「情報」リチャード・ジュエル U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
情報
実に、おぞましい内容の作品だった。
予告にて「メディアリンチ」なる単語があったが、そんな可愛いもんじゃなかった。
身の毛もよだつ理由は、この作品には悪魔などは出てこない事だ。全ての登場人物は人間だった。…よくぞあんな事が出来るものだと、失望する。
勿論、様々な思惑は絡み合う。
火種は個人の主観だった。大学の学長の疑念。それも正義感とも取れる発言だ。
「私がこの証言をしなければ、第二のテロが起こるのではないか。」
それに飛びつくFBI
オリンピック期間中の事もあり、一刻も早く犯人を挙げアメリカの治安と強力な捜査力を世界に向けてアピールしたい。
その捜査官と癒着してる記者。
爆破現場に居合わせ、周囲が阿鼻叫喚する中、神に祈るのは「他社を出し抜くスクープをください」だ。猛烈に職務に忠実だ。
ただ、中身が歪だし腐ってる。
FBIは真実よりも権威の回復だし
記者は真実よりも部数とか優越感だ。
実に人間らしい価値観なのである…。
人が人を断罪する事の不誠実さが凝縮されてる。
その標的にされるリチャード。
文字通り彼の世界は一変する。
この作品が凄いなと思うのは、序盤からリチャードを善良な市民と描かない点だ。
僕らは思う。
「ああ、こいつイタイ奴だ。」
ただ、そんな奴はどこにでもいる。むしろ、自分でさえそう思われてる1面もあると思う。
そういう意味で言えば、彼はどこにでもいる人間だ。
そんな彼はすすんで捜査に協力する。
FBIという公的な機関に絶対の信頼をおいて疑わないからだ。世界最高峰の捜査機関が自分の身の潔白を証明してくれると思っての事なのだろう。DNAも音声データも提供する。
かたやそのFBIはどおにかして犯人に仕立て上げたい。
メディアはFBIか引かない事で、連日のようにショッキングな報道に終始する。
その過熱ぶりは砂糖に蟻がたかるかの如くだ。実際にあった問い掛けなのかは分からないのだが、和訳されたマスコミの質問は馬鹿馬鹿しいにも程があった。知性じゃなく知能を疑うレベルのものだ。
あんな人間たちがとってきた情報に一喜一憂してるかと思うと腹が立つ。むしろ踊らされてなるものかと反発したい。
マスメディアに正義を求めるのは無駄以外の何物でもない。虚構であり扇動でしかない。
マスコミ関係者はこの作品を教訓に「人の振り見て我が振り直せ」との諺を肝に銘じてもらいたい。
日本の不倫報道とかにも当てはまると思う。大衆に迎合するのはやめろ。自らの存在意義を貶めてるのと何ら変わらない。
弁護士に詰めよられた記者は幾度となく「事実」という言葉を口にする。
観客である僕らは思う。程のいい言い訳じゃないかと。何の裏付けもない。あるのはFBIが張り付いてるって事だけだ。その内側を見ようともしない。責任転嫁の逃げ道を常に用意してあるかのようだ。「私達は公表された事実を報道していただけです。」マスコミの信用度の失墜に歯止め等効かず、自ら墓穴を掘ってると思わないのだろうか…?何が権力の監視者だ。そんなありもしない看板はとっとと下せ。
そのFBIにしたって、音声の照合とかは出来たはずだ。作品の中にもあったけど早い段階でリチャードは犯人じゃないとの証明も出来てたはずだ。でも公表しない。
振り上げた拳を下げれない。吐いたツバは飲み込めない。正義を執行する機関としての体面はあるんだろうねぇ…でも、それだって実に身勝手な言い分だよね。
リチャードはあの弁護士と知り合いで良かったと思う。彼は警察が正義なんてものじゃないと骨の髄から理解してた。
この事件で唯一希望が持てたのは、裁判所が正常に機能してた事だ。まぁ、それもたまたまかもしれないし、日本では事情が違うのかもしれんが。
終盤でリチャードの母親が記者会見に臨む。彼女が息子の無実を懇願したのは神ではなく大統領だった。息子に降りかかるものは神の試練ではなく人災なのだ。目から鱗だった。
この悲劇に神の関与はなく、人間しか関わってないとの訴えだったのだと思う。
この作品を見て思うのは、正義の所在地というか、報道の信憑性というか…与えられた事実を鵜呑みにする怖さだろうか。
それらに身を委ねてる自分の姿を垣間見る。いや、抗いようもないと言えば無いのだけれど。
この映画にしたって、あの記者はホントにあんな下品な身なりなんだろうかと思う。
作品的に分かりやすい嫌悪感を抱けるように作られたのかもしれないし、元々が創作物であるわけなので真実と受け止めるのも違う。
なんか記者は改心したかのように母親の会見で涙を見せるのだが、その後についての言及はない。
FBIは司法が認めたにも関わらず、リチャードはクロだとの捨て台詞を残す。彼らの行動理念上それは仕方がないとは思うけど、人道的にはおそらく間違ってる。
それを理解してるから居合わせた弁護士も歯牙にもかけなかったのであろう。
さすがはイーストウッド。
今回も目一杯、胸をざわつかせた社会派の作品だった。
そしてメディアで流れる真実の情報なんて天気予報くらいしかないなと思った。
報道の自由なんて原則があるけれど、良識が伴わない自由なんて、ただの暴動だからな。
この事件で年老いた母親が、心労が祟って亡くなってたらどおするの?
罪のない被害者は出るぜ?
その責任は間違いなく報道する側にあるよ。だからこそ叩かれても踏み止まるための信念をもって、関わってほしい。
例えばどっかの芸能人が不倫しました。その子供が学校で虐められて、そのイジメを苦に自殺しました。その命にまで責任とれんの?
全ての責任まではないだろう。
でも、その何割かはあるよ。
そういう覚悟と十字架を背負うべきだと思う。
今は個人が情報を発信出来て、それがお金を産むシステムが出来上がってる。
何も公の立場の人間だけに当てはまる話じゃない…ホントに主観や趣向で発信する危うさを考えて欲しいし、それに安易に同調する不気味さに気づいてほしい。
エンドロールに流れる静かなBGM。
それが俺には葬送曲に聞こえた。
主役リチャードへのものかもしれないし、マスメディアや警察へ向けたものかもしれない。こおいう広がりを感じさせるセンスがやっぱ好きだなぁ。