「戦場を疑似体験するが如くの臨場感のある映画の形と、そこに込められた戦場の実態から戦争を考える」1917 命をかけた伝令 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
戦場を疑似体験するが如くの臨場感のある映画の形と、そこに込められた戦場の実態から戦争を考える
第一次世界大戦の悲惨な西部戦線を舞台にした戦争映画の力作。監督サム・メンデスが大戦に従軍した祖父アルフレッド・H・メンデスから聞かされたエピソードを基に脚本を創作したと云う。その為史実の正確な記録とは違い、描かれた細部に関しては単純な疑問が残る。ドイツ軍の戦略的退却に気付かず、1600人もの兵士を抱えるデヴォンシャー連隊第二大隊が独断で総攻撃を判断するものなのかどうか。その孤立を生むドイツ軍が電話線をすべて切断した通信不能に対して、他に伝達手段は無かったのか。それらを認めた上でも、伝令の任務をたった二人の下士官に任せることが作戦として不十分ではないのか。と言って、戦場の実態を知らない者が悩んでも結論は出ない。この映画は、そんなことよりも制作最大のコンセプトが別にあるようだ。
前評判通り、この映画のワンカット撮影に一見の価値があることは紛れもない事実である。その持続する緊張感がもたらす臨場感に終始心がひりひりしてしまう。まるで戦場を同時体験させるようなカメラアングルを貫き、観る者を画面の中へ取り込もうとしているからだ。それによって残酷で非情な戦場を疑似体験することに、この映画の醍醐味ある。その為の2時間に収めたギリギリの映像体験を目的とした作品と捉えていいのだろう。個人的には、これ以上の時間では心身ともに持たないと思った。それでいて緩急のメリハリが付けられたエピソードの展開が巧みに計算されていて、フィクションとしては完成度が高い。第一次世界大戦を象徴する塹壕戦をメインに、地下崩落からの脱出、空中戦から墜落して炎上する敵飛行機の襲来、別行動の連隊に出くわし車移動する一時の安息、ひとりで立ち向かう敵敗残兵との戦い、照明弾の明かりと燃え上がる建物の火で照らされる廃墟と化したエクーストの町、ドイツ兵から逃げ切った後の川下り、そして故郷を想う歌を静かに聴くデヴォンシャー連隊がいるクロワジルの森。常に主人公の傍近くを同行するように観客を仮想体験させる撮影の密着度が、この映画の命であるし肝と云える。
この一人称的主観描写は、ベルギーのダルデンヌ兄弟の「息子のまなざし」でも試みたように、登場人物が抱える問題を真剣に且つ深刻に考えさせる効果がある反面、客観的なショットが無いため映像空間の広がりが感じられない欠点がある。それを補うように、この作品では計算されたカメラワークで戦場を多角的に撮影して、しかも途切れが無いワンカットに繋げる技術を駆使していることは、素直に称賛に値する。墜落する敵飛行機が一端丘の裏に消えてから手前に向かってくるシーンの撮影など、高度なテクニックを必要とする場面が連続する。またこのシークエンスでは、血の気が引いて徐々に顔面蒼白になるトムの表情を雄弁に表現していて、その丁寧な拘りに感心せざるを得なかった。
死屍累々のこの世の地獄を克明に再現した映像の表現力にも抜かりが無い。今日の映像技術を遺憾なく発揮した努力は正当に評価されてしかるべき。ただ観終えて感じるのは、創作されたエピソードの連続が、欲を言えば出来すぎていて何処か人工的な色彩が勝ること。それが、川から死体の上を這い上がり川縁で泣き崩れるウィリアムの心情を、より映画の表情を持って共鳴を呼ばないことに繋がる。演出上の自然さが活きないシーンになっている。リアリティをとことん追求する映画の宿命であろう。その中で、この映画の最も素晴らしいショットは、最後の場面でウィリアムが伝令を命がけで遂行するため、塹壕から身を乗り出し突撃する仲間兵士と交差しながら丘を疾走するところだ。ここには戦争を強いられた兵士たちの勇敢さと、それを止めようとする一人の兵士を美しくも悲愴感のある一枚の絵画として象徴的に映し出した映画ならではの表現力と表情がある。それは時代と場所を選ばず世界の何処かに存在してしまう、人の世を批判して訴える普遍性に至っている。本音を申せば、このショットだけで感動してしまい、このメンデス映画を全面的に認めても良いと思っている。観て良かった映画の一本になった。主演のジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマン共に一兵士になり切って、いい演技を見せてくれる。この二人の好演が人工的な映画に血を通わせている。