すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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下界の空は確かに広い。
人生の大半を塀の中で過ごしたヤクザで元殺人犯の三上。今度こそカタギになると胸に誓い現代社会の中に居場所を作ろうともがく。
そんな三上を利用して番組を作ろうと画策し近寄るTVプロデューサーとディレクターの津乃田。津乃田が覗くカメラに映るまるで子供のように笑顔ではしゃぐ三上。その一方で生き生きとした表情で血生臭い狂気を見せる。突然キレる暴力性と弱者を守ろうとする徹底した正義感。そのバランスがコントロールできない。故に自らの罪に対する罪悪感は皆無。
三上の根底にある優しさを察し彼の自立をサポートしようとする周囲。世間は前科者に甘くない。どうしたって色眼鏡で見られてしまう。それでも耐えて見て見ぬふりをしながら生きてゆくしかない。それが現代社会なのだから。それができなければ彼らの帰る場所は1つしかない。
役所広司だから表現できた三上というキャラクター。そして何より仲野太賀が大健闘!めっちゃ良かった。アパートでケーキを囲むシーンやこども園で三上を見つめる表情が印象的。そしてキムラ緑子さんがこれまた最高だった。
三上という男のなんて憐れで滑稽な人生。それでも彼の元に集った人達の無償の優しさが本物だったことは疑いようもない。下界の空は確かに広い。三上にとってこの世界が素晴らしきものだったかどうか。この社会を生きる一人一人にとってはどうか。今、問いかけられている。
自由で不自由なこの……
刑務所から出てきた元ヤクザの三上の、社会復帰を切り取った物語。主演の三上には役所広司。直情的で子供の頃から家庭に恵まれず、道を外して生きてきた初老の九州男児。
彼に感情移入できるかといえば、なかなか難しい。自分だけの正義を振りかざし、その一点だけで他者を受け入れ無い奴は好きになれない。そんな嫌悪感もいだきながら画面を追うのだけど、それも含めて西川監督の思惑にハマっていくわけだ。
役所広司の演技はもちろん抜群だ。出所して社会復帰を目指すが、性根では何も変わっていない。時折悪たれる姿はとても"憎めない"で済まされる人柄では無い。憎めない悪い奴とか、ヤクザとかいう単純な話ではなく、裏家業で育ってきた、普通の人では無いという異質感を表現できる役者は、そうそういないだろう。
テレビの取材対象として、三上と関わるライターの津乃田(仲野太賀)。当初彼の見せる暴力性に引くが、逆に興味は増してつきあいを深め、心底彼を心配するようになる。作家を目指す貧乏青年。いかにも普通の人物だ。津乃田をはじめとして、三上を応援する周りの面々が、組み上がった城の石垣のように、ガッチリと配置される。
最初は色眼鏡で三上の万引きを疑うスーパーの店主に六角精児、身元引受人の弁護士夫妻に橋爪功と梶芽衣子、津乃田に三上への取材をそそのかすテレビ局員に長澤まさみ、市役所のケースワーカーに北村有起哉など。見ていて安心感しかない。
彼らが普通であればあるほど、そうなれない三上の苛立ちや悪しき所が目立つ。直情的で堪え性の無いところが特に。見ているうちに「それじゃ社会では通用しないよ」という言葉が観ている自分の中で繰り返されるが、そんなしたり顔の大人が言うような言葉に、嫌悪感が生まれる。努力しなければ、なれない普通とはなんだろう。
ラストシーンは、今年一番。ヤクザものの社会復帰という物語を鏡にして、そこに投影された普通の人が自由で不自由なこの「すばらしき世界」って、皮肉な声が響いているように感じた。
地味だけど、味のある作品
殺人→13年の刑期を終えて出所→その後社会にどう馴染んでいくかをテーマにした作品。
元ヤクザだけにいい意味だと曲がったことは許せないし、気に入らないとケンカ張りに対応してしまい後悔することもありながら、元受刑者への世間の冷たさを痛感していく。
そこに興味半分で近づいてきたTV製作者がさらに怒りを買うような対応をしていく。
ヤクザに戻ってしまうのか、なんとか周りの応援によって社会復帰できるのか、という地味な内容とも言えるが、これはセリフの微妙な心境の変化を見ていく、感じていく作品である。
・13年も刑務所にいて刑務所での規律・ヤクザの喧嘩っ早い様子
・公衆電話しか連絡方法がないし、就活しても出所者には冷たい現実を知る様子
・スーパーや老人ホームで理不尽な状況に出くわしてもグッと呑み込んで不器用な笑いでやり過ごす
・スーパー店長がだんだん真っすぐな正夫に魅かれていく
・フリーのディレクターが商業ベースで行方不明の母親を探し、更生していく様子を撮っていこうとするも、次第に正夫の真っすぐな人間性に魅かれ、小説家として人間としての正夫を題材にして書こうと決意し、人間同士の心の通った交流をしていく
・役所の生活保護の課の人が適当にあしらっていたのが熱心に質問しに来たりそれと同じ熱量で資格取得しようとする姿に親身になっていく
ざっと挙げたが、それぞれの登場人物の発していく言葉のちょっとした変化や語尾で、心境の変化を読み取っていく作品で、地味だと思われるがとても奥が深い。説明臭くなく、説明を会話や表情で読み取っていくのは疲れる作業でもあるが、その疲れが涙となって洗い落としてくれる。
ラストのシーンが何よりも正夫に関わった人たちの本心があらわれている。
ヤクザには生きにくい世の中なんですね。
本を読まずに鑑賞。
三上さんの真っ直ぐなところ、切れやすいところ、バカ正直で言葉に引っかかり自爆するところ、そのくせ妙に文章をきっちり読んで理解力が高かったり、自分の身分帳を開示請求かけて写筆したり、差が激しい。ひょっとして障害があるのかぁと感じました。劇中でも似たような事を示唆する場面がありました。
ストーリーは、明るく、軽く進んでいきます。重いシーンもあぁ…と思いながらも受け入れることが出来ました。いろいろ考えること・思うことが多い作品、脚色があるにしても実話を元にしているだけあって共感を得やすかったです。比べると、ヤクザと家族はエンタメ性が高かったですね。
ラストはグッときました。
泣いてくれる人、駆けつけてくれる人が出来てよかったね、三上さん。
役所広司はやっぱり凄い。
受刑者が刑期を終えてから社会に戻る話です。
役所広司さんの演技が本当に凄いです。
役所さんの演技に共演者の皆さんが引っ張られていっています。
登場人物のそれぞれの立場がリアルに描かれており、都合よく奇跡のようなことは起きません。
そのリアルさがこの映画の良さを際立たせています。
126分の上映時間はあっという間に過ぎました。
なぜ「すばらしき世界」この名前にしたのか、分かりませんでした。
もう一度みて確認してみようと思います。
皆さんもぜひ見てください。
素晴らしい映画でした。
すばらしき世界とは?を考えさせる映画
真に素晴らしき映画(ヤクザと家族のネタバレも有り)
【はじめに】
以下すばらしき世界の最初から最後の結末までネタバレされています。
元ヤクザの男が社会に復帰する様子を追うこの作品は「ヤクザと家族“第二部”」と扱うテーマが酷似している。
この2つの作品がほとんど同時期に公開されたのは運命の悪戯というべきかなんというべきか。
しかし、この二つの作品には当然ながら違う対立している部分もある。
そこを比較しながら書いていきたいのでヤクザと家族のレビューもぜひ参考にして欲しい。
まず、大きく違うのは主人公である。
ヤクザと家族ではヤクザの世界に入るきっかけから描かれていて、主人公に感情移入するように作られている。
そのため、我々観客はなぜ賢坊が社会復帰出来ないのかと周りの社会にヤキモキする。
一方で、すばらしき世界は、刑務所を出所してからの話で基本は三上目線で進むものの途中で取材が入る。津乃田の目線である。なぜかわからないが僕はこの津乃田の目線で物語を見た。
つまり、なぜ三上が更生して社会復帰しないのかと思った。三上に対してやきもきした。
これはなぜだろうか。
一つは冒頭の刑務所のシーンにあると思う。
僕は三上が刑務所で反省して社会復帰するまでの物語なのだろうと観る前は思っていた。
だから、冒頭の刑務所で刑務官に対して三上が「判決を今でも不当だと思っている」という言葉、さらにはお世話になった刑務官への言動の端々から「あ、三上は反省してないんだな」と感じたのだ。
だからこそ、三上がキレるとなんでそうなるんだよと三上に対して思うのだ。
そして、次に違うのは周囲の人々である。
ヤクザと家族では、賢坊は組を抜けても社会の人々から徹底的に煙たがられる。
誰からも手を差し伸べてもらえない。
仲良くしてくれる人もヤクザ時代からの馴染みの面々ばかりである。
対して、すばらしき世界には三上に対して救いの手を差し伸べてくれる人達がいる。
身元引き受け人の夫婦、生活保護を支給している役所の窓口の人、近所の行きつけのスーパーの店長、そして、津乃田。
途中まではこの世界はすばらしい世界だった。
元ヤクザでも関係なく仲良くして、親身になってくれる。
なのに、肝心の三上が聞き入れない。
引き受け人の夫婦や役所の人には甘えて、店長や津乃田の意見で自分の都合の悪いことには耳を貸さない。
これも相まって三上にやきもきするのだ。
考えてみれば不思議な話である。
ヤクザと家族の賢坊は組の抗争でアニキの罪を被ったとはいえ、刑務所に入所し、出所した後もそのままヤクザ稼業を続けようとしていた。
そして、経営が立ち行かなくなり組を抜けて社会に溶け込もうとした。
いわば、自分の意思ではなく周りの状況によって社会に出るのだ。
三上は、妻を庇って突入してきたヤクザものを刀で斬りつけた。元々の事件も三上の方が襲われているのである。
そして、刑期を満了して出てきて今度こそは堅気になろうと社会に出ようとする。
いわば、自分の意思で社会に出ようとしている。
しかし、僕は賢坊を応援して、三上に対して怒りに似た感情を覚える。
見せ方ひとつでここまで変わるとは、映画とは面白いものである。
話を元に戻そう。
兎にも角にも自分達に手を差し伸べてくれる人と衝突を繰り返した三上は福岡のヤクザの兄貴分に連絡してしまう。
ここがターニングポイントだった。
到着した福岡で女将さんから組の実情を知らされて、さらには警察による下稲葉組の検挙、女将さんの諌めもあって完全にヤクザに戻る前になんとか逃げる。
そして、自分が入っていた施設に津乃田と共に行き自分のルーツを探る。
この施設で自分のルーツを探ったことによって完全に更生(というと言い方が多少傲慢だが、ようは堅気になろうという本気度が上がった。)
ここから物語は明るい方へと向かっていく。
就職が決まるのだ。
これによって社会に一歩踏み出すのだ。
その壮行会ともいうべきお祝いの席にて三上は大事なことを教わる。
「辛抱が大事だ。人が辛い目に遭っていても自分のことを第一に考えて逃げろ。逃げる事は悪い事じゃない“勇気ある撤退”とも言える」(要約)
と。
ここまでは真にすばらしい世界だった。
三上が見上げる空は希望に満ち溢れていた。
ここで終われば後味の良い更生することの難しさを描いた作品になっていたのだろう。
実際ここまでは僕も“更生”がテーマだと思っていた。
このすばらしい世界で更生するむずかしさを問うたのだろう。
ヤクザと家族がヤクザの社会復帰に対する問題提起だとしたら、この映画は一つのモデルケースを描いて見せたのではないか。
さて、社会復帰を誓った三上だが、早速試練が訪れる。
職場で暴力が振るわれてる現場を目撃するのだ。
以前の三上ならば、焼肉屋の帰り道のように襲いかかって暴力を振るったかもしれない。
しかし、三上は踏みとどまる。
そばにあったモップを手に取ったが、踏みとどまる。
こういう時に逃げること、見て見ぬ振りをすることが社会復帰への道だと信じて、耐える、カッとなって上がってくる血圧を抑えながら、苦しみながら、血圧を下げる薬を飲みながら、耐える。ひたすらに耐える。
三上は、耐えた。
しかし、そんな三上に第二の試練が襲いかかる。
中で縫い物をしていると先程いじめていた職員が戻ってきていじめられていた人の悪口を言い始めるのだ。
そして、いじめられていた人をおちょくるようなモノマネをして三上に聞くのだ
「似てますよね??」
なんという試練か。(無論職員には試練を与えている意思はないが)
三上は裁ち鋏が目に入りながらグッと堪えて笑顔でこう言う。
「似てますね」
三上は社会に入った。
しかし、その後いじめられていた職員の優しさに触れる。
そして、その嵐の晩だろうか、三上は死ぬ。
自殺か病死か死因は明確には示されない。
三上の死に場所に駆けつけた津乃田達がアパートの前で悲嘆に暮れる中空が映し出されて子供の笑い声が聞こえる。
なるほど、真に“素晴らしき”世界である。
この余韻がとてつもない。
ラスト30分足らずでのタイトルの意味のどんでん返しがとてつもない。
よく邦画の宣伝文句で「ラスト〇〇分のどんでん返しを見逃すな!」というのがあるが、この映画の前ではどんなどんでん返しも霞むのではなかろうかと感じた。
更に宣伝でも上手だなと思うのは、予告編では出所した三上を吉澤と津乃田が取材するという筋のみを出していてメインを三上、吉澤、津乃田、の三人だと思わせていた事。
実際には吉澤はこの話にはほとんど関わらない。
津乃田と三上を出会わせるくらいしか役割がない。
実はこの話の主人公は三上とその周囲の手を差し伸べる人々だったのだ。
その上で、役者陣の演技がとてつもない。
役所広司さんは、まさに人間国宝級。
生まれつき短気な人物を前半で演じきったからこそ、施設でのシーンが映えるし、就職先でじっと耐える姿が胸にくる。
そして、津乃田を演じた太賀さんが役所広司さんと比べても見劣りのしない出来で、最後の最後のシーンは太賀さんの演技で泣いた。
橋爪さん、六角さん、北村さんと周りも手揃い。
特に北村さんはヤクザと家族では若頭を演じながらこちらでは元ヤクザに手を差し伸べる役所の人役を演じていて、その演じ分けの綺麗さ、見事。
ぜひ映画館で見て欲しい傑作だった。
振り子のように問いかけられる
善とは、悪とは、
人生に正解は無い
何で人を判断するのか。その判断軸を持っていない自分に気付かされる。
目の前にいるその人は、いかなる人間なのか。
いい人とは? 悪い人とは?
そんなことの判断軸も、自分が持ち合わせていないことを、まざまざと痛感させられる作品だった。
いい、悪いで判断することが、そもそも違うのか。
三上さんを前にして、その過去を知った時、自分はどう振る舞うのか。そんなことを考え続けている。
素晴らしき世界にたどり着く難しさ😱
「満期で出所した者の50%は刑務所に戻ってくる。」ラストの仲野太賀の言葉。
今度こそ、シャバで生きていくと覚悟をするが、すぐにキレる性格が止められない三上(役所)。
ある意味真っ直ぐな三上は、すぐに喧嘩を売り暴力を振るいます。この時点で逮捕されててもおかしくなかった。(また刑務所送り)
多くの人に心配、支えられるが、
我慢が限界に達してヤクザの世界に戻ろうとする三上を止める組の姉さん(キムラ緑子)の言葉。
「空は広いんだよ!」これが素晴らしき世界に繋がってるのかなと思いました。
身元引受け人の弁護士(橋爪功)
「逃げることも自分を守るのに必要!」という言葉も三上の心に刺さったし、自分にも刺さりました。
就職も決まり、教習所にも行けるようになった三上が再出発の歯車が回り出した時に見る夕暮れの広い空に一番星が素晴らしき世界への正に入口だったのかな。
やっと素晴らしき世界の入口が見えてきたところでラストになります。そのラストシーンが複雑な気持ちなりました。これからだったのに。
是非観て欲しいです。役所広司さんの九州弁は見事でした。(長崎出身)
ものすごく温かい
すごく寂しくて苦しくて、でもものすごく温かい。
西川作品としては初めて原作もの。これだけでも気になっちゃいますね。
自分のいられる場所を精一杯に探して生きる、それはロードムービーのようでした。
何より三上役の役所広司、彼の芝居がすごい。
彼のやるせなく、何処にも向けられない苦しい気持ちがダイレクトに伝わってきました。
だからなのか、所々で涙してしまうんですよね。
特にサッカーのシーン、私は一緒に泣き崩れていました。
涙しながら「え?何で泣いてるんだろう?何でだ?」とずっと自問していましたよ。
もう2〜3日して落ち着いてくると分かるかもしれません。それ位入ってしまう場面でした。
そうして頑張り何度も躓きながら、その度に色々な人々に支えられ、そこがすばらしい世界である事に気付く。ラストに添えられた香もやさしかった。
深く胸に響く、とてもすばらしい作品でした。
三上にとって素晴らしき世界とは…。
今度こそカタギになるとゆう強い信念の元、不器用だけど真っ直ぐな心が回りを動かしていく。
真っ直ぐすぎるから生きづらいみたいな話があった。ずっと普通に生きている私でも生きづらさを感じるのに、三上はどれだけ窮屈か想像もできない。
梶芽衣子演じる保護観察員の奥さんが歌う《見上げてごらん夜の星を》は涙が止まらなかった。あの歌で少し救われた気がする。
カメラアングルがとても良く、特に大雨の中になびく三上のランニング(?)。あの真っ白なランニングが、暗く冷たい雨の中になびいている様は三上の人生を象徴しているかのように感じた。
最期三上は、どんな気持ちでコスモスをにぎりしめていたんだろう。三上にとって素晴らしき世界は《普通に生きれる世界》だったのかな、と。ビジュアルのコスモスは、観る前後では全く違く見えた。
役所広司は凄みとコミカルを兼ね備えている数少ない存在で、《渇き》や《弧狼の血》でのヤバい存在感を演じたら右に出る者はいないんじゃないかな。日本を代表する映画俳優に違いない。
仲野太賀には面食らった、ますます目が離せない。
しばらく
タイトルなし(ネタバレ)
役所広司が凄いのは当然なんだけどさ。視点が完全に「役所寄り」の映画、かと思いきや、このひとが出所後に一方的に迫害させて「これでいいのか現代社会」っていう話では全然ない、ったことだ。
出所後に「今度こそ、堅気ぞ」と決意した、わりには、このひとは結構やらかす。次々に起こる困難を、罵声と暴力で解決っしようとする、その衝動がなかなか抑えられない。これは、社会に受け入れられないほうが当たり前だ。そもそも彼は自分がかつて犯した殺人を全く反省していない、自分は正義だったと信じている。だから、正義の名のもとにスイッチが入ってしまう自分の衝動を抑えられない。
あれえ? これは、元殺人犯という特殊な人間の話なのか? いや違うんだ、たぶん。現代に生きる人間は、誰もが三上なんだ、たぶん。
この男が社会に受け入れられようともがく姿は「成長物語」にも見える。
この映画は(たぶん原作者の佐木隆三氏を反映したかのような)崖っぷちルポライターの仲野大賀が、もう一人の主人公である。暴力に恐怖して走って逃げる仲野大賀。取材対象との距離の置き方に悩む仲野大賀。感情移入しすぎて傷ついてしまう仲野大賀。これも他人事ではない。
役所広司を取り巻いているのが、仲野大賀と、弁護士の橋爪功、スーパー店長の六角精児、ってメンバーなのが、またいい。「すばらしき世界」というタイトルは、決して反語でも皮肉でもない、かもしれない、と思わせる瞬間が、確かにある。だからこの映画は愛おしい。
ささやかな、希望と再生の物語
良い作品でした。
ちょっとキツイ話だったけど、観てよかった。
ただシリアスというだけではなく、おかしみを感じるところもあり、ダレることがなかった。
根は悪い人じゃないのだけれど、感情を制御できず、すぐに爆発させてしまう元ヤクザの三上(おそらく人格障害なのでしょう)。
世間の多くは、彼のようなニンゲンにはあまり関わりたくないだろう。
そんな三上にあえて関わって支えていく人々。えらいなぁ。やさしいなぁ。
けれど、大きく脱線した車輪を再びレールに乗せるのは、並大抵のことではない。
言うまでもなく、はみ出し者には、世間の風は冷たく厳しい。
僕自身もある意味カタギではないので、まったくの他人ごとというふうには観ていられませんでした。
けっきょくは、母と子、家族からはじまるのだなぁ、と思ったり。
観終わったときは、少しだけ物足りないかも、と感じたけれど、それを補うようにあとからじんわりときました。
家に帰るあいだも、いろんな思いが胸に去来した。
先ほどのシーンがよみがえってきて、また涙がにじんだ。
とにかく、三上は生きた。
不器用だが、懸命に。
この「すばらしき世界」の中で。
追記
それにしても、役所広司は素晴らしい。
あれほど凄みの出せる役者はそうはいないでしょう。
日本の宝だ、と思いましたね。
助演の仲野太賀も好演だったし、脇をかためる俳優陣もいい味だしてました。
世の中捨てたもんじゃない
ヤクザでもこちらのヤクザはカタギとして真っ当に生きようともがいている。
長い間、極道と刑務所の中で生きてきた三上には、こちら側の世界は本当に生きづらい。世の中は13年前とはまるで変わっているのに、古い考えで何をやろうとしても壁にぶち当たる。
それでも、周囲の温かい人達に支えられ、何とか少しずつでも軌道修正してもらいながら、就職もできたのだ。
彼は根は真っ直ぐで優しい男だ、正義感も強く、曲がってることをしてる奴を放ってはおけない、でもその加減ができずにやり過ぎてしまうという不器用さがある。
罪を犯した人が娑婆で、人並みに生活できるようになるには並大抵の努力が必要だろう。これは、以前から社会問題としても取り上げられているが、こんなに周囲の人々に恵まれたことは奇跡に近いのではないか。
ケースワーカーの北村さん、橋本さん、梶さんの弁護士夫婦、スーパーの店長の六角さん、そしてプロデューサーの仲野太賀さん。
中でもお風呂でのシーンの仲野さんの台詞と眼差しには優しさが溢れていて、胸に打たれた。
また、三上が介護施設で共に働く、知的障害の仲間に自分の生きづらさを重ねて涙するのには世間一般ではマイナスと捉えられるコンプレックスを抱えた者の辛さを痛いほど感じた。
そして、西川監督の笑いの要素を絶妙にいれてくるあたり、なかなか素敵でした。
三上、きっと思ったんじゃない。俺はこんな生き方してきたけど、別れた奥さんとも話もできたし、就職もできた、こんなに自分のことを必死に考えてくれる人達にも出会えて、意外とすばらしいんじゃないかと、この世界も捨てたもんじゃないって。
“すばらしき世界”
役所広司×西川美和、これは観るしかないではないか。
“今回はカタイぞ”これは堅い=まともな人間になるということ、その決心が固いということ。
予告の時からかなり印象的でした。
誰に言うでもない短い台詞だけど、とても重みがあり、簡単に発することができない言葉だと感じました。
人が本当の幸せを掴むには“心の豊かさ・余裕”が必要なんですね。
その手段は様々でお金なんかはその内の一つ。
三上にとっては“社会で普通に生きること”と、そして“愛”だった。
ディレクターの津乃田に身元引受人の庄司夫婦、スーパーの店長・松本、ケースワーカーの井口、みんな自分のできる範囲で三上を助けてくれる。
誰も全く恩着せがましくなく、まさにそれは“愛”だった。
“人は1人では行けていけない”という言葉の意味について考えてみた。
それはただ“助け合わないと生きて行けないから”ということだけではなく、“その人たちがいるから=自分の為だけに生きることはできない”ということなのだと感じた。
仲野太賀くんは本当に素晴らしい役者さんですね。
何でしょうね、怖いけどビビリながらも答えを模索して行動している感じ?“情けないと勇敢が入り混じっている”のがとても魅力的でした。
もちろん他三上を囲むキャスト陣も良かったです。
それぞれ三上とタイマンでの繋がりだったのが、就職祝いで一同が集まるシーンはとても温かい気持ちになりました。
波風を立てないことが最善とされつつある現代。
三上のような“0か100”の人間にはとても苦しいですよね。
非常なこと、どうしようもないだらけで嫌になることばかり。
それでもこの映画に“すばらしき世界”という題名が付けられました。
歩道橋で一番星を見つけた時の三上の顔が忘れられません。
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