劇場公開日 2020年1月17日

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「メディアによる扇動の元凶は、決めつけ捜査だった」リチャード・ジュエル kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0メディアによる扇動の元凶は、決めつけ捜査だった

2020年2月19日
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鑑賞方法:映画館

クリント・イーストウッド監督はインタビューで「実際にあったことを再現するのが好きだ」と語っていた。
そのとおり、実話ものを連発している最近のイーストウッド監督だが、本作もいつものように淡々と出来事を見せていく抑えた演出だ。それがリアリティに繋がっているように思う。

そんな演出の中でも、ドラマチックな場面が二つ。

ひとつは、母親の記者会見シーン。
これは、弁護士ワトソン役サム・ロックウェルと母親ボビ役キャシー・ベイツの演技によるところが大きい。飾らない演出に合わせるように、感情を抑えて訴えかける語りの名演。

そしてもうひとつ、主人公リチャード(ポール・ウェルター・ハウザー)がFBIの聴取で「証拠があるのか」と確信を問うシーンだ。
警察官への強すぎる憧れから、理不尽なFBIの要求に盲目的に従っていたリチャードの突然の問いに、捜査官(ジョン・ハム)は絶句し焦燥するばかりとなる。
この場面は映画のクライマックスであり、イーストウッドの地味な演出が光る。
多くの観客はリチャードを応援はしても、好きにはなれなかったと思う。
彼は、自分のことよりも母親を気遣う優しい男なのだが、少し偏執的で状況認識力に片寄りがある、いわゆる変人だ。
そんな偏見の目で彼を見ている点において、映画の中の大衆と変わらない。
だから、弁護士や周囲に助けられて無実を勝ち取るのだろうと思っていた観客は、リチャードの毅然とした態度に意表を突かれる。

本作は、メディアの過ちが個人を追い詰めてしまう、大衆を扇動してしまう恐ろしさを訴える。
が、自分にはそれ以上に、人を偏見で区別してしまうことを責められたようで、心が痛んだ。

女性記者(オリビア・ワイルド)が、リチャードが真犯人ではないことに気づく場面と、母親の記者会見で涙する場面が描かれているが、彼女が後悔したり償おうとする場面は描かれていない。
彼女がどのように自分の過ちを理解し、償いの行動をとるかを描けば、観る側はある種のカタルシスを得られたかもしれない。
だが、そんなドラマ作りはしないのがイーストウッド。
あくまでも主軸はリチャードと彼の仲間たちなのだ。

弁護士と助手(事務員)が、犯行予告電話をリチャードがかけられなかったことを立証するため、現場から公衆電話まで歩いて時間を計る場面で、オリンピック短距離走の映像を挿入したのも見事な演出だった。

日本でも、松本サリン事件で謂れもなくマスコミから糾弾された被害者の事例がある。
強引な捜査による冤罪の事例も数多ある。
本作で、容疑が晴れた通知を持参した捜査官が、それでも犯人だと断言する。その後に真犯人が捕まるのだが。
東京電力OL殺人事件の犯人とされていた外国人が冤罪と認められて釈放されたとき、捜査担当刑事が犯人に間違いないと発言していた。その理由は「嘘をついた」からだと。犯人でなければ嘘をつく必要がないと言うのだ。
そんな一点で確信して、尋問し状況証拠を積み上げ送検するのだから恐ろしい。
刑事には刑事の経験的勘があったのかもしれないが。
…そんな事も思い出させる映画だった。

kazz