リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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真の英雄
評価は高かったものの、ここ近年のクリント・イーストウッド監督作としては興行的にダントツの不発。
確かに『運び屋』のようにイーストウッド自身がいぶし銀の魅力を発揮して出演してる訳でもないし、『アメリカン・スナイパー』のようなKO級のメガヒット作でもないし、同じく英雄が疑われる『ハドソン川の奇跡』のようにビッグスター主演でもない。地味っちゃあ地味。
でも、個人的には近年のイーストウッド作品の中では非常に良かった!
1996年、オリンピックに沸くアトランタのとある公園で、爆破事件が発生。
この惨事の中で、爆発物にいち早く気付き、被害を最小限に食い止めた警備員が居た。
リチャード・ジュエル。
法執行官になる事を夢見る平凡な警備員。
性格は正義感が強く、とにかく真面目。
些細な違反も見逃さない。それ故雇い側と揉めた事も無きにしも非ず…。
爆発物に気付いたのも、誰も気にも留めないような不審物を怪しいと思ったから。
多少過剰で融通が利かない点もあるが、善良で正しき者の鑑。
平凡な市民が一夜にして英雄に。
仕事を全うしただけ…と、本人は至って謙虚。
でも、TVのワイドショーに出演したり、本を書かないかと勧められたり、悪くない気分。
ひょっとしたら、法執行官になる夢も近付くかもしれない。
…が、近付いてきたのは、別の立場だった。
ある日リチャードは、FBIから訓練用ビデオへの出演を頼まれる。
快く承諾。
自分が容疑者となった立場でFBIの質問に応えるのだが…、
どうもおかしい。
まるで、尋問のよう。
そう、その通りだった。
FBIは第一発見者のリチャードの自作自演と疑い、マーク。
さらに、マスコミにリーク。
リチャードが全く知らない所で、英雄から一転、容疑者に…。
この憤り!
何故、こんな事が起きる?
理由は分かっている。
事件を早期解決しようとFBIの誤捜査。
特ダネを手に入れようとしたマスコミ(一人の女性記者)の誤報道。
もしこれが、本当の真犯人だったら称えられるべきスピード解決と報道だ。
でも、全く違うのだ。
完全なる冤罪。
こういう冤罪事件は見方によって180度変わる。
我々は事件の概要を知り、映画として見ているから、リチャードの無罪を微塵も疑う余地も無い。
が、当時リアルタイムで事件を見ていたらどうだろう…?
きっと、彼を犯人と疑って見ていただろう。
権力(FBI)と情報(メディア)は正義と真実を明らかにするが、時に凶器にもなる。それくらい影響力がある。
日本でも酷すぎる冤罪事件は多々ある。袴田事件や氷見事件、松本サリン事件などなどなど。
その時、誰が“犯人”の言葉に耳を傾けようか。
FBIの捜査は一見法に乗っ取っているが、権力を行使した強引なもの。
確証の無い捜査、拘束。盗聴や誘導尋問も。
疑いもただ過去の爆破事件の犯人像に似てるってだけ。
メディアの加熱報道もどんどん歯止めが効かなくなっていく。
もはや誰もが彼を犯人と見ている。
さらにリチャードには、立場を悪くするような過去も。逮捕歴や真面目過ぎて雇い側と揉めた事、鹿狩りで銃所持。
とことん追い詰められる。
彼を信じるは、母親と、10年ほど前に知り合った弁護士ワトソン。
この苦境に立ち向かう事を決意するが、苦闘の始まりだった…。
権力に抗い、弱き立場の者に寄り添う。イーストウッドが描く“英雄像”は本作でも変わらず一貫。
派手さは無く淡々としているが、爆発物を見付けた件はサスペンスフル、主人公側と同じ立場となってこの苦境に胸が締め付けられ、憤り、気が付けばじっくりグイグイ引き込まれていた。
さすが生き神様、匠の業!
2大オスカー俳優が主人公を支える。
まず、弁護士ワトソン役のサム・ロックウェル。
権威を嫌う一匹狼。ふとしたきっかけでリチャードと知り合い、彼が英雄となった時も「偉いぞ、レーダー」と忘れずにいて、彼の助けの声に応える。皆がリチャードを犯人と疑う中、彼の目をしっかり見て信じる。この苦闘の中でリチャードに呆れ、激しくぶつかり、言い争う事もあった。が、最後までリチャードを支え、力になり、依頼人と弁護士という関係だけではなく、友情も育む。う~ん、何て美味しい役! オスカーにノミネートされなかったのが不思議なくらい。
オスカーにノミネートされたのは、母親ボビ役のキャシー・ベイツ。サプライズノミネートと言われたが、こうして見ると納得!
愛情深く、誰よりも我が子の無実を信じている。慎ましく世話好きで、何処にでも居るような優しい母親。が、平穏な日常が奪われ、息子が謂れのない罪で糾弾され、悩まされる。
何と言っても、記者会見シーン。悲しみと憤りの涙の訴えは本作最高の名シーンで、無条件に目頭熱くさせる。
本当に名女優。とてもとても『ミザリー』のあの狂気のオバサンとは思えない。
そして、リチャード役ポール・ウォルター・ハウザーを忘れる事は決してない。
『アイ、トーニャ』にも出ていたと言うと何となく思い出すかもしれないが、ほとんど無名に近い存在。
主演に大抜擢され、英雄から容疑者にされたリチャードの苦悩や悲哀を見事に体現。共感もたっぷり。
生き神様の野心作で堂々主演を演じ切り、2大オスカー俳優に全く引けを取らず、素晴らしい逸材がここに居た!
ちょっと苦言を言うとすれば、オリヴィア・ワイルド演じる女性記者。
同僚たちを敵に回し、特ダネの為なら色仕掛け、人一人を貶める事など厭わない。
本当にこんなビ○チだったのか…?
すでに故人で、こんな女性ではなかったと、ワーナーとイーストウッドに対して訴訟を申し立てたらしいが…。
世の中いつだってそうだ。
権力の傲慢で冤罪が起きる。
メディアの名誉欲しさで間違った事が“真実”として当たり前になる。
我々にだって否が全く無いなんて事は無い。
踊らされ、誰かを敵にし、徹底的に叩く。
イジメやパワハラも似たようなもの。
それに、つい先日のあの痛ましいSNS誹謗中傷に耐え切れずの自殺…。
弱い立場の者を敵にし、追い詰め、何がそんなに楽しい!?
権力に溺れる者、自分の声が真実と過信する者、顔が見えない事をいい事に悪質極まりない輩…。
本当に弱い者は、お前たちだ!
リチャードの無実は晴れる。
考えてみれば、リチャードには一点の曇りも無い。
確証も無いし、無実を証明出来る“電話”もある。
しっかり捜査すれば、リチャードが疑われる事なんて無かった。
FBIが言う犯人像に似ている、女性記者が言う醜いデブ…これら偏見からも冤罪が生まれる。
リチャードに疑わしき無しと捜査対象から外れる。
それでも彼をクロと睨み続けるFBI捜査官。
それから6年後、犯人が捕まった。
この時のFBI捜査官の顔が見てみたい。
そしてそのFBI捜査官に問いたい。この6年、お前は一体何をしていたんだ?…と。
リチャードはその後、夢であった法執行官となり、平穏な生活を取り戻した…ように見える。
が、彼の人生に一生消えぬ傷を残したのは事実で、若くして自然死したのが何とも後味悪い。
病気に悩まされていたらしいが、それに拍車をかけたのは…。
事件に翻弄され続けた哀しき英雄。
疑われていた時も捜査の為ならと協力を惜しまず、時折彼の言動にワトソン等しくちとイライラする事も。
でも後になって考えてみれば、彼には信念があったからだ。
犯人を絶対逮捕したい。自分は犯人じゃない。
ずっとFBIやマスコミに嘲笑され、ワトソンに頼りきりのリチャードだったが、ラスト、ある場で口を開く。
それこそまさしく、リチャード自身が勝利を勝ち取った瞬間。
胸がスカッとしたと同時に、感動した。
苦闘の中でも信じ、共に闘ってくれた人が居た。その支えがあって、だからこそ闘えた。
でも、諦めず、信じ、闘い続けたのは、自分自身。
真の英雄。
時代は変わったな。。
展開は分かってても、感動。
お母さんの涙の訴えを見て泣いていた女新聞記者
泣く資格ないでしょ!
気付くの遅いよ·····
良い人役が続くサム・ロックウェル
ツンデレな、さりげない優しさが良いですねw
あと、キャシー・ベイツは英雄の母親から容疑者の母親へと変わっていく感じ、「ミザリー」感出ててドキドキしたww
純粋にひたむきに仕事に向き合った男の物語
世の中に起こっている出来事の一つ一つに触れる機会は非常に多いが、そのニュースであったり一つ一つの真贋や当事者たちの人となりや経緯にまで気付くことはなかなか難しい。
今作は96年に起きたテロ事件において英雄から疑惑の容疑者へと祭り上げられた一人の青年のお話。
アメリカでは良く見る太った白人の青年は見ているだけで何か頼りないと言うイメージを彷彿とさせ、知識はあるが正義感なのか仕事への姿勢なのか行き過ぎた行動も度々見られる。
その行動が後に疑惑の温床へと変わっていくのだが、、、。
冒頭からサム・ロックウェル扮する弁護士とのやりとりが面白い。誰よりも細かい事に気が付き、そして気配りやポイントを掴んでいる。非常に好感の持てるキャラクターだなと感じた。
この様なリチャードの人となりを丁寧に時間をかけて描いていくので、お世辞にもテンポは良いとは言えないが、やはり追体験していくと言う点では非常に重要なパートだと気付かされた点でもある。
周囲を取り囲む俳優陣もかなり鬱陶しくw(褒め言葉)
キャシー・ベイツはかなり良いキャラクターとマザコン(とまではいかないが)の息子と良い距離感で接しているありきたりな親子と言う感じが良い。また会見のシーンは本当に見ていて辛いと感じさせる演技はさすが、、、。
ジョン・ハムも本当に見ていて「なんやこいつ、悪い奴やなー」と思いながらもワンシーン・ワンシーンでなんとしても犯人に仕立て上げようとする冷徹な感じがニクイ。
そしてなんといってもオリビア・ワイルド。非常に不快感と嫌悪感を抱いた人は多いはずww(まあ演技なんですけど)
彼女の一言一言にイライラとさせられるが、やはり報道の持つ力の大きさ、そして事件の真相が不明なままでの容疑者の取り扱いには細心の注意が必要だと感じた。
容疑者の容姿が太っていたから、、、。身だしなみが汚いから、、。
外国人だから、、、。そんな些細な事ではあるが、一定のフィルターを通すと容疑者では無いのか?と疑心暗鬼になり加速度的に不安も生じていく。
今一度そんなフィルターを取り除かないとこの様な冤罪は無くならないと感じた。
日本の警察にも言える事だが、FBIもろくな証拠も無く決めつけで動いてしまう、しかも国の中の大きな権力が、、、。これが一個人にむかうのだから非常に怖い。
リチャードにはブライアントと言う頼りになる弁護士がおり、その点では非常に恵まれていたが、取り調べや家宅捜索のシーンで協力的に行っている場面では「何やってんねんww」と心の中で連呼していたw
しかしここもリチャードの良さと言うか、「僕は容疑者だがあなたたちの立場もりかいできる」的な、自分には犯行の証拠が無いのでどうぞなスタイルは理解でき無くも無いが、置かれているミスマッチな状況と相まってイーストウッド感が半端ないw
所々に心にずっしりとくるセリフや演技が散りばめられていて、映画とは何かと言うのを今回も監督は自分たちに提示してくれたと感じました。
「権力は人をモンスターにする」はFBIを示唆している様にも感じましたし、最後のFBIとの対決のシーンではスカッと晴れ渡る気分と彼の職務に対する凄まじい姿勢を垣間見た気がして心打たれました。
事件当日、ただの忘れ物として処理しようとしていた警察を遮り、「ただの警備員」が指摘し多くの人命を救った。
人間の価値は給与で推し量られる事もあるかもしれないが、誰より人命や職務に対して真面目に取り組んだ彼は非常に素晴らしく称賛されるべきだと監督も感じたのではないか?
悲しい事に若くして亡くなったそうだが、彼の行った行為とその行動は見習わなくてはならないし、色々と公平な目で(見ていく自信はまだないが)判断をしていかないと感じた。
エンドロールも非常に静かで作品の余韻を楽しみながらまたジーンときてしまった。
また新しく素晴らしい映画に出会った。
弁護士が素晴らしい
弁護士が良心派で良かった。それだけが救いだ。
罪なき一般人が犯人に仕立てられる構図は見ていて吐き気を覚えるほど醜いものだ。言葉巧みに誘導するFBIはハッキリ言って悪だ。
最後に救われてほっこりしました。表現が合ってはいないと思いますが、これを作ったイーストウッドには感服いたしました。
終始可哀想という感情。
昔の警察の露骨さ、醜さ、権力という力の強さを見せつけられた気がしました。
日に日に憔悴していくのが作り物なのに本物に見える程演技力がすごい。
特にお母さん。ヒーローになった息子を喜ぶのも束の間、家に家宅捜索に来た時の演技がすごい。本当に辛そうなのが伝わった。そしてスピーチ。
最後のシーンの無実を伝える時の伝え方が最後の最後まで皮肉を込めてて後味が悪かった。
でも、良かった。
人は誇りを忘れてはいけません
誇りを忘れてはいけない。たとえ権力が目の前にあったとしても。
テレビコマーシャルでは「メディアリンチ」なんて言葉が使われていましたね。マスコミの無責任さと恐さを改めて思い知らされる作品でしたが、FBIの強引で権力を悪用した捜査の在り方にもショックを受けました。
それにしてもリチャードの言動にはハラハラしました。FBIに協力的なあまり「リチャードは逮捕されたいのかな?」と思わされる程、自ら犯罪者に仕立て上げられる方向へなびいていってました。弁護士のブライアントやお母さんがヤキモキするのが良くわかります。
それだけにリチャードが目覚めFBIに対峙した時の勇敢な姿は清々しいものがありました。誇りを持つことの大切さが伝わるシーンでした。
また、母親役のキャシー・ベイツは素晴らしかったですね!勇気を振り絞って挑んだ記者会見は涙なしでは観られません。
クリント・イーストウッドの作品はハズレがないです。この作品も例外ではありませんでした。
自分の誇りとは何か?普段あんまり考えないことかもしれません。この作品を観て、自分の芯は何なのかを見つめ直してみるのも良いと思います。
FBIと弁護士と99.9%
アメリカの男の正義感の映画。
レビューしにくいが、見て損はしない映画。
子供の頃から、洋画を見て感じること。
犯人逮捕の際、
必ず、警官や、FBI捜査官が言うセリフが
「あなたには黙秘権があります」
人権が尊重されてるんだな、凄いな!
FBIカッコいい!正義の味方!
日本人でさえ、こんな感想にしてしまう映画な、ドラマの影響力。
そんな正義の味方から、逆に自分が疑われ、
尋問を受ける立場になってしまう。
当然、真実を話せば、理解してくれて、証拠に基づき判断してくれるはずだ。
だけれど、そんな事は無かった!
訳もわからず、犯人にされ、追い込められる恐怖。
マスコミの容赦ない過激な取材。
それらに対し、対抗していく弁護士の姿がカッコイイ!
しかし、この事件で、このように弁護士が対抗しなかったら、犯人にされてしまってるんだろう。多分。
逆に言えば、このような冤罪事件が数多くあり、
そのために弁護士がいるようなものなのかも。
そういえば、JFKだって、まだ真相はわからない?
わかってる?
日本では、逮捕起訴されると、99.9%有罪だってさ。
ドラマにもなってたよね。だから、
もし逮捕されたら、松潤に依頼しないとほとんど有罪確定だ。裁判いらないじゃん説もあるし。
間違っても逮捕されないように生活しなきゃ。
でも、アメリカの警官で太った人ってなんなの?
まともに走れないだろ!
そんな、自己管理も出来なくて、何が正義の味方なのか!と言いたい気もする。
ある種のホラー映画
メディアとFBIの力がすごい怖かった。
ジュエルが「なぜそんなに捜査に協力してしまうんだ!」と言われたり、FBIから都合の良い供述等を取られそうになるシーンは、「自分だったらうまく回避できるかなぁ……。無理な気がする……」と考えてしまいました。
少し頭が弱い描写をされることが多かったジュエルが、本当に駄目なところは全て回避できていてよかったです。
尊厳を取り戻したひとりの人間に対して、素直に祝福できる立場の人間になりたいものだ
1996年、米国アトランタ。
高齢の母とふたり暮らしのリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)。
彼独特の正義感からか、その行き過ぎた行動から、法律事務所のオフィス清掃員、大学の警備員など職を転々としている、いわゆるプアホワイトに属する一人だ。
オリンピックの関連音楽イベントの野外会場で警備員をしている際、不審なリュックを発見し、過敏な(けれども手順に則った)セキュリティ行動を取るが、果たしてリュックは爆発。
死者ふたり、多数の負傷者が出たが、行動が早かったため、被害は最小限にとどまった。
このことで、リチャードは一躍「英雄」として注目を集めるようになったが、第一発見者=犯人、および犯人のプロファイル像にあてはまることから、FBIはリチャードを第一容疑者として捜査を進めることとなった。
そして、捜査状況がリークされ、新聞報道された結果、リチャードは「英雄」から一転、「犯人?」と疑いの目で見られてしまう・・・
といった物語だが、爆破予告を電話で告げる犯人のショットがあることから、観客には「彼が犯人でないこと」は事件が起こった時点からわかるように作られている。
そうすると、彼が犯人なのかどうか、は焦点ではなく(実際の出来事なので、彼が犯人でないことは米国では知られている)、「どのようにして」犯人でないことを立証するのか、というサスペンス映画かしらん、と思って観つづけていくのだが、そういうタイプの映画でもない。
そこのところは、爆発現場から爆破予告がされた公衆電話までの距離や、爆破予告の電話の録音などという物理的証拠は、この映画の後半ではあまり重要視されない。
(『科捜研の女』や『CSI』などのサスペンスミステリ映画ではないということ)
ならば、この映画の中心となるのは・・・
タイトルに立ち返ると、はたと気づく。
リチャード・ジュエルが関わった「事件」ではなく、リチャード・ジュエルそのもの。
彼の行動そのものなのだ。
彼は常に本当のことしか言わない、行動しない。
爆破事件で取った行動はマニュアルに沿ったものだし、ハンティングが趣味で多数の銃器を所持していることも隠さない。
この正直さが、終盤に描かれる、FBIを前にしてリチャードの心情告白に活きてくる。
愚鈍であるが、無知蒙昧ではない。
彼と対比して描かれるのがFBI捜査官(ジョン・ハム)と、容疑者説を第一報した女性新聞記者(オリヴィア・ワイルド)。
彼らは、鋭敏であるが、無知蒙昧である。
さらに彼らは、自分たちの過ち・誤りに対して、謝らない(権力側は、いつだって謝らない)。
あまつさえ、女性記者はリチャードの母親(キャシー・ベイツ)の記者会見のスピーチを聞いて涙を流すだけなので、質(たち)が悪い。
この中間に位置するのが、リチャードの弁護士で、映画のビリングトップは演じたサム・ロックウェルである。
出演料やネームバリューの関係もあるだろうが、観客にも彼の立場を求めているのかもしれない。
名誉、というか人間の尊厳を取り戻したリチャードに対して、素直に祝福できる立場の人間として。
明日は我が身
人の命を助けたのに犯人扱いされ主人公が
追い詰められて行くさまを描いた映画
日本の報道でもあることだが
とにかく他の社よりも早く記事にして
自分の名声を得たいがために実名報道する様は
そのことで名前をあげられたものの気持ちなど
全く無視である
何かを成すときに時に人は悪魔に代わることがある
特に権力を持つものは誰も止めることが出来ない
それに立ち向かうには物凄い意志が必要になる
主人公ジュエルと弁護士の二人が
無罪を勝ち取るべく戦う姿はみるものに勇気を与える
ジュエルの無実を信じる母を演じるキャシーベイツにも
心を打たれる 大きな瞳で涙をボロボロ流す姿は
私も共に泣いていた
クライマックス FBIの輩に思いのたけをぶつける
ジュエルに心の中で拍手喝采だった
事件のことを全く知らずに鑑賞
今日は、川崎で映画
「リチャード・ジュエル」を観ました。
アトランタ五輪の時のコンサートでの爆発テロの犯人にされそうになった男の物語です。
若い太った警備員の話で、冤罪を晴らしてゆく弁護士がサム・ロックウェル。警備員リチャード・ジュエルに、ボール・ウォルター・ハウザー。リチャードの母親に、キャシー・ベイツ。
監督はクリント・イーストウッド。実話の映画化で、なかなか見応えがあります。
事件のことは、全く知らずに鑑賞したので、この、1996年の実話の成り行きに、同時進行で感情移入しました。
やはり、なんと言ってもすごいのは、監督のクリント・イーストウッドでしょう。
20数年前の事件ではありますが、どこまで脚色しているのかはともかく、この短い時間のなかで、ミスリードしたFBI捜査官と、記事を書いた新聞社記者の内面にまで踏み込んで描いています。
クリント・イーストウッドのすごさもありますが、これを製作、公開したアメリカの映画界も大したものです。ありとあらゆる権力とメディアの記事をただ純真に信じてはいけないというメッセージが込められています。
誰にでも起こりうる現実
1996年アトランタオリンピックの時に実際に起こった爆破テロ事件を本作
爆弾の第一発見者となったリチャード・ジュエルは瞬く間に人々の英雄となるがその後、操作の指揮を指揮するFBIに疑惑の目を向けられ・・・
『正義』とは一体何なのか?
それを考えさせられました。
良かれと思って言ったことや行動したことが裏目に出てしまうことって誰にでも起こりうることなんだと、大なり小なり。
ジュエル自身、過去に(他者から見て)歪んだ正義によって問題視されたことが発端となり英雄から容疑者へと叩き落とされるわけですがそれって我々の生活においても起こり得ることではないのでしょうか?
ただキャシーベイツが報道陣に対して息子の無実を訴えるシーン、そしてラストの捜査対象から外れたという案内を受け取りポールウォルターハウザーが涙を流すシーン、恥ずかしながら涙が止まらなかった。
『自分にとっての正義』が必ずしも相手にとっての正義ではないのだ。
色々あるけど好き
地味なテーマ。淡白なストーリー。お間抜けなFBI。頑固な主人公。
Netflixの「殺人者への道」のように、主人公が何年も刑務所に放り込まれるわけでも、新たな証拠が見つかって劇的な裁判が始まるわけでもない。
イーストウッドの代表作ではまったくないし、色々ツッコミ所は多いけど、それでもなぜか好きなタイプの映画です。面倒くさいんだけど、嫌いになれないんだよなあ、リチャードみたいな不器用な男。
メディアと国家が一市民を追い込む恐怖。サム・ロックウェルに惚れた!
この映画を見てリチャード・ジュエルの英雄ぶりに驚嘆するではない。彼は不完全なごく普通の一市民だ。この映画を見て思うのは、メディアのペンの怖さと、国や政府(この映画の場合はFBIという大組織)の前に市民は無力であるという絶望。この映画においてリチャード・ジュエルはその闘いに勝利したものの、世の中には国家とメディアによって潰され敗北した市民が多数いるのも事実だろう。
オリヴィア・ワイルド演じる女性記者が打ち出した「FBIがリチャードが容疑者である可能性について捜査している」という第一報は決して間違いではない。この記事はリチャードを犯人と断定する見出しではないし、実際に捜査していたのは事実だからだ。けれどそこからメディアは「英雄が実は犯人」というトピックを面白がり、報道を過熱させ、彼の人物像にステレオタイプなラベリングをし、それが人々には恰も彼が容疑者であるかのように広まっていく。それを一市民であるリチャード本人の力ではどうすることもできないという怖さ。そしてこういうことが現実に起こりうるということが悲しいかな理解できてしまう怖さ。それをクリント・イーストウッドがFBIの怠慢も含めて冷静かつ理路整然と語っていく。
リチャード・ジュエルはこの件に置いて英雄でありもちろん被害者であるが、だからと言って聖人君子ではない。彼の過剰な正義感はやや常軌を逸した面が見え隠れするし、その言動には行き過ぎた部分も目に付く。同時に彼は警察に憧れを抱いておりその職務に強い敬意を払ってもいる。そのことが物語を多面的かつアイロニックにし、深みを与えていたと思う。
ただこの映画の一番の見所はサム・ロックウェルだと言いたい。オスカーを受賞してから好調の続く彼は、もうここ数年出る映画出る映画全部面白く、その中において彼の演技がとりわけ輝く。今回も弁護士役としてリチャードに寄り添う姿がクールでかっこよく決まっていたし、逞しい柱のように作品を力強く支えていて(まさしく名助演)これまでも好きな俳優さんではあったけれど更に一気に惚れてしまった。
惜しむらくは、第一報を報じた女性記者およびジョン・ハム演じるFBI捜査官の立ち回りだろうか。いずれも「メディアの悪」と「国家の悪」を象徴するだけの役割しか与えられていないかのようで、この二人に関してはまるで記号化されたような奥行きのないひどく一面的な描写に転じてしまうのはかなり気になる点だった。
こと女性記者に関しては、終盤においてリチャードは犯人ではないと確信を得るその展開が極めて見え透いたものであると同時に、その様子が実に肩透かしな描かれ方で全くドラマティックでない。てっきり「彼女のペンがリチャードを窮地に追い込み、しかし彼女のペンがリチャードを救出する」とでもいうような流れに行くかとワクワクしたが、実話ベースである以上そんなでっち上げは不可能だったか。彼女の存在はもっと大きなカギになるかと思いきや思わせぶりで完結したような印象だった。
一風変わったヒーロー映画
主人公リチャード・ジュエルはテロリストの陰謀から多くの市民を守ったヒーローであったが味方だと思っていたFBIとマスコミに裏切られ、今度は自分自身を守ることを学ぶヒーローの成長の物語。
予告映像からは想像できない内容でした。主人公は民衆を救った勇敢なヒーローであると同時に権力から自分を守ることもままならない弱者であった所が面白かったです。主人公は弁護士の助けも借りて他人だけでなく弱者である自分も救えるヒーローに成長します。とても満足しました。それとマスコミと政府が裏で手を組んで悪を行えば本当に恐怖だと思いました。一般市民全員がヒーローになりなさいというイーストウッド監督のメッセージなのかとも思いました。
権力者がひたすら汚ない
少し変わり者だけど善人そのものなリチャード。
全然怒らないしお母さんの事めちゃくちゃ大事にするし。ホアキン・フェニックスが演じていても違和感なくストーリーに入っていけそうな展開から始まった。
一方で野心満々の女性記者が下ネタ上等のギラついた目で特ダネを狙っており、あぁコイツがやらかすのかと展開を見守っていると、案の定、やらかすのでした。
そこから先は、容疑者にされてもいい人なリチャードとそのいい人ぶりに乗じてリチャードをカモにしようとするFBI捜査官、なんとか無実の罪から救おうとするワトソン弁護士(役名忘れた)の攻防が描かれる訳だが、ハラハラドキドキというよりはリチャードがいい人過ぎてもどかしい!!
最後はこのリチャードのいい人っぷりが勝つ訳なんだけど(ジョーカーにならなくて良かった)、ここは監督のメッセージ性が色濃く出てるなと感じた。
気になったのは、母親の記者会見の場でやらかした女記者が涙するシーン。お前が何で泣いてんだよ…とここだけは意味不明でした。悪い事したなって感じ?それともここも監督の願望?
スピーディーな展開やストーリーのドンデン返しが好きな人には向いていない作品だと思いますが、私は2時間以上あったはずの作品だったけど体感45分くらいに思えるほど没入しました。
面白かった!……がッ!!
非常に面白い作品でありながら、「ここをこうしたらもっと良かったのに」という不完全燃焼が否めない作品になってしまっています。
・・・・・・・・・・・
人一倍正義感の強い巨漢の男性である主人公リチャード・ジュエル。ある日野外ライブで警備員として仕事をしていたところ、ライブ会場近くで不審なリュックサックを発見し通報。それはパイプ爆弾であった。リチャードは率先して避難誘導を行うなどして爆弾事件の被害を抑えることに成功し、一躍ヒーローとして有名人となった。しかし英雄として持て囃されたのも束の間、とある新聞社が「FBIが第一発見者のリチャードを容疑者としてマークしている」と報道したことから事態は一変。リチャードは爆弾魔として世間の批判の的となってしまうのだった。
・・・・・・・・・・・
こういった、メディアリンチやマスメディアの真実よりもエンタメを重視してしまう問題を描いた作品は数多くあります。
私が観た映画ではデビット・フィンチャー監督の「ゴーンガール」や、日本映画だと「白ゆき姫殺人事件」などがそれに当たりますね。
しかし今作「リチャード・ジュエル」はそれらの作品と違って「事実に基づいた映画」です。これが作品の肝でありながら、映画的な構成を制限してしまう足枷になっているような気がします。とても面白い作品なんですが、「こうすればもっと良いのに」と思ってしまうシーンが随所に見受けられます。
例えば、全ての発端となった新聞記事を書いた女性記者のナディアですが、騒動の元凶でもある彼女がリチャードが犯人ではないことを知り「なんてこと」と罪悪感を滲ませるシーンがあります。直前にリチャードと顧問弁護士のワトソンが新聞社に乗り込み「記事を訂正しろ!謝罪文を掲載しろ!」(うろ覚え)と叫ぶシーンがあったため、彼らの要望どおりに自らのプライドを捨てて記事の訂正と謝罪を行うのかと思いましたが、そのような描写は無し。あれだけリチャード家族の生活を脅かしながらも本人は何らお咎めを受けていないのです。これは観ていて不満が溜まります。
また、主人公のリチャード自身もかなり頭のおかしい人物として描かれているのも気になりました。ワトソンから「何も喋るな」と念を押されていた家宅捜索中にFBIとベラベラ喋るし「手伝おうか?」とか言うし、終盤のFBIとの直接対決のシーンでも廊下でうろちょろしてるし。多分リチャードの人間性や精神的な問題(ADHDとか?)を描くための描写なんだと思いますが、有罪になりたいのかと思うほどに余計なことばかりするリチャードを観ているととにかくイライラしてきますし、ラストシーンでリチャードの無罪が確定した時も、とてもじゃないけど「リチャード良かったね」とは思うことができませんでした。あそこまでリチャードを無能に描く必要性が分かりません。
最後にラストシーン。FBIに対してリチャードが「僕が犯人だという確たる証拠はあるんですか」と問うシーン。リチャードが無罪を勝ち取る決め手となったであろう重要なラストシーンなのですが、今ひとつ盛り上がりに欠けます。せっかくのラストシーンなのだから、もう少しどうにかならなかったのかという気になりました。
上記のような不満点も、単に「史実に基づいた映画だから」という理由で反論されちゃうんですけどね。「ここを改善して欲しかった」と思う私もいますし、「史実がこうなんだからこれで良い」と思う私もいます。なんとも収まりの悪い気持ちです。
多少の脚色は映画だから仕方ないとはいえ、史実を改変してしまう行為は劇中で徹底的に敵意をもって描かれていたFBIと同じになってしまいますから、映画製作陣としてはそこは絶対避けたいラインだったのでしょう。
私の個人的意見としては「めちゃくちゃ面白かったけど不完全燃焼」といった感じですが、前評判の通り十分楽しめる映画でしたので、オススメです。
故人だからこそ敬意を。
本作は実際の爆破事件を扱っていますが、当然のことながら演出上の脚色がなされています。
劇映画である以上、脚色自体は当然です。しかし本作における女性記者が捜査官を誘惑して情報を引き出した場面は、全くの創作である可能性が高いです(本人以外には知り得ない状況であるため)。事実でないとすればこの記者の名誉を著しく傷つけています。
だが件の女性記者は後に自殺しているため、本人から訴えられることはありません。それを踏まえてこの場面を撮ったとすれば、まさに「死人に口なし」とばかりに、敬意を欠いた振る舞いであると言わざるを得ません。
映画は、映像の作り方で容易に故人を貶め得るという事実こそが、表向きの主題以上に本作があぶり出した重要な問題でしょう。
映像的には安定のイーストウッド的な絵作りが楽しめるし、淡々としていても目を離させない演出の巧みさが健在なだけに(主題的には『チェングリング』などの過去作との既視感はあるものの)、上記の問題は本当に残念。
最初は面白いと思ったのですが
最初は冤罪をえがく、メディアリンチを描いた名作、と思ってました。昨日までは.....。
たまたま映画評論家町山智浩さんの解説を聞いて、面白かったけど名作ではないと思うに至りました。その理由ですが
①アトランタジャーナルの女性記者は映画の中のようなFBI捜査官との関係で情報取得した事実はない。
②アトランタジャーナルがジュエルが疑わしいとFBIが見ている事実を載せようとしたが、彼女がそれが事実かFBIに聞いている。そのために掲載を遅らせた。
③弁護士は決したあとアトランタジャーナルを名誉毀損で訴えたが敗訴。
④なぜなら疑っていたのは事実だから。
⑤映画でもあったが、彼女自身公衆電話と現場を歩いて彼が犯人でないことを確証、記事にしたがそのことは映画では省かれている。
⑥訴えられたあと彼女は精神的に病んで薬物中毒で自殺。
⑦エンドロールにそういった彼女のその後はどうなったか、ジュエルと弁護士は字幕で紹介したが彼女への言及はなし。
町山さんは事実の隠蔽としていたが、まあ、エンターテイメントとみればいいのかなとも思いました。
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