「孤独な魂の共鳴」ミッドナイトスワン Kさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な魂の共鳴
(言いたいことは色々あるが)一言にまとめると、「この作品がたまらなく好き」。ラストの台詞「見てて」に集約された一果の思い。さまざまな出来事を抱きしめ、それでも真っ直ぐに自分の人生を駆け上がっていくんだという迷いのない覚悟。地獄、屈辱、怒り、希望、挫折、離別、そして愛。彼女の人生の軌跡と、未来への展望をたった一言で表現し切ったシーンに、鳥肌が立った。
まず何より、一果役の服部樹咲さんが素晴らしかった。『誰も知らない』の柳楽優弥さんを見た時のような衝撃。ネグレクトされている時の目、嘲笑やセクハラにあい怒りのスイッチが入った瞬間の表情、そしてバレエを踊っている時のキラキラした全身の動き。無口な彼女だが、その伸びやかなダンスこそ、底なし沼の現実を突き破り、千の巧言を超える「希望」の象徴なのだ。運命を恨み、社会に絶望し、自己憐憫にかかりきりだった凪沙。それが一果のダンスに「光」を見いだし、初めて他者のために自分を捧げようと思った。孤独な魂を持つ凪沙にとって、同じ境遇の一果に差し込む一条の光は誰よりも眩く感じられたに違いない。
草彅剛さんの演技については、すでに多くの方が解説されていると思うので、ここでは一つだけ。一番好きだったのは、凪沙が広島に一果を迎えにきたシーン。あれだけ家族にひた隠しにしてきた「秘密」=「トランスジェンダー」のまま実家にやってきた凪沙。彼女はこの機にカミングアウトしたかったのか? そうではあるまい。彼女は、家族にバレることも、批判されることも、そして罵られ唾を吐きかけられることも、きっとすべて分かっていた。けど、そんなことはもうどうでも良かったのだろう。ただただ、一果に自分の愛を伝えたかった。そして、その愛が受け入れられない可能性すら、凪沙は最初から分かっていただろう。それでも、今まで一番大切だった自分のことなんてどうでもよくなるほど、すでに凪沙にとって一果はかけがえのない存在になっていた。だから、独りぼっちで実家を去ることも、ちっとも恥ずかしくなんてない。なぜなら、他の人になんと思われようと「母」の愛が変わるはずがないのだから。今までエゴのみで生きてきた凪沙が己を手放し、真の意味で一果の「母」になった瞬間が、あのとぼとぼ歩く帰り道のシーンだったと思う。
上野鈴華さん演じる友人「りん」も、とても良かった。なぜ裕福で何不自由ないりんが、独りぼっちの変人・一果に接近したのか。それは孤独な魂が同じ臭いを嗅ぎつけ、惹かれ合ったからに違いない。アル中の親に振り回される一果、親の「クローン」として期待を押しつけられるりん。貧富の違いはあっても、「一人の人間」として両親に関心を払われない二人は、「ネグレクト」というコインの裏表なのだ。ともに共鳴し合う孤独な魂は、バレエを通して一方は「生」に向かい、もう一方は「死」へとドライブする。何かのちょっとした原因で、彼女らが入れ替わって逆の結果になっていてもおかしくなかった。人間の生死の分かれ目なんて、じつはほんのわずかの差でしかない。
最後に、水川あさみさんの演技がひときわ素晴らしかったことも書き添えておく。冒頭の登場シーンでは、正直まったく彼女とは分からなかったほどの熱演。私の中で、もっと色んな役柄を見てみたいと思う俳優さんの一人になった。