ライトハウスのレビュー・感想・評価
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これはシンプルに傑作だった
ロバート・エガース監督×ロバート・パティンソン×ウィレム・デフォー。
孤島の灯台。
灯台守の二人。
疑心暗鬼。
狂気と幻想。
ゾクゾクした。モノクロの映像美も、不穏な音も、人魚のヴァギナも彼らの狂気に説得力を持たせた。恐怖は人間の中にあった。
壊れていくパティソンが秀逸で過去一か。
とうの昔に壊れていたデフォーは流石の貫禄。
心が狂気と共に沈んでいく
観る人間を選ぶ感じ。
内容はどちらかというと、サスペンス&ホラー風味。
A24らしく、また『ウィッチ』ロバート・エガースらしすぎる「考えるな感じろ」系の作り。
デビット・リンチやアリ・アスターなどの影響も感じさせられます。
孤島での2人きりの抑圧された生活で、ベテラン灯台守からパワハラを受け続けた若者の中で育った殺意が、地獄の孤島を作り出す。
トリトンなど神話の海神と、その眷属である人魚や人を襲うカモメなど人外のモンスターが本物なのか、若者が見た幻覚なのかがわからないように曖昧に作られていました。
がっしり重たい内容に、無言で説明の少ない暴力シーンの連続、たまに発せられる激しく強いセリフ。
映画として相当ヘビーで、油断するとコールタールの沼につっこんだように心が沈んでいきます。
地獄の中に人間の面白みを感じられる人には佳作、表面の事象を追いつつハッピーエンドを求めるライトユーザーには駄作という、難解な作品だと思いました。
技法や表現は称賛しますが、作品として面白いかは…正直。
古風な怪談×プロメテウス神話×ハロルド・ピンター風味。シネフィル垂涎の密室劇。
とある密室状況下で、男と男が究極の精神的闘争を繰り広げる。
この手の「アンチ・バディもの」の対決映画は、原初のマッシヴな獣性の激突と、闘争のなかで生まれる奇妙な連帯に、いかに同性愛的なスメルを漂わせるかが、シェフの腕の見せ所となる。
『太平洋の地獄』の三船敏郎とリー・マーヴィン(孤島の密室)。
『北国の帝王』のアーネスト・ボーグナインとリー・マーヴィン(走行列車の密室)。
『さらば友よ』のアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソン(金庫室の密室)。
『あしたのジョー』の矢吹ジョーと力石徹(リングの密室)。
でも、この映画の予告編を観て、最初にぱっと僕の脳裏をよぎったのは、実は『探偵スルース』(72)だった。
同じく閉鎖空間を舞台に、年長者の作家ローレンス・オリヴィエが若い美容師のマイケル・ケインをいびり倒していくうちに、驚くべき展開が待ち受けるという、僕の大好きな映画だ。
そうして、いざ『ライトハウス』を劇場で観て思ったのは、むしろこちらはリメイク版の『スルース』(07)――ジュード・ロウがハロルド・ピンターに脚本を書かせ、ケネス・ブラナーに撮らせたバージョンのほうと、「男と男」の絡ませ方が実によく似ているということだ。ピンターは、異性愛者どうし(老作家と間男は同じ女をめぐって争っている)が、「男×男」の闘争を繰り広げる延長上で、いつしかインティメットな「ぬめり」を生じていく過程を生々しく強調することで、旧作を別物へと変容させた(『探偵スルース』を愛する僕にとっては、まあまあ許せないリメイクだった)。
で、家で今回買ったパンフを開けて読んでみたら、なんと監督のロバート・エガース本人が「二人のセリフのやりとりはピンターからインスパイアされています」と述べ、『ミッドサマー』の監督アリ・アスターも対談の出だしで、「『ライトハウス』は僕が大好きなハロルド・ピンターの作品を想起させたんだ」とか言っているではないか(笑)。やっぱり!
本作がハーマン・メルヴィルの長編『白鯨』から、ごった煮的な語り口から、エイハブ船長を模したデフォーの外見に至るまで、多大な影響を受けているのは、監督自身も言及している通りだが、「同性愛的な仄めかし」という意味では、同じメルヴィルの中編『ビリー・バッド』も霊感源のひとつに挙げられるだろう。
『ビリー・バッド』は、誰からも愛される天使のような水夫ビリーが、老水夫の計略で人を殺め、ついには処刑されるまでを描いた作品で、背後には密室状況下で募る同性愛的欲求と、それを認めようとしないがゆえの反動的憎悪の存在が秘められている(とくに同性愛者であったブリテンによるオペラ版ではその仄めかしが色濃い)。
本作でも、アレの形をした灯台という、自ら慰めるしか性的に達する手段のない鬱屈した閉鎖空間で、彼らはただふたりきり存在する人間どうしとして、愛着と憎しみの両極を激しく行き来する(デフォーはパティンソンについて「きれいな顔」とはっきり述べる)。やがて起きる悲劇もまた、『ビリー・バッド』をなぞるかのようだ。
※ ※ ※
物語としての『ライトハウス』が、どういうジャンルの作品かと問われれば、やはり僕は古式ゆかしい「海洋怪談」の系譜に属する「怪奇映画」だ、と答えるだろう。
本作の構造は、監督と弟が少年時代に心をふるわせた古典的怪奇小説を「ベース」に、メルヴィル調に幾層にも表象的な階層を上塗りして、宗教的隠喩(黙示録)、神話的隠喩(プロメテウス)をこめたうえで、モダン・ホラー的な要素や、ニューロティックな要素(エディプス・コンプレックスを含むフロイト的解釈)を加味し、最後に「腐レイバー」をひとふりしたものである。
影響源としての恐怖小説も、ひとつではなさそうだ。
まずは遺作として未完の「灯台」を遺したエドガー・アラン・ポー。「目」への執着や生き埋めテーマ、何よりアルコールや薬物による意識の混濁や混乱が物語と深く結びついている点は、ポーを想起させる。
それから、海洋奇譚を得意としたウィリアム・ホープ・ホジスン。目撃したこと以上に、闇のなかで五感がとらえる「臭い」や「音」、「肌ざわり」が登場人物の恐怖を増幅させていく描写は、実にホジスンっぽい。
人魚やクラーケンといった深海から来る怪異を、深層心理と結び付けて登場させている点では、ラヴクラフトからの影響も顕著だ。実際、監督はデフォーに「セイレム」の地名を口にさせていて、クトゥルフとの連関を容易に想像させる。
今起こっている怪異の背後に、黒々とした神話的恐怖が眠っているという意味では、アーサー・マッケンの作品群(『パンの大神』)なども念頭に置いているだろう。
しかし、実際に観て一番強く感じたのは、アルジャーノン・ブラックウッドとの親和性だ。ブラックウッドの怪異譚の真骨頂は、「旅先で見知らぬ宿に泊まることになった男が、ちょっとした予兆や闇のなかで鳴る音、側聞した噂などから、しだいに妄想を逞しくし、疑心暗鬼のなかで怪異の存在を確信するに至り、“その結果として実際に”怪異が立ち現れる」というメカニズムだ。個人のなかで生まれた疑念や恐怖が凝り固まって、現実世界にはみ出て侵食し、ひいては現実自体を歪めてしまう恐ろしさ。『ライトハウス』で描かれる恐怖もまた、まさに同質のものではないか。
こういった、古典怪奇小説の枠組みのなかに、海鳥への恐怖(デュ・モーリアの「鳥」およびヒッチコックの同題作)や「だんだんくるっていく描写」&「管理人と斧」の恐怖(『シャイニング』)、死んだはずの人間の復活(『悪魔のような女』『危険な情事』)といった諸々の要素が継ぎ足されて、怖さにニューロティックなモダンさが加わっている。
さらに、徹底してバーナード・ハーマン調の不安な音響とノイズの効果的利用によって、本作が「音のホラー」として企図されている点も強調しておきたい。
※ ※ ※
一方、映画としての『ライトハウス』の中核にあるのは、シネフィル的なレファレンスの集積としてのマニア性だ。
(アスペクト比の選択も含めて)監督本人が強く主張している1920年代無声映画からの影響(ムルナウ、エプシュタインetc.)や、彼が私淑するベルイマンからの影響のみならず、全編にわたって作り手のシネフィルぶりは炸裂している。
たとえばオープニングのだんだん船が浮かび上がってくる描写はヴィスコンティの『ベニスに死す』を想起させるし、そのあとに続く崖下から二人を仰ぎ見るカットや、灯台から若者がぶら下がるシーンは、まるでオーソン・ウェルズの『オセロ』のようだ。突然挿入される目のアップや螺旋階段のカットは、ロバート・シオドマク『らせん階段』(45)からのいただきだろう。それから、もちろんヒッチコックの『鳥』。ロバート・パティンソンが観る性的イメージの集積は、おそらくデレク・ジャーマンに由来する。他にも、僕の知らない古典的名画からの引用・レファレンスは山ほど隠れているにちがいない。
あえてモノクロームを採用したうえで、徹底したオッサン&身体欠損&汚物&哄笑&飲酒&暴力&グロテスク描写を示すという意味では、アレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』(2013)の存在も、きっと監督の頭の片隅にあったことだろう。考えてみると、本作『ライトハウス』と似たような時期に、同じく『神々のたそがれ』と近接した中世趣味と露悪性をもつ『異端の鳥』(2019、バーツラフ・マルホウル)がモノクロ&35㎜フィルムで作られ、ほぼ似たり寄ったりの汚物まみれの貯水槽(穴倉)を作中に登場させ、生き埋め、鳥、目つぶしといった要素をお互い被らせているのは、大変興味深いシンクロニシティだ。
絵画作品からの引用・影響も枚挙にいとまがない。
パンフレットでは、ゴッホやデューラー、ジョン・マーティン、サシャ・スナイダーなどの名前があがっているが、そもそも室内のシーンでは、レンブラントやカラヴァッジョ、リベーラ、ラトゥールなどのバロック絵画の明暗法(キアロスクーロ)がそのまま援用されている。とくに、ウィレム・デフォーの描写には、リベーラの聖人画を強く想起させるところがある。
一方、うねり狂う海の描写は、ジェリコーの描く荒波のようにロマン主義的であり、人魚の出し方などは実に象徴主義的である。飲み食いのシーンの汚さはヤン・ステーンあたりのフランドル絵画を思わせる。
ここで重要なのは実のところ、ロバート・エガース監督が「何を引用したか」ではない。
何を引用するにしても、シネフィルとして恬として恥じるところのない、衒いのない、その「姿勢」である。
これはエガースに限らず、A24のプロデュースのもと世に出る若手監督たちの多くに共通することだが、彼らは、自身がシネフィルであることや、既存の敬愛する作品から受けた影響を作品に反映させることについて、あまり含羞やうしろめたさを感じていないように見える。
これは、同様に生粋のシネフィルであっても、常に斜に構えて、露悪的&偽悪的にふるまっていた(ふるまわざるをえなかった)クエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲス、ピーター・ジャクスンあたりの世代から見れば、明らかに隔世の感がある。
彼らにとって、シネフィルであることは誇りであり、映画史的知識と影響の集積体として映画製作を行なうことに、一切のためらいはないのだ。
※ ※ ※
そうして出来上がった『ライトハウス』は、「閉じ込められた空間内で起きる男と男の闘争」という大枠のなかで表現可能な、様々な物語の「諸層」を同時に担っている。
海洋怪談としてみれば、これは、水夫の魂である海鳥を叩き殺した若者にふりかかる呪いの物語である。だからこそ、ラストシーンで彼の死骸は鳥たちについばまれ、食われるという形で復讐される(まさに「かもめは死せる水夫の魂」というのは、ダミアがうたうシャンソンそのままですね)。
人間の普遍的ドラマとしてみれば、これは、暴君でありながら冷静に若者を観察し、「秘密はもらすな。興味がない」と言い放つ「強い」老人と、抱えている秘密を吐露することで安心を得ようとする「弱い」若者の、避け得なかった軋轢の物語である。老人は食事をけなされて激昂し、若者は老人が自分を無能であるかのように日誌につけていたことを知って激昂する。信頼と裏切りの交錯と連鎖が、やがては取り返しのつかない狂気の暴走へとつながってゆく。
フロイト的な側面を強調すれば、これはエディプス・コンプレックスにまつわる「父親殺し」の物語だ。
ブロマンス面を深掘りすれば、ご神体形の塔にとらわれた二人が、人魚の幻想でしごいたり、光の福音のなかで果てたりしながら、お互いむらむらを抑えきれず、若者は老人の寝姿を「窃視」し、老人は若者にむりやり食器や器具や塔をこすこす磨かせ、代替行為にふけったあげく、白ペンキを顔に勢いよくぶっかけるような話である。
宗教的隠喩からたどれば、神に至る「鍵」(聖ペテロ!)を奪い取って、神の御正躰をその目で観てしまった人間が、めしいたうえに命まで落としてしまう話でもあるし、神話のまねびだとすれば、旧き海神に仕える老いた神を倒して「火」を手に入れたプロメテウスが、神話にあるとおり、罰として鳥に食われてしまう話だともいえる。
監督のちりばめた引用や影響関係をあれやこれやと考え、物語の重層性を考察したうえで監督の意図にそって読み解くことを好むタイプの人間にとっては、正直こんなに面白い映画はない。
一方で、スタイルよりも骨太のナラティヴを映画に求める人にとっては、若干退屈な映画でさえあるのかもしれない。
個人的には、パティンソンが次第にくるってゆく過程のあたりが、少し通り一遍というか、陳腐に思えてしまうのが、映画としては最大の弱点ではないかとも思っているが、それを補って余りあるデフォーとパティンソンの大熱演が、中盤に若干漂う安易さを忘れさせてくれる。
少なくとも、僕にとっては、大変楽しく観られる作品でした。
会場は市松でほぼ満員。若い世代が大半を占めている、素晴らしいことだ。
モノクロ映像で作り上げる醜悪かつ低級なるファンタジー。
A24、好きだけど…。
神話とか灯台守とか事前情報必要みたい
自分で言うのもなんですが、ややこしいのとか、比喩だらけとか、禍々しいとか、不気味とか、大好物です。素直に観られない作品も好きな方です。しかし、、、本作は完全にダメでした。何が何やらサッパリ。わかるために繰り返し観ようっ気にもなれず。
映像がとても綺麗で、どーやって映像化したんだろ?ってシーンも多く興味深いです。孤島感バッチリ。良い意味で気色悪い不気味映像たくさん。更に、ウィリアムデフォーが相変わらず見事な演技。すばらしい。
だけど、僕にとってはそれだけ。なんか、色々もりこんでるみたいだけど。何もわからんのです。1800年代の灯台守についてとか、海の神話とか人魚の伝説とか、タコオバケとかの前情報が必須なんじゃないでしょうか?
全く、何の感情もわかないのです。
きっとさまざまな匂わせが散りばめられているのだろうし、グロいシーンやラストにも意味があるのでしょうが、わからんのです。
ウィッチがとても面白かったから期待したのですが、撃沈です。素人の僕は楽しめず降参です。
眠くなる
登場人物が二人ともクズみたいなのはよかったのだけど、長く感じて眠くなる。カモメに発狂して振り回しているところが面白い。燃料を酒の代わりに飲んでいたけど失明しないか心配だ。
霧笛が無敵の人を呼ぶ
冒頭から陰鬱な無敵の音が通奏低音となり、観客の心をゆっくりと、しかし着実に蝕んでいく。横柄で傍若無人なベテランと、規則を盾に頑なな新入りとの精神的なぶつかり合いも、ゴリゴリと精神を削っていき負荷としてのしかかってくる。光量の足りない狭隘なスクリーンも集中力を要求し、精神的な疲労を積み上げていく。このように強迫的な描写の全ては、登場人物の狂気を見るものに共有させるための足がかりとして計算され尽くしたものだ。
果たして明日で勤務が終わるというカタルシスが幻に終わり、嵐に閉じ込められた孤島で灯台守二人の狂気が加速していく中で、映し出されるものの幻影と現実の境がぼやけていく様は、完全に術中に嵌った感がある。実際にはウィレム・デフォー演じるベテランは一貫して偏屈なだけで、狂気を募らせているのはロバート・パティンソンの新人の方だけなのだが。
海鳥や人魚といった舞台装置が美しくも残酷な刃として精神を切り刻んでいく様子を追体験しつつ、最後に何を見たのかだけは謎のままとする演出が、ありがちではあるけど後を引く。不穏で不快な画面作りにまんまと乗ってしまうと、本当にただの不快な映画で終わってしまうのだが、それもまた仕掛けなので、どうか心を強く保って最後まで見てほしい。
本当の気○いの人は映画とか撮っちゃダメ
決して万人にオススメできる作品ではないです。終演後にパンフレットを買う列ができているのを見て、正気か?と目を疑いました。
映画は、閉ざされた環境で自由を奪われた人間が次第に狂っていくのを観客みんなで見守る、そんな作品でした。
絶海の孤島に立つ灯台を守る二人の灯台守。一人はベテランの老人で、もう一人は今回が初仕事のド素人の若者。私の人生では、これまで灯台守であったことがないので、自然と新人の若者側に感情移入させられてしまう。
初めての二人の食事で若者は酒を断る。これで二人の関係は船出から危なっかしい。他に誰ひとりいない島での生活を、二人はしばらくお互い名前すら名乗らずに過ごす。
ベテラン役のウィレム・デフォーが、また、これでもかと偏屈でズルい爺いを演じ、理不尽なまでにきつい仕事ばかりを若者に命じる。時には非合理な理由で若者を罵ったりもするから、観客は自然と若手への肩入れが強まっていく。
そんな関係の二人をまとめて一気に地獄へ突き落とすのは、とてつもなく荒々しく、すべてを容赦なく叩き潰す嵐。その恐怖は我々が知っている陸のものとは桁が違う。嵐によって助け合うしかなくなった二人の関係は少しずつ良くなっていく様だが、若者には時々見えてはいけないものが見えてしまっているのではないか?と映画を見ている私達に疑いが生じ始め、果たして何が真実なのか次第に客席に戸惑いが広がっていく。この頃には少し若者に肩入れし過ぎたかな?と立ち位置を修正しながらことの成り行きを眺めはじめる人も増えているだろう…
映画は始終不快な唸り声の様な音が鳴り響いているけど、まさかこれがBGMなのか?きっとサントラは売れないだろうな。ほぼ正方形のスクリーンは何サイズと呼ぶのか知りませんが、モノクロ映像のせいか、映像と暗闇の境い目がどこにあるのか次第に分からなくなって劇場全体がスクリーンになった様な錯覚さえ覚える。映画の各所では生理的に嫌な描写が混ざり、途中から薄々は感じてはいたけれど、エンドロールが始まると、ああ、この監督アタマおかしいなと確信する。テレビで流れることはないと思うし、映画館という閉ざされた環境で、もう見るしかない状況で、始まりから終わりまで一気に見るしかない映画だと思います。オススメはしません。
ここまできたら
悪い意味でオチのなさ
かなり人を選ぶ怪作
頭から離れない多くのシーン
祝祭……あ、灯台もと暗し……
めちゃくちゃ不快だけどすごく好き
孤島で灯台守をする男2人が嵐の影響で取り残され、灯台の灯りを巡って徐々におかしくなっていく話。
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初日から屁を垂れ流して、酒を飲み明かし、雑用は全て押し付ける小汚いおっさんと孤島で2人きりと言うだけで充分気が狂う。それに加えて白黒に普通より狭い画面の比率なので、結構しんどい。
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でも、酔っ払って仲良く一緒に歌い出したかと思えば、急に寄り添って踊り出したり、急に殴り合い始めたりする男2人はかなり滑稽で笑える。
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ウィレム・デフォー演じる男がロバート・パティンソン演じる若い男を理不尽にこき使っているように見えるけど、若い男って本当にちゃんと仕事してるかは疑問ではある。石炭を運ぶ様子はあっても掃除ってウィレム・デフォーがいるところ以外でやってる描写あんまりなかった気がする。
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今作を見て大学の時の聖書とギリシア神話の授業をちゃんと聞いてなかったことへの何千回目の後悔をしたけれど、全く意味わからなくて不快でも何故か食い入るように見てしまう映画だった。
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精神崩壊。
公式ホームページに豊かな文脈の説明があります。しんどかった。レベル...
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