「”普通”って何だろう?と考えさせられました」すばらしき世界 デビルチックさんの映画レビュー(感想・評価)
”普通”って何だろう?と考えさせられました
映画らしい映画だと思いました。こういう作品をもっと見たいな〜って。
僕は歌にせよ絵画にせよ映画にせよ、芸術とかアートとかに分類されるものは社会批判や政治批判、問題提起などと親和性が高いと思っています。
ジョン・レノンは国境のない世界を歌いましたし、パブロ・ピカソは戦争の悲惨さを描きました。映画でも、アメリカン・ニューシネマは“ベトナム戦争に邁進する政治に対する(中略)反体制的な人間の心情を綴った映画作品群、およびその反戦ムーブメント”(Wikipediaより抜粋)で、『真夜中のカーボーイ』『ダーティハリー』『時計仕掛けのオレンジ』などたくさんの名作が生まれました。日本なら大島渚監督などが作品を通して社会や政治を痛烈に批判しました。
僕はこれらの作品が好きなので、何らかの思想や問題提起のある映画こそ映画らしいと感じます。写真とか絵画とかでもそうなんですが、美しいものを美しいと描くのではなく、美しさの中にある狂気を描くとか、ドブネズミのもつ美しさを見出すとか、そういう気づきがもらえたり考えさせられたりするような作品が大好物です。
で、この『すばらしき世界』は、前科者が社会復帰をすることやヤクザが足を洗うことの難しさや、“普通”の人の正義への疑問が、批判的な目で描かれています。こういう映画がちゃんと作られて(制作費がついて)もっとたくさんの人に観られ評価されるようになると良いですね。
この物語の主人公は、元ヤクザの三上という男です。殺人による13年の刑期を終えて塀の外に出てきます。彼の望みはカタギになること。普通の仕事をして普通の生活がしたい。ただそれだけです。
ですが社会はそれを許してはくれません。
まず仕事が見つかりません。健康状態が悪い上に、刑務所で習った剣道の防具を作る技術は需要がありません。そこで運転手の仕事をしようとしますが、13年の間に免許証は失効しており、ブランクが長いので運転免許試験に合格することもできません。
それに彼には大きな欠点があります。本当は優しい男なのですが、曲がったことが嫌いで放っておけず、すぐにケンカを始めてしまいます。彼にできることはケンカだけなのです。しかも一度スイッチが入ると自分で歯止めがかけられず、やりすぎてしまいます。
そのため徐々に打ち手がなくなっていき、ついには応援してくれている人たちとも口論になったりして、孤立してしまいます。
そして追い詰められた三上は、とうとう九州の兄弟分に連絡をします。やはり元ヤクザはヤクザに戻るしかないのでしょうか。
しかし九州に行って目にしたのはヤクザの現実です。本当はカタギになりたいと思っているのになれなくて、仕方なくヤクザをやっている人間が、たくさんいるのだと分かります。
兄弟分のピンチに駆けつけようとしたところを、兄弟分の妻に止められ、何とかヤクザに戻らずに済んで、三上は東京に戻ります。
東京に戻ると、ケースワーカーが介護施設の仕事を紹介してくれます。パートタイムですが、ようやく働き口が見つかり、友人たちがパーティーで祝福してくれます。
その場で三上は揉め事を起こさないことを誓うのですが、友人たちのアドバイスが「私たちもっといい加減に生きてるのよ」「逃げることは敗北ではない」「逃げてこそ、また次に挑めるんだ」といったものです。
そして三上が働きだした介護施設で、健常者の職員が障害を持つ職員を差別している現場に居合わせますが、三上は怒りを抑えて何とかこらえます。
果たして三上がこらえたのは正しかったのでしょうか。”普通”の人たちが三上にした「逃げろ」「いい加減になれ」というアドバイスは正しいのでしょうか。
それが正しいのだとしたら、何か嫌だなと僕は思いました。
最後は、仕事も見つかり、友人たちには祝ってもらえて、元妻からも連絡があり──三上は世の中捨てたもんじゃないと実感することができたことでしょう。多くの観客たちもそう思ったと思います。「だから『すばらしき世界』っていうタイトルなんだ」って。
しかし何か嫌だなという気持ちも残っています。「世の中捨てたもんじゃない」と思える一面もありながら、同時に「世の中これでいいのか?」と思ってしまう二面性があるのがこの映画の魅力じゃないかと思います。