リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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やっぱりイーストウッドは手堅い
映画を作る側として、ツボの押さえ方が、やっぱりすごい。飽きさせないし、オーソドックスで、見終わった後に温かい気持ちになった。
フェイクニュースが、事実の様に扱われていく様、冤罪なのに、でっち上げを真実としていく権力の怖さ、メディア放映の同調の恐ろしさや思い込み。市井のヒトが大きなうねりに巻き込まれていく様は、
物語としては非常に怖かったし、もしもの話としても恐ろしかった。
キャシー・ベイツが懐かしく、息子のリチャードは飽くまでも、母親思いで心優しく、彼の無実を信じる弁護士も善人として描かれて、
史実は知らないが、物語として手堅く、昔のハリウッド映画の感じで、エンドロールの音楽もちょっと懐かしいけれど古臭い感じがした。
ひとつの立派な生き方であった
イーストウッド監督らしく、主人公リチャード・ジュエルを長所も短所もあるリアルな人間として描く。リチャードは必ずしも好きになれる人柄ではないが、如何にも世間にいそうなタイプであり、ひとつの典型である。
主人公に感情移入できない代わりにイーストウッド監督が用意したのが弁護士のワトソン・ブライアントだ。その心根には熱く滾るものがあるが、態度は常に冷静で、権力を恐れないし圧力に屈しない。弁護士だからといってクライアントであるリチャードに必要以上に強制したり、その人格を否定することもない。あくまで冤罪事件の被害者として彼とその母親の人権を守り、救おうとする。
ブライアント弁護士のメンタルが安定しているので、そこからは落ち着いて鑑賞できる。ワトソンはFBIも役所のひとつに過ぎず、役人がどのように振る舞うかを知っている。日本の役人と同じく保身が命で、そのやり方は十年一日の前例踏襲主義だ。
日本の警察では事件を効率的に処理するために、捜査本部の管理官は容疑者の凡その目星をつけて、恣意的に捜査を指揮する。目星をつけられた者は重要参考人として任意同行の名目で強制同行させられ、拷問に近い執拗な取り調べを受ける。警察にとって誰が真犯人であるかは問題ではなく、容疑者をいち早く検挙することが目的である。目星をつけた人間にアリバイがなければ自白を強要して犯人に仕立て上げることで事件の処理が終了する。自白があれば客観的な証拠は僅かでいい。場合によっては取調室で容疑者が飲み物を飲んだグラスに付着した指紋を凶器に貼り付けることもあるらしい。都市伝説かも知れないが。
アメリカでは長時間の拘束による自白の強要は認められていない。この辺りは流石に民主主義の先進国である。捜査官は客観的な証拠をなるべく多く集める必要がある。事件の状況を細部まで頭に入れ、集めた捜査資料と照合して真実を浮かび上がらせる能力が要求される。警察官の能力の差が歴然と現れ、優秀な警察官がたちどころに事件を解決する場合もある。事件捜査がドラマになるのはそのためだ。しかし個々の警察官の能力差によって事件の解決に格差ができてしまうようでは法の下の平等とは言えない。おそらく今後はこの分野にもAI技術が導入されるだろう。データ照合の精密さなら人間はAIに敵わない。
日本で同じ事件が起きていたら、リチャードは間違いなく有罪になっていただろう。警察官による暴行を受けてPTSDになっている可能性もある。取調室は密室で、昨年から可視化が法制化されたとはいえ、カメラの死角で何が行なわれているかは当事者以外にはわからない。容疑者を裸にして肛門に試験管を突っ込むと、容疑者の精神が崩壊して何でも自白してしまうという話がある。都市伝説かも知れないが。
政府とマスメディアがスクラムを組めば、個人などひとたまりもない。しかしアメリカは個人が戦う場を用意する国である。日本との絶対的な違いがそこにある。民主主義とは手続きのことだ。アメリカは情報公開法によって立法府、行政府、司法府のすべての情報は保管され、一定期間を経た後には必ず一般公開される。書類を捨てたとか最初からなかったなどと誤魔化すのはもはや民主主義を放棄していることに等しい。推定無罪の原則は日本ではあってなきが如しだが、アメリカでは捜査当局、司法当局をどこまでも拘束する。民主主義が機能している国とそうでない国の違いである。
コーラやジャンクフードが大好きな幼児性の精神の持ち主であるリチャードだが、副保安官をしていたこともあり、遵法精神に富んでいてしかも権威に弱い。はっきり言って社会的にはいいとこなしだ。だがそんなリチャードにも見せ場がちゃんと用意されている。FBIの支部での取り調べが本作品のヤマ場であり、リチャード・ジュエルという人間の真価が発揮される場面でもある。イーストウッド監督が撮りたかったのは間違いなくこのシーンだ。
何故か連想したのは、テレビドラマ「義母と娘のブルース」での主人公宮本亜希子の台詞である。PTAと揉めてしまい、訪れた学校で娘から「私が嫌われるようなことをしないで」と言われるが、その言葉に対して亜希子は、子供が嫌われることを恐れて口を噤み、陰で悪口を言うような姿を娘に見せたくないと力強く反論する。綾瀬はるかの名演とともにいまでも心に残る名シーンだ。ちなみに脚本は映画「花戦さ」の森下佳子さんである。いい脚本を書く人だ。
権威や権力、パラダイムに表立って反対するのは勇気のいることである。しかし長いものに巻かれて唯々諾々と生きているのでは、人格が消し飛んでしまう。尊厳が失われるのだ。それは人間としての存在の危機である。だから人は最後の最後には覚悟を決めて戦う。戦い方にはいろいろあり、その場から逃げることも、意を決して自殺することも戦いのひとつとして認めていい。リチャード・ジュエルは逃げもせず自殺もせず、ただ淡々と自分の意見を語る。ここで観客は初めてリチャードの勇気に気づくのだ。一寸の虫にも五分の魂。リチャード・ジュエルの人生はひとつの立派な生き方であった。
反撃の狼煙
警備員として働くリチャードが、五輪開催中の祭事が行われる公園で爆発物が入ったリュックを発見し多くの人を危機から救ったことから、英雄扱いされたのも束の間犯人扱いされてしまう物語。
元警察官だったリチャードは、法執行官を盲目的にリスペクトするあまり、明らかに罠だとわかるようなFBIの捜査にも力なく協力してしまう…。そんなリチャードに無実の罪をきせまいと、あまりにも強大な相手に立ち向かう知人弁護士のワトソンやその妻、リチャードの母親や友達の姿が非常にカッコよく、思わずグッと来た。
微力ながらも全力でリチャードを守ろうとする仲間たち。相変わらずFBIに対し気弱なリチャードに幾度も苦心するワトソンだが、それでも最後は自分の言葉で闘うことを選んだリチャード。しかも、FBIを黙らせるのに必要だった言葉はあまりにも単純なものだった。
シンプルな感想にはなるけれど、自分の正義を貫くためには、たとえどれほど強大な相手であっても闘うことが必要なのだと気づかされる映画だった。
その他、観客からみても本気で憎いと思わせるような記者やFBIの役者陣の演技も際立って素晴らしかった。
エンドロールで流れる曲も、まさに琴線に触れるといったような美しさで、どっぷりと映画の余韻に浸れました☆
昔、このリチャードジュエルのようなバイトリーダーがいたのだが。
昨年『ジョーカー』がフィーバーした頃にボンヤリとイヤな予感がしていて、『パラサイト 半地下の家族』で少し自覚した僕の“気分”というものがある。どういう気分かというと、
正直もう格差社会批評的な映画評はお腹いっぱいという気分
である。
別に格差社会を「弱者の自己責任論」でもってヨシとするわけじゃないし、僕自身の暮らしなんてどっからどう見ても弱者の側だし。
でも昨年2019年は『ジョーカー』だけじゃなく『アス』とか『家族を想うとき』とか、格差社会語りをしたくなる映画が多かった気がするし、実際世界的にそういう映画が作られるムードなんだろうし、実際そういうことが描かれている映画たちなんだろう。でもなんだか、ちょっと、もうお腹いっぱいになってしまったんだ。そういうヘソ曲がりな性分が僕にはあって、『この世界の片隅に』がフィーバーして「平和のありがたみ」が叫ばれたときも、『人生フルーツ』がフィーバーして「スローライフ」がありがたがられていたときも、どこを見聞きしてもそういうムードになってることに「わかった、わかったから、もうお腹いっぱい」って気分になってた。差別についての映画についての映画評も同じような感じ。
で、今回の『リチャード・ジュエル』については、別に格差社会の話になるでもなく、特に差別を描いた作品でもないんだけど、ちょっとだけそういう僕の性分というか気分に触れたところがあるので、書いてみる。
昔、このリチャードジュエルみたいなバイトリーダーがいた。
そいつを僕はキライだったし、一緒に仕事するのがイヤだった。正社員でもないのに正社員以上に正論振りかざして、「もちべーしょん」やら「ほすぴたりてぃ」やらをケーモウしてた。仕事ぶりは真面目だし、シフトに穴が空いたら積極的に出勤するので、社員さんたちにしてみりゃ優秀なバイトリーダー。でも平バイトの僕らには、感覚的にわかってるんだ、そのバイトリーダーの真面目さや熱心さの正体が、ちょっとナルシスティックな承認欲求だっていうこと。で、それが仕事デキルこととは無関係に、なんかキモチワルくて、キライだったんだ。僕のその感覚は「差別」だろうか?またそのバイトリーダーのウザさは、「無罪」だろうか?
映画『リチャード・ジュエル』の中のリチャードジュエルは、そういうウザさはあるにしても、母親思いのイイやつだった。不当に犯人扱いされ、メディアに騒がれてヒドい目にあわされた可哀想な弱者だ。
映画はその弱者が、強者にギャフンと言わせて終わる。史実もそうなんだし、スカッと終わってイイ話。
映画としてもイイ映画。クリント・イーストウッド監督作っていう時点で、作品については何も言いたいことなんてない。
でも僕にとってはリチャードジュエルのあのウザさは「無罪」にはならない。サムロックウェルはどっちかと言えば目上の立場だから、リチャードジュエルを可愛く思えたかもしれない。でもああいうやつの下の立場の視点で観たら、あいつのウザさは「無罪」にならない。
「英雄=爆弾犯、の犯人像と一致する」「母親と暮らす醜いブタだしね」
酷いよね、まるで真犯人を見つけたような騒ぎ。昨日まで英雄として祭り上げておきながら。
憶測に走り、偽装してまでもハメようとするFBI。
スクープに焦り、シロと知っても騒ぎ続ける地元メディア。
この映画が真実なら、国(FBI)もメディアも相当に腐ってる。結局、それはどこの国も同じって事だね。
最後に、勝った!というが、あれが勝利か? 元々やってもいなかったことで無罪を勝ち取ったことが勝利なのか?
元に戻ったわけでもないのに。国からの慰謝料、損害賠償を勝ち得て、地元紙の謝罪広告と女性記者の謝罪会見が行われて初めて「勝った!」と高らかに言えるんじゃないのか?
クリント・イーストウッド監督の作る映画は、前作の「運び屋」もそうだがどこか腑に落ちない。
愚かなのはどっちだ
彼の言動は常識的ではないかもしれない。彼は落ち着きがないところがある一方で、集中すると周りが見えなくなり、迷惑をかけている事にも気付かない。
でも、正義感と善意の塊のようなこの愚かな男を、少しばかり挙動不審だからといって、犯人と思い込むのは愚かではないのか。
FBIもマスコミも、悪意に満ちている訳ではない、それがとても怖いです。
いや、意識していないだけで、やはり偏見という悪意なのだと思います。これは自分にも思い当たるのが痛いところです。
目立ちたがり、ヒーロー大好き、「さっさと片付けて一杯やろうぜ」的なところ――アメリカ人の悪い所(?失礼、日本人にもありますね)を描きつつも、大袈裟過ぎないクールな演出で、とても見やすかったです。
実際の事件の詳細は知らないが、この映画を観て主人公のキャラ、敏腕弁...
実際の事件の詳細は知らないが、この映画を観て主人公のキャラ、敏腕弁護士、不正な情報リーク、時代(モラル、マスコミ)、事件の全てが偶然にも運命的に重なって実話とは思えない、ドラマチックなストーリー。不運な怖い話。人を主観的に評価してはいけない。情報の中から自分自身で客観的に評価し判断する能力が必要。
情報をリークしたFBI捜査官と女記者に憤りを感じる。結局なんのおとがめなしなのも現実?なんか切ない
真犯人がいるということ
なんか他のイーストウッド監督作と比べると映画っぽく作られてて見やすく感じたけど、逆に前の映画って感じの雰囲気がむしろ当時に作られた映画っぽくて憎い。私が観て育った映画っぽくて妙な懐かしさがあった。80年代の雰囲気が映画自体の作りにもあるあたりがさすがというところ。
話の内容としては冤罪系の話でわかりにくいところもなく、スッと入ってくる。
個人的には真犯人がいるにもかかわらずそのままになっていることへの危惧を感じた。犯人と思われる人物が捕まれば「安心」であり、ひとまずの「心配」が終わることの方が大事なのは小さな事件でもわりと同じで、本当の犯人が捕まることよりも目の前の安心が欲しいと思ってしまうことの危険性について、映画が終わった後ぼんやり考えてしまった。
群衆心理とメンツ
こうして客観的にみれば。穴だらけで証拠もないのに1人の容疑者は創られていく。
メディアも飛び付く見出しが欲しいだけ。FBI は面子をかけて後には引けなくなっていく。
大衆は踊らされ、後は嵐のように去るだけ。
残された容疑者は人生をも奪われる。
イーストウッド、どこまで頑張れるか、目の付け所がいい、人々が忘れ掛ける事件にスポットを当て、風化させずとしているようだ。忘れてはいけない、と。
サム、ロックウェルが又違う顔をみせてくれて、キャシーベイツと来たら見ないわけにはいかない。
主人公が…こんな展開!?
史実を元にしているが知らなずに映画鑑賞。最初の主人公に対する印象は良くはないが、そこから良い感じのストーリーの波が襲ってくる。
犯人にされる展開もありきたりのものでなく、関わる人々の心情もうまく描かれていた。
主人公の内面が絶妙に爆発するシーンは共感できる。最後の反撃も心にきた。
あっという間の時間。
何かものすごい、大物語でないのに。
あっという間の時間でした。
権力って怖い。
知人が冤罪で、留置所に入ったことがあり、とても怖いと思う。
イーストウッドの映画、良いよね。いつも。
泣いた。
今日はジョジョ
二本続けて観て。良い一日だつたな。
苦しい映画その②
これの直前に観た『ジョジョ・ラビット』同様にとにかく苦しさに押し潰されそうになるし、「正義」ってこの世に存在するの?、と不安にさせられる映画。
リチャードが「正義」を貫こうとバカ正直にアレコレ伝えるのが裏目に出たりするのは本当に哀しくなる。
自由の国アメリカですらほんの30年前にこんなことが起きるんだから、政治的に抑圧されている環境のお国では一体どぉなってしまうのか…考えるだけで恐ろしい(´;ω;`)
とにかくこれもサム・ロックウェル様がとてもイケメソでした🎶
そんなに写真撮って何が面白い?
メディアリテラシーという言葉がある。
簡単にいえば「情報に惑わされるな!」という意味だ。
近くで事故や事件が起こったら通報より先に写真を撮る時代。
そんな時代にイーストウッドが警笛を鳴らした。
この作品は実話とは思えない程濃厚だ。
しかし娯楽として観ていけない。
社会派として観ないと意味がない。
作品について語るつもりはない。
完璧だから、「臆することなく全ての人に観て欲しい。というか観ろ!」としかいうことがない。
でも1つだけいいたい事が
母の会見のシーンは泣けた。まさに名演!
イーストウッドの作品は年々良くなっている。
もう、かなりの年だがもっと名作を作って欲しい。(無理はしないで)
これからも社会の欠陥を抉り取って欲しい。
ポール・ウォルター・ハウザーの演技最高!
いかにも…してそうな奴を演じさせたら右に出る者はいない。
ブラックグランズマン、トーニャなどなど、
「本当に、こういう人でしょ?この人?」って思ってしまうぐらい。
今回も疑われそうな人物である事は分かるし、疑われだしてからも危うい。(笑)
でも、彼は自分の職への忠誠心、警察やFBIへの憧れ、根底にある「人を守りたい気持ち」が、クライマックスに近づくに連れて、見てるこちらをヒリヒリと痛みつける。
最後は泣きそうでしたよ…。
最高です。
クリント・イーストウッド色
ゆっくりとしたペースでじわじわとラストに向かい、派手さはないけれどいくつかの名言がもりこまれ、思わず涙して拍手をおくりたくなる場面が何ヵ所かありました。こういうところがクリント・イーストウッド的作品って感じがします。
あくまでもメインの二人に焦点をあて、ぶれないところがとても良かったです。
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