弥生、三月 君を愛した30年のレビュー・感想・評価
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いい役者を揃えたのに…
とにかく残念な作品。 友人が病気なんだけど、AIDSって。震災もそうだけど、そんな簡単に取り扱っちゃいけない重いネタを次々入れてきて、たいして掘り下げず、薄っぺらすぎる内容。本当だったら、そのテーマで1つ作品できますからね。 そして、ペラペラとめくるような手法で過去と現在が入り乱れてストーリーが流れていくんですが、断片的になり過ぎて、全く感情がのらない。 人を探すのに写真も見せずに、いきなりの初対面の店の人にそんな有名人でもない一般人の個人名聞いても、わかるわけないですよね。雑もいいとこです。 さくらのお墓もあのとってつけたような場所に不自然にあったり、ラストのミュージカルタッチの歌を歌うところも首を傾げてしまいました。 いや、ここまでいいキャスト揃えたのに、本当にもったいない。もっと違う作り方あったと思うな。 久々にこんな完成度の低い作品を見ました。
久しぶりに感動
人生は長く生きれば生きるほど 楽しい思い出より辛い思い出の方が多くなるけど それでも人を幸せにするのはやっぱり人 SNSのいいねしてくれる人の数よりたった一人の 側にいてくれる人、、、。そしてラストもとても良かった。
"3月"限定のストーリー
正直、テンポが速すぎる。 主人公の二人が高校生役からアラフィフまでを演じ ているので、いろいろ無理があるなぁヤッパリね。 朝ドラみたいやな!と思いきや、二人とも朝ドラ 出演してました。 とにかくささやかな幸せがいかに幸せなことか。 3.11のあの大地震もストーリーの中で大きな出来事 として使われているけれど、コレがもう一つ心に 響かず。なぜ?監督との相性が個人的に合わないのかしら??と悩む。 とにかく、30年もの時間を2時間弱におさめ、 いろーーんなことが起こりすぎていて、最後は結局 もうこの世にはいないサクラに締めていただく。とい うストーリー展開に無理を感じました。 そんなに長い時間かけなくても描けそうな物語だな というのが素直な感想です。 成田凌くんもハルもどちらかと言えば好きな役者 さんですが、本作はちょっとざんねーん。
壮大な物語ではあるけれども、30年間を同一の俳優が演じるのは大変だ...
壮大な物語ではあるけれども、30年間を同一の俳優が演じるのは大変だ。 ただ、波瑠の女子高生姿がほとんど違和感がなかったのは驚き。 そして、アラサーになるとそれに合わせた表情になっていくのはさすがだった。 ストーリー自体はいかにも映画っぽくて現実離れしたきらいはあるが、終盤に波瑠が教室で啖呵を切るシーンはよかった。
人生ってつくづくタイミング
「あと1センチの恋」と「One Day 23年のラブストーリー」をミックスしたような構成だった。 恋人ができても、結婚しても、結局忘れられない人への想いって、心のどこかで生き続けているんですよね。よれを呼び醒ますような出来事がない限りは、封印され続ける気持ちなわけで…。それにお互いに好きのベクトルが向いてるのも、想い伝えるのも、タイミング次第では片想い同然。そう考えると、人生はつくづくタイミングなんだなぁ。
"キャストの演技は"素晴らしかった
私が言いたい事は全て、同じくらいの評価をした方々が言ってくださっています。。言葉にしてくれてありがとう。 途中から舞台は仙台だったと気づく。震災の描写はため息が出るほど辛い。嫌な記憶を蘇らせる。 30年も月日が経ったというのに役者は同じなのは流石に無理があった。見る側がどう頑張っても、波瑠と成田凌が40代半ばには見えない、、。岡田健史と成田凌が親子に見えない、、。成田凌が、担任を辞めさせられる危機にある息子の働く学校に行ったシーン、ついに笑っちゃったよ、、。 キャストたちは流石の女優さん俳優さんばかりで、特に成田凌の演技は素晴らしいと思いました。そこが唯一の救いかな。役者の演技に⭐️⭐️です。 観る側がどう頑張っても、やっぱり無理がある、残念な映画だったなぁ。レビューに騙されて観たけど、うーん、残念。
遊川の監督作品なんだ。真っ直ぐなもの、美しい倫理をまっすぐ突き通し...
遊川の監督作品なんだ。真っ直ぐなもの、美しい倫理をまっすぐ突き通していくのは、女王の教室も、家政婦の見たも、カホコも同じ。そして、さくらの高校生の無垢な目は、カホコや、35歳少女と同じ。この映画の重要なポイントは、太郎の息子の教室のシーンで、カホコがさくらを庇った過去のシーンと重なる。波瑠さんは不思議な女優で、制服が似合い、高校生の純真さに無理がない。バスシーンは正確に反復され、弥生の回復を物語る。
エピソードの表現がよかった
サクラを通して知り合いになった弥生とサンタ。 サンタは、人生がうまくいくと信じていたがいろいろな挫折をあじわって、落胆していた。 そんなサンタを救ったのは弥生だった。 弥生は、自分の信じた道を生きていたが、彼女もいろいろな挫折をあじわって落胆してしまった。 弥生のおかげで救われたサンタは、弥生に昔のようになって欲しいと思っていた。 そんな時、サクラが残した音声があった。 それを聞いた弥生は、昔のように自分の信じた道を生きていこうと再び思うようになった。 弥生とサンタは二人で生きていくことにしたという内容だった。 三月が毎日、エピソードになっていて面白かったですが時系列がややこしいことがあった。 波瑠さんと成田さんの学生ってのは違和感がありました。 杉咲さんはまだ似合っていたと思います。 サクラのように亡くなっても想われている人ってすごいなと思う。
ファンタジー
恋愛ドラマには中高生くらいの思いが、大人まで引きずって描かれるものが多くある、と思う。とりわけ日本にはその展開をもっている話が多い。 なぜ、そうなんだろう。 個人的な見解だが、ノスタルジーが所以しているのではないか、と思う。 わたしたちは、学校を出ると、かつては持っていた、純心(のようなもの)を、捨てなければならない現実に直面する。 しごとでは、日々上司から追い捲られていたり、あるいは、がんらいの優しさを隠して、部下を叱責しなければならない──というような場面だらけであって、隙や甘さを見せると、足下をすくわれる。 すなわち、そのような殺伐とした現実を生きるおとなになってしまうと、中高生くらいの、友人や友情や恋心が、たとえようもなく甘美なものに見えてくる、のである。 そのノスタルジーが、幼少時や若い頃の恋愛が、人生を貫通する──という展開を持っているドラマを氾濫させているのではないだろうか。 加えて、こんにちの社会で、男と女が出会って結ばれることの希少性もこの手のドラマの流行に加担しているはず、である。 世のなかには何億人もの男がいて、何億人もの女がいるはず、なのだが、両者の間には、網の目のように入り組んだ社会規範が待ち構えている。やがて、その難易度に面倒になってしまうのは、男も女も、あなたもわたしも、よくご存じのとおりである。 こんな荒涼とした現実にさらされているからこそ、初恋に無上の価値を見出してしまうのであり、成就するにせよ、思い出になるにせよ、ドラマタイズされることが多いのは、そんな理由があるのではないか──と思ったのである。 したがって、このような話のターゲットとなるのは、むしろ壮年のような気がする。 もしそのドラマが秒速5センチのように巧いなら、おじさんでもおばさんでも無条件に心奪われるからだ。 現実には、幼少時や若い頃の恋愛が人生を貫通することはない。 あるとしても、そうとう稀なことだろう。 わたしたちができるのは、たとえば同窓会の酔った勢いで、一夜の情事になるか、みっともない玉砕をするか、どっちにせよ無傷だったノスタルジーを傷物にしてしまう──くらいがせいぜいではなかろうか。 これは一種のファンタジーである。 日本のイケメン俳優は好きではない人のほうが多い。が、本郷奏多と、成田凌はいい。 成田凌のばあい、飄々(ひょうひょう)がある。ざっくり見渡すと、これが珍しい属性だということは、お認めになる方も多いだろう──と思う。 携帯を見ることとサクラの墓参り──が時の移り変わりを示す通過点描写になっている。 携帯の進歩を見せることによって、時系列がわかりやすい。 近年、この手のドラマは「現在へ戻る」と「過去を回想する」を、さかんに入り乱れて編集することが多いので、好感だった。 が、映画は非現実的なところが多い。ファンタジーだと言ったそばから、非現実的がいけない──というのも矛盾だが、借金のために政略結婚とか、ウェディングドレスのまま式場から抜け出すとか、突飛すぎる展開には辟易した。 リアリティに寄せるドラマでなくても、あるていどの真実味はひつようだと思う。 また、震災を利用している。 震災後につくられた多くのドラマが、震災によって、なんらかの動きを生ずる展開をもっているが、個人的には、ごく個人的には、それが焦点でなければ、震災が介入することに疑念がある。ドラマの哀感のために利用していいことじゃない──と思う。 映画は、ご都合主義的で、偶然によって救われ過ぎるし、ドラマチック度と無理感が高すぎる。──「ありえねえ」のつっこみをつぶやく回数が多すぎた。 また若年からの老成を、メイクのみで見せており、ある程度妥当ではあるものの、波瑠のほうれい線には、違和があった。 ──が、しかし。 映画はわるくない。この監督には「日本映画」の鬼才感がまったくない。微妙なニュアンスのように聞こえるかもしれないが、「鬼才感」の有る無しは、画に明解にあらわれる──ものだ。 個人的に恋妻家宮本は傑作であって、その職人系な演出力は、このクサすぎるドラマにもしっかりあらわれていた、と思う。
平成とは。
監督のオリジナル脚本なので、もしかすると、最初から波瑠と成田凌を両主演を念頭に置いて当て書きしたのではないかと思うぐらいに、二人のキャラクターにしっくり来る、よくできたストーリーでした。 優等生で、ともすると「正義マン」になりがちな主人公の弥生の不器用な生き方。これなど、まさに波瑠さんのキャラクターそのものでしょう。 そしてチャラさもどこか中途半端なら、誠実さも中途半端。サッカー部での活躍も中途半端な役柄の成田凌。 青春時代。 目の前に、ありとあらゆる可能性が開けていて、輝く未来に手が届きそうに思えていた時をスタートとして、「喪失」をテーマに、日々を描きます。 選択肢が失われるのが早過ぎたサクラと、ゆっくり、ゆっくりと選択肢が失われ行く弥生と太郎。 「選択肢の喪失」が大人になるということなのだとすると、大人になるとは、なんと残酷なことなんだろうと思わせるお話で、心に沁みる美しく哀しいシーンが山盛りのお話でした。 いったい何十箇所でロケを行ったのやらと驚かされるほど膨大なシーンの積み重ねによって丁寧に手間を惜しまず描かれた、青春から初老までの長い時間の流れを、わずか2時間に圧縮したドラマで、彼と彼女が生きた、幸せとは言えなかった30年間を振りかえる、しみじみとしたお話でした。 成田凌って、若いけど、ほんと名優だわと感心させられました。
ただのラブストーリーではない
時期を逃して4月になって、「弥生、三月」を鑑賞。といっても、新型コロナウイルスの影響で多忙を極め、今頃のレビュー投稿となってしまいました。そのため、記憶が曖昧なところが多々ありますが、ご容赦ください。 鑑賞前の予告から、30年越しの壮大なラブストーリーが描かれるのだろうと予想していました。まあ、そうではあったのですが、それ以上にいろいろな内容が含まれており、胸が苦しくなったり、熱いものがこみ上げたりと、最後まで目と心を惹きつけられる作品でした。 物語は、太郎と弥生の高校時代から始まり、そこから30年の歳月の流れと、二人の人生と愛を描いています。高校時代とラストには多少の無理矢理感はあったものの、成田凌くんと波瑠さんが、それぞれの年齢に合わせた振り幅の演技を見せ、なかなかの好演だと感じました。 本作で最も特徴的なのは、その描き方です。三月だけで定時観測したかのような構成が実におもしろかったです。数年の移り変わりを、カレンダーをめくるような画面の切り替えで描き、二人の容姿が少しずつ変化し、歳を重ねていく様子が自然に伝わってきました。 そこに描かれるのは、30年間すれ違ってきた恋心だけではなく、思い通りにならない人生で味わう挫折や苦悩。それでも、その時その時で迷いながらも選んだ選択肢の結果が「今」なのです。時には必死でつかみ取り、時には手を伸ばすことを諦めた、そんな二人の姿が、冒頭から一貫して続く「バスを追いかける姿」に象徴されているように思います。 最後に、劇中の言葉「歳をとることが羨ましい」「転んだことより起き上がることに興味がある」がとても印象的でした。ラブストーリーではあるものの、本作から「人生を諦めず、いくつになっても自分らしく人生を切り開いていけ」というエールを送られたような気がしました。
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