「スコフィールドにとっての「勇敢さ」」1917 命をかけた伝令 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
スコフィールドにとっての「勇敢さ」
この映画を観るにあたって、注意しなければならないことがある。
この作品の舞台は第一次世界大戦のヨーロッパ、西部戦線である。よく映画で観るものは第二次世界大戦以降で、技術・戦術レベルに格段の差がある。
これがものすごく大事。敵の位置を知る、ということすら大変だった。
戦闘の方はというと、基本的には塹壕戦。敵も味方も塹壕を掘り、鉄線を張り巡らせ、前線を数メートル押し上げるために何百人もの兵士が犠牲になる。
互いに睨み合う塹壕と塹壕の間は、無人地帯=ノーマンズランドと呼ばれる。ここに足を踏み入れるのは、まさしく「死地に赴く」事だったのだ。
この無人地帯を駆け抜けて攻撃中止命令を伝える、というのがこの「1917 命をかけた伝令」である。
疑似ワンカットの映像は確かに凄いが、それはこの映画のメインではなく、あくまでもテーマをより深く「感じる」為の手段。
映画の世界と私たちの世界を繋げるための、渾身のこだわりなのだ。
伝令を務める二人は、ブレイクとスコフィールドである。
出発してからスコフィールドがメダルを持っていた事が明かされる。
このメダルは多分ビクトリア十字章のことで、スコフィールドはブレイクと伝令に出る以前に、「勇敢な行動」を讃えられ、メダルを授与されたと考えられる。
だが、スコフィールドはワインの見返りとしてフランス人にメダルを渡してしまっていた。
そこから読み取れるのは、「勇敢さなんてクソだ」というスコフィールドの気持ちである。
何百という仲間が命を落としていく塹壕戦で、無人地帯に突撃していくしか道のない状況で、それを「勇気」と讃えられる事の不条理とやるせなさは想像に難くない。
彼は「メダルを家族に渡せば喜んだろうに」というブレイクの言葉も否定する。「帰りたくなんてないんだ」と。
対してブレイクはメダルを貰えるのは素晴らしいことだと、純粋に思っているようだ。「帰りたくない」というスコフィールドの言い分を聞いているときも不思議そうである。
伝令の届け先にはブレイクの兄も所属している。
命令を届けるため、仲間の命を救うため、困難な道のりを進む事に、「メダルは確実」と言ってしまうあたり、ブレイクは「勇敢さ」を疑うこともなく良いことだと思っている。
地獄を見たスコフィールドと、まだ「死」が遠いブレイクの差がハッキリと感じ取れる。
「勇敢さなんてクソ」。そう思っていたスコフィールドだが、ブレイクが不幸にもドイツ兵に刺され死亡したことで、伝令を必死で成そうとする。
状況はあまり良いとは言えない。独りぼっちになってしまったし、ドイツ軍が撤退したエリアとはいえ、自分が無人地帯にいることに変わりはない。
それでも、伝令を努めあげるために、ブレイクの兄すらも失わないために、進み続けるスコフィールドは「勇敢さ」の本当の意味をブレイクに与えられたのだ。
誰かの為に必死に頑張ること、危険を顧みず、何かを成そうと一所懸命であること。それこそが「勇気」なのだ。
途中スナイパーを倒したところでヘルメットを失くし、前線の町で見知らぬフランス人女性と赤ん坊に食料を与え、町を脱出するときに銃を失くした。
身一つになって、目的の人物まであと僅か。既に第一波の攻撃命令は出ている。この状況で、中止を伝えるために、今の自分に出来る精一杯は何だ?
スコフィールドの目が、今まさに死地と化した無人地帯をとらえ、塹壕をよじ登って走り出したとき、涙があふれて止まらなかった。
砲撃と味方の突撃で、倒れながらも走り続ける彼の姿は、映像としても物語のピークとしても最高に美しく、最高にエモーショナルだった。
きっとそれは、映画が始まってからずっと、スコフィールドと同じ時間を共有してきた感覚があるからなんだろう。
何本も戦争を題材にした映画を観てきたけれど、あんなに心が震えるシーンは初めてだったと思う。
ラストシーン、懐から取り出した缶に入っていた二枚の写真。うち一枚はブレイクのものだ。
裏側に「無事に帰って」と書かれていた写真は、帰らぬ人となったブレイクのものなのか?それとも帰りたがらなかったスコフィールドのものなのか?
それはどちらでも構わないと思う。故郷で誰かの帰りを待つ人は沢山いて、その沢山の誰かは、少なくとも今日は、生き長らえたかもしれないのだから。
そのささやかな希望を作ったのは、間違いなく「勇気」だったのだから。