すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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広い空が、見ている我慢
ラストシーンを見て、私も、すばらしき世界の住人に、なれるかしらと思ったのですが、おつとめ帰りの方とは、どう接したらいいやら。だって、怖いもん。
先日、家族とプチ喧嘩。怒りたくなるわけですよ。ところが、翌日、家族は、けろっとしてる。私の怒りは、何だったのかしらと、思う一方、怒りに任せて、余計なこと言わなくて良かったようです。我慢することで、得たもの。そして、失うものも、あるようです。今日、どんな我慢しました?。広い空が見てますよ。
仕事にせよ、家庭にせよ、ヒトは居場所を探すもの。自分を、認めてくれる、無条件で受け入れてくれる処を、渇望するわけです。ここで、初めにつまずくと、暴力的になる、歪んだ承認欲求を抱くようになる。学校は、学力より、そこを教えて欲しい。つまり、ヒトは生まれながらに、法的に平等でも、個性と育つ環境は、明らかに不平等と云う事実。それに立ち向かう、知恵と勇気。足し算や掛け算覚える前に、他者の気持ちに、共感する想像力。ムショは、罰を与えるだけでなく、何が罪なのか、何がヒトを苦しめるのか、つまずいたヒトに、改めて伝えて欲しいものです。
本作ですが、「私はダニエル ブレイク」みたいな、いい話にも、できたはず。でも、まっすぐに生きると、他者を傷つける。我慢して生きると、他者を見棄てることになる。そんな裟婆の現実を描く、監督さんの心意気に、気持ちが、揺れる私です。
「時計じかけのオレンジ」
罪と罰の在り方を、無理やり問い糺すお話。本作と併せ観るのは、ほぼ間違いですが、私のすばらしき世界は、あなたにとって生き地獄みたいな寓話を、ふと、思い出しました。
観てきました、素晴らしい映画でした。
不器用で、真っ直ぐな前科者
先日鑑賞した、『ヤクザと家族』もそうだが、こうした男の生き様を美化してはいけないとは思う。どちらも、刑務所から娑婆に出てからの社会の仕組みになかなか適応できない生き難さに、フォーカスしている。しかし、刑務所に入るまでは、人の道を外した生き方をしてきたのだから、そのハンディを負う中で生きなければならないのは、仕方ないことなのだろう。それは、ジェンダー問題とは別物だと思う。
とは言え、そうした男・三上を主人公に据えて、不器用で真っ直ぐな心意気の一人の男の生涯を通して、ヤクザあがりの人間にも、生きていくための受け皿と立ち直る権利が行使できる社会の必要性も、訴えかけてくる。また、三上がヤクザとなった根底には、幼い頃に置き去りにした母のトラウマによるものであるというのは、現代社会への警鐘とも言える。
また、娑婆では外れ者の三上だが、そんな彼に何とか手を差し伸べる人がいるのも事実。今度こそ、真っ当な道に導こうとする人々の優しさと思いやりを通して、観る人の心情に訴えかけてくる、ヒューマン・ドラマとしても、西川監督が仕上げている。何度か熱いモノが込み上げてきて、正にタイトル通りの『すばらしき世界』でエンドロールを迎えて欲しかったのだが…(涙)
そして、何んと言っても役所広司の演技は、やはり素晴らしい。瞬間湯沸かし器のような性格の三上の喜怒哀楽を見事に演じている。ヤクザあがりで現代社会には通用しない男のそこはかとない哀愁を、背中で演じることができる役者は、他にはいないだろう。コメディー、ミステリー、任侠…と、何を演じても一流だ。
もう一人、冴えないジャーナリスト役の中野太賀は、最近、あちこちの作品で重要な脇役として顔を見るようになり、父・中野英雄の血を引く演技で、これから楽しみな俳優だ。
現在日本最強監督の「長い」最新作
役を生きる役所
「娑婆は我慢ばっかりで、我慢したって何もいいことない。けれど空が広...
あっという間の2時間
優しさ+残忍さ=我らが"すばらしき世界"
やはり西川監督の作品は 生々しい
粗暴さから 社会に馴染めず弾かれ
しかし 人の優しさに救われ
自身の正義を曲げて 残忍な市民に同調することで
社会に馴染んで行く
なんと"すばらしき世界"
嗚呼 我らの"すばらしき世界"
劇中 悪意のある人物が 障害者のモノマネをして
周囲を笑わせるシーンがある
そのシーンの時 劇場内の観客の一部がクスクスと笑っていた
あの衝撃と絶望は 今後忘れられないだろう
嗚呼 この世はなんと"すばらしき世界"か
だけじゃない『すばらしき世界』
『ヤクザと家族』にない"社会側への問い"を我々に突き付ける、優しく鋭い傑作
『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く、"社会と犯罪者"を鋭く描いた作品。社会で生きることを望んでいても、レッテルが阻む。そんな中でもがく男の、優しい物語。
元殺人犯の三上は、昔から刑務所にお世話になってきた経歴を持つ。今度ばかりは堅気ぞと括り、社会へと踏み出そうとするが、前途多難。反社のレッテルが剥がれることはなく、世間の受け皿はないに等しい。そんな彼を追うことになったのが、津野田。退職し小説家を志すも、吉澤のパシリのように仕事を頼まれ密着する。序盤はドキュメンタリーのように、三上の人物像を浮かばせる。母を知らず、愛を知らず、仇を取ることでしか手段を知らず。そんな彼に、暖かな人々が手を伸ばす。向き合うべき事に向かわせることしかできないが、実際に主観的になったら、そうなるのだろう。じっくり時間をかけ、解いてゆくしかない。さて、前述した、「『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く」理由はなんだったのかをここで記す。それは、社会が起こすべき態度を描くことで、我々が受け皿として機能することの必然と難しさを同時に描いているかの違いだ。彼らの生き方を抑圧したところで、一般社会がどうあるべきなのかは指南されない。よって、煙たがっては排除する。その葛藤と変化を綴っていたことが、何より作品の暖かみを作っている。そして、我々以上に社会復帰が難しいという現実を突き付けている。
彼にとって、すばらしき世界だったのか。それを問われるのは、我々。生きやすい社会など、端からあるのか。差別や分断は個々人のレベルですら起こるのだから、ますます難しい。何年かけても解けにくい課題を社会に問う、優しく鋭いタッチの傑作だった。
どれだけ世界とつながっていられるか
前半は少しコミカルなタッチで、しかし後半にかけてどんどん引き込まれるシーンの連続だった。介護施設でのシーン、介護士の服部と障害を持っているであろう阿部のやり取りを、主人公三上が見つめる。そのあとのシーンも含めて最高のシークエンスだと感じた。
パンフレットに付属する脚本には上記シーンで「社会に適応するために、人間性を、捻じ曲げた」と書かれている。それまでの三上は自分の目から見た世界、主観的な世界だけを世界と認識して生きてきたのだと思う。彼の正義は一方通行で、ある意味身勝手なものである。「お前らみたいな卑怯な連中に混じるくらいなら死んで結構たい。」三上の言葉にはなぜ「お前ら」が「卑怯な」行動をとるのかに対する思慮がない。それは「お前ら(=我々)」が「弱い」からであるが、「強い」人間である三上はその弱さに対する配慮がない。彼は強くなるために、生きるために、弱い人間、つまり過去の自分を否定し続けなければならなかった。彼が歩んできた人生が、彼の視野をより狭く、より強固にしてしまったことが、一つ一つのカットから読み取れる。三上を「強くならざるを得ない存在」に育て、かつ、「弱い者」への配慮を徹底的に欠く存在に仕立てたのは、まぎれもなく彼の幼少期の環境だろう。津乃田の目に映る、母を求めて泣き叫ぶしかない男の子はまさに三上自身だった。男の子は母親によって見つけられたが、三上は母に迎えに来てもらえなかった。そんな男の子が、三上のような強く悲しい男にるしかなかった人生を想像させる、秀逸なカットだった。
原作のタイトルである『身分帳』も、我々、つまり三上にとっての世界が一方的に彼を見たものの象徴である。彼がなぜそうなったか、なぜそのような行動をとるのかへの思慮はない。表面的に切り取られた殺人犯三上という人間がそこには描かれている。それは一方的で、身勝手な見方である。観客の目線を代表する津乃田も、始めはその見方しかできない。彼もまた三上を一方的に切り取り、はじめはその存在に恐怖し逃げ出す。しかし「あんたみたいなのがいっちばん何にも救わないのよ」と言われながらも、結局は逃げずに三上に寄り添う。それは彼が「何も救えない弱い人間」だからであり、だからこそ三上の弱さに寄り添えたのだろう。三上は津乃田という「弱い人間」に寄り添われて、自身の弱さと向き合っていく。彼がシュートを決めた男の子を抱きしめ嗚咽するシーンは「弱さを受けいれる」シーンだと、私は解釈した。
そして介護施設でのあのシーン彼の人間性は、イメージの中で服部を殴りつけたように変わっていない部分もある。だから「人間性を捻じ曲げる」という表現は正しい。しかし私にはあのシーンは、人の弱さに気づき、本当に強い人間となった三上の、弱い人間たちへの配慮のように見えた。服部もまた弱く、阿部もまた弱い。障害を持つ阿部を嘲笑する服部の「似てるでしょ」に、「……似てますかね」と頬を震わせながらひきつった笑顔を見せる。一方的に身勝手に押し付けるのではなく、相手に問いかける。真に強い人間の態度だと感じた。
登場する登場人物が、どれも強さと弱さを抱えたキャラクターとして描かれている。その人々作り出す良いも悪いもないまぜになったこの現実こそ「すばらしき世界」なのだろう。このすばらしき世界で私も懸命に生きなければならない。
西川監督もおっしゃっていたが、切り札役所広司のあまりのジョーカーっぷりにマイナス0.5させていただきます。
すばらしきまま彼は旅立つ
緊急事態宣言で20時で終わる映画館は
やっぱり行きづらいもんでなかなか時間作れませんでしたが
やっと観賞
殺人罪で13年服役して社会に放り出された元ヤクザ
三上正夫が自分の立場から娑婆の生きづらさに
直面しながらも生きる意味や生きる誇りを
探しながら覚悟を見つけていく物語
まず役所広司の手のうちに入れた演技が絶妙
シナリオ自体はそんなにややこしくなく
序盤から描写される三上の異常な高血圧と
いった描写からああ最後は死ぬんだなと
想像できますが三上のそれなりに社交性もあり
整理整頓や細かな仕事も刑務所で身に着けては
いるものの曲がったことが嫌いで
短気な性格とどこか暴力に対する意識が
希薄なままのキャラクターがすぐ
理解できるので移入度はなかなかのもの
そんな彼の周りには最初は色眼鏡で見たりした
ものの徐々に三上の屈託のなさに絆されて
彼を支援していく人々が増えていく様子が
さながらファンタジーに見えてしまいますが
娑婆の我々も見ている世界がそんなに奇麗なわけでは
ないことに気が付きます
そんな三上に目を付けたテレビマンが
しがない小説家志望の津乃田に彼の生い立ちを
記した身分帳の写しを送り付け取材させ
ドキュメントに仕立てようとします
しかし津乃田はその書類から三上に興味を持ち
その性格の問題点にも触れていき
三上を糾弾してしまいます
…この津乃田のキャラクターがちょっと弱い?
彼が身分帳から三上の複雑な生い立ちに
興味を持った感じはわかりますが
津乃田自身の生い立ちなどと
どう相関があるのかという描写が
ないため突然三上に協力的になったように
見えるご都合的展開にも感じる部分がありました
印象的だったのは一時的に頼った福岡の
旧友ヤクザの姐さん
もうヤクザではやっていけないことや
三上のもう堅気になる道を選ぶよう進めて
警察沙汰から逃がす場面は涙を誘います
こんな優しい人たちが本当にいるのかは
わかりませんが他人でもより良い内面を知る
機会があればこれくらい優しくすることは
出来るのかもしれませんね
なかなか他人の内面をそこまで理解する
機会やスキルが失われている現実が
あまり関わろうとしない社会を生んでいる
のかもしれません
少しでもいいことをしようとする人がいると
偽善問う言葉が口を突いて出てきてしまう人
けっこういますよね
友人にも生活保護課の公務員やってる人が
いますがなんでも申請を断りたいわけではなく
今は仕方がないが仕事に復帰したいという意欲を
持った人が来ると全力で応援してあげる気持ちは
持っている(けどなかなかそういう人がいない)
と言っていました
結局自分の持っているやさしさを食い物にされる
のが怖いという部分もありますよね
でもそういう気持ちを前面に出せたら
この映画のような人々がすばらしき世界を
作ることができるかもしれません
三上は幸せの最高潮で逝きましたがそれが
幸せなのかかわいそうだったのか
観る人で色々と変化のある映画だったと思います
観てよかったです
西川美和監督、ベテランの域
下界の空は確かに広い。
人生の大半を塀の中で過ごしたヤクザで元殺人犯の三上。今度こそカタギになると胸に誓い現代社会の中に居場所を作ろうともがく。
そんな三上を利用して番組を作ろうと画策し近寄るTVプロデューサーとディレクターの津乃田。津乃田が覗くカメラに映るまるで子供のように笑顔ではしゃぐ三上。その一方で生き生きとした表情で血生臭い狂気を見せる。突然キレる暴力性と弱者を守ろうとする徹底した正義感。そのバランスがコントロールできない。故に自らの罪に対する罪悪感は皆無。
三上の根底にある優しさを察し彼の自立をサポートしようとする周囲。世間は前科者に甘くない。どうしたって色眼鏡で見られてしまう。それでも耐えて見て見ぬふりをしながら生きてゆくしかない。それが現代社会なのだから。それができなければ彼らの帰る場所は1つしかない。
役所広司だから表現できた三上というキャラクター。そして何より仲野太賀が大健闘!めっちゃ良かった。アパートでケーキを囲むシーンやこども園で三上を見つめる表情が印象的。そしてキムラ緑子さんがこれまた最高だった。
三上という男のなんて憐れで滑稽な人生。それでも彼の元に集った人達の無償の優しさが本物だったことは疑いようもない。下界の空は確かに広い。三上にとってこの世界が素晴らしきものだったかどうか。この社会を生きる一人一人にとってはどうか。今、問いかけられている。
自由で不自由なこの……
刑務所から出てきた元ヤクザの三上の、社会復帰を切り取った物語。主演の三上には役所広司。直情的で子供の頃から家庭に恵まれず、道を外して生きてきた初老の九州男児。
彼に感情移入できるかといえば、なかなか難しい。自分だけの正義を振りかざし、その一点だけで他者を受け入れ無い奴は好きになれない。そんな嫌悪感もいだきながら画面を追うのだけど、それも含めて西川監督の思惑にハマっていくわけだ。
役所広司の演技はもちろん抜群だ。出所して社会復帰を目指すが、性根では何も変わっていない。時折悪たれる姿はとても"憎めない"で済まされる人柄では無い。憎めない悪い奴とか、ヤクザとかいう単純な話ではなく、裏家業で育ってきた、普通の人では無いという異質感を表現できる役者は、そうそういないだろう。
テレビの取材対象として、三上と関わるライターの津乃田(仲野太賀)。当初彼の見せる暴力性に引くが、逆に興味は増してつきあいを深め、心底彼を心配するようになる。作家を目指す貧乏青年。いかにも普通の人物だ。津乃田をはじめとして、三上を応援する周りの面々が、組み上がった城の石垣のように、ガッチリと配置される。
最初は色眼鏡で三上の万引きを疑うスーパーの店主に六角精児、身元引受人の弁護士夫妻に橋爪功と梶芽衣子、津乃田に三上への取材をそそのかすテレビ局員に長澤まさみ、市役所のケースワーカーに北村有起哉など。見ていて安心感しかない。
彼らが普通であればあるほど、そうなれない三上の苛立ちや悪しき所が目立つ。直情的で堪え性の無いところが特に。見ているうちに「それじゃ社会では通用しないよ」という言葉が観ている自分の中で繰り返されるが、そんなしたり顔の大人が言うような言葉に、嫌悪感が生まれる。努力しなければ、なれない普通とはなんだろう。
ラストシーンは、今年一番。ヤクザものの社会復帰という物語を鏡にして、そこに投影された普通の人が自由で不自由なこの「すばらしき世界」って、皮肉な声が響いているように感じた。
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