「真に素晴らしき映画(ヤクザと家族のネタバレも有り)」すばらしき世界 よっちゃんイカさんの映画レビュー(感想・評価)
真に素晴らしき映画(ヤクザと家族のネタバレも有り)
【はじめに】
以下すばらしき世界の最初から最後の結末までネタバレされています。
元ヤクザの男が社会に復帰する様子を追うこの作品は「ヤクザと家族“第二部”」と扱うテーマが酷似している。
この2つの作品がほとんど同時期に公開されたのは運命の悪戯というべきかなんというべきか。
しかし、この二つの作品には当然ながら違う対立している部分もある。
そこを比較しながら書いていきたいのでヤクザと家族のレビューもぜひ参考にして欲しい。
まず、大きく違うのは主人公である。
ヤクザと家族ではヤクザの世界に入るきっかけから描かれていて、主人公に感情移入するように作られている。
そのため、我々観客はなぜ賢坊が社会復帰出来ないのかと周りの社会にヤキモキする。
一方で、すばらしき世界は、刑務所を出所してからの話で基本は三上目線で進むものの途中で取材が入る。津乃田の目線である。なぜかわからないが僕はこの津乃田の目線で物語を見た。
つまり、なぜ三上が更生して社会復帰しないのかと思った。三上に対してやきもきした。
これはなぜだろうか。
一つは冒頭の刑務所のシーンにあると思う。
僕は三上が刑務所で反省して社会復帰するまでの物語なのだろうと観る前は思っていた。
だから、冒頭の刑務所で刑務官に対して三上が「判決を今でも不当だと思っている」という言葉、さらにはお世話になった刑務官への言動の端々から「あ、三上は反省してないんだな」と感じたのだ。
だからこそ、三上がキレるとなんでそうなるんだよと三上に対して思うのだ。
そして、次に違うのは周囲の人々である。
ヤクザと家族では、賢坊は組を抜けても社会の人々から徹底的に煙たがられる。
誰からも手を差し伸べてもらえない。
仲良くしてくれる人もヤクザ時代からの馴染みの面々ばかりである。
対して、すばらしき世界には三上に対して救いの手を差し伸べてくれる人達がいる。
身元引き受け人の夫婦、生活保護を支給している役所の窓口の人、近所の行きつけのスーパーの店長、そして、津乃田。
途中まではこの世界はすばらしい世界だった。
元ヤクザでも関係なく仲良くして、親身になってくれる。
なのに、肝心の三上が聞き入れない。
引き受け人の夫婦や役所の人には甘えて、店長や津乃田の意見で自分の都合の悪いことには耳を貸さない。
これも相まって三上にやきもきするのだ。
考えてみれば不思議な話である。
ヤクザと家族の賢坊は組の抗争でアニキの罪を被ったとはいえ、刑務所に入所し、出所した後もそのままヤクザ稼業を続けようとしていた。
そして、経営が立ち行かなくなり組を抜けて社会に溶け込もうとした。
いわば、自分の意思ではなく周りの状況によって社会に出るのだ。
三上は、妻を庇って突入してきたヤクザものを刀で斬りつけた。元々の事件も三上の方が襲われているのである。
そして、刑期を満了して出てきて今度こそは堅気になろうと社会に出ようとする。
いわば、自分の意思で社会に出ようとしている。
しかし、僕は賢坊を応援して、三上に対して怒りに似た感情を覚える。
見せ方ひとつでここまで変わるとは、映画とは面白いものである。
話を元に戻そう。
兎にも角にも自分達に手を差し伸べてくれる人と衝突を繰り返した三上は福岡のヤクザの兄貴分に連絡してしまう。
ここがターニングポイントだった。
到着した福岡で女将さんから組の実情を知らされて、さらには警察による下稲葉組の検挙、女将さんの諌めもあって完全にヤクザに戻る前になんとか逃げる。
そして、自分が入っていた施設に津乃田と共に行き自分のルーツを探る。
この施設で自分のルーツを探ったことによって完全に更生(というと言い方が多少傲慢だが、ようは堅気になろうという本気度が上がった。)
ここから物語は明るい方へと向かっていく。
就職が決まるのだ。
これによって社会に一歩踏み出すのだ。
その壮行会ともいうべきお祝いの席にて三上は大事なことを教わる。
「辛抱が大事だ。人が辛い目に遭っていても自分のことを第一に考えて逃げろ。逃げる事は悪い事じゃない“勇気ある撤退”とも言える」(要約)
と。
ここまでは真にすばらしい世界だった。
三上が見上げる空は希望に満ち溢れていた。
ここで終われば後味の良い更生することの難しさを描いた作品になっていたのだろう。
実際ここまでは僕も“更生”がテーマだと思っていた。
このすばらしい世界で更生するむずかしさを問うたのだろう。
ヤクザと家族がヤクザの社会復帰に対する問題提起だとしたら、この映画は一つのモデルケースを描いて見せたのではないか。
さて、社会復帰を誓った三上だが、早速試練が訪れる。
職場で暴力が振るわれてる現場を目撃するのだ。
以前の三上ならば、焼肉屋の帰り道のように襲いかかって暴力を振るったかもしれない。
しかし、三上は踏みとどまる。
そばにあったモップを手に取ったが、踏みとどまる。
こういう時に逃げること、見て見ぬ振りをすることが社会復帰への道だと信じて、耐える、カッとなって上がってくる血圧を抑えながら、苦しみながら、血圧を下げる薬を飲みながら、耐える。ひたすらに耐える。
三上は、耐えた。
しかし、そんな三上に第二の試練が襲いかかる。
中で縫い物をしていると先程いじめていた職員が戻ってきていじめられていた人の悪口を言い始めるのだ。
そして、いじめられていた人をおちょくるようなモノマネをして三上に聞くのだ
「似てますよね??」
なんという試練か。(無論職員には試練を与えている意思はないが)
三上は裁ち鋏が目に入りながらグッと堪えて笑顔でこう言う。
「似てますね」
三上は社会に入った。
しかし、その後いじめられていた職員の優しさに触れる。
そして、その嵐の晩だろうか、三上は死ぬ。
自殺か病死か死因は明確には示されない。
三上の死に場所に駆けつけた津乃田達がアパートの前で悲嘆に暮れる中空が映し出されて子供の笑い声が聞こえる。
なるほど、真に“素晴らしき”世界である。
この余韻がとてつもない。
ラスト30分足らずでのタイトルの意味のどんでん返しがとてつもない。
よく邦画の宣伝文句で「ラスト〇〇分のどんでん返しを見逃すな!」というのがあるが、この映画の前ではどんなどんでん返しも霞むのではなかろうかと感じた。
更に宣伝でも上手だなと思うのは、予告編では出所した三上を吉澤と津乃田が取材するという筋のみを出していてメインを三上、吉澤、津乃田、の三人だと思わせていた事。
実際には吉澤はこの話にはほとんど関わらない。
津乃田と三上を出会わせるくらいしか役割がない。
実はこの話の主人公は三上とその周囲の手を差し伸べる人々だったのだ。
その上で、役者陣の演技がとてつもない。
役所広司さんは、まさに人間国宝級。
生まれつき短気な人物を前半で演じきったからこそ、施設でのシーンが映えるし、就職先でじっと耐える姿が胸にくる。
そして、津乃田を演じた太賀さんが役所広司さんと比べても見劣りのしない出来で、最後の最後のシーンは太賀さんの演技で泣いた。
橋爪さん、六角さん、北村さんと周りも手揃い。
特に北村さんはヤクザと家族では若頭を演じながらこちらでは元ヤクザに手を差し伸べる役所の人役を演じていて、その演じ分けの綺麗さ、見事。
ぜひ映画館で見て欲しい傑作だった。