こおろぎのレビュー・感想・評価
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伊豆三島カトリック教会の話をベースに神と対話を映像化を映像
内容は、西伊豆の別荘に棲む中年の男女が隠れキリシタンの歴史と向き合い自分自身に向き合っていく話。好きな言葉は『アヴェ マリス ステラ』意味深なポルトガル語の言葉を発すると共に車に轢かれるシーン。意味は、罪の鎖より解放し盲人に光を与え我らの悪を去らせ全て良きものを与えたまえ汝御母なる事を示したまえらしい。キリシタン弾圧と現代を股に掛けた話は全てを説明しなさすぎる感じが青山真治監督らしい芸術性に富む作りになっていたなぁと感じました。好きな場面は、ワインを🍷飲みながらのこおろぎ🦗シーンで山崎・鈴木の名演には驚かされました。本人も解らない脚本を表現したと言うシーンは見ものです。好きな状況では神との対話を山崎努が海辺で笑顔を見せるシーンは良かったです。山崎努が盲目で聾唖者で存在自体が神であり殉教者達であると言う表現は現実と夢を渡り歩く様な表現は独特で何処までが妄想か分かり辛く理解には苦しみます。夕陽を見ながら殺されたからの最後これで終わりとの太鼓は分かりやすくポップな感じが面白かったです。洞窟で隠れキリシタンのミイラを触ったり現実と幻のを表現し触ってみなよまだ暖かいから。これ以外は全部嘘。って表現が恐ろしい。ひまわりの種を口に含んで飛ばすシーンは辺りを🌻で一杯にさせたかったのかもしれないし全ての映像が抽象的で映像で語る作品だったので、久しぶりな映画でした。結果隠れキリシタンの呪いかニセ宣教師の祟りか分かり辛く1人の女性を中心に翼や自立を求める様な話だったように思えました。鈴木京香も山崎努も凄い演技には目を見張ります。キリストの受難と復活や12使徒や沖縄の夫婦舟や病室の本ミヒャエルエンデ作モモや最後の晩餐に血(ワイン🍷)や肉(パン🥖)など色々と語りたくなる不思議な作品。悪に対する正義の様にカウンターとしてのバランスに、こおろぎの題名の通り鈴木京香(かおる)は、幸せになったと思いたいです。
いるだけで、匂いが染み付いてしまうのね。
これは、寓話なのか?かつてこの地に流れ着いたという宣教師と、この盲目で言葉を語れぬ男がおそらくシンクロするのだろう。しかしその誘導がよくわからない。盲目の男の実像があやふやなのが、時間や死さえも超越した何者かである証明のようなものというのか。だいたい、盲人が出てくる映画は、嘘臭く、汚らしく、独善的で、まさにこの映画がそう感じた。
そもそも脱ぐわけがない鈴木京香に、男と何か有り気な期待を持たせるのは詐欺まがい。濡れ場が見たいのではない。どうせ発展のない関係なのだろう、の予測が立つのがつまらんのだ。まあ、相手を利用しようとしたのはどっちもどっちか。そんな感想。
映画リテラシー
【愛における自由と束縛の二律背反が引き起こす奇妙な生態の、昆虫観察的思索とそのレポート。日本を代表する実力派、鈴木京香と山崎努が紡ぐもうひとつの「美女と野獣」。
裕福だが若さを失いつつある女・薫は、夢破れた都会から逃れ、隠者のように暮しながら、盲目で口のきけない一人の男を「飼って」いる。自分では何もできない男に食事を与え手を引いて散歩をする、優越感に満ちた生活。それは、社会の常識からの自由と自己犠牲の高貴さからなる理想的なものである、と薫は信じていたが、この一見美しい絆を裏で支えるのは、社会からの逃避と強い相互依存関係の甘美さであった。
子供のように無垢な男が薫を必要とする以上に、薫は男との絆に強く依存していた。だが男は気まぐれであり、浮浪者のように家から彷徨い出る。まるで薫を必要としないかのように。男の真の自由さに畏れと不安を感じた薫は、やがて…。】ネットより抜粋
何とも寓話的な不思議ドラマである。唯々、鈴木京香の妖しさと、山崎努の怪しさのみの牽引で動かしている作品である。
そもそものアバンタイトルで伊豆へ辿り付いた宣教師の逸話が語られ、そういう宗教色の強い作品かなぁと印象を持たされたが、始まってみると、とにかく両俳優の不思議な関係性とウェット&メッシーに通ずる食事の汚さとそれが性的イメージにがっちり関連づけられるアート忖度シーンの連続である。その男に魅了されつつ、しかし江戸川乱歩『芋虫』を想起させる、体の不自由な男をサディスティックに扱う演出は、この二人の佇まいからしてピッタリのイメージで良い。さて、そこからどんな展開へと移るのか、欠伸をかみ殺しながら観ていたが一向にストーリーが進まない。漁業組合運営のバーのような場所での、シンクロするバーテンダーのシェイカー捌き等、何となくデヴィッド・リンチ的演出が頭を出すが、しかしそれといって主題には関係無く、やっと後半、町の洞窟での奇怪な出来事で、理解不明な逸話でアバンの宣教師殺害の話に繋がる。しかしだからといって、その逸話と現在起きている男が行方不明な事と、どういう繋がりをもたらす“メタファー”の読解がついぞ出来なかった。そこからが、もう妄想と現実の壁が取っ払われたように、キジを狩る、海から昔の船の船首像の発見、それが翼の形状で、この町の名称に由来している、結局戻ってきた男の寝ている横でぬるい自慰行為をして果てる鈴木京香、次の日唐突におとこが死に、女も交通事故にあって病院から戻ると男は生きていて又戻る。でも、ラストは何故か女はいなくなり、となリの別荘に若い金持ち夫婦が下見に現れ、不動産屋が隣の家は目がみえないし口も利けない老人だと教える。妻が俄然興味を持った顔つきでみつめるという、全くもって読解不全に陥る難解な迷宮へと誘われる。自分なりの解釈としては、この老人自体が昔の宣教師であり、町人達の裏切による殺人に対する復讐で、付近の女達を浚うような事をやっている、都市伝説的寓話なのであろうか。一体、作品名がどういうメタファ-なのかも分らないし、とにかく映画のリテラシーがこれ程迄に必要な作品はそれ程無い。とはいえ、今作品の本質は、ストーリーの理屈よりもその空気感を愛でるということであることは間違いない筈だ。ストーリーが破綻していたとしても、それも含めて“アート”なのだろうから・・・。山崎が神様との会話とおぼしき、光と話すシーン等、中々面白い演出もあって、シーン毎の“妙”を愉しむという観方なのが正しいのかも知れない。
ちなみに、作品のプロローグ的説明を読んでいないと、劇中全然描いてなく、別にそれさえも後からとってつけたものかもしれない。
むさぼる男
盲目で口のきけない男と西伊豆の別荘地で暮らす女の話。
自分がいなければ生きてはいけない男の眼に惹かれてという割にはサングラスを掛けさせる女。
一緒に暮らし一緒に出歩き世話をするけれど、男と女として特に何がある訳でなし。まあ鈴木京香らしい?エロスはあるけれど。
コメディなのかミステリーなのかおとぎ話か怪談か。
何が言いたいのか、何をみせたいのか良くわからなかった。
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