「現実」ミッドナイトスワン 韮崎さんの映画レビュー(感想・評価)
現実
冒頭、賑やかな音が漏れる、ミラーの前に座る白鳥たちが楽しそうに話しながら同じタイミングでリボンを結ぶ。今度は違う賑やかさのある店に母親を迎えに来た制服姿の中学生が登場する。
ミラーの前に座っていた白鳥たちと違い、ボサボサでピンで留められただけの前髪。
母親からの暴力を受けた後、謝罪をしながら寝る姿を見てさっと手を抜いて立ち上がる少女はまるでいつもその一連の流れをしているようだった。
そんな一果が乗っているバスのシーンで初めてピアノ曲が流れる。もうすでに胸がざわついて、苦しかった。
一果と2人、広場でバレエを踊る凪沙。
踊り終わった後、傍のベンチで眺めていた老人が一果に声を掛けたとき、凪沙は一果のもとへ行き肩を抱き寄せる。それは一果が内緒でしていたバイトの一件があった後で、怖いことに巻き込まれないようにと、自分が守るんだという気持ちの現れではないのかと思った。所々に親戚だからという理由ではしないような言動が散りばめられている。
別々に盛り付けられたハニージンジャーソテー、仕事終わり、階段に座る一果に掛けた「帰ろ」という一言、健二の見た目になったかと思えばもう次見たときには凪沙になっている。コンクールで周りの親が話す一果への褒め言葉を聞いて誇らしそうにする凪沙の横顔。お金がないからと断っていた手術を外国に行ってまで受けた勇気。
どのシーンも見逃してはいけない。どのシーンも抜けてはならない。
見てはいけないと思うほど、あまりにもプライベートなシーンしかなかった。見て見ぬふりをしてきたところを全て見せられた気分。
ずっとつらくてしんどくて、目を背けたくなるような、でもこれはフィクションじゃない。現実だ。
凪沙も、一果も、早織も、りんも、ミズキも、みんな確かに居る。ただの感動映画じゃない。
どんどん綺麗になっていく一果と対照に、どんどんボロボロになっていく凪沙。
一果の肌荒れがなくなったかと思えば、広島に戻ったときまた出来ていたり。
綺麗好きだった凪沙の家が数年後には場所を変え、あんな部屋に独りでいるのを信じたくなかった。
自分は世界を知っていたつもりでいたけれど、全然知らなかった。凪沙がどうしてああなってしまったのかわからない。
多くを説明しない、だから鑑賞者は知ろうとする。
母親とか娘とかじゃない。そんな型にはめる必要なんてない。
自分は一果に似ていないし、母は凪沙に似ていない。
でも、観終わった後、母親に会いたくなる、そんな映画。
全てが現実故に重くて受け止めきれない。
言葉が何一つまとまらない。
ただどうしても残したかった、彼女たちと出会った1人の人間として、自分がどう思ったのか。自分一人で整理するだけでは、この心のざわつきが抑えられなかった。