花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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キャストに救われた映画
良かった点
•菅田将暉の演技力の高さに見入った
•有村架純が可愛い
•「こういうカップルいるよね」感が巧く表現されていた
悪かった点
•演出がくどい
•主人公と自分自身が同年代だからこそ、二人の考えが甘く思え、同情も感動もできなかった
他の方も書いていらっしゃるように、見る人によってかなり評価が分かれるのでは?と思いました。
世代や積んできた人生経験によって見方が変わり様々な感想があるので、その意味ではとても良い恋愛映画だと思います。
私は23歳での主人公達と同世代ですが、正直、<演出>と<ストーリー>に関して厳しい感想を得ざる終えません。
演出に関して唯一許容できたのは「出会った時お揃いの白いスニーカーだった」の一点のみです。
運命的な出会いを表現する演出がかなりくどく、うざかったです。
たとえば「初デートで上着が青、グレーのロゴ入りトップス、そして白いスニーカーが一緒」お腹いっぱいです。
このような演出が特に序盤に多数散りばめられ、「ドラマくさい」という作り物の印象を強く抱き、主人公達に感情移入しきれませんでした。
ただ、あの演出が「恋に盲目になりすべてを運命だと感じる若者」を表現するためのものだとしたら、アリなのかなと思います。
ストーリーについては、麦と絹ともに突っ込みどころがたくさんです。
(右矢印→は私の愚痴です。気にしないでください)
麦について
• 安易に新卒カードを捨て、「イラストの方でちょっとうまくいっているから」と大した覚悟もなくフリーランスに。
•地方の親から仕送り5万を貰いながら都内で彼女と悠々自適な同棲生活。
→自分の親、彼女両親から色々言われるのは当たり前
•覚悟の無さ、自信の無さからイラスト単価の値下げに応じる。
→自分の意思は曲げるな貫け。自分の価値を自ら下げる人に未来はない
•仕送りカットされやむなく既卒で就活するもブラック企業へ。
→当たり前
•仕送りがあった時の優雅な生活から一変息抜きも惜しいほどの忙しさから余裕を失い、彼女に向き合わなくなる。
•たった数年しか社会人していないのに社会をわかった気になって彼女の転職先に口出し
→よく考えてからものを言え
•プロポーズのタイミングが最悪
→どんなに長くお付き合いしていても一般的な女の子はロマンチックを望みます
絹について
•全体を通して「学生時代の心に余裕があった頃の二人の生活」に憧れすぎ
→心に余裕があるときにうまくいくのは当たり前。現実と向き合え
•前と違い仕事ばかりの彼氏とすれ違い、共に人生を歩むことに疑問を感じ冷め始める
→あるあるですよね。考えられる解決策は、「あと何年仕事に専念し続けるつもりか?」彼氏に聴取。こちらの許容年数ならその間だけ彼氏を支てあげる良きパートナーにモードチェンジ、許容外なら即刻さようならでいいと思いました。
•彼氏が息抜きの時間も惜しんで仕事に向き合ってる中ゲーム
→うるせえよイヤホンしろよ
•先輩の膝で寝る
→酒は飲んでも呑まれるな
•彼氏に相談せず転職、からの事後報告
→決断が早いんじゃぁ(ノブ)
評価が高かったため、久しぶりにわくわくして恋愛映画を見に行きましたが、期待に反した結果になったのでここに吐き出しました。
上から目線ですみません。
あと不快に思われたらすみません。
ちなみに架純は大好きです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
後味スッキリ、でも脳にこびりつく感じ
なんとなくあらすじを友人に聞いてから視聴しました。大恋愛をする漫画のような話ではなかったのですが、波がきて引いていくような海みたいな映画だな、と感じました。
淡々とした映画だったので、見た後は激辛を食べてストレス発散というよりはお風呂に入ってさっぱりしました、という感覚でした。ですが、帰り道に、お風呂に入っているときに、寝る前に何度も何度も菅田将暉さん、有村架純さんの2人で一緒に歩いていたシーンやすれ違うシーン、最後の別れのシーンが頭の中で繰り返されていました。
オチや映像が私が見てきた従来のつまらない恋愛映画とは違った新鮮さがあったからなのかもしれませんが、なんとなくクセになる感じでした。
巷ではカップルで見たら別れる、と言われている映画ですが、私は見た方がいいと感じました。とてもいい作品だったと思います。
花束みたいな恋をした
途中から見てるのが苦しくなった。
好きな人とこれからと一緒にいるために、好きなことを続けるために、割り切って仕事をしている。けれど、その生活は相手の望んでいる生活ではなくなってしまう。相手にとって好きな自分ではなくなってしまう。
極端ではあるけれど、未来を覗いてる気分がした。仕事にとって大切な、趣味の合う、話しがたくさんしたい彼女は邪魔になってしまうのではないか。とてもつらく悲しい矛盾だよね。自分が仕事を頑張れば頑張るほどに、その距離は離れていく。
現状維持、愛情がなくなっても一緒にいれたらそれでいいと思える麦くん、好きなことをして共通の趣味の話をして2人だけで楽しい過ごしていきたい絹ちゃん。そのすれ違い。でも、じゃぁ結婚しようは言ってはだめ。
ではどうやって一緒に過ごせばいいのだろうかな。って考えさせられる。
でも今回の有村架純はむちゃくちゃかわいい。ほんとにこれはがち。
自分よりも大切にしたいと思える存在ができること、それはとても素晴らしいこと。でもそれで自分を消してしまっていいの?
「6週連続1位」
えっ!終わり?
タイトルが全て
私は恋愛映画は恥ずかしくて
正直見れませんが、
最後のシーンが何より素晴らしいときき、
珍しく見に行きました。
「私はやりたくないことはしたくない」
「ちゃんと楽しく生きたいよ」
このセリフがすごい
甘っちょろいなと思う一方で、
そこを妥協して生きるのが正しいのかって
考えさせられた
病気とか、記憶喪失とか
タイムリープとか
何も新しいことはないのに面白い
菅田将暉さんと有村架純さんの
演技力の高さにただただ圧巻しました。
恋愛映画を見ない人こそ見に行って欲しいな
長く付き合って別れを経験した人は共感できる…
内容はなんとなく知った上で映画館に観に行きましたが恋の始まりからすれ違い、別れまでがリアルで自分と重ねてしまいました。
長く付き合い、好きかどうかもわからなくなる気持ち。日々のすれ違いがどんどん積み重なり別れを選択させてしまう。
別れを考えるけど理由がない、嫌いじゃないけどこれはもう恋ではない。
いざ別れを切り出そうとすると、いい思い出ばかり思い出して踏み出せない気持ち。
絹の「またハードル下げるの?」という言葉に昔の自分と重ね、グサっときました。
いつもそばにいる存在がいなくなってしまうことは悲しいけれど、決断しなければならないんだなと思います。
誰にでもありそうな価値観のずれ。恋愛って難しいなと考えさせられました。
サブカル好きの違和感
麦と絹が、最後まで、サブカル好きの男女に見えなかった。
もちろん、現実にはあんな美男美女いないし、
素敵なインテリア、服の着こなしは映画というフィクションなのだけれど、
出てくるサブカルは、ままごとだとかリアルだから、
ままごとの演劇を見に行っている私としては、
いや、「麦と絹はいない」と思ってしまうのである。
流行りに乗ってみた
春の風を待つ
Awesome City Clubが好きで、映画にも興味が湧いたため、観にいきました。
もしも「勿忘」がエンディング曲だったら鑑賞後の印象は全く変わっただろうなと、まず思いました。
個人的には、エンディング曲が軽快な曲であったり、別れた後の描写を入れてくれたことに救われました。ふたりはその恋愛を消化しきれたのだろうなと。晴々とした喪失感というか、そのような感情が浮かびました。
感情も環境も変わっていき、いつか終わる。そのなかで、自分自身と、そして大切な人と、どのように向き合うべきか。そんなことを考えるきっかけとなる映画でした。
ヲタクだって恋したってよ。
俺の知ってるサブカルと違う。
小説、書籍からマンガ、TVからカルト映画、天竺鼠トークライブ、舞台演劇、あそこまで広範囲に趣味を網羅出来ているサブカルヲタクなんて存在するのだろうか。あとミイラとガスタンクも。
吉田豪でも怪しいと思う。
麦くん、本棚にAKIRAと猫村さんは有っても、トドのつもりは無いんですよね、押井守なのに。 本好きが本もタテに積んでないし。
切って貼ったようなサブカル像に違和感を感じたんですよ。
そうですよ、あの民族が「替え玉無料です。」なんて気を利かせた挨拶する? ストロングゼロじゃ無くてスーパードライ買う?
とりあえず文句をつけよう、虚構だ、フェイクだ!と重箱の隅を調べよう。
アイツらはニワカだ、サブカルワナビーだ!
こうでもしないと帰って来れない。
半分は嘘かも知れないけども、残りの半分は真実を描いてた。
しかもこっちが本質だし。
田島貴男の曲が好きな女の子が居て、ベッソンの映画に2回誘って、誕生日に初号機のフィギア貰って、4年後に「部屋のカギ返すね」って言った女の子が居たんですよ。
重箱の隅でもつつかないと成仏出来ない。
帰って来れない。
今日もエヴァンゲリオンの事を考え、スニーカー情報を調べ、ラジコで東京ポッド許可局を聴き、丸屋九兵衛のYouTubeを楽しみにして、ぱいぱいでか美と絵恋ちゃんを応援するのですよ、俺は。
観る人によって評価変わるね
カップルで見に行く映画ではない
最後ハッピーエンドで終わらないところが良かったです。
長く付き合えば付き合うほど情が湧くきこういう結果になってしまうんだなとしっくりくる映画でした。
菅田将暉さんと有村架純さんと演技も良かったです。
ただ、カップルでは見ない方がいいと思います
期待しすぎた感
似たもの同士が違った点
考え方も趣味もそっくりな二人だけど、絹の母親が「社会に出るってお風呂に入るみたいなもの」と言った時、それに共感できずにいる絹となんとなく共感していた麦がのちのちに生きていく価値観の違いにかわっていったように思えました。
それにしてもあんなに素敵なイラストを描くのをやめてしまったままの麦がもったいないです。
今回の菅田将暉は仮面ライダーには変身しません!
お客様からのよくある質問
Q「菅田将暉は仮面ライダーに変身しますか?」
A「今回の菅田将暉は仮面ライダーには変身しません」
昨年の糸に続きまたもや恋愛映画に抜擢された菅田将暉。
またいつものように自暴自棄になるシーンで仮面ライダーに変身してしまうのではとヒヤヒヤしていたが、今回はどうも様子が違う。
よくある夢を追う大学生というか、ちゃんと麦君という青年を演じている。
それだけではない、日本映画によくある芸能事務所のゴリ推しでねじ込まれたミスマッチな人選やあからさまなステルスマーケティングと言ったうんざりする要素が無いのである。
監督から「菅田将暉を使ってやるから後は口出しすんな、広告代理店なんてコロナで経営ボロクソだしお前らが映画作ってるわけじゃねーんだから勘違いすんなや」と言わんばかりの気概が手にとるように感じられとても好印象である。素晴らしい。いつもなら売れている芸能人の一人でも出てきて作品の空気がぶち壊されるところだがそういう心配もない。しっかりと主人公の二人にフォーカスされており話があちこちに飛ばない。
なんと言っても絹の両親が広告代理店である。その親がまた世間ズレしていて痛いセリフを吐いてくるのだから見ていて気分がいい。人生は責任て、中抜きして他人様のお金を巻き上げてるだけの人間がどの面下げて言っているのか、と私もお金をもらって感想を書いているわけではないので規約に違反しない程度で好き勝手言える。
さらに脚本の構成、カメラワーク、セリフの言い回しなど細かい部分までよく練られており、冒頭から最後まで1秒足りとも飽きるシーンがない。最後、エンドロールが終わって劇場が明るくなって初めて終わったことに気がつくほど。これだけ映画に集中できた作品はなかなかない。
特によかったのが、麦と絹が二人でレストランで話をする物語の山場のシーン。横からの固定のアングルで、向かって右側に麦そして左側に絹の配置。非常に単純かつシンプルな構図である。これは映像では非常に珍しい。下手な監督ならここで唇のアップやら喋っている人物の背後から相手を抜くような構図にしながら横にスライドするだろう。
そして語りが麦から絹へと移ると今度は逆に絹が右側、麦が左側となるのである。
何故この重要な場面でこのようなカットとしたのか。おそらくこれは映像ではなく「マンガ」の手法を取り入れたのではないか。マンガは映像と違い「本」である。日本では右から左に読むため、自ずと会話の流れは右手が上手、左手が下手となるのである。この概念は自由に画を動かすことができる映像にはない。しかし自由であるからこそこのような表現は盲点であり、斬新に映る。おそらく、画を動かしすぎると話の内容が入ってこなくなるからだろう。止まり切っている画だからこそ言葉の重みがある。
そう思える理由は、作中に幾多も実在するマンガが登場し、先述したように単なる道具ではなくきちんとリスペクトを感じられるからである。またマンガだけではなくゲームや文芸や劇団への愛情も感じられ、サブカルチャー全体への配慮が伺える。今回のテーマがテーマだけに、作品の出来が悪いと映画好きな人をただ批判するだけの内容となってしまう。そうならないように、あくまでも娯楽としての立ち位置を忘れないところに拘りを感じた。
ベランダから外に出るだけのシーンでも、足元から舐めるようなアングルで始まり、ガラス戸を開けて多摩川を一望した後に二人を包み込むように柵の外からゆっくりとぐるっと回り込んでから会話が始まるシーンはなかなか映像ではお目にかかれない表現である。おそらくドローンか何かを使ったものと思われるが、こういった表現はゲームなどでは頻繁に見られるのである。ゼルダというかマリオのジュゲムと言った3D上をフワフワと漂うカメラアングルは影響を受けているはず。
構図ばかりの講釈が続いてしまったが、1つ1つのセリフも印象に残る。ややネタバレではあるが、カラオケ屋に見えないカラオケ屋、サンキュー!押しボタン式、社会性は才能の敵だ!などなど。脚本の構成も因果応報というか、巡り巡って自分に帰ってくるというギミックが要所要所で決まっている。なかなか計算高い。基本的な天丼はお手の物。
また、現実的な話をすれば夢を追い続けるのが男性の麦で現実的なのは女性の絹になるはず。それを付き合いを深めるうちにお互いの良いところ悪いところに影響されてしまい、そうなってしまった経緯を考えると実によく考えられた作品だと思う。
1つだけよく分からなかったところが、終電を逃し改札の前で出会った行きずりの4人がバーで飲むシーン。解散したあとサラリーマンとその彼女はタクシーでそそくさと千歳烏山まで帰ってしまうが、始発まで飲んでいたのではなかったのか?タクシーで帰るなら終電を逃してもさっさとタクシーに乗ってしまえばいいのに。
最後に視聴した人間として年齢的にかなり心に刺さる内容ではあったのだが、これだけは共感できたのが「結局のところ夢は諦めない方がよい」ということである。夢を諦めて現実をもぎ取ろうとしてもそれは「次の夢」であって現実ではないのである。つまり人間とは永遠に夢を追い続けるものであって、現実とは今ここの一瞬一瞬に存在するものである。そう考えると麦も絹もまだまだ人生ここからなんだろうなと思い劇場を後にした。
と、ここまで書いてふと思ったことがある。
花束とは、そういう意味だったのかと。
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