花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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綺麗な言葉達
坂元裕二さん脚本と知ってすぐ観ることに決めました。言葉選びが綺麗で美しい。こんな素敵な台詞が咄嗟に出たらどれだけいいだろうと思ってしまうけれど、違和感はなく2人の日常を映し出していきます。
「始まりは終わりの始まり。出会いは常に別れを内在し恋愛はパーティーのようにいつか終わる。だから恋する者達は、好きなものを持ち寄ってテーブルをはさみおしゃべりし、その切なさを楽しむしかないのだ」
好きな台詞です。恋愛がこうだったら家族はどうだろうと考えました。きっと家族は、ここに子どもが参入してテーブルの上を荒らし、時に険悪なムードになりながら新しいパーティーが始まるのでしょう。子どもがいなくたって、他人を招いてパーティーを続ける2人もきっと居て。
2人の世界なのが恋愛で、他にも繋がりを持っていくのが家族なのですね。
坂元さんが家族の物語の脚本をしたらどのようになるか気になります。
花束みたいな恋かぁ
すっかり意気投合するふたり。
好きなことを一緒にできるって幸せだよね。
価値観と思いやり。
いや、普通ですよ。ああなります。
今の自分を理解しろって事でもないし
出会いの時と同じで偶然でなく必然だったのだと。
爽やかな気持ちで見れた。
花束の意味
花束みたいに枯れてしまう。けど、もう咲かないそれを、キラキラとしていた思い出を、ドライフラワーみたいにお互い残している。そんな時の流れと変化について感じる事のできた映画。多分、始まりが咲き始めが一番美しいのは恋も同じで、だから最後のファミレスではじまりそうな恋の対比が、余りに麦達と違いすぎて悲しくなった。
変わらないものなんてないのだろうなぁ。
分身を見つける喜びと失う悲しさ
パンフレットの中で、三浦しをんさんが、二人のことを「分身」と言っているけど、麦と絹はまさにそんな感じ。趣味や考え方が似ていてびっくりするくらい相性のいい人に出会えた!前半はその喜びや愛おしさが緻密に細かく描かれていて、とろけそうな幸せな気分に浸れる。
後半は二人の心が離れていくさまを同じように、むしろそれ以上に微に入り細に入り描いていて、すべてがちくちく突き刺さってきてつらい。何か決定的な障害があるわけでもないし、何かがちょっとずれたらやり直せて、なんだかんだ上手くいったかもしれない。でも別れの夜、観覧車に乗って、カラオケに行ってファミレスで涙を流して…この一連のシーンはものすごく切なくて美しかった。別れを決める時すら、二人は本当に似たもの同士なのに…。
ちなみに、映画館で2組のカップルに挟まれて鑑賞したのだけど、それぞれ上映後に聞こえてきた感想が対照的で面白かった。
右のカップル:彼女はボロ泣き、彼氏は「何がおもしろかったの?」って感じ
左のカップル:彼女は「すごくよかつた!」彼氏は「終わり方に納得いかない」
お互いの感想がぴたっときたら、すごく気持ち高まりそうだなあ。それこそ麦と絹みたいに。
運命の人。恋愛と結婚。
そうなんだよなぁ・・・って共感できて、良い映画でした。
前半は、運命の人との出会い。さすがにここまで趣味嗜好が合うことは無いけど、このうち1つでもあったら運命の人と思っちゃうかも。と、ここまでは学生気分の恋愛。
後半は、サラリーマンという仕事に就いて結婚(結婚後の生活)を少し意識し始めて、価値観があわなくなってきたり、なにより時間が取れなくなったりして、すきま風がふいていく・・。そうなんだよなぁ・・・って、共感できつつ、なんでこうなっちゃうんだろうなぁ・・・っていうなんとも言えない気持ちになりました。
あんなに好きだった運命の人。恋愛と結婚の違い。いやぁ、難しいなと。それが最後のレストランでの出来事で(5年前は自分たちもあんなに幸せいっぱいだったなあと感慨にふけり)、涙に繋がって・・・。男としては、いろいろ考えさせられました。どうやったら上手くできたんだろうかと。。
そして最後、
元カレ・元カノがあんな気まずい再会して、あのバイバイの仕方は恰好いい!
そして、ラストシーンの6年ぶりに起こった奇跡で、ほっこり!!
余韻の残る映画
淡々と若い二人の出会い、別れまでを綴った映画(記録?)
本当に最初は微笑ましい出会い、やりとり、思わずニヤけるほど。
でも、なんとなく「あ、別れるかも?」と思うあたりから自分のことのように心が暗くなってきて。
とにかく、終わった後の余韻がすごい。涙は出てこなかったけど、本当に素敵でもう一度みたいと思うような映画でした。
でも、あんなに綺麗に別れられるのは、素敵な恋をしたというより、ほんとうにお互い一切恋愛感情がなくなったんだな…と感じました。
カップルでみるのはオススメできないです、
文化系男子はみちゃダメ
恋愛映画を期待すると死ぬ。
本当に丸一本恋愛を見せられる。
2015-6年あたりに大学生をしていようものなら
リアルな作品やコンテンツが絡んできてさらに
エモいえぬ感情にさせられる。
あれ、これ自分が付き合ってる感じじゃね?
そして、、、
好きなことが同じもの同士
育った環境が違うからこそ
社会と仕事の捉え方が決定的にすれ違っている
ことに気づけず楽しい恋の時間を過ごせたと
少しやるせない気持ちになった。
いい映画で、恋愛映画のリアルさとしては
流石の一言だけれど
文化系男子はみちゃダメ。
終わらせるにはもったいない二人
こんなにも感性の似た人と、こんな風に恋が始まったら楽しいだろうなと言う始まり。そして、何となく感情がすれ違いになり、浮気のような変なドロドロもなく、仲が悪いというわけでもなく、終わりを迎える二人。2時間の尺を長すぎると感じることもなく、見させてくれたのは坂本裕二氏の脚本のおかげかな。
アラカンおじさんの私から見ると別れるのは実にもったいないなあと思いました。これから人生、山あり谷あり。まだまだ色んなことが待ち受けているのになあ。それを諦めるのは実にもったいないことだと思う。
麦君が一生懸命に仕事をして絹ちゃんと感情的にすれ違っていくことが主要因だろうと思うのですが、女だって子供が生まれたらもうゲームだなんだと悠長に言ってられないときはある。それを思うと絹ちゃん、もうちょっとだけ何とかならんかったのかなと思います。
私は見て損したとは思わなかったけど、全然面白くないという人も結構いるだろうと思える映画でした。
ちゃんと働いてくれる良い彼
当初は、若い俳優さん達のキラキラした恋愛映画なんだろうな、と思って見る予定はありませんでしたが、
レビューが高評価なので見てみました。
彼が夢を追えなくなっていったことや、土日も出張で一緒に過ごせなくなったり、ということは昔から比べると寂しい面も感じられますが、
仕事を全然してくれなくて、彼女の収入だけに頼っている人より私にはよほど頼りになる男の人に見えました。
多分学生時代に出会ってそのまま社会人になっても続くカップルの場合、それこそ新しい生活パターンに同時に、せーの!で移行出来ないと、
社会人と学生(フリーター)だと趣味に使える時間の取れるタイミングとかが合わなくなるので、うまく2人同時にパターンを移行出来なかった彼らは残念だったな、と思いました。
でも私は別れたら後にグーグルマップで写真が残ってたら、うわー、とマイナスな気持ちになるので、
別れてもふとグーグルで元彼女との姿を見つけて懐かしく笑って振り返られるのは、羨ましいほど良い別れ方したな、と思いました。
結婚していないのに、まるで結婚してるような同棲生活をあまりにも長くしていたから、中途半端な状態になってしまったのかな?とも思いました。
いくつか新しい出会いを重ねて、もしかしたら10年後くらいに復活婚しそうな2人で、キラキラしていて彼女も可愛いし、脚本としてはそれなりに良かったです。本当は、ハッピーエンドが好きなので★4からマイナス0.5にしました。
成長して、さらに大人になってね、と2人にエールを贈りたくなりました。
5年の生活が花の一輪。花束はドライフラワーにして胸の内に
beatsのイヤホンてそんな壊れにくいもんですか?これはbeatsのプロモーションを含んでるのでは?
冗談はさておき。
バター猫のパラドクスから始まるこの映画。後に登場する黒猫にはバロンと名付ける。「別れる男にひとつ花の名前を教えなさい」と説くのは元は川端康成。キノコ帝国のクロノスタシス。わたしの中の“サブカル”とも被っていたから面白かった。わたしはガスタンクではなく、店先のソフトクリームランプの写真を撮りためていたことがある。
否。サブカル、、というより自分の触れた好きなものを上手く醸成している2人のように見えた。興味のあるものに手を触れる時間と気力という特権は学生のものであるのは確か。重なる偶然を運命だと信じ切れるのも学生の特権だろうな。川の近くにアパート借りたいな。
ラーメンのレビューブログはもう何年も更新されていないだろう。互いの環境や立場が変わり、緩やかに枯れていく恋。ふたりでいるために就職したのに、それがきっかけですれ違っていく姿は辛かった。きっと言葉が足りなかった。言葉をかける時間もなかった。それぞれ互いを思っての生活なのに、互いを見つめているはずなのに、視線が交差しなくなっていく。5年という月日は、出会った頃のお揃いの靴を履くファミレスのふたりが変わってしまうには十分すぎた。ファミレスのあの席はもう空かない。
恋愛感情はなまもの。愛へと昇華できればいいが、大切なものがスッポリ抜けてしまえばそれはただの情。それに気づいた絹は揺れなかった。でも、最後の3ヶ月には確かにふたりの愛はあったよね?
この先、麦と絹は焼きそばパンをスーパーで見た時や、イヤホンのRとLを確認した時や、ゼルダの新作が出た時やファミレスのドリンクバーを薄く感じる度に相手のことを思い出すのだろう。毎年同じ場所で咲く花を見て、花の名前とかつての恋人を思い出すように。
花束みたいな恋だった。5年の中の出来事はひとつひとつが一輪の花で、それで繕った大きな花束。花もなまもの。枯らすのではなく、ミイラでもなくてドライフラワーにしてそっと胸の内に閉まって置く。
あ、賛否両論ありますが、わたしは恋人と観に行きました。良かったね、を皮切りにふたりのこと、今までのことを色々話しました。出会いは、教会。互いのTSUTAYAカードが某映画スタジオの名前を冠した期間限定デザインで運命だと思った。ふたり共まだ学生だったから、この出会いは神様の思し召だと信じた。あれから4年。すれ違い離れても、また手を取り合った過去がある。楽しいことも辛いこともあった。未来が不安になることもある。これからもきっとそう。わたし達にどんな未来と別れが待っていようとも、今ふたりでいることを選び続けている。それだけで十分ではないでしょうか。
タイトルなし(ネタバレ)
エモが詰まった花束みたいな映画だった
一つ一つの気持ちやエピソードがものすごく身近でリアルで、あるあるって思いながら気づいたら自分のことのように思えて
なんでこの世は恋愛物語ばっかなのだろうと思うけど、人の共感できる最大公約数が恋愛なのだとちゃんと心で理解できた気がする
恋の始まり
出会って気が合いすぎてテンションが上がって
うっかり浮ついた言葉を口走って意識して
でもお互いの気持ちの距離を小さく確かめ合いながら距離をつめて
女の子の影に少し冷めてだけどタイミングを逃すまいと追いかけて
大学生らしく勢いで相手の家にコロンと上がって
わかれたあとにニヤニヤが自然とこぼれて
帰って来た時に余韻から冷めたくなくて
まぶしくてエモくて胸がくるしくなった
夜食が焼きおにぎりなのも、同席した男女の挙動おかしくない?って笑うのも、小説を交換するのも、映画中寝ちゃうのも、濡れた髪を乾かしてもらうのにドキドキするのも、何もかもがまぶしかった
絹が「電車に揺られる」って言い方するんだなって小さな挙動にときめく一方、麦が「麦の描く絵が好き」って言われたことだけ何度も反芻するとこが男女の違いがうまく出ててよかった…
同じ生活をしてれば同じ価値観でいれるけど、やっぱり環境が変われば考え方は変わる
変わった方は「いつまで相手は変わらないんだ」といらつくし、変わらない方は「これまで二人で大事にしてきたものを無下にされていく」と感じる
どちらも悪くない、この中で磨り合わせてくしかない、でもそれができなくなって別れていくカップルが山ほどいる
それを坂元さんはものすごく緻密に丁寧に描くから刺さりまくる
ずっとベッドでうだうだする休日も、思い出なパン屋や映画も、共通の具体的ものが思い出が増えるほど大切になっていく
だからこそ、そこが閉店したり、好きな作家が死んだりすることで小さく心に水をかけられたような気持ちになる
それを坂元さんは知っている
別れるまでのくだりがとてもとてもリアルだった
すれ違う中で、小さなことだけど共有できなくなって、共通の大切なものが減っていって、それはお互いそれぞれに辛さがあるけど自分のことしか見えなくて汲み取れなくて、そうして無感情になっていく
うわって思ったのが、絹が転職することでケンカした時うっかり最低なプロポーズして、これまじでやばいケンカじゃんって内容なのに、「ごめん言い過ぎた」ってすぐ何事もなく仲直りしたこと
二人は関係が長すぎてもはやケンカにもならないし、ケンカした後の空気な戻し方を知っているんだ
だけどそれはさみしい方の慣れだった
お互い同じタイミングで別れようと思ったのに、淡々と事務的な話をする女の絹と、結婚式の後楽しく過ごせたからまたやり直そう結婚しようって言う男の麦の対比もわかりみ深い…
そうそう男はまたやり直せるんじゃとか思っちゃうんだよ…
でもファミレスで思い出の席に座れない時点で二人の運命はもう決まっていて、
結婚ならお互い空気みたいに恋愛感情なくなっても(って言い切っちゃうのがまた切ない)いられるんじゃ?嫌なとこ目つむって関係続けてる夫婦たくさんいるじゃん?って提案した後
自分達の座れなかった席に、かつての自分達みたいな恋のはじまりを体験しているカップルが現れて、それのまたまぶしいこと…!
その二人がまぶしくて尊いほど、二人がそれを失ったことを思い知る、その二度と手に入れられないものはあんなに大事だったんだと思い知る、それを惰性でこのまま関係を続けることで壊したくないっていう想いが二人に芽生えて抱きしめ合って別れる
言葉がなくてもわかる
二人は思えばずっと同じで、同じタイミングで付き合いたいとかどうでもよくなったとか別れたいとか思ってたね
同じだから恋ができて、同じすぎたから続けられなかったのかもしれないね
でも同じで大切だったから、終わり方もとても大切に広げた布を畳むように丁寧に静かにほどよく仲良く、これまで言えなかった答え合わせもできながら別れられた
その関係性もエモかった…
たぶん大切な恋すぎたから、大事にとっておきたかったんだ
そのままなあなあに、なんだったんだろうあの恋はって後で思わないように、綺麗なまま終わらせた
相手のいない日常の中にも、自分のなかにも、相手の影はあって、髪を乾かすとき、イヤホンをつけるとき、相手を思いだす
これが恋なんだと全力で思わされるとても素敵な作品だった…
今村夏子の『ピクニック』を読んでも…
土曜日、『花束みたいな恋をした』を観てからというもの、麦と絹が僕の頭のなかに住み着いてしまっていた。それも、2人とも、前を向いているのではなく、未練を引きずった状態で住んでいた。望まなくして2人と生活を共にすることになった僕であったが、2人を見るたびに否応なくあの頃を思い出してしまう。思い出して、苦しくて、悲しくて、どうしようも無くなっていたので、木曜日、もう一度観て、レビューを書いて、2人には申し訳ないが僕の頭の中から出ていってもらおうかと思う。
この映画を観て1番悲しかったのは何かと聞かれれば、それはやはり麦が社会に揉まれていく様を見せつけられたことである。麦が読む本は小説からビジネス書になり、食べるものは手作りのパスタからコンビニのうどんになる。人間というのは、小学生から中学生、高校生と成長するにつれて、体内に取り込む食べ物や本などは自然と変化していく。それは、生きていくうえで、色々なことを経験し、知っていくことで視野が広まった結果であって、それは全く問題ない。何故なら、そこには感受性というセンサーが働くからである。そのセンサーが体内に取り込むものを自動的に取捨選択してくれる。今回、ポップカルチャーの好みが驚くほど同じであることが2人を繋いだ。それは、いってしまえば2人の体を構成する要素が同じであることとイコールである。遺伝子レベルでの繋がりを感じることができた2人は、俗な言い方をすれば「運命の人」であると互いを認識できたのだろう。
しかし、社会に出た麦には、果たしてセンサーが作動していたのだろうか。本屋で前田裕二の『人生の勝算』を手にさせたのは、スマホにパズドラをダウンロードさせたのは、近所のパン屋が潰れてしまったという絹のLINEに「駅前のパン屋で買えばいいじゃん」と返信させたのは、本当に麦のセンサーだったのだろうか。おそらく、「社会」に埋もれていった麦のセンサーは機能不全に陥ってしまったのだろう。機能不全に陥ったセンサーは、イラスト用の道具を机の端に追いやり、絹が麦に薦めた本を無造作に積み上げていく。かつて絹に圧迫面接をした面接官に対して、麦が言った「その人はきっと今村夏子の『ピクニック』読んでも何も感じない人なんだと思うよ」という台詞。時が経ち、麦の取引先のおじさんに対して、同じ台詞を絹が言ったときに、麦が「俺ももう感じないかもしれない」と口にしたのはあまりにも悲しい。
絹は、麦に本を薦めたり映画に無理やり連れていったりして麦のセンサーが正常に作動してくれるのを望んだ。しかし、その望みは虚しく打ち破られてしまう。本を薦めても麦は仕事の車の中にその本を放り投げてしまうし、映画を観させても麦は何だか退屈そうだ(映画を観終わった日の夜、麦は絹に「映画面白かったね」と、およそ機械的に言う。昔だったら、観た映画について何時間も語り合っていたはずだったのに…。ここも、僕が悲しいと感じたポイントの一つだ)。何をしてもセンサーはもとに戻らない。それが分かってしまったため、絹は麦と別れることを決意したのかもしれない。
麦のセンサーが壊れたまま2人が別れ、映画は終わってしまったのであれば、その映画を観た僕たちモラトリアム人間は、おそらく誰一人として「社会人」になることを望まないだろう。何故なら、彼らは観たあと、「社会人」になるということは、自分たちの精神の拠り所であったセンサーを壊すことである、とそれとなく理解するからである。しかし、そうでは無いのがこの映画の面白いところだ。別れることを決めた絹と麦は、「最後くらい楽しく」ということで、それはそれはまるで付き合いたて2人のように、楽しく、カラオケをし、缶ビールを飲みながら歩き、別れたあとは映画も観た。時間の経過もそれを助けたのだろうが、別れることを決めたことで、麦のセンサーが復旧したのである(このことは、最後のシーンで、麦が沢山の本が詰まった本棚の前で手作りパスタを食べ、ストリートビューをしていたことからも分かる)。これを理解できたのは2回目に観たときであったが、このとき初めて、僕の胸のなかにあったもやもやが、すーっと消えていくのを感じた。そうか、別れることで幸せになれたのか、と腑に落ちることができた。
長々と書いてきたが、今ふと頭の中を覗くと、そこに二人の姿は、無かった。…良かった。これで僕は生きていける。そんなことを思いながら、僕も絹のような女性と出会うことを夢見て、きのこ帝国の『クロノスタシス』を再生しつつ、映画の半券を挟んでおいた文庫本のページをめくるのであった。
肝心な事言えてなかったじゃん
辛いと思った時の対処の仕方
彼女が思い続け実行していた話
そこには先があって
男はその「あと一歩」を乗り越えたいタイプだった。
好きな子の誘いについ動いてしまったり
タンク映像を切り捨て出来なかったり
海でギリギリしらす丼を買って来たり
後輩の甘さに怒りきれなかったり
がんばっている事を褒められたいと思う気持ち。
凄くわかります。
同じ趣味、喜びを共用したい二人だが
彼女が彼と同じように成長して助けたいと思うのは
今の世の中だと思った。
女性の自立と結婚の選択を理解できなかった自分は
かなり痛みを感じる映画でした。
坂本裕二さんらしい凄い映画
坂本裕二さん脚本じゃなかったら観てないであろう映画
やはりただの恋愛映画ではなくてとっても良かった!!
これを普通の恋愛ものと思ってしまう人もいるのだろうけれど意見が分かれそうです。
とても趣味が合う相手と出会い、恋愛して、価値観がだんだん変わっていきすれ違っていく4年間の恋人たちのお話。
恋愛は生モノという言葉もでてきたけれど、恋がなくなっても恋人としてじゃなく結婚だったら続けられるのかとか、そこはそれぞれの価値観あるよね…と改めて考えさせられた後半ファミレスシーン凄かった。
若い頃いつも自分たちが座ってた席に昔の自分たちのような若い男女がそこに偶然いて、自分たちと重ね合わせる対比シーンは泣ける。よくこんなの思いつくよ。
坂本裕二の「カルテット」でも恋がなくなった後はどうするテーマがあったのだけど、この方はなんでこんなに本質がわかってるんだろうか…一体どんな恋愛してきたの?
心にグサっと刺ささる所がある。
別れても4年間の恋と想いをそれぞれがずっと心の中で大切にしながら別々の道を生きていく。
誰しも一度は経験した事あるようなあるあるな話だからこそ自分に重ねたり共感できる部分があって良かったんだろうなと思った。そして、ラストシーンは悲しく終わるんではなく笑える!
あと、サブカル固有名詞がたくさんでてきたのもツボで二人の本棚中身が昔〜今の自分とめちゃくちゃ似てたし、穂村弘、きのこ帝国、マムアン、ゴールデンカムイ、ストレンジャーシングスなど好きなものが沢山でてきたり。カラオケシーンが何回か出てくるんだけど、音楽の趣味がぴたりと合う人ってなかなかいなくて、そんな人とのカラオケって最高なんだよなー思ったり観終わった帰り道余韻に浸った映画でした。
タイトルなし(ネタバレ)
自分がちょうど片思い中で、恋愛映画を見たい気分だったので1人で映画館に足を運んだ。
よくある大学生の恋愛、という感じの内容でその生々しい感じに途中至極気持ちが悪くなったが大学生の自分には感じることの多い作品であった。互いがどれだけ愛し合っていて永遠に一緒に居たいと思っていても、価値観の違いだけは擦り合わせることができない、その残酷さが酷く頭にこびり付いている。お互いに永遠に恋愛感情を持ち続けられる恋人達は存在するのだろうか?永遠に同じ愛情を抱き続けることは不可能なのだろうか?それが不可能だとして、その緊張感のない関係のまま付き合い、結婚し、家族になることは妥協なのだろうか?大学生の自分がこれから向き合っていく問題が多く取り込まれている作品であったので、恋愛に何か少しでも悩みを抱えている学生は1度見てみることをお勧めします。
【追記】
二回目見に行ってきました。相変わらず二人の所謂サブカル好きに若干の嫌悪感を抱きますがそれはさておき、これ、二人の出会いはいかにも偶然偶然が重なり運命的な出会いをしたかのように描かれていますし本人たちも多分そう思っていますが、実際は案外普遍的な出会いなのかもしれません。追記冒頭に記載しましたが二人とも所謂サブカル好きで、まあさすがにガスタンクとかミイラ展に関してはお互いに少し無理して合わせていたところもあって本当に「サブ」という感じがしますが、お互いの読んでる本は実は小難しいように見えて案外読みやすい作品が多いように思えますし、お揃いのスニーカーもあんな白のスニーカー誰でも持っているわけですよ、最後のファミレスのシーンの男女もそうであったように。天竺鼠のライブを二人とも見に行かなかったのは運命だと思いますが、それ以外は別に一つ一つの事象が偶然運命的に一致したのではなく、ただ二人が典型的なサブカル好きで、その二人が出会った、ただそれだけなんじゃないかと思います。色々な見解がありますが、私は最後のファミレスのシーンも、私たちだけの特別だと思っていた出会いも、広い世界で見れば至って珍しい事ではないんだよ、と狭い世界の二人を広い世界へ解き放つためのシーンに思えました。
ここまで二人の出会いは別にそこまで特別ではないよ、と二人の恋をディスるような発言をしましたが、恋愛中の彼らやその別れ際は本当に羨ましい、と思うほど私の理想的なものでした。私もサブカル好きになって、その普通から少し外れた狭い世界の中で趣味のあう人間を見つけて恋をしてみたいものです…。
総評として追記の前の感想でも言いましたがぜひこの映画は恋愛中の方もそうでない方も皆さん一度は見てみてほしいです。今見て、また少し時間がたった時にネットフリックスなりDVDなりでもう一度見てその時思った事と今感じることの違いを楽しむのもいいと思いますし、この作品人によって本当にとらえ方が違いますので(男友達は絹ちゃんに腹を立て、女友達は麦君に腹を立てていました)友達と感想を言い合うのも楽しいと思います。ただ恋人同士で言い合うと破局に繋がりかねないのでお勧めしませんが、多分この映画の感想で破局に繋がるという事はこの先いずれ価値観の違いでぶつかると思うので、遅かれ早かれいいのかもしれませんけどね(笑)
とはいえ麦君の仕送り五万円だけは許しません。
以上、貧乏女子大学生のレビューでした。
学生時代の恋を思い出しました。
学生の時に付き合っていた人は、趣味に熱中しているところが好きでした。
でも、好きなこととはかけ離れた業種に就職して、いつの間にか趣味への興味も薄れているように感じ、あれ?私の好きな彼とは違う…と感じてしまって別れました。
もし、好きなことの延長線上にある仕事に進んでいたらどうなっていたかな、と考えたことがあります。
もちろん、好きなことを生業にして生活していくのは大変なことです。
この映画の麦くんのように、二人で居るために堅実な就職をすることは理解できます。
でも、仕事に忙殺されて、生活が無味乾燥になったら本末転倒だよ、麦くん!と言ってあげたい気持ちで一杯でした。
好きだった小説や漫画や映画さえ、頭に入ってこない、心に響かない…。それって何の為に仕事してるんだろう?守りたかった彼女との「生活」とは?
心豊かな生活を一緒にしていきたいのに、その為に仕事を頑張ったら豊かな心を失ってしまうなんて、切ないことですね。
同じことで感動したり、悲しんだり、それを共有できる夫婦が理想ですが、そこまでいかなくても、もう少し共有する気持ちの余裕が二人にあれば、ずっと一緒にいることが出来たかも…。
別れると決めた後、麦くんが以前のように小説や漫画や映画を楽しめる心の余裕を少しずつ取り戻していったと思いたいです。
いつもは純粋なラブストーリーを観ない私ですが、坂元裕二さん脚本ということで観に行きました。
こんなにあれこれ考えさせるなんて、流石です。
魔女の宅急便、実写版の方かよ!?に笑っちゃいました。
思い出の扱い方
うーん、観る人の年齢や性別で捉え方や見方が大分違う映画。でもそれほどまで多様な見方をさせるほど、リアルでパーソナルな感情をとても丁寧に描いた優れた映画だと思います。
私自身は子供もいる30代のおじさんですが、この劇中のふたりとちょうど同じ年頃で5年ほど付き合い、別れた彼女がいました。なので、エンタメとして楽しんで見つつ、当時の幸せな時間とそこらから連なる今の自分の歩みを感じる不思議な時間でした。
これは私見ですが、花束のような恋は間違いなく自分の肥やしになると思いますが、別れ難い切なさも内包するものだと思います。『さようなら』は『そういうことであるならば』の略であり、まさに花束のような恋だからこそ『さようなら』の意味を、痛いほど受け入れて時間をかけて学ぶものだと思います。別れを2人が決めてさわやかに2人で過ごすくだりは個人的にはさっぱりしすぎていて、ここの部分だけは腑に落ちないものがありました。
この2人がこれからの人生の中でこの素晴らしい思い出をどう扱っていくのか、おじさんな私はそんな余韻に浸りながらエンドロールを見てました。
花束
良かったです。
別れるの知ってる前提で観たからか最後はあんまり、、
ああそうやって別れちゃうんかーって感じでそれ以上は...。
でも付き合う前、付き合ってからの楽しいやり取りがリアルでそうだなって思った。
すれ違う感じも。
でも多分この二人の恋愛理解してる"つもり"なだけ。
麦くんの現状維持が目標ってのがあまりしっくりこなかった。
もちろんこのままずっと二人で幸せでいたいってことは分かるし、
でも現状維持が目標じゃなくてどんな状態、環境でも二人で一緒に乗り越えていくのが目標だったらなって思いました。
やっぱり女だから絹ちゃん側に立ってしまう。
絹ちゃんはただこのまま二人の生活が続いて欲しいだけでまだ結婚は考えてなかったように感じる。
花の名前は教えなかった。
最後も"別れ"という言葉は言わない二人に胸が詰まりました。
観てやっぱり恋愛と結婚は違うんだなと。
別れて忘れるんじゃなくて思い出にしてて、さっぱりしてる終わりが好きでした。
別にカップルで観ても良いと思うしむしろ観な?って感じだと個人的に。
自分達に置き換えないで第三者目線でなら逆に大切に思えると思う。
"余裕そうに見える男は私を見下してるだけで..."
ツッコミどころが多くて、自分には合わなかった。
リアリティがあって、20代からの評価が高いって聞いたから観に行きました。
たしかに、男女のすれ違いの様子や感情の移り変わりは繊細に表現されてた。
男の子が閉鎖的になっていって、女の子が垢抜けてアクティブになってくのはリアルだった。
喧嘩したときに絹ちゃんが言いたいことを抑えて麦くんの言うことに頷いてるところなんて、特にリアル。
でも、映画としては微妙かな…
最初麦くんが憧れている女性にフォーカスを当ててたから、後に出てくるのかと思っていましたが特に何もなく…。なぜ相手の女性にあんな意味深な表情をさせた?
価値観や好みが似てるから惹かれ合う…そんな単純なもの?
夫婦も親子も然り、長年連れ添ったからこそ似てきて、その面白味を感じるもんじゃない?
服もデートの度に毎回似てたけど、違う日にした方がよかったな〜。まあ、同じ日の方が分かりやすいし、絵になるけど…。
猫はなんで出したんだろ?今後も意味あるのかと思ったけど何もなかったね。
オダギリジョーは何?なんで膝枕してたの?ただのスパイス?
どうして先輩は亡くなったの?しかも理由も微妙だし…2人のスレ違いを決定的に表現する為のモノだったかもしれないけど、なんか安直だった。
しかも絹ちゃんは、先輩の本性を知っているから悲しめないみたいだったけど、だったらその本性とやらをストーリーの節々に落とし込むべき。
頭のキズ一つ、片方の意見だけを聞いてDVだと思い込むのはどうなの?彼女の方とよほどの信頼関係ができた描写があればまだしも…。
日常的にDVを受けているとか、他にも複数の女性と付き合っているとか…死を扱うなら、もっとそういうところを丁寧にしてほしかった。
ファミレスで別れるところは特に退屈だった。
別れ話するのはいいけど、そんなタイミングで似たような男女に会うことある?フィクションだと分かっていながら、あまりに非現実的過ぎて感情移入出来なかった。
長年付き合って、別れた恋人がいたなら感動しそう。
もう一回観たら面白いのかな。
劇中で取り扱っていた音楽が全部最高だった。
付き合う前のカラオケはきのこ帝国で、別れる前のカラオケはフレンズって…憧れる!!
キャスティングと彼らの演技は控えめに言って神。
音楽とキャスティングで★★★。
年齢によって感じ方が変わるはずです
感想は「人生の甘くも塩辛い部分であり真実である」といったところです。
最初の出会いは「ありえね」って思うかもしれませんが、人生の中での「めぐり逢い」というものを象徴したシーンとして捉えれば各人にも当てはまることも多いかと思います。そこからの急展開とか、心ときめくシーンとか様々ですが、私達の人生に重なるところが多いのかなと思いました。
ホームで出会うところから、デートを重ねて、同棲するところまでは見ている方も幸せが伝わってきて、羨ましい限りなのですが、実際の結論は「出会いは別れの始まり」になってしまうわけですね。
この結論が受け入れられる人は恐らく年令問わず、人生の渋いところを経験していて、それは自分だけじゃなくて、世間でも本当に起こりうることなんだっていうことが理解できている人かと思います。
逆に、「そんな結論になるなら、4年も一緒にいて最後は別れるってなるなら、何のために愛し合ったの?」「こんな結論はモヤモヤして、不安で受け入れたくない」と理解不能な方もいるとは思いますが、これがある意味「若さの苦しみ」というものかと思います。中高校生から大学生、社会人1,2年目あたりでこの映画を見ると大半は後者の感想を抱くのではないでしょうか。
この映画を見て、がっかりした人もいるでしょうが、人生は夢に敗れることもあるというのは本当のことです。それを教えてくれる塩辛い映画が本作です。けれども、人生には美しいばかりの喜びがあることも事実です。
「最初から人生の未来に苦しみが待っているなら、幸福を手にした後の落差に苦しむことが待っているなら、そんな幸せはいらない」と考えたくもなるかと思いますが、最大限自分の出し尽くせるだけの優しさを人に与えて、それでうまくいかないことが起きたのなら、それはそれで素晴らしいことかと思います。
人生は長いですし、愛について深く考えることで、一皮むけて一層素晴らしい自分が見えてくるはずです。
また、どうしてもこの結論のもやもやが取れずに困っている人は、主演の一人が小松菜奈さんに変わりますが、『糸(2020年公開)』が真逆の結論、ハッピーエンド中のハッピーエンドになっておりますので、お口直しをしていただけるのではないかと思います。
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