リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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期待以上の仕上がりはさすがにクリントイーストウッド
事実への道程
警備員として人命を守る!自分の仕事を全うしただけの彼が・・何故?
かたや、スクープの為なら平気で誰かを傷付け貶める新聞記者・・
確実な証拠も無いのに無実の市民を権力で犯人にしたてるFBI
こんな不誠実や歪んだ正義の世界に我々は居る・・
SNSでの誹謗中傷が溢れる昨今・・誰もがリチャード・ジョエルになりかねない
こんな時代だからこそ伝えたいイーストウッド監督の想いを一人でも多くの方に観ていただいて知って考えていただければと・・
私も含め、この作品のみならず映画から学べる事はまだまだ有る事でしょう!
映画って本当に偉大な教科書ですね
息子の無実を信じる母キャシー・ベイツ
最近は「アメリカン・ホラーストーリー」シリーズでの怪演の印象が強かったのですが
流石の存在感と名演技に心、震えました
オスカーの期待も膨らみます
・・渦中の際、リチャード御本人が日本のニュース番組に出演され
日本滞在をとても楽しまれたと聞きました・・
本作の公開に合わせて再来日していただく事が叶わなかった事がとても残念です・・
全くの凡作 ガッカリ
アトランタ五輪の陰でこのような事件が起きていたことは知らなかった。
この機会にそれを知っただけでもこの映画を見た価値はあったかな。
しかし、それしか無くて、むしろ虚しさの方が強く残った。とても残念。
冤罪(実際には冤罪未満で、メディアの誤報流布による被害)がテーマだが、
被疑者に対する周囲からのバッシング、それに対する苦悩、それは実際には想像以上に強烈だったと思う。
また逮捕・起訴を免れることが出来たのは心強い弁護士の存在、強力な支援があったからこそ。
そういうことが全く深掘りされていないのでとてもさびしい。
被疑者の母親(ボビ)の涙の記者会見場面が唯一のクライマックスでは情けない。
淡々と史実を描いているからそれで良い、という見方も出来なくはないけど。
乾いた視線の先
さすがのイーストウッド監督
人は見かけが大事?
今この時代だからこその題材
自身の監督作について、もはや題材選びに関して右に出るものは居ない御大。
今回もこの時代だからこそ、この題材を選んだのだと思う。
そしていつもの如く淡々と静かに主人公たちの行く末を見守るように進むカメラワークと編集がいつも通り素晴らしく、畏敬の念すら感じてしまう。
インターネットで誰もが自由に発言出来、誰もが主役になれる今の社会において、この実話は原点であり教訓であろう。
知らない人をちょっとした正しいかどうかも分からない情報や自分だけの尺度で考えた推測で、ネット上で軽はずみな発言をする事がどうなるのか。それを考えさせてしまう、御大からのメッセージかもしれない。
大いなる力とそれに伴う責任をしっかりと考える必要があるんじゃなかろうか。
映画の中身は他の方がレビューしてるだろうから今更だが、主人公が全ていいやつでもなく、時に言うことを聞かないちょっと鬱陶しいやつにしてる所がニクい。
素材に目新しさはないがなぜか時事的にもなってしまう普遍的なイーストウッドの魔力
最近イーストウッドの映画への食わず嫌いがすっかり治ったどころか彼の映画のファンになってしまった。
やはり彼の映画らしく本作も一筋縄ではいかない映画だ。権威への不審がテーマではあり、映画の描き方や素材の選び方は目新しいものではないが、正義とはなにか、法律的正しさとは何か、刑事裁判・捜査の構造的欠陥、メディアの罪、民主政治基盤の危うさなどなど、映画一本で多くの考察の機会を与えてくれる。
警察や軍など国家的権力に憧れを持ち、権威の正義を信じ、
アメリカ的価値観を疑わず銃を所有し週末は狩りを行い、
正義的行為は常に称賛されることを信じて疑わず、
母親を愛し、
仕事は上司の言うことを聞き真面目に行う愛国者、
ドーナツやクッキー、ジャンクフードも大好き、
私のような外国人から見ると想像でしかないので、外国人が作る日本映画のように間違えた見方なのかもしれないが、
所得的には低層のアメリカ人白人労働者の典型例と思われるのがリチャードジュエルである。
誤解がないように言っておくが、彼の政治的意見は劇中では触れられないし彼の政治的立場がどうという話では決してないのであるが、私の意見としてはおそらくは彼のようなクラスターがトランプ支持者の厚い層を形作っているのだと思う。権威主義であるために煽動されやすい民衆が政治を決めていることへの危うさも思い起こさせる。
時代背景は全く違えど「15時17分、パリ行き」と対になっている映画であることは間違いない。
「15時〜」では軍に所属する若者たちがテロリストを捕まえ称賛された。
若者たちは権威側の人間であり称賛される土壌が整われていた。
リチャードジュエルは権威側の人間ではなかった。
彼の大学警備員時代などの正義感や職務的義務感から来る行動は倫理的正しさはあるが権威的背景をもたないものであり、法治・権威社会では正しいとはされず、権威側からすればむしろ厄介でさえあった。大学学長の意見、つまり高等教育の象徴の意見たった一つがきっかけでFBIが動き始め、犯人に仕立て上げられていく様は恐怖である。
そして真実などは問題ではなく、メディアが権威に操られ民衆を煽動する。
典型的な白人アメリカ人であるが故に、容易に容疑者に仕立てられる。これは統計的に考えれば当たり前の罠なのであるが、つまり容疑者とは平均的な人間であるということだ。
容疑者なんてものはそもそも恣意的な解釈である。
しかも警察はどうすれば有罪になることを知っているから、有罪になるようにストーリーを形成することへプロフェッショナリズムを発揮する。メディアも陪審への影響を発揮することを躊躇わない。
時事的な内容で恐縮だが、カルロスゴーン事件をやはり思い出さずにはいられない。
彼の違法性はまだ誰にもわからないが、少なくとも彼への捜査の端緒も、起訴でさえも恣意的な背景が疑われる。
だが少なくともアメリカでは組織間の独立が保たれ、国家権力が市民に負かされ不正義を突きつけられる自由があり、メディアへの批判も臆せず行われ、映画にも描かれることができる社会である。しかも、驚くべきことにリチャードジュエル彼自身が警察になれる国である。
日本ではおそらく社会的には抹殺されているだろうし、少なくとも警察に就職などは絶対にできないし、メディアも間違いを認めない。
日本では映画やドラマでは警察や検察、メディアでさえも常に偉く権威的で正しく間違いを犯さない存在として描かれる。メディアは権威の失敗を追求せず、映画やその他芸術の世界でさえも権威への批判は自粛される国である。権威の腐敗や社会の無責任は普遍的であるだろうが、個人的自由の追究の価値観や、権威への批判、正義への欲望のない日本という国への失望と危機感を感じる。
リチャードジュエルは言う、正義が正義として認められないのであれば皆が、「第二のリチャードジュエルはごめんだ」と思い1人で逃げるような社会になってしまうと。この世界やこの国はそう方向づいているようでならない。
典型的な善良なアメリカ市民は罠にハマってしまう。
かつてイーストウッドは言った。
軟弱な時代だ。
トランプが大統領になる間際だったし、グラントリノを撮ろうとした時だったような気がする。
正義感の意味が万国共通だった頃の話だ。
横並びの社会は日本独自のものではないらしい。
正義は何者にも公平で平等であるはずなのに多数決で決まってしまう世の中になってしまった。
それに加えて野心と性欲が入り混じりホントの事はどうでも良くなる。
マスコミは利用されるだけ利用され為政者の権威だけが生き残る。スクープ記者の哀れな姿が今のマスコミを象徴している。
マスコミの信頼性が失墜して喜ぶのは誰なのか?
誰が得しているのか、少し考えれば答えは明白だろう⁈
マスコミ人はこの映画を観て考えた方がいい。
目の当たりにした事実は真実なのかを…
イーストウッドはしたたかな映画監督なのだ。
イーストウッド監督ありがとう。もっと長生きしてください。
何だろう、今日はいつもの涙と違う気がする。ヒーローが艱難辛苦を耐えに耐えて怒りの反撃を開始した時のような高揚感とは全く別種な気持ちであることには間違いない。
ジョージア州都アトランタでは、ミリタリーオタクで太った白人青年は珍しい部類ではなく、キャップをかぶれば風景に埋没すると思うし、ジュエルのお母さんにいたっては、最も多いタイプだと思う。ワトソン弁護士もどこにでもいそう。そのごく普通の3人が魂の声を上げるから、自分もその声に心が揺さぶられしまうのだろう。
ほぼ犯人として報道する記者達の前で、母親が決死の思いで息子の無実を訴えたとき。ジュエルがFBIの取り調べの中で自分の尊厳を取り戻したとき。そして、ワトソンとジュエルが闘い抜いた後での邂逅。
このリチャード・ジュエルは、映画としての完成度が文句なしだよね。全く無駄のない編集。演じている俳優の自然でありながらも心のありようがまざまざと伝わってくる演技。効果的な音楽の使い方。エンディングの素晴らしい余韻。
イーストウッド監督には、一本でも多く映画を撮り続けて欲しい。いや、後5本くらいはお願いします。
ワトソン弁護士役のサム・ロックウェルには、本当に驚く。他のレビューワーの方に教えてもらうまで、バイスのブッシュJr.がサムだと気がつかなかった。バイスを見ている時もよくこんなそっくりさん見つけてきたなぐらいに思っていたし、先日みたジョジョ・ラビットでのキャプテンKでの怪演。これから、サム出演の映画は絶対見ないと。
追記
検察がマスコミを使って村木さんを犯人に仕立てあげた事件を思い出した。マスコミと検察がタッグを組んだら何でもできてしまう。芸能人の不倫なんかほっておいて、こっちの方を国民が監視しないと。
老いても枯れないクリント爺さん
依然ハイペースかつハイクオリティなクリント・イーストウッド監督作。今作は1996年のアトランタ爆破テロ事件の容疑者となった警備員リチャード・ジュエルを描く実録物。
無責任に人権を侵害するFBIやマスコミを痛烈に批判する社会派ドラマにして傑作。
まずはポール・ウォルター・ハウザー!疑われてもやむなしと思えるちょっとおかしなジュエルを見事に演じた。ホント危なっかしくて仕方なかった。
弁護士を演じたサム・ロックウェルは今一番脂が乗っている男優さんの一人ですね。一際光ってました。
そして『ミザリー』でオスカーを手にしたキャシー・ベイツが息子思いの母親を演じた。今作でも助演女優賞にノミネートされたようです。がんばれキャシー!
流石です
いろんな意味でいらつく映画
アトランタでのテロ事件の際、爆弾の第一発見者となった警備員の物語。第一発見者ゆえに最重要容疑者となっていく。
なんでリチャードが容疑者になっていくのかが理解できない。そんなに雑な推理と状況証拠で容疑者を絞り込む?リチャードが犯人だと決め打ちすぎてる状況が全く信じられなかった。それが事実をもとにした物語ってことなんだからすごい。その後、リチャードを追いつめようとするFBIのいやらしいやり方もいらつくものだった。
ついでに言うと、リチャードの態度にもかなりいらついてしまった。調子に乗りやすくて、卑屈で、それでいて高圧的で警官気取りだったりする。容疑者扱いされているのに、物分りがいいところにもいらつく。
でも、彼が変わっていくところがこの映画の肝だった。彼の成長、弁護士との信頼関係、親子の愛情、最終的にはいい物語になっているじゃないか!個人的にはここ数年のイーストウッド作品にハマらなかったので久々にいい映画だった。
正義はどこに
正義の置きどころ
それにしても凄いですよね、クリント・イーストウッドさん。ここのところ毎年映画を作ってて、昨年は主演までして、とても90歳の仕事ぶりとは思えない。映画への愛が溢れてますね。大好きですし、大尊敬です。
さて、本作もイーストウッド節。普通の人々が、苦難に立ち向かい、何かを成し遂げる。職業や個性はそれぞれだけど、たいていは善良な市民が、事件に巻き込まれながらも、それに立ち向かう。自分の中では、「グラン・トリノ」が特別な作品だが、本作も負けずに米国市民賛歌を叫び続けている。現実でも、いろんな問題がありすぎるけど、こうした市民の心があれば、この国は大丈夫なのさ。と言った話を真っ当にはせずに、背中で見せるのが男ってもんだ。
主人公のリチャード・ジュエル。法律を守る正義感が強いうまり、杓子定規過ぎて周囲とうまくやれない性格。だが、そのおかげでイベントの最中、ベンチに放置されたバッグを、手順に従って警察に通報。結果、爆弾は爆発するも、被害は最小限に収まった。一躍ヒーローとなるも、数日後FBIから容疑者として狙われ、マスコミがそれを大々的に書き立てたために、今度は悪人にされる。FBIの執拗な調査が始まるが…。
リチャードの母親役キャシー・ベイツが良かった。ミザリーのアニー役からだいぶお年を召されたが、老いた母親を自然に演じた。昨年の「ビリーブ 未来への大逆転」でも重要な役どころを見事に演じた。また「スリー・ビルボード」のサム・ロックウェルも、皮肉屋の弁護士を軽妙に演じて見せた。
でもやはり、ポイントはイーストウッド監督
これからも元気で、良い作品が発信されるとこを期待してます!
とっても良い作品、でもマスコミは?
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