すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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『ヤクザと家族』にない"社会側への問い"を我々に突き付ける、優しく鋭い傑作
『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く、"社会と犯罪者"を鋭く描いた作品。社会で生きることを望んでいても、レッテルが阻む。そんな中でもがく男の、優しい物語。
元殺人犯の三上は、昔から刑務所にお世話になってきた経歴を持つ。今度ばかりは堅気ぞと括り、社会へと踏み出そうとするが、前途多難。反社のレッテルが剥がれることはなく、世間の受け皿はないに等しい。そんな彼を追うことになったのが、津野田。退職し小説家を志すも、吉澤のパシリのように仕事を頼まれ密着する。序盤はドキュメンタリーのように、三上の人物像を浮かばせる。母を知らず、愛を知らず、仇を取ることでしか手段を知らず。そんな彼に、暖かな人々が手を伸ばす。向き合うべき事に向かわせることしかできないが、実際に主観的になったら、そうなるのだろう。じっくり時間をかけ、解いてゆくしかない。さて、前述した、「『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く」理由はなんだったのかをここで記す。それは、社会が起こすべき態度を描くことで、我々が受け皿として機能することの必然と難しさを同時に描いているかの違いだ。彼らの生き方を抑圧したところで、一般社会がどうあるべきなのかは指南されない。よって、煙たがっては排除する。その葛藤と変化を綴っていたことが、何より作品の暖かみを作っている。そして、我々以上に社会復帰が難しいという現実を突き付けている。
彼にとって、すばらしき世界だったのか。それを問われるのは、我々。生きやすい社会など、端からあるのか。差別や分断は個々人のレベルですら起こるのだから、ますます難しい。何年かけても解けにくい課題を社会に問う、優しく鋭いタッチの傑作だった。
西川美和監督、ベテランの域
下界の空は確かに広い。
人生の大半を塀の中で過ごしたヤクザで元殺人犯の三上。今度こそカタギになると胸に誓い現代社会の中に居場所を作ろうともがく。
そんな三上を利用して番組を作ろうと画策し近寄るTVプロデューサーとディレクターの津乃田。津乃田が覗くカメラに映るまるで子供のように笑顔ではしゃぐ三上。その一方で生き生きとした表情で血生臭い狂気を見せる。突然キレる暴力性と弱者を守ろうとする徹底した正義感。そのバランスがコントロールできない。故に自らの罪に対する罪悪感は皆無。
三上の根底にある優しさを察し彼の自立をサポートしようとする周囲。世間は前科者に甘くない。どうしたって色眼鏡で見られてしまう。それでも耐えて見て見ぬふりをしながら生きてゆくしかない。それが現代社会なのだから。それができなければ彼らの帰る場所は1つしかない。
役所広司だから表現できた三上というキャラクター。そして何より仲野太賀が大健闘!めっちゃ良かった。アパートでケーキを囲むシーンやこども園で三上を見つめる表情が印象的。そしてキムラ緑子さんがこれまた最高だった。
三上という男のなんて憐れで滑稽な人生。それでも彼の元に集った人達の無償の優しさが本物だったことは疑いようもない。下界の空は確かに広い。三上にとってこの世界が素晴らしきものだったかどうか。この社会を生きる一人一人にとってはどうか。今、問いかけられている。
自由で不自由なこの……
刑務所から出てきた元ヤクザの三上の、社会復帰を切り取った物語。主演の三上には役所広司。直情的で子供の頃から家庭に恵まれず、道を外して生きてきた初老の九州男児。
彼に感情移入できるかといえば、なかなか難しい。自分だけの正義を振りかざし、その一点だけで他者を受け入れ無い奴は好きになれない。そんな嫌悪感もいだきながら画面を追うのだけど、それも含めて西川監督の思惑にハマっていくわけだ。
役所広司の演技はもちろん抜群だ。出所して社会復帰を目指すが、性根では何も変わっていない。時折悪たれる姿はとても"憎めない"で済まされる人柄では無い。憎めない悪い奴とか、ヤクザとかいう単純な話ではなく、裏家業で育ってきた、普通の人では無いという異質感を表現できる役者は、そうそういないだろう。
テレビの取材対象として、三上と関わるライターの津乃田(仲野太賀)。当初彼の見せる暴力性に引くが、逆に興味は増してつきあいを深め、心底彼を心配するようになる。作家を目指す貧乏青年。いかにも普通の人物だ。津乃田をはじめとして、三上を応援する周りの面々が、組み上がった城の石垣のように、ガッチリと配置される。
最初は色眼鏡で三上の万引きを疑うスーパーの店主に六角精児、身元引受人の弁護士夫妻に橋爪功と梶芽衣子、津乃田に三上への取材をそそのかすテレビ局員に長澤まさみ、市役所のケースワーカーに北村有起哉など。見ていて安心感しかない。
彼らが普通であればあるほど、そうなれない三上の苛立ちや悪しき所が目立つ。直情的で堪え性の無いところが特に。見ているうちに「それじゃ社会では通用しないよ」という言葉が観ている自分の中で繰り返されるが、そんなしたり顔の大人が言うような言葉に、嫌悪感が生まれる。努力しなければ、なれない普通とはなんだろう。
ラストシーンは、今年一番。ヤクザものの社会復帰という物語を鏡にして、そこに投影された普通の人が自由で不自由なこの「すばらしき世界」って、皮肉な声が響いているように感じた。
すばらしき世界とは?を考えさせる映画
振り子のように問いかけられる
善とは、悪とは、
人生に正解は無い
ものすごく温かい
すごく寂しくて苦しくて、でもものすごく温かい。
西川作品としては初めて原作もの。これだけでも気になっちゃいますね。
自分のいられる場所を精一杯に探して生きる、それはロードムービーのようでした。
何より三上役の役所広司、彼の芝居がすごい。
彼のやるせなく、何処にも向けられない苦しい気持ちがダイレクトに伝わってきました。
だからなのか、所々で涙してしまうんですよね。
特にサッカーのシーン、私は一緒に泣き崩れていました。
涙しながら「え?何で泣いてるんだろう?何でだ?」とずっと自問していましたよ。
もう2〜3日して落ち着いてくると分かるかもしれません。それ位入ってしまう場面でした。
そうして頑張り何度も躓きながら、その度に色々な人々に支えられ、そこがすばらしい世界である事に気付く。ラストに添えられた香もやさしかった。
深く胸に響く、とてもすばらしい作品でした。
ささやかな、希望と再生の物語
良い作品でした。
ちょっとキツイ話だったけど、観てよかった。
ただシリアスというだけではなく、おかしみを感じるところもあり、ダレることがなかった。
根は悪い人じゃないのだけれど、感情を制御できず、すぐに爆発させてしまう元ヤクザの三上(おそらく人格障害なのでしょう)。
世間の多くは、彼のようなニンゲンにはあまり関わりたくないだろう。
そんな三上にあえて関わって支えていく人々。えらいなぁ。やさしいなぁ。
けれど、大きく脱線した車輪を再びレールに乗せるのは、並大抵のことではない。
言うまでもなく、はみ出し者には、世間の風は冷たく厳しい。
僕自身もある意味カタギではないので、まったくの他人ごとというふうには観ていられませんでした。
けっきょくは、母と子、家族からはじまるのだなぁ、と思ったり。
観終わったときは、少しだけ物足りないかも、と感じたけれど、それを補うようにあとからじんわりときました。
家に帰るあいだも、いろんな思いが胸に去来した。
先ほどのシーンがよみがえってきて、また涙がにじんだ。
とにかく、三上は生きた。
不器用だが、懸命に。
この「すばらしき世界」の中で。
追記
それにしても、役所広司は素晴らしい。
あれほど凄みの出せる役者はそうはいないでしょう。
日本の宝だ、と思いましたね。
助演の仲野太賀も好演だったし、脇をかためる俳優陣もいい味だしてました。
世の中捨てたもんじゃない
ヤクザでもこちらのヤクザはカタギとして真っ当に生きようともがいている。
長い間、極道と刑務所の中で生きてきた三上には、こちら側の世界は本当に生きづらい。世の中は13年前とはまるで変わっているのに、古い考えで何をやろうとしても壁にぶち当たる。
それでも、周囲の温かい人達に支えられ、何とか少しずつでも軌道修正してもらいながら、就職もできたのだ。
彼は根は真っ直ぐで優しい男だ、正義感も強く、曲がってることをしてる奴を放ってはおけない、でもその加減ができずにやり過ぎてしまうという不器用さがある。
罪を犯した人が娑婆で、人並みに生活できるようになるには並大抵の努力が必要だろう。これは、以前から社会問題としても取り上げられているが、こんなに周囲の人々に恵まれたことは奇跡に近いのではないか。
ケースワーカーの北村さん、橋本さん、梶さんの弁護士夫婦、スーパーの店長の六角さん、そしてプロデューサーの仲野太賀さん。
中でもお風呂でのシーンの仲野さんの台詞と眼差しには優しさが溢れていて、胸に打たれた。
また、三上が介護施設で共に働く、知的障害の仲間に自分の生きづらさを重ねて涙するのには世間一般ではマイナスと捉えられるコンプレックスを抱えた者の辛さを痛いほど感じた。
そして、西川監督の笑いの要素を絶妙にいれてくるあたり、なかなか素敵でした。
三上、きっと思ったんじゃない。俺はこんな生き方してきたけど、別れた奥さんとも話もできたし、就職もできた、こんなに自分のことを必死に考えてくれる人達にも出会えて、意外とすばらしいんじゃないかと、この世界も捨てたもんじゃないって。
“すばらしき世界”
役所広司×西川美和、これは観るしかないではないか。
“今回はカタイぞ”これは堅い=まともな人間になるということ、その決心が固いということ。
予告の時からかなり印象的でした。
誰に言うでもない短い台詞だけど、とても重みがあり、簡単に発することができない言葉だと感じました。
人が本当の幸せを掴むには“心の豊かさ・余裕”が必要なんですね。
その手段は様々でお金なんかはその内の一つ。
三上にとっては“社会で普通に生きること”と、そして“愛”だった。
ディレクターの津乃田に身元引受人の庄司夫婦、スーパーの店長・松本、ケースワーカーの井口、みんな自分のできる範囲で三上を助けてくれる。
誰も全く恩着せがましくなく、まさにそれは“愛”だった。
“人は1人では行けていけない”という言葉の意味について考えてみた。
それはただ“助け合わないと生きて行けないから”ということだけではなく、“その人たちがいるから=自分の為だけに生きることはできない”ということなのだと感じた。
仲野太賀くんは本当に素晴らしい役者さんですね。
何でしょうね、怖いけどビビリながらも答えを模索して行動している感じ?“情けないと勇敢が入り混じっている”のがとても魅力的でした。
もちろん他三上を囲むキャスト陣も良かったです。
それぞれ三上とタイマンでの繋がりだったのが、就職祝いで一同が集まるシーンはとても温かい気持ちになりました。
波風を立てないことが最善とされつつある現代。
三上のような“0か100”の人間にはとても苦しいですよね。
非常なこと、どうしようもないだらけで嫌になることばかり。
それでもこの映画に“すばらしき世界”という題名が付けられました。
歩道橋で一番星を見つけた時の三上の顔が忘れられません。
さよなら絶望
タイトルから皮肉モリモリな作品でした。
希望が見えたと思ったら絶望が始まり、希望が見えたら絶望が始まるという繰り返し続ける簡単に言ってしまえば地獄映画でした。世間が悪と見る暴力は、守らなければならないといけないと思う正義感が先走った結果の行動で、必ずしも悪ではないし、かといって悪事を見過ごすことは自分を守るためであり、こっちも悪ではないなと思います。見事に善と悪を突きつけられました。
少しでも優しくされたら、自分も優しくされたように感じるのも痛い気持ちになりました。
死亡フラグを高速建築し、ラストまでも絶望に満ちてしまっていたのはスッキリしなかったので惜しかったです。
良い作品でした。
鑑賞日 2/17
鑑賞時間 12:35〜14:50
座席 K-20
感想
この作品を見終えて感じたことは、
人の人間性の根本的なところは、幼少期に育った環境や経験が根深く関係していて、
子供にとっての母の存在の大きさ、母親の子に対する責任の重さを思い知るような、そんな映画でした。
役所さん演じる主人公は、根は真っ直ぐな善人だと思います。
だけど不器用で、一般社会での生き方を知らないから、想いを伝える手段はいつも(暴力)に頼り、自分の感情を上手くコントロール出来ずに苦しんでいる。
彼が最期にしてしまった事は、
彼があまりに純粋で、それ故の生きづらさに対する葛藤の表れなのかなぁと強く思いました。
現代が抱える様々な社会問題を集約した、
切ない映画でした。
男をネチネチ、不自然さ、そして高倉健じゃなくて・・・
西川監督作品は「ゆれる」と「ディア・ドクター」しか知らないが、男が観ても全く違和感がないほど“男を描く”ことに長けているだけでなく、“男を描く”ことにネチネチと執着している印象がある。
この作品でも全く同じで、女優(梶・キムラ・安田・長澤)は、切れ味鋭く脇を固めているにすぎない。
西川監督にとっては、女性は自明の存在で、事細かに描く必要性がないのかもしれない。
西川監督の作家性というか、“性(さが)”を強く感じる。
本作で不自然に感じるのは、三上が自分のやくざな生き方に疑問を抱いていないにもかかわらず、なぜ多くの“娑婆”の人間が、三上に親切なのかということ。
前科者の“疎外”や“不寛容”がテーマのはずなのに、それを緩和する登場人物が多いという矛盾がある。
そもそも佐木隆三の原作にも、「周囲の人が善人ばかりで不自然だ」という批判があり、西川監督も「悩んだ」という。
リアルを少し捨てて、「小さな関わり」を徹底して描くことで、三上のキャラクターを生き生きと浮かび上がらせると同時に、ハートウォーミングな作品に仕上げたのだ。
「中年の男が刑務所から出てきて、ただ単に何でもない日常が続くだけでドラマがあるわけでもない」映画が、ここまで面白いのは、自分も役所広司の素晴らしさだと思う。
しかし、役所広司の力だけではない。
西川監督の演出は、驚くほど“ベタ”だ。スローテンポで、じっくりと主人公を輝かせている。
山田洋次監督が高倉健なら、西川監督には役所広司だということなのだろう。
面白かった。この映画は映画館で観ましょう。
不思議な映画だった・・・
28年と人生の大半を刑務所で過ごした男が出所し、「今度ばっかりは、カタギぞ」 と普通の人生を送ることに取り組む話。なにも起こらない。
自分は役所さんの鬼気迫る演技にももちろん感心だったが、この映画では、さまざまなシーンでクリエイターと呼ばれる人たちの矜持を感じていた。
主人公のケンカを撮っていたが、その狂気に怖くなって逃げだすディレクターに、長澤さんがかける言葉。「撮らないのなら、ケンカに割って入ってとめなさいよ! 止めないのなら、撮って、伝えなさいよ! (撮らずに逃げるなんて)お前みたいなのがいちばん何も救わないんだよ!」
いやあ、強烈。これが、「撮って伝える」 というTVマンの矜持か。俺も怖くなって逃げちゃうだろうなあ。
「カメラは、もう、ないです。でも俺、三上さんのことを書きますよ。普通になるんですよ、三上さんは。それでも書けます。僕は、書けます」 作家になりたい仲野さんのセリフ。「書いて、伝える。たとえそれが、ただの普通な人生であっても」 これがライターの矜持か。
そして、この映画自体、何も起きず、主人公がもがき、周囲が見守るだけ。それを撮って伝えるのは、映画監督の矜持か。
と考えながら観ている俺の前で、そんな素直に終わってはくれないこの映画。主人公にこらえることを心から伝えたのは、同じように生きているアベくんだったのかなあ。嵐の中のコスモスだった・・・
かすんだ青空に、「すばらしき世界」 と浮かぶエンディング。主人公にとって、観ている我々にとって、なにがいったい 「すばらしき世界」 だったのか? 何もすばらしくない世界だからこそ、逆説的な言い方をしたのだろうか。 いや、自分はそうは思わなかった。カタギになろうとした主人公、そのもがき続け、あがき続けた姿が 「生きる」 ということ。それこそが、すばらしき世界なのだろう。
かって所属していた組のあねさんが、別れ際に主人公に言ったセリフ 「今はヤクザじゃ稼げない。シャバは、我慢の連続ですよ。でも、"空が広い" と言いますよ」 ・・・
レビューは以上なのだが、何回も身につまされる思いをした映画でもあった。
その代表的なシーンをひとつ。TV取材を受けようとする主人公に、「食い物にされるだけだ。TV番組ひとつで世界が変わるとは思えない」 と進言し、主人公に口汚く罵られた際に、「きょうの三上さんは、虫の居所が悪いんだね。また日を改めて話そう」 と語るスーパーの店主。このセリフ、言えるか、俺は? 普通ということ凄さを思い知らされる。
おまけ
本編とさほど関係ないのだが、裁判所でのシーンでは、検察や弁護士と、被告や証人とのやりとりというのは、誘導尋問のオンパレードだなあ、と必要悪を痛感した。
好きと嫌いの両方がある作品
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