リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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「正しい」は力なり
どんなに納得が行かなくても、
どんなに信じてもらえなくても、
どんなに時間がかかっても、
正しい事をしている事が、お守りなんだなぁ。
カッコいいなぁ。
イーストウッドの人間を見る眼は、
静かで、優しくて、淡々と戦い続け、
コツコツと鍛錬し、どんな仕事にも、
手を抜く事をしない人を見つめる。
主人公ジョエルは、そんな人だが、
校長の心なさから焦るFBIに真犯人にでっち上げられ、
ハゲタカの様なマスコミに煽りまくられ、
ほとんどの人がジョエルを犯人と疑う中、
弁護人ワトソンは「俺は信じる」と言う。
お母さんも、当然ながら息子を信じる
誹謗中傷が連日続き、プライバシーも奪われ
忍び難きを忍びながら、記者会見を行う。
悲しい事件の死傷者を悼む
人を守る仕事をした息子を誇りに思う
でも、なぜ疑われるのか?
地獄を味わされる不条理を、
切々と訴える。
(大統領助けて!は皮肉だろう)
ワトソンの秘書ナディアも、信じる。
関係者で最初にいい仕事をするのは、彼女だ。
ワトソンに必要な仕事をさせる!
彼女もまた「見る眼がある」
男にすべき事をさせる態度は、気持ちがいい。
この映画は、
本人以上に、周りが本人に詳しいという恐ろしさが
テーマかもしれない。
それは、今の時代の
データ社会への警鐘を鳴らしているかの様だ。
「気を付けろ、情報は人の見方を変える」
「次から次へとお前の情報は雄弁に出てくるぞ」
説明出来ても否定出来ない。言い訳しにしか聞こえない怖さ。
そんな時、「普段の姿」と「それを観ている人がいる」が頼りだと。「正しいは、お守りだ。人間と人間の絆が頼りだ」と。
そして流石なのは、
映画として無駄な場面がない。
予告編から含めて、
全てがきちんと計算されている。
いつ爆弾が悲劇を起こすのか?
疑いはどうやって晴らせるのか?
予告編を通じて、起きる事(爆発)ことがわかっているので、逆にはらはらするように仕掛けられている。
英雄が真犯人?と展開がどんどん悪くなるので、イライラして不安になる。そんな展開だ。その力が最高潮に働くころ、母の切切とした訴えが、観客の共感を呼び、反撃が開始される。
身の潔白を晴らす大事な場面でさえ、
ゲイじゃないと友人を助ける。
そして、最後は、後に続けるのか?
人を守れるのか?と言い、
司法を助ける。
「じゃ、帰ろう」と淡々と立ち上がり捜査室を出るジュエルに、「あっぱれ」とニヤリと得意な顔で続くワトソンの顔がいい。
流石だ。
映画としての完成度が高い。
いい映画だ。
メディアと国家権力が暴走すると
メディアと国家権力が暴走したら生活は簡単に壊される。いつ自分がその立場になるかわからない。そして、自分が煽る側になっている可能性だってある。現在進行形で。
正直、ジュエルには全然共感しなかった。権力へ何の疑いも持ってないところや、無邪気に法を守ることが最重要事項だと思ってるところとか。むしろ、何でこんなに頭悪いんだよ!とイライラした。明らかに見下してた。FBI捜査官やメディア、煽る一般人にも同じような偏見、決めつけが根底にあって多分自分も一緒に糾弾する側になっただろう。ジュエルという冴えない主人公を使って映画を観た人間の汚いところさえ炙り出すのが狙いなのかな。
最後は冤罪が証明されてハッピーエンド、といいたいところだけど1人の力の無い人間とその家族の生活を壊して、さらに、信念まで壊したことを思ったら全くハッピーエンドではなく、メディアと国家権力の暴走はとんでもなく重たい罪だと思った。最後にジュエルが警察署で働いてるのを観て少しホッとした。
情報
実に、おぞましい内容の作品だった。
予告にて「メディアリンチ」なる単語があったが、そんな可愛いもんじゃなかった。
身の毛もよだつ理由は、この作品には悪魔などは出てこない事だ。全ての登場人物は人間だった。…よくぞあんな事が出来るものだと、失望する。
勿論、様々な思惑は絡み合う。
火種は個人の主観だった。大学の学長の疑念。それも正義感とも取れる発言だ。
「私がこの証言をしなければ、第二のテロが起こるのではないか。」
それに飛びつくFBI
オリンピック期間中の事もあり、一刻も早く犯人を挙げアメリカの治安と強力な捜査力を世界に向けてアピールしたい。
その捜査官と癒着してる記者。
爆破現場に居合わせ、周囲が阿鼻叫喚する中、神に祈るのは「他社を出し抜くスクープをください」だ。猛烈に職務に忠実だ。
ただ、中身が歪だし腐ってる。
FBIは真実よりも権威の回復だし
記者は真実よりも部数とか優越感だ。
実に人間らしい価値観なのである…。
人が人を断罪する事の不誠実さが凝縮されてる。
その標的にされるリチャード。
文字通り彼の世界は一変する。
この作品が凄いなと思うのは、序盤からリチャードを善良な市民と描かない点だ。
僕らは思う。
「ああ、こいつイタイ奴だ。」
ただ、そんな奴はどこにでもいる。むしろ、自分でさえそう思われてる1面もあると思う。
そういう意味で言えば、彼はどこにでもいる人間だ。
そんな彼はすすんで捜査に協力する。
FBIという公的な機関に絶対の信頼をおいて疑わないからだ。世界最高峰の捜査機関が自分の身の潔白を証明してくれると思っての事なのだろう。DNAも音声データも提供する。
かたやそのFBIはどおにかして犯人に仕立て上げたい。
メディアはFBIか引かない事で、連日のようにショッキングな報道に終始する。
その過熱ぶりは砂糖に蟻がたかるかの如くだ。実際にあった問い掛けなのかは分からないのだが、和訳されたマスコミの質問は馬鹿馬鹿しいにも程があった。知性じゃなく知能を疑うレベルのものだ。
あんな人間たちがとってきた情報に一喜一憂してるかと思うと腹が立つ。むしろ踊らされてなるものかと反発したい。
マスメディアに正義を求めるのは無駄以外の何物でもない。虚構であり扇動でしかない。
マスコミ関係者はこの作品を教訓に「人の振り見て我が振り直せ」との諺を肝に銘じてもらいたい。
日本の不倫報道とかにも当てはまると思う。大衆に迎合するのはやめろ。自らの存在意義を貶めてるのと何ら変わらない。
弁護士に詰めよられた記者は幾度となく「事実」という言葉を口にする。
観客である僕らは思う。程のいい言い訳じゃないかと。何の裏付けもない。あるのはFBIが張り付いてるって事だけだ。その内側を見ようともしない。責任転嫁の逃げ道を常に用意してあるかのようだ。「私達は公表された事実を報道していただけです。」マスコミの信用度の失墜に歯止め等効かず、自ら墓穴を掘ってると思わないのだろうか…?何が権力の監視者だ。そんなありもしない看板はとっとと下せ。
そのFBIにしたって、音声の照合とかは出来たはずだ。作品の中にもあったけど早い段階でリチャードは犯人じゃないとの証明も出来てたはずだ。でも公表しない。
振り上げた拳を下げれない。吐いたツバは飲み込めない。正義を執行する機関としての体面はあるんだろうねぇ…でも、それだって実に身勝手な言い分だよね。
リチャードはあの弁護士と知り合いで良かったと思う。彼は警察が正義なんてものじゃないと骨の髄から理解してた。
この事件で唯一希望が持てたのは、裁判所が正常に機能してた事だ。まぁ、それもたまたまかもしれないし、日本では事情が違うのかもしれんが。
終盤でリチャードの母親が記者会見に臨む。彼女が息子の無実を懇願したのは神ではなく大統領だった。息子に降りかかるものは神の試練ではなく人災なのだ。目から鱗だった。
この悲劇に神の関与はなく、人間しか関わってないとの訴えだったのだと思う。
この作品を見て思うのは、正義の所在地というか、報道の信憑性というか…与えられた事実を鵜呑みにする怖さだろうか。
それらに身を委ねてる自分の姿を垣間見る。いや、抗いようもないと言えば無いのだけれど。
この映画にしたって、あの記者はホントにあんな下品な身なりなんだろうかと思う。
作品的に分かりやすい嫌悪感を抱けるように作られたのかもしれないし、元々が創作物であるわけなので真実と受け止めるのも違う。
なんか記者は改心したかのように母親の会見で涙を見せるのだが、その後についての言及はない。
FBIは司法が認めたにも関わらず、リチャードはクロだとの捨て台詞を残す。彼らの行動理念上それは仕方がないとは思うけど、人道的にはおそらく間違ってる。
それを理解してるから居合わせた弁護士も歯牙にもかけなかったのであろう。
さすがはイーストウッド。
今回も目一杯、胸をざわつかせた社会派の作品だった。
そしてメディアで流れる真実の情報なんて天気予報くらいしかないなと思った。
報道の自由なんて原則があるけれど、良識が伴わない自由なんて、ただの暴動だからな。
この事件で年老いた母親が、心労が祟って亡くなってたらどおするの?
罪のない被害者は出るぜ?
その責任は間違いなく報道する側にあるよ。だからこそ叩かれても踏み止まるための信念をもって、関わってほしい。
例えばどっかの芸能人が不倫しました。その子供が学校で虐められて、そのイジメを苦に自殺しました。その命にまで責任とれんの?
全ての責任まではないだろう。
でも、その何割かはあるよ。
そういう覚悟と十字架を背負うべきだと思う。
今は個人が情報を発信出来て、それがお金を産むシステムが出来上がってる。
何も公の立場の人間だけに当てはまる話じゃない…ホントに主観や趣向で発信する危うさを考えて欲しいし、それに安易に同調する不気味さに気づいてほしい。
エンドロールに流れる静かなBGM。
それが俺には葬送曲に聞こえた。
主役リチャードへのものかもしれないし、マスメディアや警察へ向けたものかもしれない。こおいう広がりを感じさせるセンスがやっぱ好きだなぁ。
泣ける、そして勇気をもらえる映画
3か所、
特に印象が濃く残るシーンがありました。
1つ目は、
映画中盤、主人公のジュエルが理不尽な疑いにさらされる中、
母に八つ当たりしてしまう。
そして、母は部屋に閉じこもってしまう。
このシーンを見て、
子どもの頃の気持ちが蘇えりました。
母に当たってもしょうがないのに、
むしろ最大の味方であるはずなのに、
甘えから当たってしまい、後悔する、
切なくなりました。
そして、映画ではジュエルがすぐに謝り、
部屋から出てきた母は、
「あなたの守り方がわからない」と泣く。
私は泣くのを必死に堪えましたが、
泣いてしまいました 笑
母の温かさは偉大だなと思いました。
2つ目は、
また母のシーンです。
映画後半、反撃を開始し、
母が、マスコミの前で、
涙ながらに息子ジュエルの無実を訴える。
実は私はあまり感動しませんでした。
1つ目のシーンは不意を突かれたドキュメント感があり、思わず感情移入したが、
このシーンはいかにも泣いてください!
という構えられたシチュエーションで、
冷静になってしまいました。
シチュエーションは大切!という発見があったという意味でピックアップ。
3つ目は、
映画の終盤、ジュエルがFBIに尋問されている途中から、
急に人が変わったように反論をする。
それまでやさしい性格で、攻撃され放題の受け身だったジュエルが、
自分の貫き通してきた正義を自覚し、
自分の考えをしっかり主張する。
このシーンを見て、いかなる外的要因、環境になろうと自分の想いを貫くことによって後悔のない人生が歩める、
環境は関係ない、
自分と向き合うことが大切。
またそれを行動で表現することが大切。
そんなふうに解釈し勇気をもらいました。
つらい
本当にあった事件だとしか知らずに観た。
途中、辛くなって早く終わって欲しいと思った。
ラストが無実だと認められてホッとした。
辛かったのは、母親の存在。
お母さんの想いや体験したことへのショックが計り知れないと思った。
お母さんの会見が痛々しくて涙が出た。
味方になってくれる弁護士がいて本当に良かった。
そうでなければ、警察にはめられていたかも。
6年後に真犯人が分かったのも、もし、彼が有罪で刑務所にいてまだ死刑が行われてない状態だったら、真犯人は、自白しなかったのではないかと思う。
でも、このリチャードさん44歳の若さで病死なんて、本当にお母さんが気の毒で仕方がない。
良かった!!
主人公リチャードは確かにイラっとするほど太っている。彼が権威を信じ過ぎ、弁護士の言うことをきけずにペラペラ喋ってしまうのにイライラ。FBIに家宅捜索されてタッパーまで持って行かれて嘆く母親にその説明をし、「何で援護するの!」と怒られる。しかし最後FBIに呼ばれた時に弁護士に「相手も同等だ」と説得されてようやく「自分を逮捕する根拠は何だ?これでは今後警備員は不審物を見つけても見なかったことにするだろう。それでは犯罪がなくならない」と言ったことを切り返す。サム・ロックウェルがスリー・ビルボードとはある意味似た、ある意味真逆の、権威にも盾突き誰にも平等で、主人公にドライに寄り添う弁護士を演じていて、こっちもはまり役。オリヴィア・ワイルド演じる野心家の記者、ジョン・ハム演じるFBI捜査官に腹立ちと冤罪の恐怖を感じる。政治家は絡んでいないがマスメディアの罪の重さが描かれている。
クリント・イーストウッド監督作品で久々のクリーンヒットという感じ。
石を投げる前に考えることが必要
法執行機関への憧れと警備員という現実の落差からなのか、FBIから不当な扱いを受けても喋りすぎたりサービスしてしまったり。
自分も同じようなところがあるので、笑える場面なんだけど少し悲しくもなりました。
なので終盤にリチャードがFBIから取調べを受ける際にワトソンが「この部屋の中に君より偉い人間はいない」と言われ奮起し、正当な主張が出来たシーンがすごく良かったです。
そして何よりボビの記者会見のシーンが本当に素晴らしかった。アカデミー賞助演女優賞ノミネートも納得です。
星3.5なのは記者側、FBI側があまりに単純でアホ過ぎだったので。
あえてそう描いたのだとは思うけど実話モノなのでもう少し彼ら側の事情やこうなるまでの過程が欲しかったなと思いました。
それにしてもジョン・ハムはなぜこの役をやったのかな?
彼でなくても良かったと思うのですが??
ハッピーエンドを否定しないが
警察官になりたかったがなれず、結婚できず、しかし、母親と二人で日々誠実に暮らすリチャード・ジュエル。
いつか警察官になるという夢をもつリチャードが住むアトランタで、1996年、オリンピックが開催された。
オリンピックの開催期間中、警備員として働いていたリチャードは、公園の片隅に仕掛けられた爆弾をいち早く発見し、率先して観客を避難させて「英雄」と呼ばれた。
しかし、警察がリチャードを容疑者として捜査を始めると、警察の動きをスクープしたマスコミによって、英雄から一転して犯罪者であるかのように報じられる。
その後、熱血弁護士ブライアントの活躍により捜査の対象から外されたリチャードは、夢を叶えて警察官となった、というハッピーエンド。
冤罪は恐ろしい、警察やマスコミが方向を誤るとその力は暴力的だ、と巨匠クリント・イーストウッドが淡々と描いた映画。
リチャードは、心の通じあう母と、無実なのだから警察と戦え、卑屈になるなと勇気づけてくれる弁護士がいたから救われたが、信頼できる家族や友人がいなければ、リチャードもゴッサムシティのアーサーのように、狂気のジョーカーになったかもしれない。
ハッピーエンドを否定しないが、世界のあちこちに広がる闇は巨匠の描く世界よりもっとずっと暗いのではないか。自分がその暗さを知り尽くしているとはもちろん言えないが。
悪意というには薄い何か
大きな陰謀が渦巻くわけではなく、淡々と、とても残念な偶然が重なって起きた、まぁとても現実的な事件が語られていきます。
正直、関係者全員、結構な問題児で、スクープをものにするためなら手段を問わない、事件が起きてくれたほうが嬉しいジャーナリスト。そんなののハニートラップで、ついうっかり捜査上の秘密を洩らした結果、後に引けなくなって強引な捜査をすることになったFBI捜査官。そして、やったことは立派ですが、英雄というには微妙な、発達障害の気があるいらんことまでぺらぺら喋る主人公。と、なんとなく残念な顔ぶれがそろっており、今一つ乗り切れない話です。
はっきりいって、教訓を得ようとするにはなんだかなぁ感が強すぎて、まぁ現実ってこんなものよね、と思うだけかもしれません。
出る杭を打つ、悪意無き正義の暴力。
クリント・イーストウッドが監督した作品は総じて見応えがあり、個人的にはハズレ無しの作品で今作も予告編を見た時から、観たいなぁと思い鑑賞しました。
で、感想はと言うと、見応えあります♪
実際に起こった事件を題材にしてますが、とても見応があって好きです。
クリント・イーストウッド監督は他の方も書かれてますが、作品のテーマ選びが上手い。
自分の琴線に引っ掛かるのが多いんですよね。
役者としても一時代を築かれ、監督としても名監督として功績は今更ながらですが、紛れもないと思います。
アトランタ爆破事件はなんとなく知ってはおりましたが、この作品観て思ったのは改めて権力を持った人間の怖さとマスコミの暴力は怖いと言う事。
ブルース捜査官が事件記者のキャシーに初捜査での容疑者に上がっていたリチャードをしたり顔で漏らした事から、FBIが引くに引けなくなった事や、マスコミのキャシーが自分の出世欲と顕示欲で過剰にリチャードを犯人として煽りまくる。
もう、怖すぎる。
劇中のクライマックスでリチャードが“第一発見者が証拠を無いのに犯人に仕立て挙げられる事がまかり通れば、今後誰も第一発見者として名乗り出なくなるだろう”はまさしく真理かと思います。
ですが!
犯人がリチャードでないと言うのを分かって観ていても、なんだかリチャードが犯人なのかな?と思い込んでしまう。
それくらいリチャードが調子に乗り過ぎていて、時折胡散臭く見えるw
いろんな言動も行動も趣味も犯人っぽく思えるw
特に銃は持ち過ぎでしょうw
リチャードが過剰に“自分も法執行官だから”と発する度になんだか鼻に付くし、弁護士のワトソンが苦労する。
この作品はリチャードが大勢の人を救った英雄から、一躍容疑者になってしまう悲劇を描いていますが、ワトソンのリチャードを信じる心とリチャードに振り回される苦労の物語でもあるかなとw
ホント、リチャードがいらん事をする度にワトソンが四苦八苦する。
“ワトソン偉いなぁ~”と思いつつ、“自分だったら、そんないらん事ばっかりするなら、もう俺は知らん!”と匙を投げますw
正義感が強すぎて、様々な軋轢とトラブルを起こすリチャード。
そこまで正義に殉じる気持ちは何なんだろうと考えます。
容姿からのコンプレックスなんだろうか?
でも、その気持ちがあるからこそ、功績と悲劇が生まれたんですが、このバランスが凄く良いんですよね。
ワトソンと出会いも良いんですよね。
スニッカーズが食べたくなりましたが、スニッカーズって飲み物が無いと口の中がキャラメルでにちゃにちゃして食べずらいですw
でも、それくらいリチャード役のポール・ウォルター・ハウザーが上手いです。
あと個人的にはキャシー役のオリヴィア・ワイルドが良い感じで嫌な女を演じてるのがお気に入りw
難点があるとすると、リチャードが犯人でない。犯行を行えないとされる公衆電話からの爆破予告の連絡での距離の件りの検証の描写があっさりさっくりし過ぎ。
弁護士のワトソンもキャシーも検証の結果、リチャードの犯行ではないと確信するが、割りと簡単に検証して分かる程なのか?と言うのと、その描写が薄過ぎる。劇中で“バイクで移動したら可能かな”と言った台詞があったけど、そんな簡単な検証で分かるのは簡単にリークした事で引くに引けなくなったFBIの威信って…と思ってしまう。
この時のFBIは完全に悪に見えますよね。
リチャードからあの手この手で犯行の証拠となる様な糸口を取ろうとしてますが、これが完全な捏造による操作なのか、取り調べの一環なのかが分かんない。
観ている側でも疑心暗鬼になるんだから、リチャードはもっと疑ってかかっても良いのにと思ってしまう。
また、キャシーも検証後の態度が変わり過ぎですw
「真実は一つ!」なんて言葉がありますが、そこに至るまでの過程は様々にあります。
日本でも冤罪事件は沢山あって、自分達が知っている冤罪事件なんて多分氷山の一角。
ただ、テレビや新聞などで報じられる情報を頭から疑ってかかる人は少ないと思うし、またマスコミの情報操作から、報じられた人が犯人に見えてくるし、そう思えてしまう。
劇中のキャシーは悪いマスコミの見本みたいに見えてしまうのはかなり意図的かと思いますが、それでも劇中の新聞やニュースに映ってるリチャードの顔は悪い顔に見えますw
「出る杭は打たれる」と「油断大敵」がリチャードに当てた言葉ですが、それでも正義の旗の元に行動した事で悲劇が生まれた事を考えるとアメリカンドリームなんて言葉は何処か遠い過去の物語かと思えてしまいますが、この事件は決して他人事でもないんですよね。
見応えがあり、重厚でサスペンスドラマのお手本の様な作品かと思います。お薦めですよ♪
淡々と進んで終わる
捜査というよりマスコミによって操られる世論、そしてこうやって冤罪は作り上げられていくのかという恐ろしさ、(FBI側に立った海外ドラマを多く観ているせいか)FBIってこんなことする?という驚きを感じながら鑑賞。
クリント・イーストウッド作品ということで期待大だったのもあってか、予想していたよりもあまり展開に起伏が無く、淡々と進んでいった感じに映った。
私的には後日家で観たので十分だったかも。
普通かな~映画館じゃなくてもよかったかも。
つまらなくはなかったけど、
期待してた分、普通だったかな…
リチャードジュエルの人柄が
ちょっとイラついたのもイマイチって思ってしまった原因かも。
善人は損なのか…
今回も実際に起こった事件を元にした作品ですが、フェイクニュースが飛びかう現代にピッタリの題材。
メディアがリンチを行なうのはいつの時代も変わってないなとつくづく思った。
自分自身として、メディアからの情報の受け止め方も考えさせられる。
後半からのサムロックウェルとの反撃は心躍る。
ラストからエンドロールの余韻の残し方はさすがイーストウッドです。
メディアやFBIとかにイライラした
・FBIの手口が非常に姑息で観ていてイライラした。弁護士からしゃべるなと何度も言われてるのにFBIとしゃべるリチャードにもイライラした。その後、母親から何でFBIの味方をするの!と怒られているのを見て、代弁してくれたと思った。
・弁護士がずっと見捨てずにリチャードと付き合ってくれていたのが良かった。
・リチャード犯人説がFBIの男が新聞記者に漏らした事が原因っていう事実をなくそうとしてリチャードを何とか犯人に仕立て上げようとするのがとてもイライラした。
・記者の女が大々的に売り出しといて、後半に弁護士に言われた途端、彼は犯人じゃない!って気持ちの切り替えの早さが少し納得できなかった。できれば、リチャードや母親に直接謝罪してほしかった。
・ラストにFBIが証拠を一切提示できなかったため、リチャードは無実になった感じだったけど、そこまでに至るまでの時間や感情とかを考えると本当にイライラした。FBIの男も何かしらの形で裁かれてほしかった。
消せないマジック
この作品は、私たち市井の人間に向けられている気がします。
ライブ会場での爆弾テロの犯人に仕立て上げられた第一発見者。題材がセンセーショナルなだけに、ジュエルに肩入れし、メディアや捜査員を敵視する。
けれど大なり小なり私たちの生活には、そういう場面がある。週刊誌の記事ひとつ取ったってそうだ。
前例を盾にもっともらしい設定をつけるとなんだかみんなそんな気がしてくる会議。初歩的な電話ボックスまでの距離の検証さえしないで火をつけるメディア。右向け右でそれを助長するテレビ。
作品では描かれていないけど、きっとそういう情報に左右されて流れを助長するのは、私たち市井の一般市民なんだろーなあ。
押収された生活用品の中のボウルに乱雑に刻まれた消せないマジックの整理番号、それがこの事件を象徴しているんだなあと、少し涙腺がゆるくなっておりました。
事件は、誰も見ていないところで、静かに、突然終わる。そんなところもまた、イーストウッドのシビれる演出を感じました!
全くの凡作 ガッカリ
アトランタ五輪の陰でこのような事件が起きていたことは知らなかった。
この機会にそれを知っただけでもこの映画を見た価値はあったかな。
しかし、それしか無くて、むしろ虚しさの方が強く残った。とても残念。
冤罪(実際には冤罪未満で、メディアの誤報流布による被害)がテーマだが、
被疑者に対する周囲からのバッシング、それに対する苦悩、それは実際には想像以上に強烈だったと思う。
また逮捕・起訴を免れることが出来たのは心強い弁護士の存在、強力な支援があったからこそ。
そういうことが全く深掘りされていないのでとてもさびしい。
被疑者の母親(ボビ)の涙の記者会見場面が唯一のクライマックスでは情けない。
淡々と史実を描いているからそれで良い、という見方も出来なくはないけど。
素材に目新しさはないがなぜか時事的にもなってしまう普遍的なイーストウッドの魔力
最近イーストウッドの映画への食わず嫌いがすっかり治ったどころか彼の映画のファンになってしまった。
やはり彼の映画らしく本作も一筋縄ではいかない映画だ。権威への不審がテーマではあり、映画の描き方や素材の選び方は目新しいものではないが、正義とはなにか、法律的正しさとは何か、刑事裁判・捜査の構造的欠陥、メディアの罪、民主政治基盤の危うさなどなど、映画一本で多くの考察の機会を与えてくれる。
警察や軍など国家的権力に憧れを持ち、権威の正義を信じ、
アメリカ的価値観を疑わず銃を所有し週末は狩りを行い、
正義的行為は常に称賛されることを信じて疑わず、
母親を愛し、
仕事は上司の言うことを聞き真面目に行う愛国者、
ドーナツやクッキー、ジャンクフードも大好き、
私のような外国人から見ると想像でしかないので、外国人が作る日本映画のように間違えた見方なのかもしれないが、
所得的には低層のアメリカ人白人労働者の典型例と思われるのがリチャードジュエルである。
誤解がないように言っておくが、彼の政治的意見は劇中では触れられないし彼の政治的立場がどうという話では決してないのであるが、私の意見としてはおそらくは彼のようなクラスターがトランプ支持者の厚い層を形作っているのだと思う。権威主義であるために煽動されやすい民衆が政治を決めていることへの危うさも思い起こさせる。
時代背景は全く違えど「15時17分、パリ行き」と対になっている映画であることは間違いない。
「15時〜」では軍に所属する若者たちがテロリストを捕まえ称賛された。
若者たちは権威側の人間であり称賛される土壌が整われていた。
リチャードジュエルは権威側の人間ではなかった。
彼の大学警備員時代などの正義感や職務的義務感から来る行動は倫理的正しさはあるが権威的背景をもたないものであり、法治・権威社会では正しいとはされず、権威側からすればむしろ厄介でさえあった。大学学長の意見、つまり高等教育の象徴の意見たった一つがきっかけでFBIが動き始め、犯人に仕立て上げられていく様は恐怖である。
そして真実などは問題ではなく、メディアが権威に操られ民衆を煽動する。
典型的な白人アメリカ人であるが故に、容易に容疑者に仕立てられる。これは統計的に考えれば当たり前の罠なのであるが、つまり容疑者とは平均的な人間であるということだ。
容疑者なんてものはそもそも恣意的な解釈である。
しかも警察はどうすれば有罪になることを知っているから、有罪になるようにストーリーを形成することへプロフェッショナリズムを発揮する。メディアも陪審への影響を発揮することを躊躇わない。
時事的な内容で恐縮だが、カルロスゴーン事件をやはり思い出さずにはいられない。
彼の違法性はまだ誰にもわからないが、少なくとも彼への捜査の端緒も、起訴でさえも恣意的な背景が疑われる。
だが少なくともアメリカでは組織間の独立が保たれ、国家権力が市民に負かされ不正義を突きつけられる自由があり、メディアへの批判も臆せず行われ、映画にも描かれることができる社会である。しかも、驚くべきことにリチャードジュエル彼自身が警察になれる国である。
日本ではおそらく社会的には抹殺されているだろうし、少なくとも警察に就職などは絶対にできないし、メディアも間違いを認めない。
日本では映画やドラマでは警察や検察、メディアでさえも常に偉く権威的で正しく間違いを犯さない存在として描かれる。メディアは権威の失敗を追求せず、映画やその他芸術の世界でさえも権威への批判は自粛される国である。権威の腐敗や社会の無責任は普遍的であるだろうが、個人的自由の追究の価値観や、権威への批判、正義への欲望のない日本という国への失望と危機感を感じる。
リチャードジュエルは言う、正義が正義として認められないのであれば皆が、「第二のリチャードジュエルはごめんだ」と思い1人で逃げるような社会になってしまうと。この世界やこの国はそう方向づいているようでならない。
いろんな意味でいらつく映画
アトランタでのテロ事件の際、爆弾の第一発見者となった警備員の物語。第一発見者ゆえに最重要容疑者となっていく。
なんでリチャードが容疑者になっていくのかが理解できない。そんなに雑な推理と状況証拠で容疑者を絞り込む?リチャードが犯人だと決め打ちすぎてる状況が全く信じられなかった。それが事実をもとにした物語ってことなんだからすごい。その後、リチャードを追いつめようとするFBIのいやらしいやり方もいらつくものだった。
ついでに言うと、リチャードの態度にもかなりいらついてしまった。調子に乗りやすくて、卑屈で、それでいて高圧的で警官気取りだったりする。容疑者扱いされているのに、物分りがいいところにもいらつく。
でも、彼が変わっていくところがこの映画の肝だった。彼の成長、弁護士との信頼関係、親子の愛情、最終的にはいい物語になっているじゃないか!個人的にはここ数年のイーストウッド作品にハマらなかったので久々にいい映画だった。
けっこうよかった
ストーリーも演出も演技も素晴らしかったのだけど、太った子ども部屋おじさんを2時間見るのはけっこうきつい。家宅捜索の時に「何も言うな」と言われているのにどうしても「自分も法執行官だ」と言いたくて我慢できなくて言ってしまうところに、あちゃ~と思う。ベッドに銃を並べたらとんでもない数なところが面白い。おかあさんが長寿でよかった。
爆弾一勇士
口が酸っぱくなるほど余計なことをしゃべるなとずっと言っていたのに、リチャードが「根拠はあるのか」と反問して席を立ったあと、ついていく弁護士がうつむき加減にニンマリするところが白眉。そもそも状況証拠すらなく心証だけで捜査を進めるのは何をか言わんやである。
冤罪事件を扱った他の作品と異なるのは、主人公自体思い込みで暴走するきらいのある若干困った人物であり、見た目もヒーローとはほど遠いこと。この体型の主人公と言えば、マイケル・ムーアぐらいか。だからこそ、かえってこんな権力の横暴がまかり通ってはならないというテーマに説得力を持つとも言える。
近年クリント・イーストウッド監督作の実話路線が継続中だが、「ハドソン川〜」「15時17分〜」と本作には、大惨事を防いだ人々をとりあげるという共通項があり、彼のシンパシーがその辺にあるやと推察したりもする。相変わらず奇をてらったところのない手がたい演出だが、早撮りで知られる監督だからこそ、編集のジョエル・コックスの手腕を改めて評価したい(クリント・イーストウッドとのタッグはもう40年以上に及ぶ)。
日本のオリンピック関係者にとっては、今年この映画を公開してほしくはなかったかも。
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