楽しむ力の強さ。朔田さんは、目の前にあるものをいつも思い切り楽しんでいて、屈託や悩みもあるにはあるけれど、概ね前向きな気持ちが勝ってしまう。青春映画の多くは憂鬱や行き止まりの感覚を描くものだが、本作の朔田さんにはそれがない。しかしそんなものは本作には要らないのだと、上白石萌歌の屈託のなさに教えられる。 この映画は二年前のひと夏に、順撮りで撮影されたという。気がつけば真っ黒に日焼けして、ニコニコしている上白石萌歌の無防備さに、知らず知らずのうちに救われてる。この演技を見るだけでも、割増料金を払いたいくらいである。
沖田監督ならでは独特の空気感が秀逸
いつも独特の温もりと緩急自在の笑いと、心がスッと澄みわたる特別な時間を創り出す沖田修一。彼が手がけると何もかもが沖田カラーに染まっていく。本作もまさかアニメーションで始まるとは思わなかったが、そこから時間をかけてじっくり捉えていくリビングの風景が実に素晴らしい。こんな覚悟の要るアプローチを飄々とやってのけるのが沖田監督らしいところ。上白石や細田のイメージも無理に原作に寄せるのではなく、むしろ彼らの持ち味を大切にしたキャラクターが生き生きと青春を謳歌していて、隅から隅まで好感が持てる。脇を固める名優陣も独特の沖田ワールドを力まず、泳ぐように生きている。この間合い、この呼吸。どこまでも心地よく、クスクス笑わされたかと思えば、ふと涙してる自分に気づかされたりもして、これまた新鮮。ちなみに原作漫画では別の角度からの味わい(もじくんのお兄さんの名探偵ぶりなど)が楽しめたりするので、こちらもお薦めだ。
「ややタイトルの引きが弱いかも?」と感じ、勿体ないと思う、沖田修一監督作品ではベスト級の面白さを持つ映画!
まず、この映画を見ている人は、きっと「あれ、間違って別のスクリーンに入ってしまった?」と冒頭の数分は、そんな疑問が生まれることでしょう。 でも、心配ありません。間違いなく「子供はわかってあげない」の本編です。 本作は、沖田修一監督作品ですが、これまでの作品の興行収入から考えると、まだ一般的にはそれほど広く認知されているわけでもないのかもしれません。 「南極料理人」や「横道世之介」といった作品などで着実にファンを増やし、実力のある監督の一人です。 ただ、これまでの沖田修一監督作品から考えると、本作は、割と新鮮な感じがします。 それは、これまでは「ちょっと可笑しい」という感じが持ち味でしたが、本作では、「結構、面白い」という感じになっていたからです。 理由の一つには、同名のマンガを原作としていることも関係あるのでしょう。 ただ、それを上回るくらいに上白石萌歌と細田佳央太の演技の化学反応が良く、結構、面白い感じで物語が進んでいくのです。 さらには、千葉雄大も「本領発揮」といった役どころでした。 あえて言うと、大きく前半と後半に分かれているイメージで、特に前半はテンポも良く面白いです。後半も面白いのですが、味のある面白さに変わっていきます。 とりあえず気になったら迷わずに見てみてほしい「良作」です。
子供はわかってあげない
原作未読で鑑賞したところ、父親の正体が判明したときにシリアスな展開になっていくのかなと思ったら最後まで青春映画でした。父親との距離、もじくんとの距離、高校生の複雑な心情と関係性が爽やかな夏模様と共に描かれていました。2時間以上のゆったりとした作品ですが、飽きずに楽しめました。夏休みで時間や心に余裕があるときにおすすめの作品だと思います。豊川悦司さんや千葉雄大さんなど脇役の俳優さんの存在感も素晴らしかったです。
青さ、爽やかさが素晴らしい
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。 見終わった後は、若いハツラツとした爽やかさが残りました。夏の青空や高校生という若さがとても印象的だなと思います。 上白石萌歌さんをはじめとした俳優さん達が各人物をあっさりと、でもしっかりと演じられていますし、人物の言動からも、空気感が重々しくならず、とても爽やかに見ることができました。出てくる人物たちに基本的に悪人がいないですし、なにより主人公のとても前向き(楽天的?)な性格が、見ていてとても気分が良いですね。 間の取り方やカメラワークが独特ですが、この独特さが不思議とより身近な日常感を感じさせてくれているように思いました。 とても良い作品だと思いました。
いいものです。な!
本当の父親を知らない少女。父親に会いに行く。
父と娘、甘酸っぱい初恋、少女のひと夏と成長…。
THE青春ストーリー! THE夏!
この夏の空気感が堪らなく心地いい。嗚呼、夏に見とけば良かった…。
王道と言うべき題材や設定だけど、沖田修一監督が手掛けると…
ゆったりとしたテンポとユーモアの沖田ワールドとキラキラ瑞々しくてずっと浸っていたくなる青春世界が最高にマッチング。
まるでKOTEKOに魔法を掛けられたよう。
開幕はアニメ。劇中でヒロインが好きなアニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』。(←なんちゅータイトルじゃ…)
一流のスタッフ/キャストが手掛け、主題歌も流れ、沖田監督自身が1話分の脚本も書いたというこだわりよう。劇中の架空のアニメなのにしっかりとした作り込みは『麦子さんと』や『ハケンアニメ!』を彷彿。
このアニメを見て涙を流すほどのファン、高校2年生の美波。
学校では水泳部。泳ぐシーンがまた、嗚呼夏の学園…。
両親と弟。ちなみに母は再婚で、義理の父親とは仲良し。同じ『KOTEKO』好き。
開幕を飾るほどの重要キーの『KOTEKO』。ある出会いも。
部活終わり、屋上に見えたのは…?
誰かがKOTEKOを書いている。
居ても立ってもいられず、屋上へ。書いていたのは、書道部の門司くん。
どちらかと言うとマニアックなアニメの『KOTEKO』。今のところ映画化の話もナシ。
まさか同じ学校で同学年でKOTEKO好きに会えるとは…!
言うなれば、『KOTEKO』から全て始まった…。
『KOTEKO』の世に出てないレア回を持っているという門司くん。それを見に、門司くんの家へ。
書道教室でもある門司家。門司くんも子供たち相手に書道先生のバイトを。
そこで意外なものを見つける。いつぞや誰かからウチに送られてきたお札。
門司家は依頼されてその札を書いたという。依頼先は、ある新興教団。
実は美波は、送ってきた相手は知っている。実父。
ふと呟く。探偵でも雇ってみようかな…。
すると門司くんが思わぬ言葉。会えるかもよ。
探偵をやっているという門司の兄。
依頼しに行ってみたのだけれど…
探偵をやってたのはもう随分前。しかも、バイトで猫探しを。
お兄さん…いや、“オネェ”なお兄さん。性転換で今は“女性”に。
泣き上戸でいい人。本職は探偵ではないけれど、門司家との書道繋がりを活かして、何より美波のピュアさに打たれ、引き受ける。
ひと夏かかると思っていた父親探し。
…ところが!
父親は新興教団と関わりあったから…と言うかズバリ、教祖様だった…!
ヤバくない…? 洗脳とか暗殺とかあるかも…? 実の娘だから継承権争いとかも…?
と言っても、教祖だったのは何年も前。今は行方不明。
ところがところが、あっさり今いる場所が判明。
門司くんのお兄さん、名探偵!
種明かし。今、指圧治療院で指圧師をやっており、顔と名前出しでネットに…。
教団とは訳あって失踪中なのに、指圧のホームページには堂々と顔と名前出し。謎の人…。だから元教祖様…?
予想以上のスピード発見で心の準備も出来ていなかったけど、部活の合宿を利用して会いに行く事に。
家族には内緒で…。
父は今、指圧の師匠の離れ家で暮らしている。
出てきたのは、女の子。
娘…?
近所の子。このじんこちゃんが可愛い。
そして対面。父、友充。
お互いの第一声が笑える。
「娘です」「父です」の他人行儀。
ぎこちなさはある。が、よくあるピリピリとした関係や恨んでいるようなそんな感じはない。
そういうのがリアルかもしれないが、ちょっと風変わりでコミカル漂う親子の再会あってもいいじゃないか。
会話のやり取りも笑える。
「好きな食べ物は?」「うどん」「ああ、そう。僕はバナナ」「ああ、そう」。
娘がアニメ好きと知って、「何てアニメが好きなの?」「魔法左官少女バッファローKOTEKO」「知らん」。
絶妙なやり取り。ぎこちなさや微妙な関係が自然と縮まっていく。
親子のように。本当の親子なのだが、つまり、ずっと暮らしていた本当の親子のように。
でもお父さん、年頃の娘の前で海パン一枚はアカンぜよ。
美波は父とじんこちゃんに泳ぎを教える。
父は娘に“見える”を教える。
元教祖の父、人の頭の中が“見える”という。
見え方をミルフィーユに例えるんだけど、何言ってるか分からない。
今はもう能力衰え、それ故教祖をクビになったのだが、胡散臭いような、哀愁漂うような、憎めないような。
会う前はそりゃあ緊張や不安あったけど、いざ会ってみたら…。
スマホが水没して連絡取れなくなってしまい、心配した友達に頼まれて、門司くんもやって来た。
突然現れた男子に、父親ぶる友充。…いや、父親なんだけど。
緊張する門司くん。お父さんだから…もあるけど、教祖で頭の中を読まれる!
この門司くんと友充のやり取りも笑える。
門司くんから娘さんと似ていると言われ、ニンマリ嬉しそうな友充。
酒を飲ませる友充。…って、コラコラ!
娘と父と同級生男子と。時々、近所の女の子やご近所さん。
一緒に過ごしたおかしなおかしな夏の数日もあっという間に終わり、帰る日。
記念写真。
会った時も別れの時も、湿っぽさは無く。
だけど、じんわり込み上がるこの余韻。
見送る父の背中。家に入り、家の中から聞こえてくる娘の好きなアニメの歌…。
『KOTEKO』のアップテンポの歌がまさかこれほど寂しさ表すとは…!
細田佳央太クンの好青年ぶり。イケメンな好青年とかではなく、ちょっと不器用で頼りなさげでコミカルなんだけど、一途な所が。砂浜に好きな子の名前を書いて、THE青春!
オネェなお兄さん、千葉雄大も好演。最後の“請求書”はジ~ンとさせられた。
友達みたいな義父・古舘寛治もいいが、斉藤由貴お母さん。内緒で実父に会いに行ったりしていいの? OK牧場! ユーモラスでいて優しさと愛情たっぷり。
本作では皆、誰が誰を責めたりとかしない。皆、思いやったり、受け入れたり、寛容だったり。
母は内緒で実父に会いに行った娘に。
写真で久々にお互いを見た母と実父。「老けたね~」
娘は実父に。
尊敬出来る父親像とは遠い存在。ちょっとおかしくて、情けなくて、抜けてて、寂しさ漂ったりしてて、でも愛嬌あって、人柄が好きになってしまう。そんなお父さん。トヨエツが絶妙のペーソスとユーモア。
だけど本作のMVPは、言うまでもなく主演の上白石萌歌だろう。
上白石萌音の妹で、姉妹共演もあって、『未来のミライ』の声優ぐらいしかイメージなかったけど、間違いなく彼女の代表作となり、実力と魅力を余す所なく発揮!
フレッシュさ、瑞々しさ。
プールや海で泳ぐ姿、学校の階段を走る姿。
ナイスなリアクション。笑顔。照れる顔。頬を伝う涙。
“ヒロイン”と“夏”と“青春”の完璧な三位一体。
勿論それは、彼女の演技力やキュートさ他ならない。
もう“妹の方”とか“いまいちだった声優”なんて言われる事はない。女優・上白石萌歌!
実父に会いに行く旅を終えて…
美波の青春の夏はまだ終わらない。
合宿に不参加の罰で、プール掃除。
その時、屋上に見えたのは…
思えば、『KOTEKO 』繋がりで、この場所の出会いから始まった。
告白。
近年、こんなにストレートでピュアで初々しくてほっこりさせられる告白シーン、あっただろうか。
いいものです。
沖田修一初のコミックの実写化。
青春モノは手掛けた事あるが、初の爽やか学園青春モノ、初の初恋モノ、初の王道モノ。
それらでありながら、見事自分のカラーにも染めている。
愛さずにはいられない人物たちや作品を描いて、沖田監督に勝るものナシ。
いいものです。
な!
こ~~れは…
原作が良すぎ。 田島列島さん、お名前は存じ上げておりましたが読んだことなくて…なぜに今まで読まなかったのか悔やまれます。 映画も悪くないです、原作の雰囲気はかなり近いものが出てると思います。 が、しかし…原作が良すぎる。ぜひぜひ原作を読んでほしい。田島列島さんが素晴らし過ぎる。他の作品も読んで欲しい。
夏はいいよね、高校生の走る姿もいいよね
冒頭アニメだったので⁈でしたが。 今のお父さんは、娘と一緒に見て踊ってる。 だけど別れたお父さんは、家にTVすらない。 急に訪ねてきた娘のために、その空間を埋めようとする姿。 娘の同級生=もしかしたら彼氏、の前で大人の男ぶる。 この辺がツボでした。 熱量が感じられないところもあったけど、そこが高校生らしいかな。
沖田監督らしい「間」が描かれます。
冒頭、カメラは主人公の少女・美波(上白石萌歌)にぴったりと寄り添います。真夏 のプールで泳ぐ姿を主観映像や水中撮影で描くのです。 その元気に溢れた描写から、今は暑いだけにしか思えない夏であっても、子供の頃はあんなふうに何をするにも気持ち良かったのだという、忘れていた感覚が、少女の肉体を通してありありとよみがえってきました。学校の階段を一段飛ばしで駆け上がる姿を延々と見せること。プールの水の中の心地よさの感覚。こんな軽々とした体からはじけ出る若い力をまず見せつけてくれたのです。 田島列島の同名漫画を「横道世之介」の沖田修一監督が映画化したのが本作です。夏休みの少女の成長を描いた、輝くような青春映画でした。 美波は高校2年。アニメおたくで水泳部所属。好きなアニメを父親と見て一緒にエン ディングテーマを歌い踊るほど家族とは仲がいいが、実は幼いころ離婚して家を出た実 父(豊川悦司)がいたのです。 あるとき、部活もクラスも違う書道部の門司くん(細田佳央太)が自分と同じアニメのファンと知り意気投合。彼の家を訪ねると、幼い頃に家を出て顔も行方も分からない父の手がかりを見つけます。美波は門司くんの兄(千葉雄大)が探偵だと聞き、実父捜しを依頼します。 見つかった実父は新興宗教の教祖で今は海辺の町にいると調査の報告を受けます。実の父の居場所を突き止めた美波は、意を決して家族には内緒で、夏休みに実父に会いに行くことに。 いつまでも帰って来ない彼女を心配し、門司くんがその跡を追います。 若者たちに寄り添う前半。沖田監督は珍しく長回しの移動撮影を多用し、テンポよく物語を進めてくれました。 美波が実父に会う後半からは、沖田監督らしい「間」が描かれます。例えばテーブルを挟んで向き合う実父と美波。彼らを左右対称に真横から捉えた構図が何度も出てくるのです。人間関係の距離感が、2人の実際の距離を強調した構図で表現されました。しかし、お互いの気持ちが通じていくにつれ、距離は同じでも、2人の間にある空気はだんだんと優しく、温かくなっていくように見えてきたのです。 構図だけではありません。カットとカットの間。セリフの間。それらを積み重ねてオフビートなリズムを作ることで、微妙な感情を描き、ユーモラスな雰囲気を醸し出すこと。森田芳光監督の影響もありますが、雰囲気はより柔らかく、沖田監督独特の間になっていました。さらに「岩合光昭の世界ネコ歩き」サントラのタッチによく似た牛尾憲輔による劇伴がよく沖田監督の作品世界とマッチしていました。 放課後の喧噪。プールの匂りゆるく流れる時間。一見、普通の高校生の爽やかな夏の恋の物語に見えてしまう本作。けれでも美波の周りには、生き別れた父、怪しげな宗教、見た目は女性の門司の兄など、ややこしそうな事情が散りばめられていたのです。 美波はそんな周りの人とくだらない会話で屈託のない笑顔を見せる一方、大人たちの事情を察し、距離をはかりながら接していると見て取れました。 母(斉藤由貴)や血のつながらない父(古舘寛治)、門司の兄ら各登場人物からも、何気ない場面で、言葉にはしない心の奥やそれぞれのドラマから伝わってきました。 海辺のシーンでは、青い空や海に美波の焼けた肌の色が映えます。子供らしくはしゃぐ彼女の明るさがまぶしいかったです。そしてラスト。学校の屋上で、美波と門司くんが正座して向き合うのです。緊張すると笑い出してしまう美波は、笑いながら涙を流して門司くんに気持ちを打ち明けます。奇妙に見えて、しかし真っすぐな少女の気持ちを、上白石が実に見事に表現していました。そんな2人をカメラは向き合う真横から映す映像が印象的でした。2人の醸し出す「間」の凛とした美しさに深く胸を打たれたのでした。 人生、実はいろいろあるものです。それを知らないわけじゃない2人のラストシーンがまぶしすぎました。 追伸 水泳部の監督の語尾に強調する『なっ!』と同調を求める口調が、頭からこびりつきました。水泳部員たちも監督の口癖が病み付きになったのか、次第に部員の合い言葉に。美波が絶妙のタイミングで繰り出す『なっ!』には吹き出しました(^^)あれって茨城訛りなのでしょうか?(公開日:2021年8月20日)
会話とカメラワークが絶妙過ぎる
久しぶりにかなり笑いのツボに来る映画だった。 家族の何気ない会話の中で、その内容、間の取り方、表情など、とにかくクスっと笑えて、たまにめちゃ笑えた。 そして独特なカメラワークが、この映画の特徴かもしれない。こう撮るかぁと思わず楽しい驚きがあった。 内容もまた面白い。 監督、脚本、撮影、そして、役者達に拍手でした。 主役の女の子はもちろんのこと、脇を固める斉藤由貴やトヨエツも素晴らしかった。
面白い
公開当時とても気になっていた作品だがみのがしてしまった。 今年、WOWOWで視聴することができ期待通りの面白さでした。 この作品は、間違いなく上白石萌歌さんの代表作になります。 上映時間はかなり長めだが、至る所で思わずクスクス笑ってしまうシーンがちりばめられていて長さを感じない作りになっている。冒頭から劇中アニメで始まり、あれ?と思う出だしも他には無い作品となっている。 特に上白石萌歌さん演じる美波、細田佳央太さん演じる門司君、豊川悦司さん演じるお父さんとの掛け合いは笑いが止まりません。さすがです。 良い物を見せていただきました。ありがとうございます。
沖田修一の独特の「間」
沖田修一の独特の「間」。その「間」から創り出される唯一無二の空気感。 彼の作品、「おらおらでひとりいぐも」、「モリのいる場所」、「滝を見に行く」。すべてにその「間」がある。 その「間」を演じれるのが、上白石萌歌であり、豊川悦史である。 おねえ役の千葉雄大の存在も欠かせない。「ミッドナイトスワン」の中村倫也に匹敵するおねえぶり。 古本屋の店主の高橋源一郎も素人ながら存在感が光る。 上白石萌歌と古館寛治が、アニメの主題歌をデュエットするオープニングは、斬新な切り口。 パワハラのようでちっともパワハラでない、水泳部の顧問のキャラも、いかにも沖田修一らしい。 誇張がない、かっこつけない、かといってどん臭くもない、夏休みがそこにある。
タイトルが今一つ分からないが、結構な良作だった。 主人公・美波には...
タイトルが今一つ分からないが、結構な良作だった。 主人公・美波には幼い頃に分かれた実父がいて、どうやら新興宗教の教祖をしているようだという。 この実父が会ってみると意外に普通の人間だったのでほっとした。 初めはぎこちなかった2人が次第に仲の良い父娘になっていくのは見もの。 細かい笑いが随所に散りばめられていて、終盤は泣かせにくる。
大人はわかってくれない
主人公(上白石萌歌)は高校二年生の水泳部に所属する女子高生でアニメオタクでもある。 赤ん坊のときに出ていった父親の消息を、男友達の兄に頼む。 すぐに分かったがなんと、新興宗教の教祖だった。 とても面白く、上白石萌歌が最高。
共感性羞恥耐性を鍛える
さいきん共感性羞恥心という言葉をよく見かける。 ネットには、 『共感性羞恥とは、他人が恥をかいたり失敗したりする姿を見て、自分まで恥ずかしくなること。』 ──と説明されている。 誰にでもある感覚だが、それを感じすぎる場合、HSP(Highly Sensitive Person)が疑われる──らしい。 HSP(Highly Sensitive Person)は「高感度な人」と訳されるが、臨床的にはプラス方向の意味はなく、言わば「ちょっとしたことが過負荷になってしまう打たれ弱い人」と俗解できる。 昔はなかったが、現代人は、さまざまな精神疾患をじぶんに当て嵌めることができるようになった。 わたしもそれにあやかって、じぶんの失敗した人生を“ビョーキ”のせいにしようと画策しているところだ。 それはさておき、かつては共感性羞恥心という言葉がなかった。 とは言うものの、はて、なんと言っていただろう。 はずかしい、いたたまれない、きもちわるい、きまずい、ぎこちない、ぞわぞわする・・・。英語だったらAwkwardかもしれない。 完全に合致する言葉はたぶんなかった。 これだけ感じる感情を言い表す言葉が昔はなかったことが驚きだ。 強いor鈍いゆえに共感性羞恥心を感じないひともいるであろう。そんな方に共感性羞恥心がどんなものか体感できる絶好のサンプルがある。「スカイピース 明日があるさ」で検索すると突起で大根をおろせるほど鳥肌立つこと請け合いだ。 言うまでもなく日本の映画/ドラマも共感性羞恥心の宝庫。 わたしたちが日本の映画/ドラマが嫌いな理由のひとつでもある。 面白くないうえに共感性羞恥心をいじられたら、たまったものではない。 とりわけ海外映画/ドラマを好む人が、たまに和製映画/ドラマを見たときに感じる共感性羞恥心は、はなはだしい。 作り手が撮影中のテイクに共感性羞恥心を感じないのが不思議でならない。 どんだけ共感性羞恥心耐性の高い人たちの集まりなんだろうか。 それとも(共感性羞恥心を)狙ってつくっているのだろうか? 日本映画/ドラマの品質というものは、われわれ素人にとって、謎のつきないミステリーである。 ── これは原作マンガを読んでいる。 原作は軽妙な夏物語になっている。 青春と夏と海なのに情熱的ではなく、積極的なコメディでもなく、ひとつ大人へちかづく少女を、ふわりとしたペーソスで描いていた。 問題は情熱的ではなくコメディでもない、少女の成長物語をふわりとしたペーソスで描くなんてことが日本映画にできるのか──という話。 映画は、作中アニメ「魔法左官少女バッファローKOTEKO」の一場面からはじまる。 原作ではそのアニメ及びアニメ内キャラクタをあっさりと扱っているのに対し、映画では冒頭から振り回してくる。しっかり作り込まれ、擬人化されたモルタルやコンクリやセメントが面白いことしてるでしょの承認欲をギラギラとみなぎらせ、アニメの熱狂的ファンらしい上白石萌歌と古舘寛治が展開に涙を流しながらダンスをする。・・・。 押してはくる。が、日本映画は引いてほしいときにぜったいに引いてくれない。 スカイピースの明日があるさに共感性羞恥心を感じるのは音痴だからでも低レベルの替え歌だからでもなく彼らがスベっていることに無頓着だからだ。 共感性羞恥心とは穴があったら入りたくなるような恥ずかしいことをしながらオフィシャルの体をしている“こと”や“モノ”のことだ。 (たとえば)商業施設で1,000人目の来場者にプライズをする場合、店はぜったいにそれに相応しい家族連れを選ぶ。凶器を隠し持ったようなチー牛を選ぶことはぜったいにない。 共感性羞恥心とは凶器を隠し持ったようなチー牛が商業施設の1,000人目の来場者としてプライズと写真撮影におさまるようなシチュエーションのことだ。 あるいは強面でまじめな一般庶民の老人が、外国人の大観衆を相手に、必死でダンディ板野の真似をする──というようなシチュエーションのことだ。 そういう、あきらかに常軌を逸する事態にたいして、共感性羞恥心を感じない人はたぶんなにかが抜け落ちている。 わたしたちはじぶんが持っている外観などの属性から、大幅に外れてしまうことをぜったいにしない。 『滑稽な外形を持った男は、まちがって自分が悲劇的に見えることを賢明に避ける術を知っている。もし悲劇的に見えたら、人はもはや自分に対して安心して接することがなくなることを知っているからだ。自分をみじめに見せないことは、何より他人の魂のために重要だ。』 (三島由紀夫作「金閣寺」より) 一般的に人は、人とのあいだを変な空気にしない。 原作にはどのキャラクタ間にもAwkwardがない。必要以上に気を遣ったり、言いよどんだり、つっかえたりして関係性に苦しさを感じることがない。 とりわけ主役のふたり朔田(上白石萌歌)は独立系(徒党を組まないタイプ)で楽天家、門司(細田佳央太)も独立系で超然型だった。 が、映画ではさいしょからずっとぎくしゃくする。映画の朔田と門司は、まるでお見合い中の処女と童貞のようだ。すなわち冒頭のアニメからずっと共感性羞恥心になやまされる。 実父(豊川悦司)と朔田が初対面できまづく押し黙るシーンも原作にはない。海パンで追いかけたり弾まない会話で食事したりむりやり三木聡風のオフビートをやったり映画はむしろ積極的に共感性羞恥心へ導いている。 しかし、なぜそんなことをするのだろう。まったくわからない。感覚のずれを飲み込むことができない。 いやわたしの主観なんぞはどうでもいいが、ふわりとしたペーソスをめざした原作者はこの映画の甲冑を着こんだようなぎくしゃくのキャラクタと空気感を見てどう思ったのだろうか。 ところで、言うまでもないが、これは重篤なHSPをわずらっているわたしの偏向評であって巷間では本作は概して好評を得ている。上白石萌歌も豊川悦司も熱演しているし、夏の気配と発色がいい。 ただじぶんはHSP(感受性過多)なので余計なこと(共感性羞恥心)を感じてしまった。見ていてずっとはずかしかった。疲れた。 PS:現代病ってとりあえず酷評の免罪符になるよね。
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