「「のぼる小寺さん」を見つめる人たちの物語」のぼる小寺さん 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
「のぼる小寺さん」を見つめる人たちの物語
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山っ気がない、というと褒め言葉にも悪口にもなりそうだが、古厩監督の演出には本当に山っ気がない。例えば小寺さんが、夏が好きだという話をする時に、「音が消える」感覚を得る瞬間がある。ベタな演出なら、一瞬露出を飛ばし気味にして、目をつぶった小寺さんをアップにして、一瞬だけ環境音をさぁーっとフェイドアウトさせる、みたいなことをやりがちな場面だと思う(原作の描写はどちらかというとそっちに近いと思う)。
しかし古厩監督は、あえて何もしない。小寺さんはそこに立っていて、しばらくして「音が消えた」と言うだけ。伊藤健太郎演じる近藤と同様に、観客は「よくわからないけど小寺さんはそうなんだ」と思うしかない。つまり、観客を安易にわかった気にさせたりはしない。そして、観客の目線は近藤たち、「小寺さんを見つめる側」であり続ける。この物語は、小寺さんの物語ではなく、小寺さんの姿に触発される周りの人間たちのものだから。
とはいえこれは映画であるから、ただストイックなだけではない。クライマックスで起きる、本当にささいな奇跡の瞬間。『灼熱のドッヂボール』の蒸発する汗よりも遥かにほのかだが、あの背中合わせはやはり奇跡だったと思うのだ。
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