リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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全てが詰まった完璧な映画!
主人公リチャード・ジュエルのヤバイ感じが絶妙。
仕事熱心なのはわかるけど、やや行き過ぎの感が否めない。
悪い人じゃないかもしれないけど、思い込みが激しく、人との距離感が上手く取れていないような…
会話が微妙に噛み合っていないような部分も怖いし…
「正しい」を振りかざして人を従わせる事で、鬱憤を晴らしている風にも見える。
趣味も普通にヤバイしww
この危ういバランスが本当に素晴らしい!
プロフェッショナルな英雄が不当に糾弾される姿は『ハドソン川の奇跡』でも描かれていましたが、危うい人物のグレーゾーンを描く事で、冤罪と戦う物語だけに留まらないテーマが広がっていました。
家族の愛、信頼、友情などの人間の普遍的なテーマはもちろん、社会的なテーマも鋭く、さすがはクリント・イーストウッド監督!
FBIとメディアに噛み付く90才!!
過去の出来事を描きながら、現代社会に物申す!
多様性の受け入れが問われる世の中ですが、そもそも一人の人間の中にもいくつもの顔がある事に気づかされ、
わかりやすいレッテルを貼るメディアの罪深さ、
わかりやすさに飛びつく大衆(←私を含めて)の罪深さも浮き彫りになっていました。
今やメディアは個人の「つぶやき」がニュースとして成り立つレベルだし
裏も取らずに視聴率や部数欲しさにネタに飛びつくなんて、「いいね」欲しさに噂レベルや憶測のゴシップを垂れ流している個人と何ら変わらない。
不確かな報道によって、傷つく人や人生を狂わされる人が生まれる事への責任の無さ。
情報を受け取る我々も、ネットニュースやワイドショーを鵜呑みにしているようでは同罪で、報道とエンタメの線引きをきちんと持たなければいけない。
さすがに「新聞」はそれらとは一線を画している「報道」だと信じていましたが、本作は新聞の先走り報道が全ての始まりでショックでした。
下世話なゴシップ要素も相まって、メディアの報道合戦が物凄いスピードで加速してゆく様は、見えないモンスターが巨大化していくようで恐ろしかった。
FBIの強引さも、報道の影響を受けていると思えるし。
「報道とは?」メディアのモラルに苦言を呈する作品でした。
でも、クリント・イーストウッド監督が本物の巨匠だと思えるのは、そこかしこに散りばめられたユーモア!!これに尽きます。
ゴリゴリ問題提起を押し付けるのではなく、サラリとしなやかに描いているところが、本当にすごい。
クリント・イーストウッド監督の豊かな人間性と、人を見つめる深い眼差しを感じました。
監督の手にかかると、主人公のグレーゾーンも、人間味あふれる感情に思えます。
怒りを表に出さないのは、何も感じていない訳ではなく、人々の言葉に傷つき、不当な扱いに対しては怒りを抱えている。
ヤバイ趣味も、その怒りやストレスの捌け口だろうし、そう考えると社会の闇を表した人物とも言えます。
でも、自分を卑下することなく、自分は自分だと言える自信や強さは、良くも悪くも母親の愛を受けているからでしょうね。
もちろん、母親役のキャシー・ベイツには泣かされましたとも!!(T-T)
スピーチのシーンだけでも見る価値あり!
いくつになっても母親は、息子を守りたいと願っているものなんだなぁ。
クリント・イーストウッド監督の映画は、立ち姿や佇まいで物語るシーンが印象的で、役者に芝居をさせないイメージでしたが、珍しくガッツリ芝居させているのも驚きでした。
『ジョジョ・ラビット』に続き、サム・ロックウェルのやさぐれ弁護士が良い!!
リチャードとは別のグレーゾーンを感じる役どころで、組織に馴染めない感じがリチャードとの距離を縮めたのかもしれません。
二人の関係の変化も見どころ。
無駄が一切ない完璧な映画でした。
個人が自分の信念や信条を貫くのは難しい。単純な実動的難しさも然る事...
個人が自分の信念や信条を貫くのは難しい。単純な実動的難しさも然る事ながら、それがいわゆる”普通”と違うとなるとさらに困難さは増す。周りの目=一般論に晒されることに、人は耐えられない。SNSが普及し誰もが匿名という盾をかざして他人のあらゆる物事にケチをつけることが許された現代、真っ直ぐな内面の決意は偏見のフィルターを通って歪められ曲げられやすくなっている。実際に起こった事件やその当事者が追及されない一方で、不確定な印象操作によって実像が歪められる事象や人物。メディアが世界中を覆ったこの時代においては、全てがイメージによって(それらが間違っているか否かに関わらず)定義されてしまう。そのイメージを正しく世に伝えるのが、他でもない報道、ジャーナリズムのはずだ。
ここ数年、報道について描かれる作品が多く見られるようになった。特に昨年の『ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書』と、今年の『新聞記者』については、作品の着地する温度こそ違えども、報道の在り方、そして報道には終わりがなく常に始まりしかないことを改めて観客に思い出させる意義深く素晴らしい作品だった。ニュースの源流の信頼性なくして、それを鵜呑みにする事など出来ない。情報源の確認・立証が描かれるのも同2作の偉いところだった。ではもし、情報源が不確かな個人的主観によるもので、それに基づく記事が信頼されるべき新聞という媒体から発信されたらどうなるか。それがさらにテレビに波及し、罪もない人間を巻き込んで行ったらどうなるだろうか。その実例を今作『リチャード・ジュエル』は改めて提示し、今の観客に問いかける。我々はあの事件から、また類似する様々な事件から、何かを学んだのかと。
今作は、主人公・リチャード(ポール・ウォルター・ハウザー)が消費者庁の事務用品係として勤務しているところから始まる。ここで彼は、後に彼を助ける弁護士のワトソンと出会い、強くはなくとも確実なつながりを持つことになる。因みに、お菓子研究家の福田里香さんの「フード理論」的な面で言ってもここの場面は周到に演出がされている。リチャードがワトソンにあるものを渡すのだが…そこにも注目してほしい。やがてその職務を離れ、リチャードは大学での警備職に就くこととなり、紆余曲折あって最終的には1996年のアトランタオリンピック会場のすぐ近く、センテニアル公園の警備員として働き始める。リチャードの事件に至るまでの顛末、またその他の登場人物が事件の前にどこにいたかを描くここまでの流れが、まず非常に巧妙で上手い。特にリチャードの遍歴の見せ方だが、ここを失敗すると後半で(世間に向けて)明かされる事実に対しての観客の反応が変わってくる。リチャードが自分の憧れである“法執行官”として、無自覚にどれだけの行為をしたのか、またそれに対して周りがどんな対応をしたかを、ほぼありのまま見せていく。正直かなり危ういバランスだ。一歩間違えれば、今作の事件では無実でも、違う場所違う時間では何かやらかしかねない人物に見えてしまう。だがここが流石イーストウッドといったところ。実際に事件が起こってみるまで敢えてそうしたグレーな描き方でリチャードを見せることにより、観客も彼に対する疑いや偏見を持ちやすい構造を作っているのだ。それによって、まずはジョン・ハムとオリビア・ワイルドらの、犯人を特定したい=標的を定めたい連中と視点を同化させ、ある決定的タイミング(ここの、“足しか見せない”という演出も見事)でリチャードの関与を否定した瞬間に、彼の善意からくる行動を示して観客の信用を勝ち取る。ただ単純に、リチャード・ジュエルという人物を100%善人として仕立て上げず、実際に本人が持っていたグレーさ・非常識的な側面も描きながら、しかし確実に感情移入できる善き人としてのお膳立てを整える。事実を脚色するうえで、これ以上の演出はないだろう。見事である。是非、疑いと善意の織り交ざった上手さを見て確かめてほしい。
そして、センテニアル公園での悲劇が起きる。不吉な劇伴の背後にステージの音楽が流れ、リチャードやその他警備員たち以外事の重大さが理解されていない不安と、いつ爆発するかもしれない緊張感が充満する。爆発の瞬間もショッキングで、事前に犯人が「爆発まで30分」と警察に電話しているものの、具体的な時間が示されない為に観客は身構えようがない。他の大作と比べて、爆発描写が特別派手というわけではないが、かなり意表を突いてくる。また爆発の被害表現もバランスが取られ、人々の怪我は流血のみなものの、爆弾から飛散した無数の釘がモニュメントに突き刺さるカットを挿入することで、画面上には映らない痛みを観客側に共有させている(『シン・ゴジラ』の冒頭、濁流の向こうに…の場面と似た間接描写が直接痛みを与える考えられた編集だ)。実際死者が2名出ている事件の悲惨さを臨場感をもって描いた、今作の大見せ場だ。この場面以降、今作には派手な見せ場はないが、重要なのはここからである。
事件から一夜明け、FBIの捜査が開始されるなか、会場の主催会社AT&Tの役員がリチャードをメディアに出演させたことから流れが変わっていく。法執行官としての行動が、遂に世間に認められ喜ぶものの、善意による過去の摘発が彼を追い詰め始める。あくまでも一個人が見た意見・懸念を、プロファイルという定型に押し込めて考えようとするFBI(情報源)と、人々にそれを”事実”として流布する発信者(新聞/テレビ)、そして当事者(リチャード)。この一方的な情報と攻撃の流れの中で、抵抗する術のない一般人がどのような被害を受けるのか。あらゆるところで語られるようになった”ペンによる被害”の構造に、今作はもう少し踏み込んで挑んで見せた。具体的には、加害者側の視点が入ってくるのだ。
現在を舞台にしてメディアの被害を描く場合、そこには匿名性=書き手の不明さというものが上手く利用される。戦う相手の不確かさが全方位からの攻撃を想起させ、登場人物を追い込んでいくわけで、今作にもその点は描かれている。ただ同時に、1996年という時代設定上、今作にはSNSが存在しない。少なくとも、戦う相手、自分を叩く相手が見えている。遠くからスマホで不特定多数が撮るのではなく、ある特定の多数がテレビカメラで追いすがってくる依然残る悪癖と同時に、匿名性の確立していない時代を活かした描写として発信者の優越の様を見せているのだ。そこでその軽薄な発信者を演じるオリビア・ワイルドが素晴らしい仕事をしてみせる。一報道記者とは思えない女性的な粗野さ(同じオフィスの女性記者と明らかな対比が見られる)、大惨事を目の前にして発せられる耳を疑う言動、そして手柄を立てた時の反応。特に最後は、今作の白眉の1つかつ最強の胸糞描写であり、ワイルドのキャリア史上でもトップクラスの怪演だ。是非劇場で見て頂きたいが、注目して欲しいのはこの場面の場所と賞賛を送る人が誰なのかだ。彼女にとっての世界の狭さ、少なくともリチャードという一般人には害でしかない報道に歓喜し継続を望む周囲。Twitterやその他SNSでの過激な投稿が注目を集め、そこに外野が油を注ぐ現状と、一体何が違うのか。もう20年以上も前の出来事であるにも関わらず、そこで描かれる記者の姿は、今の自分たちが省みるべき何かを提示して見せている。
ただ今作はそうした記者にも気付きの瞬間を与えている。これが、ワトソンがリチャードの無罪を確信する描写(つまり観客も確信する瞬間だ。事前にその”場所”を映しているのも周到なところ)と同じ、ある決定的な事実を知るという展開になっている。自分の報道がFBIの完全な固定観念による根拠のない推論だったことを知った彼女に、一体何が出来るのか。何も出来ないのだ。手柄しか見ない狭い視野が導いた、罪のない人間への冷たい視線。そのある意味最大の被害者を前にして、元凶たる彼女が出来るのはただその姿を見て涙を流すことのみ。人によっては、ワイルドの演じるキャラクターに同情の余地を与える描写として違和感が残るかもしれないが、実際彼女はその場面以降姿を消す。結局のところ、最初に間違いを犯した人間に、改心こそすれそれを訂正する機会は与えられないのだという、非常に現実的で突き放すような退場になっている(彼女のラストシーンの立ち位置にも注目して欲しい)。針に糸を通す、やはり見事な結末のように見えるはずだ。
また、こうしたメディア(現代のSNS)に対する批評性と並行して、最後には追い越す要素が、FBI=連邦政府の行き過ぎた職務遂行だ。爆発現場にいながらも食い止められなかったことへの鬱屈を抱えた捜査官を、ジョン・ハムが見事に演じているが、彼と彼の仲間によるリチャードに対する尋問場面はどれも素晴らしく不穏な圧力を持ち、法的手続きというものが彼らにとってどのようなものかを端的に見せつける。計3度ある”全面対決(特に最初と2度目はかなり酷い、つまり面白い)”は法廷劇の緊張感を孕み、同時にそこでリチャードの信条や経験が危機の回避にも罠への陥落にも繋がるあたりが、彼自身を揺さぶっていく重要な描写として機能している。FBIを単純に悪役にしているきらいもあるが、これが導く快感はひとしおである。
人には疎まれる信念、法執行官としての誇り、それら全てをねじ曲げ自分を型に押し込めようとする相手に、最後リチャードは圧倒的正論を叩きつける。『ハドソン川の奇跡』の終盤同様、しかし確実にミニマムになった舞台において同等かそれ以上のカタルシスを与えてくれる場面だ。充分なほどスッキリする場面なのだが、重要なのはその顛末を他の一般人=情報の受け手が知る場面がないことだ(実は今作、マスコミの追及が描かれる一方で、リチャードのことを見る冷たい一般の視線が描かれる場面は驚くほど少ない)。最終的な判断を下した裁判所の決定も、大々的な発表でなく手渡しで済まされ、その後の世間の反応は描かれない。個人にとって重要なプロセスでも、世間はそこに既に関心がないことのさりげない表現だろう。リチャードが戦った信念についての闘争は、また彼のような冤罪を防ぎ、劇中の台詞にもあるように善意の行動の抑制を回避するためのものだったはず。しかし我々は、その戦いがあったことも忘れてしまう。その寄るべなさが、勝利であるはずのラストに悲しい余韻を与えている。
ラストシーンの細やかな幸福と不穏さが同居する幕切れは、多くの人に『アメリカンスナイパー』を想起させるはずだ。硬派な社会的メッセージのこもった作品として、同作の血は確実に今作にも流れている。信念をもって行動した真の法執行官。抑圧と型への押し込みと戦った善意の人。どこにでもいる、“行動する”という当たり前で一番難しいことができる人間が、人知れず消えていくという事実は重くのしかかってくる。
ただ付け加えておくと、決して硬すぎる映画では無い。驚くほど多くのユーモアや不謹慎だが思わず笑ってしまう描写がたくさん盛り込まれているので、退屈せず楽しめるだろう。それらが、リチャードの個人性から来る疑いと表裏一体になっているのも抜け目がない。ここは『運び屋』の温度差コメディの側面が活かされている部分で、重要なツッコミポジションかつドラマ的推進力になり得る相方としてのサム・ロックウェルが素晴らしい演技を見せる。特に、事後やギリギリでの報告に対する反応が抜群に面白い。
『アメリカスナイパー』の社会的メッセージ性、『ハドソン川の奇跡』のカタルシス、『15時17分、パリ行き』の臨場感、『運び屋』のユーモア。ここ4作のDNAが組み合わさった、イーストウッドの実話映画化の集大成。これを年明け一発目に見れるとは、幸先がいい。心からオススメである。
イーストウッドの匠の技を再確認。
まず今年90になるというイーストウッド御大がほぼ毎年新作映画を作っていること自体が凄すぎるんですけど。映画1本作るって想像を絶するほど気力も体力も消耗する大変なコトでしょうに。
そして80を過ぎてからの作品の方がむしろ私好み。
この作品も派手な演出は無くむしろ抑え目で、だけどしっかりとこちらに届いてくる作品のテーマ。どちらかの側に加担する風でも無いけど観客に冤罪の恐ろしさを問いかけ、現代では決して他人事では無いことを気づかせてくれる。だが決して小難しい映画では全くなく。
持ち上げたり落としたり、ヒーローにも犯罪者にも仕立てあげられるのは今やマスコミだけでは、ない。
もっとおデブさんに優しい世の中であれ。
クリントイーストウッド監督、あなたはどこまで凄い方なんですか⁉︎
90歳とは思えないそのバイタリティに拍手
(=´∀`)人(´∀`=)
これが実話だっていうんだから、本当に怖い世の中。
これを観たら人間不信になりそう。
この映画の主人公は、タイトルにもあるようにリチャード。
正義感が強く、洞察力の鋭い警備員でした。
ある日、公園の警備を任された彼は、ベンチの下に謎のリュックを発見!
警察に通報したところ、それは爆弾だった事が判明するのですから恐ろしい…。
正義感の強いリチャードば、公園の人々に懸命に誘導しますが、人々はなかなか思うように動いてくれない…。
そんなヤキモキした気持ちのところで、爆弾は爆発してしまいます
((((;゚Д゚)))))))
でも、彼の誘導のおかげでなんとか大惨事になる事はなく、2名の死者という奇跡的な結果となりました。
世間は彼を英雄と呼び、一躍スターとなったリチャード!
これまでの自分の正義が報われた瞬間でした。
お母さんも彼のことを心から祝福しますが、その3日後事件の動きは一変。
突如リチャードは爆弾を置いた犯人へと疑われてしまうのです。
人を助ける為に必死になって行動した事が、仇となり次々にFBI捜査官から監視される日々…。
どうして彼がそんなに疑われるのか?
その理由は様々。
警察内部の情報の豊富さ。
犯罪への緻密な推理力。
太っている事。
大量の拳銃所持。
未納税者。
などなど、疑われてもおかしくない要素が満載…。
警察は彼をどうにか逮捕したいところですが、なにせ彼には証拠がない。
それなのにFBIは彼を犯人に仕立てようと必死に誘導尋問を続けて、彼を追い込んでいきます。
昨日までヒーローだった彼が、一夜にして犯罪者呼ばわりという。
今だったら、こんな不当な判断が許されるわけないのでしょうが、この時代は何事も許されてしまう悲しい時代。
マスコミのえげつなさと、司法の強引さ、警察の圧力。
その全てが彼を、そして彼のお母さんをも苦しめていきます。
そんなどうしようもないところを救ってくれたのが、相棒のワトソン弁護士!
出会いはスニッカーズ話(笑)
あのちょっとした会話から生まれた、リチャードとワトソンの出会いが、まさかこんなにも深い絆で繋がっていくとは、多分本人たちが一番驚いていると思います(笑)
繋がりって、いつ何時起こるか分からないから運命を感じちゃう!
この弁護士に出会わなければ、きっと彼は犯人呼ばわりされて、不当逮捕のまま罪を償い続けた事でしょう。
この映画から学んだ事。
それは、人は情報によって簡単に操作されてしまうということ。
いろんな情報が溢れている現代では尚のこと。
SNSのデマがとんでもない冤罪を生んでいる悲しい世の中。
これ以上彼のように、事件の巻き込まれないで欲しいものです。
人を見た目で判断する時代はもう終わり。
これからは、見た目だけでなく相手の心を見据える時代へと変化して欲しい。
そして、もっとおデブさんに優しい世の中になって欲しい
╰(*´︶`*)╯♡
緊迫感満載の素晴らしい作品
(*´∇`*)
素敵な映画をありがとうございました。
この作品は実話なので、内容が良いとか悪いとかの問題ではなく、約2時...
この作品は実話なので、内容が良いとか悪いとかの問題ではなく、約2時間という枠の中で、事実関係が非常にわかりやすく描かれている点で、とても良くできているなあと思いました。
この作品は、アトランタオリンピック最中のテロ事件に関して描いているし、問題としては非常に大きい。
ただ、こういう問題は、多かれ少なかれ大小を問わなければ、現在に置いても私達の周りで、何かしらの形で頻繁に行われている事柄ではあるんだろうなあ?と思いました。
一般的に、世間の人達は、マスコミや報道に影響されやすい場合が多いとは思うけれど、それもあまり良くないことだなあと思いました。
私的には、とにかく、何かに流されるというのは、何事に置いても基本的には良くないことだと思っています。
-追伸-
このリチャード・ジュエルという方は、人柄によって陥れられたけれど、最後は、その人柄によって救われた人だなあと思いました。
真実が認められて、本当に良かったです。
タイトルなし
1996年に起きたアトランタ爆破事件
人々を救った英雄から一転“世界の敵”に
ポール・ウォルター・ハウザーが演じる
爆弾犯にされてしまった警備員
"リチャード・ジュエル"
FBIの無根拠かつ強引な捜査
さらに追い込むメディアによる報道
無実なのに犯人であるかのような報道
虚偽が広く共有され事実へと化していく
これ…🤔
今の世の中
もしかしたら誰にでも起こりうることかも
.
SNSやメディアの印象操作された情報
事件の起こった96年当時よりずっと速く
大きく広く拡散される
情報入手には便利すぎる今だからこそ
受け取る側の資質…人間性が問われる
(見極める力が自分にあるのか…フアン😰)
.
弁護士役はサム・ロックウェル👏👏👏
同日公開される"Jojo Rabbit"にも出演
母親役はキャシー・ベイツ👏👏👏
クリント・イーストウッド監督
素晴らしい映画をまた観られました
負の側面が描かれている
観ておくべき映画!!!!!!
他人ごとではない
冤罪事件を“ヒーロー像”的なものをも削ぎ落し描いたイーストウッド監督の野心作。
同じ冤罪を描いた『トゥルー・クライム 』というより、『ハドソン川の奇跡』で描いたテーマを深堀している印象(そういえば、あの作品の原題“Sully”は主人公のニックネームだった)。権力を行使する者、メディアの真実ではなく"根拠のない疑惑”への関心。権力は生活を奪い、メディアの関心は大衆の興味を煽ることにより、無実の容疑者を追い詰めていく。こうした構図は日本も経験していて「松本サリン事件」(1994年)などは、その最たるものであり、他人事として観てはいけないと戒められる。
面白い映画だが、個人的にイーストウッド監督には事実を描いた作品より、創作を観たい。事実を映画にするにしても、ベッタリ(?)と脚色した作品を。事実が創作を越えてきたのか、よっぽど監督がこうしたテーマに興味があるのか。
人間の本質
96年に起こった実話を基に描かれた映画。
あれから20年以上も経っているのに、人間の本質は変わっていない。
今でも、ネット上の少ない根拠だけで、正義感が沸きあがって他人を吊るし上げしてしまう人は数知れず。一度声をあげてしまうとなかなか引き返せず、自分が思い描いた結果に無理やり押し込めようとして矛盾が発生してしまう。
人間って、実はちょっと残酷で恐ろしい存在なのかなあと思ってしまうのだ。
しかしクリントイーストウッド御大は90近くなってもなお現役。これからもずっと映画を創り続けて欲しい!
クリントイースドウッド、まだまだすごい。 このタイミングで本作をつ...
クリントイースドウッド、まだまだすごい。
このタイミングで本作をつくって公開した監督の想いを勝手に考えてみてる。前作運び屋は「自分の人生も重ねつつ発信する」感じだったけど、本作を通して何を言いたかったか。鑑賞者に何を思わせたかったのか(どんなメッセージを受け取るのか正解か)。数日この考えさせられる余韻を楽しみたい。
それぞれのキャラが立っていて役柄もぴったりでつなぎもスムーズで、ドキュメンタリー感がですぎるかと思ったけど、適度にコメディ感も織り交ぜてくるので、「これは映画だった」と引き戻してくれる作りだった。
管轄がどうとかいう警察たちやFBI。人権を無視した取調べ。わくわくさせる事件が起きることを期待するマスコミ。そんな世間への風刺もたっぷりだった。
いいひとが時に損をする(本主人公や家族はそんなレベルじゃないけど)、ほんとかどうかわからないのに拡散する、ちょっと異常なくらい。マスコミだけじゃなくて今は誰でもそれができる時代。1か月で人間は簡単に追い詰められるしおかしくなる。
救われる結末になるとも限らない。どんなときも信じてくれる人が必ずいるとも限らない。本作みて逆に地獄に思う人もいるなーと(←決して本作への批判ではない!)
性を武器にしてるようにみえる描写、同性愛への表現は今後もう少し配慮があるつくりになっていけばいいなと(でも本監督についてはらしさがなくなっちゃうけど
メディア報道の在り方を問う
試写会で拝見しました。
1996年のアトランタオリンピックで爆発物を発見し、多くの人命を救った英雄が、FBIやメディアに容疑者と見なされ、全国民から叩かれた。
そんな実在の警備員リチャード・ジュエルを巡る、「FBI捜査の冤罪の仕立て方」と、「メディア報道の在り方」をテーマにした作品。
実に上手い映画だった。
観ている最中、ずっと「松本サリン事件」を思い出していた。
・捜査側の用意した絵図面に沿うように容疑者をはめる手口
・マスコミへのリーク
・メディアの根拠なき過剰報道、中傷
・無罪確定しても、謝罪もせず「遺憾の意」程度でなんら責任を取らない国やマスコミ (一般大衆含む)
いろいろ日本にも重なる部分があり、強く引き込まれて、感情を引っ掻かれたのであった。
特に、自分が特ダネをとって賞賛され、記事が売れることしか考えていない女性新聞記者に、心の中でずっと中指を立てて怒っておりました。
記者のやり口が、実際と同じかは判断がつかないが、そこまで没入させてくれた映画の作り方に感心。
公開したら、また観に行きたいくらいです。
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