「ミッドナイトスワン(再掲、訂正、考察など追記あり)」ミッドナイトスワン まろんるうさんの映画レビュー(感想・評価)
ミッドナイトスワン(再掲、訂正、考察など追記あり)
劇場から出た時、色んな衝撃が大きくて、地に足が着いてないような浮遊感にクラクラして暫くぼーっとしてしまった位余韻が凄かった。
メイクは当然しているのですが、骨格などは草彅剛そのままで、この日は舞台挨拶があったのでご本人を見てからの本編でした、あっこれ本人見てからじゃ失敗したかな、集中できるかなと過ぎったんですけど、いざ上映がスタートし、凪沙が出てきたらもうそこには草彅剛の影すらなく、凪沙がそこに居たのです(手の動きや優雅にタバコをふかせる姿がもう凪沙なのです)
この作品には日本社会の問題や縮図の描き方もリアリティがあり、この映画を見てから現代に起きてる色んな事件や出来事に照らし合わせて考え見る事が出来たり、俯瞰で見られる様になったかなと。
バレエの先生からお母さんって言われてどれだけ嬉しかったのだろう、嬉し恥ずかしそうにハニカム凪沙がたまらなく、ショーパブで喧騒が起こり一果が静かに踊りだした所に凪沙が振り返って見惚れる所、凪沙が階段に座り一果を眺めてたり、二人でバレエの練習してる所、海での凪沙に踊ってと頼まれ踊る所、場面場面に出てくる一果のバレエが美しく、儚くて、愛しくて、何に泣いているのか、そんな場面じゃないのにポロポロとしてる事が多かった。
衝撃的なシーンもあるし、見る人によってはショックを受けるシーンもあるかもしれません、海でのシーンや凪沙の変わり果てた姿は悲しい結末を連想してしまうけど、本当のお母さんから一果を取り戻そうとしたが、出来なかった...でもそこで私には諦めや失意を感じなかった、寧ろ私は私で一果を支えるわって強い意志すら感じた。なぜ東京でレッスン受けてた先生が広島でも一果のレッスン受けてたのだろうと疑問が出てきて、あ、これって凪沙が陰ながら支援していて、それは自分のケアを削ってまでやっていたのでは無いかと...けっして正しい決断では無いけれど、これも無償の愛というものなのか...。
もし友人などで元気な姿から憔悴しきった姿を見たら自分はあんなに受け入れて、優しく面倒見てあげられるかな?とも考えて...その点では一果は最後まで凪沙に寄り添いお互いを支え合っていた、だから悲しいだけじゃない、光や温かさを感じたのです。
一果がバレエのため海外へ渡った時、トレンチコートを着ている後ろ姿が映し出され、これはもしかして凪沙の形見を着ているのかなって、後ろ姿も一果なのに一瞬凪沙の後ろ姿の様に思えて。何編も有るシーンの中で一番溢れてきたかも。エンドロール後の二人の姿は白鳥の湖になぞらえるなら生まれ変わった後の二人の姿なのかなとも考えて...考察したらキリが無いんです!プツンと切られてたりして、決定的なシーンって書かれてなかったんですよね、だからこそこんなに色んな説が出てくるのかも。なのでこの映画は見た方に委ねられている、BadでもHappyでも如何ようにも好きな結末を描いていいのかなって原作はまだ未読などで、原作とも照らし合わせてもう一度見てみたい。
ただ、登場人物の中でりんが...。一見お金持ちで、バレエへの資金もお洋服なんかも困らない程持ってるのに心が寂しくて、母親からの期待やプレッシャー、一果に抜かれるかもしれない焦りや嫉妬、個撮は絶対ダメって言ってたのに誘導して陥れようとしたのかな、でも出来なかった裏切れ無かったのだろうか、怪我からのバレエが続けられなくなってしまった時のバレエしか価値が無いと言われてしまった事、一果の肩を借りて号泣する所はグサグサ刺さったし、ここまで追い込むかってくらい残酷だった、本番直前の一果へ電話した事や、結婚パーティで屋上が映し出された所から嫌な予感はしていて、段に乗った時あっ!と思ったけど、無くて、一果の発表会が始まったと同時にりんも踊り出して、凄く魅力的な表現で、楽しそうに軽やかにそのまま飛んでいってしまった...表情と行為が一致しない様な、あまりにとの対比に衝撃が強く、りんが一番心が痛くてしんどかった。
映画でこんなに影響を受けたのは初めてかも知れないです。
見て、知れて、この映画に出会えて良かった。