「最近ミッドナイトスワンを感性の似たツレに紹介されました。 そのツレ...」ミッドナイトスワン hyralさんの映画レビュー(感想・評価)
最近ミッドナイトスワンを感性の似たツレに紹介されました。 そのツレ...
最近ミッドナイトスワンを感性の似たツレに紹介されました。
そのツレの彼女が笑いながら私より先にボロボロ泣くから泣けなかったと言っていました。
彼が言うのならと観に行くことを決意したのです。
しかし、元々邦画は好きな方ではなく(とくにこういう話は視聴者の共感を誘い泣かせる方向に持っていく感じがどうしても逆にどんどん心が離れていくのと、ああはいはいこういう感じねって泣かせるための次の展開を読めちゃうことが多かったため)、一度目に行こうと決めた時は前日に飛び入り参加することになった別のツレの要望でテネットになってしまいました。
テネットもかなり面白かったのですがそれはここでは関係ないので置いといて。
普段映画を観に行かないのでそれで満足していたのですが。
でもやっぱり心の中ではなんとなく気になっており(たぶん私と同じように思考回路が他人とズレているツレが紹介してくれたからでしょうね)、なんとなく一緒に行こうと言ってくれる人を探していました。
つまり見つかったので観に行った次第です。
ここから本題。
こんなところでどこまでネタバレになるような事を書き込んでいいのかわからないので失礼がありましたら御指摘ください。
以下ネタバレ含むかと思います。
私は飲食店を営んでおりきっとそこらの同業者さんより顔は広い方だと思います。
諸事情により若い頃からLGBT(関係ないですが、差別しないように作ったこの言葉。結局区別するようでそんなに好きじゃないです)の方とも触れ合うことが多く、今でも数人知り合いにいるので、その中で思ったのは草彅剛があまりにも自然な演技だということです。
それでいて視聴者に大事なところはしっかり伝わるようなキレのある演技だな、と。
間違いなく草彅剛のトップに数えられる名演でした。
観終えてまず感じたのは、言葉にできない自分の感情でした。
自分が何を考えているのか、どのシーンのどの部分に思いを馳せているのか、どんな言葉にすればいいのか、何もかもわかりませんでした。
その中で強く覚えていることはふたつです。
まず、ひとつは、他人のために自分の人生を変えられる凪沙の強さ。今、本当にそれができる人間がどれだけいるでしょうか。それに強い意志で応えようとした一果の心とその移り変わりです。
そして全てを決意し、隠していた親族にも今の自分を曝け出し引取ろうとしたにも関わらず化け物と蔑まれ、一果を救うこともできず、打ちひしがれ自分を捨ててしまった凪沙。
でも一果はその思いと本当に親身になってくれた凪沙さんに十分に救われていたんですね。
ここからがふたつめ。
中学校を卒業し凪沙に会いに行った一果。その二人が海に行ったシーンです。
これは私の勝手な解釈かもしれないのですが。
そこには、打ちひしがれ自身の全てがどうでもよくなり、自身に対してするべき処置を怠ったがために酷い症状になり死んでしまう凪沙(死んだと思ったんですけどたぶんそうですよね)。
しかし、その凪沙を一瞥しながらも一果は駆け寄ることなく、踊り続け、最後は後ろにいる凪沙の方ではなく自身が向いている“前”である海へ向かって歩いて行くのです。進んでいくのです。
これには一果が凪沙の死を確認することが怖いという思いがあったのかも知れません。
自身の腕を噛むことでしか感情のやり場を見つけられなかった一果のせめてもの、精一杯の感情表現だったのかも知れません。
私には、それでも前に、未来に向かっていく一果のひたむきな感情に感じられました。
そして凪沙の歩き方を真似、同じような服装で街中をバレエ学校のオーディションに向かって気丈に歩くシーンに変わるわけです。
ただLGBTを題材にした内容ではなく、何十年という短い人生に何を考えどう生きるのか、それがたまたま凪沙のような心と身体の持ち主だっただけです。
こんなにも心を揺さぶられた作品は初めてでした。
何日か経った今でも何度も思い返しては物思いに耽っています。
この後、本屋さんに行って小説を買い、上映スケジュールのあるうちにもう一度映画館に行こうと思っています。
最後に、自分がそれができているとは思っていません。いえ、思えません。
ですが、助けを求める人間は周りにどれほどいるのでしょうか。
それに掛け値なしに手を差し伸べることができるのでしょうか。
こんなにもひたむきに生きていくことに真面目になれるのでしょうか。
他人を変えていこうと思えますか。
実の子にさえそう思える方はどんどん減っていってるんじゃないでしょうか。