花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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春の風を待つ
Awesome City Clubが好きで、映画にも興味が湧いたため、観にいきました。
もしも「勿忘」がエンディング曲だったら鑑賞後の印象は全く変わっただろうなと、まず思いました。
個人的には、エンディング曲が軽快な曲であったり、別れた後の描写を入れてくれたことに救われました。ふたりはその恋愛を消化しきれたのだろうなと。晴々とした喪失感というか、そのような感情が浮かびました。
感情も環境も変わっていき、いつか終わる。そのなかで、自分自身と、そして大切な人と、どのように向き合うべきか。そんなことを考えるきっかけとなる映画でした。
ヲタクだって恋したってよ。
俺の知ってるサブカルと違う。
小説、書籍からマンガ、TVからカルト映画、天竺鼠トークライブ、舞台演劇、あそこまで広範囲に趣味を網羅出来ているサブカルヲタクなんて存在するのだろうか。あとミイラとガスタンクも。
吉田豪でも怪しいと思う。
麦くん、本棚にAKIRAと猫村さんは有っても、トドのつもりは無いんですよね、押井守なのに。 本好きが本もタテに積んでないし。
切って貼ったようなサブカル像に違和感を感じたんですよ。
そうですよ、あの民族が「替え玉無料です。」なんて気を利かせた挨拶する? ストロングゼロじゃ無くてスーパードライ買う?
とりあえず文句をつけよう、虚構だ、フェイクだ!と重箱の隅を調べよう。
アイツらはニワカだ、サブカルワナビーだ!
こうでもしないと帰って来れない。
半分は嘘かも知れないけども、残りの半分は真実を描いてた。
しかもこっちが本質だし。
田島貴男の曲が好きな女の子が居て、ベッソンの映画に2回誘って、誕生日に初号機のフィギア貰って、4年後に「部屋のカギ返すね」って言った女の子が居たんですよ。
重箱の隅でもつつかないと成仏出来ない。
帰って来れない。
今日もエヴァンゲリオンの事を考え、スニーカー情報を調べ、ラジコで東京ポッド許可局を聴き、丸屋九兵衛のYouTubeを楽しみにして、ぱいぱいでか美と絵恋ちゃんを応援するのですよ、俺は。
観る人によって評価変わるね
カップルで見に行く映画ではない
最後ハッピーエンドで終わらないところが良かったです。
長く付き合えば付き合うほど情が湧くきこういう結果になってしまうんだなとしっくりくる映画でした。
菅田将暉さんと有村架純さんと演技も良かったです。
ただ、カップルでは見ない方がいいと思います
期待しすぎた感
似たもの同士が違った点
考え方も趣味もそっくりな二人だけど、絹の母親が「社会に出るってお風呂に入るみたいなもの」と言った時、それに共感できずにいる絹となんとなく共感していた麦がのちのちに生きていく価値観の違いにかわっていったように思えました。
それにしてもあんなに素敵なイラストを描くのをやめてしまったままの麦がもったいないです。
今回の菅田将暉は仮面ライダーには変身しません!
お客様からのよくある質問
Q「菅田将暉は仮面ライダーに変身しますか?」
A「今回の菅田将暉は仮面ライダーには変身しません」
昨年の糸に続きまたもや恋愛映画に抜擢された菅田将暉。
またいつものように自暴自棄になるシーンで仮面ライダーに変身してしまうのではとヒヤヒヤしていたが、今回はどうも様子が違う。
よくある夢を追う大学生というか、ちゃんと麦君という青年を演じている。
それだけではない、日本映画によくある芸能事務所のゴリ推しでねじ込まれたミスマッチな人選やあからさまなステルスマーケティングと言ったうんざりする要素が無いのである。
監督から「菅田将暉を使ってやるから後は口出しすんな、広告代理店なんてコロナで経営ボロクソだしお前らが映画作ってるわけじゃねーんだから勘違いすんなや」と言わんばかりの気概が手にとるように感じられとても好印象である。素晴らしい。いつもなら売れている芸能人の一人でも出てきて作品の空気がぶち壊されるところだがそういう心配もない。しっかりと主人公の二人にフォーカスされており話があちこちに飛ばない。
なんと言っても絹の両親が広告代理店である。その親がまた世間ズレしていて痛いセリフを吐いてくるのだから見ていて気分がいい。人生は責任て、中抜きして他人様のお金を巻き上げてるだけの人間がどの面下げて言っているのか、と私もお金をもらって感想を書いているわけではないので規約に違反しない程度で好き勝手言える。
さらに脚本の構成、カメラワーク、セリフの言い回しなど細かい部分までよく練られており、冒頭から最後まで1秒足りとも飽きるシーンがない。最後、エンドロールが終わって劇場が明るくなって初めて終わったことに気がつくほど。これだけ映画に集中できた作品はなかなかない。
特によかったのが、麦と絹が二人でレストランで話をする物語の山場のシーン。横からの固定のアングルで、向かって右側に麦そして左側に絹の配置。非常に単純かつシンプルな構図である。これは映像では非常に珍しい。下手な監督ならここで唇のアップやら喋っている人物の背後から相手を抜くような構図にしながら横にスライドするだろう。
そして語りが麦から絹へと移ると今度は逆に絹が右側、麦が左側となるのである。
何故この重要な場面でこのようなカットとしたのか。おそらくこれは映像ではなく「マンガ」の手法を取り入れたのではないか。マンガは映像と違い「本」である。日本では右から左に読むため、自ずと会話の流れは右手が上手、左手が下手となるのである。この概念は自由に画を動かすことができる映像にはない。しかし自由であるからこそこのような表現は盲点であり、斬新に映る。おそらく、画を動かしすぎると話の内容が入ってこなくなるからだろう。止まり切っている画だからこそ言葉の重みがある。
そう思える理由は、作中に幾多も実在するマンガが登場し、先述したように単なる道具ではなくきちんとリスペクトを感じられるからである。またマンガだけではなくゲームや文芸や劇団への愛情も感じられ、サブカルチャー全体への配慮が伺える。今回のテーマがテーマだけに、作品の出来が悪いと映画好きな人をただ批判するだけの内容となってしまう。そうならないように、あくまでも娯楽としての立ち位置を忘れないところに拘りを感じた。
ベランダから外に出るだけのシーンでも、足元から舐めるようなアングルで始まり、ガラス戸を開けて多摩川を一望した後に二人を包み込むように柵の外からゆっくりとぐるっと回り込んでから会話が始まるシーンはなかなか映像ではお目にかかれない表現である。おそらくドローンか何かを使ったものと思われるが、こういった表現はゲームなどでは頻繁に見られるのである。ゼルダというかマリオのジュゲムと言った3D上をフワフワと漂うカメラアングルは影響を受けているはず。
構図ばかりの講釈が続いてしまったが、1つ1つのセリフも印象に残る。ややネタバレではあるが、カラオケ屋に見えないカラオケ屋、サンキュー!押しボタン式、社会性は才能の敵だ!などなど。脚本の構成も因果応報というか、巡り巡って自分に帰ってくるというギミックが要所要所で決まっている。なかなか計算高い。基本的な天丼はお手の物。
また、現実的な話をすれば夢を追い続けるのが男性の麦で現実的なのは女性の絹になるはず。それを付き合いを深めるうちにお互いの良いところ悪いところに影響されてしまい、そうなってしまった経緯を考えると実によく考えられた作品だと思う。
1つだけよく分からなかったところが、終電を逃し改札の前で出会った行きずりの4人がバーで飲むシーン。解散したあとサラリーマンとその彼女はタクシーでそそくさと千歳烏山まで帰ってしまうが、始発まで飲んでいたのではなかったのか?タクシーで帰るなら終電を逃してもさっさとタクシーに乗ってしまえばいいのに。
最後に視聴した人間として年齢的にかなり心に刺さる内容ではあったのだが、これだけは共感できたのが「結局のところ夢は諦めない方がよい」ということである。夢を諦めて現実をもぎ取ろうとしてもそれは「次の夢」であって現実ではないのである。つまり人間とは永遠に夢を追い続けるものであって、現実とは今ここの一瞬一瞬に存在するものである。そう考えると麦も絹もまだまだ人生ここからなんだろうなと思い劇場を後にした。
と、ここまで書いてふと思ったことがある。
花束とは、そういう意味だったのかと。
綺麗なリアル恋愛
渋谷パルコ閉店って知らなかった
2021年映画館鑑賞27作品目
3月16日(火)イオンシネマ石巻
若い頃は東京に住んでいたこともあり今は田舎者なので渋谷パルコ閉店していたとは知らずショックだった
仙台にはパルコがあるのに
無くなっちゃのかと思ったら19年にリニューアルオープンしてるじゃん
それくらい自分のなかでは東京は大きく離れてしまった
『花束みたいな恋をした』というタイトルがまずピンとこなかった
女子ならきっと「わかるーそういう恋もあるよねーあるあるー」ってやりとりが想像できる
自分はヤボテンなので花束というとプロレスラーや生ダラの石橋が試合前の乱闘で叩き合うための小道具というイメージが1番先に思い浮かぶ始末
『あの頃』は男臭く『あのこは貴族』は女臭かったがその後遺症がこの作品のおかげで中和され心は浄化した
2人の間に浮気とか暴力は一切ないまま終わるのも美しくて良い
原作無しのオリジナル
冒頭は元カレと元カノが喫茶店でバッタリ出会うシーンから始まる
2人の出会いと別れを振り返り最後は店を出ていき背中越しに2人はバイバイする
麦と絹の物語
2人の名前の響きも良い
終電乗り遅れでバッタリと出会い似たもの同士ということで話が弾み意気投合
2人はやがて付き合うことになり調布駅から歩いて30分の川沿いのマンションに引っ越して同棲生活が始まる
2人の会話とか心の呟きは全く意味のない情報の羅列で脳内のだいたひかるが「どうでもいいですよー」と何度も何度も抗議する
そこから後半は「どうでもいいですよー」に対して脳内の陣内智則が「どうでもいいことあるかい!」とツッコミを入れてくるような作品
長岡から上京してきた麦の父親が地元に帰らないなら仕送りをやめるという
それがきっかけで麦はフリーターを辞め就職することになる
絹は資格を取り病院の事務員に就職
そこから2人はズレ始め別れていく
麦は変わっていくが絹は変わらない
『劇場』とは逆
仕事のイライラなのか転職する絹に辛く当たる麦
いわゆるモラハラいわゆる精神的DV
絹はどうしてもそれが許せなかった
大事にしているものをパートナーに傷つけられるのはかなりきつい
菅田将暉も有村架純も前半は平均的な菅田であり有村に過ぎなかったが後半からは非凡
部屋で喧嘩の勢いでプロポーズするときの麦の表情が印象的
最悪のプロポーズ
これも絹が許せないポイントか
ファミレスでやっぱり別れたくない結婚しようと説得に励む麦に対する絹の表情も印象的
女がこうと決めたら絶対に変えない人が多いなか男ときたらいつまでもグズグズしている人が多いね
そんなやり取りのなか隣の席に初々しい付き合い始めのカップルがやってくる
岩崎宏美ように前髪で額を隠す清原果耶登場
麦と絹は付き合い始めた頃を思い出し絹は泣き出し先に店を出る
麦も後を追い店を出て2人は夜のファミレスの前で抱き合い結局別れることになる
このやりとりは泣ける
どうでもいいありふれた内容だが欠伸ひとつ出なかった
不思議と退屈しなかった
自分に合っていた作品だったこともあるが脚本がそれだけ優れていた
さすが東京ラブストーリーの人
カメラ割も自分好みで2人のシューズの描写なんていらないだろうと思うがそれがいい
もう一度映画館で観たいとは今は思わないがDVDとかで何度も何度もセリフなどを確認してスルメイカのように味わいたい名作
飛田給っていま思うとやっぱり変な駅名だな
飛田某って名前が胡散臭い
オダギリジョーは『深夜食堂』と同様に溶け込めていなかった
韓英恵は『ひとよ』とかではキンタローに寄せていたが最近はだいぶ綺麗になった
桜井亜美の小説の表紙を飾っていた頃に少しだが戻りつつある
イヤホンのLとRの話でB'zの『BE THERE』の出だしを思い出した
荷物を海に捨てて逮捕された運転手の顔は輪郭は違えど山田哲人の知人男性になんとなく似ていた
3ヶ月セックスしていなかったらそろそろ結婚しようかと言ってはいけないのか
それならセックスしている真っ最中に「そろそろ結婚しよう」と告げるのが最高のタイミングなのだろうか
心に突き刺さる映画です。
男女ではなかったとしても
恋愛に限らず。結婚に至る相手じゃなかったとしても、ソウルメイトかもしれないって思うくらい共感共鳴する人に出逢ったことがある人には、共感できる作品だと思います。
そんな漫画みたいな、フィクションみたいな事起こるわけないって思うでしょうが、それを経験している人はいます。
そんな人いるわけないじゃんって思ってたのに、出逢ったら最後。
魔法みたいな時間。
でもいつか終わるんです。
ずっとこのままでいたいと願っても、一生続くことはなく、どんどん変化していく。生きていればどんどん変わっていく。
こんな奇跡のような出逢いもう二度とないと思うから、また昔のようにと願うも、もう訪れない。年月が経てば経つほど苦しくなる。
共通点がなくなってしまったら、価値観が違うのならばもう別れるしかない。
自分だけだと思っていた事を“わかってくれる”ことを知っているから辛い。
始めから共通点もさほどなく、共感もなければ、期待もしないし、苦しくない。
好きな映画です。
ありきたりだけど
絡まることもないイヤホン
見終わった直後は、何かよく分からない感情があった
でも1日経った後も忘れられない、そんな余韻がある映画
物語は淡々とすっきりと進んでいくから内容が入りやすい
だが、内容のところどころに伏線がちらばめられ、そのときの麦と絹の感情を表しているかのような物が溢れている
時代とともに変化し
2人とも絡まりやすいコードのイヤホンを使っていたのに
いつのまにかワイヤレスイヤホンへ
コードのイヤホンは絡まっても修復できる
だが
ワイヤレスイヤホンは絡まることもない
喧嘩してもすれ違っても何度もやり直せる関係が
もうする気力もなくお互い交わらないことを意味している
これまではコードイヤホンは2人を繋ぐものだったのにそれがいつしか絹の声、好きなゲームの音を遮断するものになっていた。
2人の関係がここに現れていてとても悲しかった。
バッドエンドで終わらせなかったのがこの映画のいいところだと思う
お互いが想い出を胸にしまい、語られることもないままそれぞれ前を向いて歩いていく
そんな姿に目頭が熱くなった
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現在大学3年生
5年付き合っている人がいる
大好きな人
今大好きな人
前も今も大好きな人
これからも大好きな人
これからも大好きであろう人
でも未来は神に誓って約束できない
未来を約束してその約束を拘束できるものはひとつもない
きっと大好きと言えない時がくるかもしれない
好きと言えない時が来るかもしれない
そんな好きとか嫌いとか感情論を話せない話さない時がくるかもしれない
5年という長い時間が一言で終わるかもしれない
そして二人は隣にいないのかもしれない
でも5年の月日が作り上げたものは町中に溢れかえっている
一緒に食べたご飯
一緒に行ったお店
行きつけのご飯屋
大量の写真
同じ匂いの香水
道に迷って見た地図
一緒に聴いて歌ったあの音楽
忘れようなんて無理がある
上書きしようなんて無理がある
こんなことあったね楽しかったね
これまでの思い出をそう語り合うことはできないかもしれないけど
ずっとずっと心の中で咲いていてくれるはず。
後半はリアルすぎ
愛が始まる瞬間と終わりに向かう過程
価値観が似ている人ほど一緒に居たくなる。ということを極端に表現した出会いの場面。
駅からの帰り道も二人で仲良く歩いて帰って本当にお似合いの二人。
でも転職を機に徐々に二人のすれ違いが。
絹の親に言われた「責任」ということばや上司に言われた「5年は辛抱」を真面目に受け突る麦。好きな絵を描き、夢を語る麦が好きだった絹。
そんなすれ違いな二人が意を決して別れ話をするファミレスで、出会った時の二人を思い出させるような、これから恋が始まりそうな初々しい若い男女の会話が聞こえる。。。出会った当時の感情を思い出し、今とのギャップに悲しみが何倍にも膨らむ。
僕の涙腺はその初々しい男女の会話が聞こえてきた時に崩壊しました。本当に悲しく切ない場面です。
恋愛は、生活をしていくという、純粋な恋愛要素以外の要素が加わることで、関係性が変わっていくことがある、というのは大人になっても同じですが、若い時には 自覚さえ出来なく、すれ違いが拡大する、という事なのかもしれません。
恋愛の楽しい面と別れの切ない面の両方を感じさせてくれた、心に残る素晴らしい映画でした。
現実的にあり得ると思えて涙できる映画
学生時代の出会いから卒業後のフリーター~就職活動~就職後の生活の中で、移り行く関係を描く。自分はあのような出会いはなかったので、このとき、こんな恋愛があったのかもしれないのかと喪失感のようなものを考えて、あまり共感しないものだと思っていた。
だが、最後のシーンで、菅田将暉演じる麦くんの言葉にはじ~んと来た。とても現実的なことばだったし、空気のような存在になりえている関係を肯定しようとする前向きな言葉にも受け取れた。あのまま結婚してもいいのではと正直思えた。
映画では別れることになったけれど、あの関係で結婚していく関係もありではないかと思えた。たぶん、結婚しても、麦くんが言うようにいつもときめいている関係ではない、当たり前にいるような存在になっていくことがほとんどだと思うし。
菅田将暉の涙にはいつもじ~んとくる。実直でかわいくも男らしい。
総じて、暗くもなく、浮気シーンもなく、セリフも現実的。そう、現実的に思える映画だった。実際、あのような移り行く関係を経験していない自分も、あり得るんじゃないか、と、セリフの言葉も思えた。
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