リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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声無き民の静かな怒り
今回も、イーストウッド監督の手練の技が楽しめる作品でした。冤罪ものはよくある題材だけど、主人公の真面目で融通の効かない気質が逆に仇になってしまう語り口が鮮やかで、彼が連行された後、母親がTVで息子が置かれている状況を知るあたりは、ゾクっときます。
それでも、主人公は声高でなく淡々と無罪を主張し、最後のFBIオフィスでの物静かな抗議は感動的で、イーストウッド監督の優しい眼差しと、心の奥で静かに小さく燃える怒りの炎が感じられる作品でした。主役三人共うまいけど、サム・ロックウェルは抜群でした。
危うい
クライマックスのリチャードのセリフを言いたい映画だと思った。
おそらくリチャードはFBIが睨んだ「孤独な爆弾魔」の通りの人物なんだろう。ただ彼にはワトソンという理解者?がいた。リチャードの言うことをちゃかさずに聞いてくれたワトソンの存在がかれを善良なままでいさせてくれたのだと思う。人との関係は大事だ。
それと、型にはめて人を判断する捜査には危うさを感じた。リチャードのような人は、近くにいたら自分も怪しさを感じたかもしれないが、実際に犯罪を犯しているわけではない。善良であろうとしているだけだ。自分と違う、理解し難い人物を排斥しようとする感覚は危険だと思った。
言葉VS権力
2020年映画1本目の映画です。
事件のことはテレビ番組で特集されていたのを見たことがある程度で、犯人側の心理がメインに描かれていたので、リチャード・ジュエルのことはこの映画を知るまで全く知りませんでした。
この作品を見終わって思ったのは権力とマスコミがタッグを組んでしまったら被害者を破滅させるまで追い詰めるという恐ろしさ。
全体的に見てもFBIの悪足掻きが中々酷かったです。
「マイクにこの音声を吹きこめ。もっと大きく。繰り返せ!」
「この書類にサインをしろ。本物っぽくしてるだけだ」
そんなに自分たちを曲げなくないのですね。雇われクソ3人組がめちゃくちゃしっくりきました(笑)こいつらの呟くような「終わった」が的外れすぎてざまぁと思ってみました。ちょうどいい悪役でした。
メインの3人の演技力に惹かれて、どんどん物語の中に入り込んでしまいました。恐怖心、葛藤、絶望、どれも身震いしてしまうようなものでした。
どこもかしこも筒抜け。その筒抜けの中から正しい選択を得れるか。
渋くて格好いいです。
ぜひ劇場へ。
主人公が好きになれなかった…
冒頭から他人のデスクの引き出し無断で開けて備品の補充してたり、ゴミ箱のゴミから相手の好物だろうと判断してスニッカーズ入れてたり、「気の利く人」描写なのか知らんけど、
寧ろコワイです、そんな事されたら。
大学の警備員時代のエピソードからも、ナニコレ行き過ぎた正義感を持ったサイコパス野郎の映画なの?と思ってしまった。
法務執行官に過剰に執着してるのも不気味だし、容姿や家庭環境も含めて劇中の報道でもあったけど、ピッタリですよ求める犯人像に。
しかも英雄から一転、真犯人なんて盛り上がりますよ、そりゃ。
信じてしまいます自分は、愚かな大衆なので。
権力やメディアに犯人に仕立て上げらる恐怖は充分伝わってきたけど余計な事をベラベラ喋る姿にイライライライラ。
終盤のFBIの聴取のシーンでようやくスカッとしたけど、どうも主人公が好きになれなかったなぁ。
結局、無実を証明する為に戦ったというか、証拠不十分で不起訴だったんでは?
事実を時系列で淡々と流すなら、自分にはアンビリーバボの再現VTRレベルで充分かな…
ジュエルには共感できないが…
クイント・イーストウッド監督らしい視点で、アトランタ爆破事件の史実に基づく、冤罪をテーマにした社会派ドラマ。
非常にレビューも高く、1人の市民が、国家権力を相手に立ち回る難しさや、都合の良いメディア報道に振り回される、ジュエルと母親の苦悩は、よく伝わってきました。その点では、面白い作品だったと思います。
ただ、マザコンで、定職に付かず、独りよがりな正義感に酔っているジュエルに対しては、個人的に同情も共感もできなかった。彼の態度に対してイライラ感が募ってきたという印象。
最後に、FBI相手に、初めて見せた毅然とした態度は、少し見直しましたが、あの程度で、何も言い返すことができなくて、言葉が詰まる天下のFBIもどうかと思う。
結局掴んだ、警察の仕事も心臓病で長くは勤める事なく、若くて亡くなったのは、やはり、身体の管理ができない、彼の弱さなんだと思います。
今回は確かに星は4つ以上の内容の作品だと思いますが、レビューはやや辛口でした。
え!?終わり?
法廷闘争とかなく、唐突な終結。拍子抜けしました。ラストのジョエルの毅然とした態度は立派だったと思うが、FBIの無能ぶりとゲスぶりをこうも強調して演出されては…ジョエルママの会見で涙した記者が何かするかと思えば、何もせず。今までの伏線は伏線ではなかったとう、中途半端具合。
まあ、結局はメディアの怖さ、レッテル貼り、差別の怖さがよく分かる映画です。今のSNS全盛の時代だともっと恐ろしいことになったろうなあ、と警鐘を鳴らしてくれている気がします。ジョエルも誤解を生みそうな、一歩間違えればイタい人ですが。
デブでマザコンやったら犯人?
おいおい!
FBIは、誰が犯人でもいいんかい?
マスコミは、記事書けたらいいんかい?
デブで醜くてお母さんと住んでて
融通きかないなら犯人?
キャシーベイツの記者会見に
涙する。
弁護士と縁が
あったのが奇跡やな!
反撃のスニッカーズ
イーストウッド監督らしく、過剰演出無しで生真面目に、丹念に作られているところが好き。悪く言うと、地味であっさりしてます。
物語の幕開けの場面では、傲慢・高圧的な人物として描写される弁護士ワトソン・ブライアントは、リチャードの本質を見抜く眼力を持っていました。職務に忠実で「そうあるべき」と思った事は、手を抜くことなく実行する男。スニッカーズのパッケージをゴミ箱から見つけたリチャードに、レーダーと渾名を付け親しくなって行きます。
この出会いが、FBIとメディアの犠牲になった母子に、反撃の力を与える事になります。
「第一発見者を装い、事件を起こすヒーロー願望者」のプロファイルや、あの大学学長からの告発がリチャードへの嫌疑の発端。なの?まじか?物証が無いFBI はリチャードの失言を誘導し、公訴の提起を目指す。もうね、このくだりが事実だとしたら、ファーック!だす。マジですか?この人達。犯罪者はFBI の方じゃん。
野心の塊がブラジャー着けて歩いている新聞記者キャシーはトム・ショウのリークを大々的に報じてしまい、その失点を「一刻も早い犯人逮捕」と言う実績で穴埋めしたいショウは、合理性をつないでいく捜査から完全に逸脱し、FBI が作ったシナリオに合致する事実の収集に走り始める。冤罪一直線だす!
公衆電話まで移動する時間が無い?共犯者がいたんだよ。しかもホモ達。
生真面目に職務遂行した結果も、やられた側から言わせりゃ「異常行動」。
夢の実現のために努力している生真面目さは「歪んだヒーロー願望」。
もう、捻じ曲げまくりです。
加熱するメディアのココロ無い報道、FBI の行き過ぎた捜査で痛めつけられたジュエル母子。リチャードとワトソンは、FBI のアトランタ支局での証言録取の場面で反撃を開始します。と思いきや。リチャードには、単に反撃する気持ち以上の動機が作用する。彼の純粋な法執行官としての正義感は、FBI の誤ったやり方が許せなかった。「証拠はあるのか?」は、自身の無罪の主張にあらず。そうしている間に、真犯人が次の犯行を実行したらどうする?コンサートの場面で、彼が見掛けた母娘。絶命していた母親。脳裏に焼き付いた凄惨な場面。リチャードは、単に正義感に突き動かされ、FBI に抗議する。
ここが、すごく良かった。刺さった。パイプ爆弾の釘じゃなくって、リチャードのハートが。
1994年の「松本サリン事件」でも、同様の出来事が起きました。妻も犠牲者となった河野義行氏は、第一発見者でありながら、長野県警から家宅捜査を受け、県警のリークを報道した信濃毎日新聞を皮切りに、全国主要紙・メディアは河野氏を犯人と決めつけた報道を延々と垂れ流しました。家宅捜索で見つかった農薬からサリンを生成したそうですが、当時のコメンテーターによると。作れるもんなら作ってよ。
結局、オウム真理教の施設周辺で証拠が発見され、更に1995年の地下鉄サリン事件の発生により、河野氏の潔白は確定的になります。
でね、謝罪があったかどうかですよ。
・公安委員長-->直接謝罪
・長野県警-->「遺憾の意の表明」
・メディア各社と関係者-->概ね謝罪するも、バックレるもの多数。
事実に基づかない誤った報道や、売り上げ・視聴率の為に扇動的な報道をしながら、知らん顔するのは、今も変わってない。と言うか、今の方が酷いw
役者さんが、渋くて、皆良かったです。
個人的にはベイビー・ドライバー以来のジョン・ハムとビリーブ以来のキャシー・ベイツ、エロくて下手な英語の演技がバカ受けだったナディア・ライトが嬉しかったです。と、サム・ロックウェルは、明日の晩、ジョジョでの再会が楽しみっす!
良かった。そこそこ。
ジュエルは見ててイライラする
9本目
実話なので面白いんだけど、ジュエルの行動、特に「喋るな」と言うことに対して、要らんことはかりペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ喋る
ちょっとした障害かと思うくらいワトソンの言うことを聞かない
まあ、FBIもそこを狙っての行動を起こすんだけど、見てるこっちは「また余計なことを!」となる
それさえなきゃ満点に近い
国民の反応は??
1996年アトランタ爆破テロで爆弾を発見した警備員リチャード・ジュエル。避難を促し、被害も少なくしたと当初は英雄視されるが事態は一変し、FBIからは容疑者として扱われ、その情報が漏れたことでメディアリンチにあったという史実を元にした作品。
リチャード・ジュエルを演じるポール・ウォルター・ハウザーは『ブラック・クランズマン』や『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』でマヌケな役を演じていたが今回もマヌケな役で融通が利かないし、マザコン、家にはやたらと銃が置いてある、爆弾にやたら詳しい、逮捕歴もあり、周囲からは好かれていない変わり者でオタクっぽいというクセが強すぎて怪しすぎる役を演じている。つまりこんなに怪しさ満点の人物が実は無実でメディアリンチにあってしまったら…
SNSが一般化して、当時のインターネットがまだほとんど普及していないという時代背景であってもこんな状態なのに、今もしこの様なことが起きたとき、私たちはSNSやメディアに動かされずに真実を見極める力をつけるべきであるというクリント・イーストウッドが警鐘を鳴らした作品である。
警鐘を鳴らしたいというメッセージを受け取ったのだが、描き方が弱い。史実だからアレンジができない部分があるのかもしれないが、この手の冤罪を扱った作品だと、邦画でも洋画でも、もっともっと酷い事態が描かれることが多い。例えばリチャードの車がパンクさせられていたりするとか、家に「テロリスト」と落書きされるとか、出かけた先で罵倒されるとか…確かにメディアリンチにはあっているし、FBIの非情な捜査は耐えられないことではあるが、何が問題かというと国民の反応が描かれていないことだ。
テロが起きたという事実から、一番不安にかられているのは民間人である。例えば現場にいてリチャード・ジュエルによって助かった者や逆に近くにいたからこそ怪しむ者、メディアの報道を観て便乗してテロリストと騒ぎ立てるもの、もしくは逆に擁護する者…この手の作品で冤罪の悲惨さを描くのに必要なのは絶対的に周囲の一般的な目であるが、この作品は全体的にそこの部分が欠落しているのだ。物事の表と裏を容赦なく描いてきたイーストウッドにしては薄口な作品としか言いようがない。
そのせいでマスコミとFBIは騒いでいるけど、国民の反応は置いてけぼりという状況を作り出してしまっていることによって、どうしても内輪もめの様に感じてしまい、映画的盛り上がりに欠けてしまっている。
前半はスピーディな展開で飽きさせないが、後半は失速し話のテンポも落ち着いてしまっていて、何だか「前半で疲れたから、後半はゆっくりやりますよ」と言われている気がした。さすがに90歳超えのクリント・イーストウッドだから描き方のテンポのスピードもお爺さんなのだ。前作『運び屋』でもそれは感じないではいられなかったし、最近だとマーティン・スコセッシの『アイリッシュマン』なんかもそうだ。
そう思わせてしまっている原因として、キャラクター造形自体が弱いという点も挙げることができる。キャラクター造形が良ければキャラクターの魅力でテンポはカバーできるのだが、サム・ロックウェルの弁護士ワトソンは、世界一無謀と言っている割には、落ち着いていて、それほどクセモノ感はないし、一番謎なのがオリビア・ワイルドが演じている騒動の原因となる記事を書いた新聞記者のキャシー役だ。
キャシーというキャラクターは、とにかくネタをつかみたいという野心家で相手のことも考えずワトソンの車に忍び込むなど非常識で破天荒なキャラクターではあるが、実は物理的にリチャードは犯人ではないと知った後から超失速する。リチャードの母ボビの会見には涙を流し、これから自分の間違いを正すべく真のジャーナリスト精神に目覚めて大きな役割を果たすのかと思いきや…それ以上触れられない!なんだこのキャラクターは!!
しかし、リチャード・ジュエル役のポール・ウォルター・ハウザーのクセもの加減は見事。それだけは間違いなく、それでもっている作品だと言えるだろう。劇中で当時のインタビュー映像が使用されているのだが、これは差し替えでなく、本当に当時のリチャード・ジュエル本人のインタビュー映像なのだ。その後すぐにポールに切り替わるが違和感がない。彼だからこそ、この演出は成り立ったと言えるだろう。
『ブラック・クランズマン』ではKKKのメンバーを演じていたポールにワトソンが「KKKのメンバーと接触したことはあるか?」という質問するシーンがあるのは笑い所だ。
史実を扱うまでもない浅さに閉口
クリント・イーストウッド監督最新作
期待して観に行きました
御年90歳ながら時事問題をつぶさに捉え
作品を通じてメッセージを発信していく
バイタリティには頭が下がります
グラン・トリノは非常に感動しました
今作の感想としては
悪くは無かったですが…
史実ベースであったとしても
なんとも捻りなくアッサリな作りで
拍子抜けな印象でした
物語はリチャード・ジュエル視点から始まり
元執行官ながらぽっちゃり体型の見た目ややたら拘りの強い性格で変わり者扱いされ
警備員等の職を転々とする様子が表現されていました
そして五輪の警備員任務中にひょんな事からイベントの公園で見つけた
リュック爆弾もマニュアル通りの連絡と誘導で対応しますが突然爆発
しかし死傷者は最小限度に留まりリチャードは一躍英雄となります
その場に居合わせたその地域管轄のFBI捜査官のショウはメンツを潰され
ほとんど腹いせに第一発見者リチャードを犯人に仕立て上げようとします
イチャついてる女性記者にもリークしリチャードは一転容疑者です
…つまり映画観てる側はリチャードが犯人じゃない様をすでに
見ていますからどうやってデッチあげるのかという描写に当然注目がいきますが
そこが非常にアッサリというか稚拙でウソの要件でビデオや電話で
自白とおぼしき言質を取ろうとするサルでも判るデッチあげ
ぽっちゃり風貌からショウらがナメてかかった部分もあったのでしょうが
さすがにリチャードは知り合いの弁護士を呼びます
その弁護士ワトソンはリチャードの変わり者で誤解されやすいが
観察力に優れ悪気のない性格をよく知っているため面談によって
リチャードの無実を証明する決意を固めますが…
でもご存じの通りデッチ上げレベルの話なのでいらん事喋るな
くらいの事しか言えない
現場から犯行予告した公衆電話の場所まで時間内にたどり着けない
事を調べて犯人じゃないという確信を持つくらいです
それくらいしかない
つまり予告などで全国民が敵になったとか煽ってましたが
あまりに事件の概要がショボくしか見えてこずどうにも話が
盛り上がってこないのです
女性記者も最初はワトソンの抗議にFBIから聞いたと
イキのいい所を見せていましたが自分で調べてみろと言われ
同じように公衆電話までの時間を測ってアッサリ無実だと認めてしまいます
はぁ?なんだおまえと流石に思ってしまいました
さすがにキャラ自体の深みがなくなってしまってます
最後はリチャードがワトソンとFBIに乗り込み
まだデッチ上げを図るクズ捜査官どもの前で「証拠はあるのか」と
聞いたらFBIは何も言い返せず席を立っておしまい
…それだけ??
でもそれだけなんですよねやってないんだから
家から爆弾の材料も何も見つかるわけない
そういうのは客もうわかっているのでそりゃ拍子抜けします
メッセージ性は確かにあります
冤罪で押し込んでる間に真犯人が次の悪事を働いたら
冤罪を恐れて自分のように爆弾処理をしようとしない人が増えたら
クリント・イーストウッド監督が伝えたいのはそういうとこ
なんだろうとは思いました
熱を入れて見られないのは
日本ではちょうどアトランタ五輪のこの事件の前に
松本サリン事件という非常に類似した事件の記憶が
あるもの関わっているかもしれません
被害に巻き込まれた夫婦が悲劇の渦中から一転容疑者に
仕立て上げられ連日ワイドショーが騒ぎ立てました
あれ知ってると今作の描写は正直ヌルいです
マスコミは「事実の公表」はしたがりますが
「真実」に更々興味はありません
だから個々に情報の選別をきちんとしていかなければ
ならない事や正義や悪を追い求めるとすぐ騙される事も
頭に置いておかねばならない事が教訓になるなら
こんなデッチあげ冤罪事件にすぎなかったテーマの映画も
意味を持つと思います
そうしたメディアリンチや冤罪に焦点を当てるべく
シンプルに扱ったのかもしれませんけど
映画的にはちょっと女性記者の性格が変わりすぎてる感じも
しましたし演技指導が一辺倒だったんじゃないかなあと
思うところでしたがサム・ロックウェルやキャシー・ベイツ
主人公のポール・ウォルター・ハウザーの演技は上々でした
クリント・イーストウッド監督らしい静かな終わり方など
定番の仕上がりですのでお暇ならと思いました
【”スニッカーズ”が結んだ太めの”レーダー”と気骨ある弁護士との強き絆。冤罪の恐ろしさと、国家権力に対する激しい怒りを静かなトーンで描いた作品でもある。】
恐ろしい映画である。
実話である事が、恐ろしい。
現代でも同様な社会風潮である事が尚更、恐ろしい。(過去の誤りが、繰り返されている事実・・)
ジュエルの母ボビ(キャシー・ベイツ 名演である・・。)が、誇りの息子が突然、爆弾テロの容疑者にされ、家の前に詰めかける蝿のようなメディアの多数のカメラ、差し出されるマイクに驚愕する姿。
そして、彼女が勇気を振り絞って、メディアの前で涙を浮かべ息子の無実を訴える場面・・。
ジュエルがそれまで憧れていた法執行人の前で静かに言い放った言葉。
サム・ロックウェル演じるワトソン弁護士のFBI 捜査官達及び傲慢なジャーナリスト、キャシー(オリビア・ワイルド)に対する毅然とした態度。
そのキャシーもある事を確認し、自らの過ちに気付いた時の表情。
だが、一番腹立たしかったのが、FBI捜査官ショウ(ジョン・ハム)の自らの過ちを認めず、ジュエルに謝罪もせずに、ワトソンに捨て台詞を吐いた後ろ姿。そして、ジュエル宅から押収した品々を無言で宅に運び入れるFBI職員たち。品々には証拠品ナンバーが書きなぐられたままである。呆然と品々を見つめるボビ。
”きちんとジュエル親子に謝罪しろよ!と心の中で公権力の奢った連中を痛罵する・・・。キャシーもきちんと謝罪していないよな・・・。散々疑って、”疑惑”に曝された人々のプライヴェートを無茶苦茶にして、”間違ってました。” と書式一枚で済むことではないだろう!”
〈クリント・イーストウッド監督の無責任なメディアや横暴な国家権力に対する激しい怒りを、静かなトーンでじわりと描いた見事な作品である〉
ついでにホモ疑惑まで・・・なんでもありか、過熱報道
やっぱり思い出してしまうのが、94年に日本で起こった松本サリン事件だ。河野義行さんが真っ先に疑われて、重要参考人として何度も取り調べを受けた事実。被疑者不詳だったはずなのに、マスコミが先走りすぎて河野さんが怪しいと印象操作した事件でもあった。この頃は坂本弁護士一家殺害事件や異臭事件などもあり、(失業中につき暇だったため)新聞記事等を追っていたのでオウムが怪しいとずっと思ってたのに、この過熱報道のためにすぐに犯人は河野さんだと信じてしまった愚かな俺。人間なんて、誰でも一方的な大多数のメディアの報道を信じてしまうものなのだ・・・とにかく、この映画を観ている間、ずっと松本サリン事件のことが頭に浮かんでいたのです。
冤罪のパターンも色々あると思うのですが、FBIの早すぎるほどの対応がバカ捜査員を見ているようで辛かった。。第一発見者がまずは疑われるのはわかるとしても、証拠もないのにズカズカと踏み込んで家宅捜索、押収、さらには盗聴器まで仕掛けるという徹底ぶりだ。連日のように大勢の取材陣が小さな家庭を取り囲み、母バーバラ(キャシー・ベイツ)が可愛そうでしかたがない。
そんなシビアな描写の中でもFBI捜査官と切っても切れない縁となっていた地元紙のトップ記者キャシー(オリビア・ワイルド)がまた憎たらしい演技をしてくれる。彼女の「証拠はあるわよ」という自信の裏には、FBI捜査官の言葉というものしかないのだ。リークするのも平気、スクープ狙いや功名心だけで動いている、どちらかと言えば腐敗していく典型的な記者といったイメージ。ただ、終盤には涙を流すシーンもあり、やっぱり人間性善説に戻らなきゃと自ら反省。
なんだかんだ言っても一番カッコよかったのはサム・ロックウェル演ずるワトソン弁護士。「絶対に喋るんじゃないぞ、いいな!」と念を押すのに、法執行者のプライドがつい口を割らせてしまうリチャード・ジュエル。犯人が残した電話の台詞を何度も強要されるシーンは、心の中で「喋るな!!」と叫んでしまいそうになる。ただ、冷静になって考えれば、電話がかけられる状態じゃなかったんだから証拠にもならないんですよね・・・共犯説も唱えてたし。
もう、何回かに一回は素晴らしい作品を残してくれるイーストウッド監督。この作品も権力者と戦う正直者と弁護士の物語、しかも実話。ただ、権力者の横暴とマスコミの腐敗を暴いたのも、当時がクリントンの民主党政権だったからというのもあるかもしれないし、こんなのがあるからトランプに「フェイクニュース!」を連発させちゃうのかも・・・。
さすがの名人芸
権力とメディアの暴力を、語り過ぎず、盛り過ぎず、とにかく抑えた筆致で描く。ホントに名人芸。
サム・ロックウェルが素晴らしい弁護をするわけでもなく、ボンクラのポール・ウォルター・ハウザーがボンクラのままで、それでも信念を貫くことで冤罪を覆す。ここが予想を超えて素晴らしい…
あとまぁ、ジョン・ハムとオリビア・ワイルドはFBIとメディアの糞っぷりを体現してたな。名演…
本当の「強さ」ってなんだろう
ストーリーラインを聞いた時には「ハドソン川の奇跡」に似ている印象だったけど、実際に見たら全然違った。主軸は「強いものや権威に憧れていた男が、自分自身による本当の強さを獲得する話」だと感じた。
イーストウッド作らしく、キャラクターに寄り添いすぎないドライめな視点が心地いい。派手さはないけど、主人公も弁護士も過度に英雄視しない分、ラストは気持ちよく感動できた。
無理やり泣かせる感じではなく、内側からじんわりと滲み出るような感動で、見終わったあとにしみじみと「いい映画観たなぁ」という気持ちになり、余韻がとてもよかった。
周囲の人たちからも、多くすすり泣きが聞こえた。また、要所要所ではかなり笑いも起こっていた。リチャードと弁護士のキャラもあいまって、全体的に固すぎなく見やすい。
あと単純にサム・ロックウェルがかっこいい(個人の感想です)。
日本がオリンピック直前だということを差し引いても、さまざまな今日的テーマが描かれていて見応えがあった。マスコミの過剰報道や警察による自白強要などはもちろん、最近話題の「子供部屋おじさん」など、「見た目や生活環境により安易に疑いの目を向けられる」という恐ろしさにもリアリティがあった。
冤罪事件で犯人扱いされることは、誰にとっても他人事じゃない。
その時に私たちは顔を晒され、仕事や家族構成や学生の頃の様子などを調べ上げられ、まともな生活を奪われる。
もしそうなった時に、私たちはどう振る舞い、何を選択するのか。主人公のような「強さ」を獲得できるのか。そんなことを考えずにいられない。
一点だけ、オリビア・ワイルド演じる女記者がリチャードの母親の演説で泣いていたのはちょっと違和感。ああいう仕事の仕方をしていた人物が、あの短期間であそこまで変わるとは思えない。
正しい情報選択へ
ワーナーブラザース試写室にて試写会鑑賞。
恥ずかしながらこの事件は鑑賞するまで知らなかった。
史実であるため観賞後はやはりリチャード及びリチャードの母が可哀想だという強い同情心が芽生える。
リチャードは法務執行官に強い憧れを持っていることから、行きすぎた正義感から過去に小さなトラブルを何度か起こしている。その正義心から爆弾に気付き、被害を最小限に抑えることもできたが、同時に過去の経緯や似たような事件がよその国でも起きておりその時の犯人像と似ていたという事もあってFBIに目をつけられるのが悲劇の始まりだ。
まぁリチャードもワトソンも劇中で口にしていたが疑い、捜査する事はFBIの仕事の一つでもある理解は必要なのかもしれない。ただこの悲劇はやはりFBIが証拠もない中疑いの段階でマスコミに漏らした事だよね。
そうなればマスコミも報道せざるを得ないわけだ。彼らも所詮はモラルよりも利益を優先した企業の一つにすぎない。どこの国も所詮同じだろう。
結局マスコミに代々的に報じられてはFBIもメンツを守る事に必死になってリチャードが犯人と決定づける証拠探しに躍起になったようにもみえた。
結局マスコミが国民を煽動し、そしてFBIも煽動した。
ただただリチャードが可哀想でしかたなかった。
リチャードも当初は憧れ心からFBIへ敬意を示し、操作に協力的であった。それをFBIは逆手にとり嵌めようとしたところもなんか見ていて切なかった。
最後リチャードはFBIに対して、このままでは次に同じような目撃者が出た時にリチャードの二の舞になりたくないと思いみて見ぬふりをして、悲劇を呼ぶよといったセリフがあった。
まさに今の時代を物語ってるのではないか。自分自身を振り返ってもまさにその通りで心が痛くなった。
この作品を見るだけではFBIの存在、マスコミの存在がとても憎らしくも思えるが、まぁ彼らの詳細も知らないためこの作品だけをみて彼らの存在を必要以上に憎む事はできない。リチャードの姿を見てるとそう感じた。
ただこの作品を通して今以上に正しい情報選択が個々にこれからは大切になってくるのかなと思った。
マスコミ、メディアも一つの企業に過ぎない。自分たち都合のいいような報道しかしないのは日本のマスコミを見ていても分かる通り。ただ彼らを必要以上に否定し拒否する必要もない。いろんな情報媒体がある今の時代こそ、自分自身で正しい情報を選択し、人生を豊かにすることが大切なんだと改めて感じた。
リチャードはその後警察官になり、病気で早くに命を落としたそうだが、この作品を天国で喜んでくれてるのかな。僕のような事件を知らない世代もこうやって作品を通して事件を振り返り、過ちを起こさないよう心がけて行動する者が増えていけば恐らくリチャードも喜んでくれるのではないか。
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