許された子どもたちのレビュー・感想・評価
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観る者も血を浴び、胸えぐられる
こんなに前情報を入れてから観た映画はないんじゃないかと思うくらい、長らく上映を待っていた作品。ようやく、出逢えた。予告動画を数え切れないくらい観て、もしかすると、本篇を観なくてよいのでは…なんていう不届きな思いも、少しだけあった。けれども冒頭数分で、やっぱりスクリーンこその味わい、映画館で観るべき作品!という確信が。そして、あっという間の131分。音を、画を、五感全身で浴びまくった。重低音の不穏な響き、黒ずんだ血に、(そして赤くどろりとした食べ物に、)心地よく打ちのめされた。
予告等の印象では、母親のモンスターぶりが強烈で、身につまされないかと観る前は少し気が重かった。けれども、そんな心配は全く無用。彼女がぐいぐいと突き進む姿は、むしろカッコよく、一生懸命すぎて笑うしかないシーンもあった。ハタから見れば毒親、共依存親子かもしれない。でも、だから何だというのか。失速することなく子と走り抜け、いつしか抜き差しならない共犯関係になっていく過程は、子を大事に育て守ってきた親とすれば、ごく当たり前。だからこそ息苦しく、悲しくなった。親だから、というエネルギーと気迫に裏打ちされた言動に、当事者以外が安易に口出すなど、とてもできない。だからこそ、彼女の孤立が深まってしまう。社会からも、家族の中でも。
母が奮闘するほどに、居場所を失い、窮地に追い込まれる絆星は、解決の糸口が見出せない。そんな中、転校先で出会う桃子の存在が光った。彼女は特別でも何でもなく、周りに合わせない・浮いた存在。かと言って、周りを見下すわけでも、甘んじるわけでもなく、彼女なりの強さで自分を貫いている。絆星とは対極の彼女が、彼と心を通わせる瞬間に、観る者もじんわりと救われた。
どうしようもなくなった二人の道行きは、切ないけれど、かすかに甘い。だからこそ、彼らがたどり着いた果ての絶望が、深い。予告画像では美しさを感じた絆星のシルエットが、これほど悲しみに満ちたものとは、思いもしなかった。呆然としながらも、何も見落とすまいと、必死で目を見開いた。
安易な和解や救いを寄せつけない、不敵な幕切れ。それは一見、絆星や母親が「閉じた」証と取られるかもしれない。けれどもそれは、罪の重みに気づいたから、と私は思いたい。警察官が脅しのように使った少年院でも、子供たちはご飯を食べ、時に笑い、日々の生活を営みながら、それぞれの闇と向き合っているはずなのだから。絆星にも、まずは日常を取り戻すことが必要だ。道は、長い。
加害者になるとはどういうことか
事件には被害者と加害者がいる。ニュースを見た時に多くの人が想像するのは、「自分や家族が被害者だったらどうしよう」ということだろう。反対に、自分やその家族が加害者になることを想像する人は、相対的には少ないだろう。
だからこそ、いざ自分の子どもが加害者になった時、どう対応すればいいのかわからない。実際、自分が加害者であることを想像することは大変なストレスである。被害を受けるのも大変つらいことだが、加害者となった時のそれは質が異なる。
この映画は、加害者側を徹底的に描いているのが良い。加害者になることを想像できない(したくない)我々に代わって、加害者になるとはどういうことかを教えてくれる。
事件後、少年の家族は逃げるように引っ越すことになる。名前を変えてもばれてしまう。いじめで殺した側だった少年が今度は世間からいじめの対象となる。これを単に「因果応報」としてしまっていいものかどうか。このいじめの連鎖はいったいどこまで続くのだろうと暗澹たる気持ちになる。加害者がいるから被害者が出る。加害する心理は本当は誰でも理解できるはずなのだ。この映画が示すように、誰もがいじめたい欲望を抱いているのだから。内なる加害の欲望を自覚して初めて、それをコントロールできるようになり、加害を止められるのではないか。
胸糞悪くなる映画
胸くそ悪くなる映画って宣伝を見て見てみたが、自分の子供がもし加害者になったら、などの謳い文句も気になりみた。子供の残虐性を見る様なシーンは本当怖いというかなんというか。
メインの加害者の子も何を考えてるのかわからないが、その母親、そして、転校先の同級生とか。
己の正義感で他人に攻撃しても何も思わない、人間の心は本当怖い。
途中までゾワゾワが止まらない展開だったが、最後はなんかふわ〜っと終わった。もやもやして何もなってない。
良いオチが分からずに適当に終わらせた感があった。映画なのだからきちんと終わらせないと!とは思った。
諸悪の根源は犯行を覆させた弁護士と何も分かっていない製作者
刑事事件での不起訴なら、民事でガッポリ貰うのが当たり前。この場合、犯行を覆させる弁護士を含めて、損害賠償請求を起こすべきである。
色々な話を合成させて、あり得ない話にしてしまっている。
初頭のストーリーを見る限り、殺人や傷害が故意ではないのだから、犯行を覆させる証言を弁護士が誘導する事は絶対にない。誰が殺したか火を見るよりも明らか。
つまり、加害者家族は民事的には償うのが当たり前。ここまでこじれたんだから。その位の覚悟はすべきだ。
つくづく思うことはこんなインチキな映画で少年法の改正を煽って貰いたくない。
やはり、少年は自首すべきだし、被害者は民事的な勝利に邁進すべきだ。
また、女◯高生をコンクリ◯ト詰めにして殺◯た事件は故意による集団的暴行ゆえに全く別の問題である。
その点から見ても
この話は無責任に盛りすぎ。
警察当局は民事事件には介入出来ないので、観念的な不利益は民事で晴らそう!!!
この事件はイジメの結果で殺された訳では無い事をまずは理解しよう。イジメを助けようとした少年を誤って殺したのだから。しかも、当初は事故なのだから。
この結末で、加害者を含めて社会対事件の構図を無理に作って、それを本来のイジメとし、そのイジメが加速するストーリー展開にしてしまっている。きちんとした弁護士とコンプライアンスを遵守する教育現場なら、こんな結末には絶対にならない。寧ろ、この映画は煽りすぎている。
西洋の映画なら、宗教とその贖罪があるので、加害者自身の心の変化を先ずは描く。周囲のヘイト的な行為や肉親の態度はここまで露骨ではないし、肉親はかばってもくれないはずだ。アル・カポネの母親は死ぬまで息子を自慢していたと聞く。でも、アル・カポネが悪事を働いていた事は理解していた。
だから、こう言った二次的なヘイト行為は日本人やアジア系の民族特有なのかもしれない。
未成年だからこそ
有罪にして罪の重さ、1人の人生と未来を奪った事、命の大切さ、被害者家族の人生をも壊してしまった事の重大さを思い知らせなければならないと思う。
10代で人を殺して苛まされない奴ならば更生なんか無理でしょ。
親もそれでいい訳ないと気づきなさいよ!と。
クズ親子
途中まではまあ面白かったですが、後半はめちゃくちゃだと思いました。
絆星がやっと謝りに行ったと思ったら…
樹に手向けられてる花を投げたり、元のいじめっ子仲間をボコボコにしたり、樹の絵などを破りめちゃくちゃにして、暴れ…
クズというより異常者。
終わり方も、リアルかもしれないけど映画としては、うーん…という感じ。
しかし世の中、こんな異常者でも法的に許されてしまっている人間がいる…
そんなメッセージ性は確かにある映画でした。
(絆星の場合は、まともな人生は歩めてませんが)
余談ですが、絆星と母親と桃子の3人でオヤツ作ってるシーンはさすがにいらないんじゃないかと思いました。
無名というリアリティー
初鑑賞
監督と脚本は『先生を流産させる会』の内藤瑛亮
脚本は他に山形哲生
あらすじ
悪ガキ少年グループ4人のリーダー格が河原に呼び出した少年の生意気な態度に腹を立てボーガンの矢を射抜いた
割り箸を手作りで尖らせた矢は少年の首に刺さってしまいやがて死んでしまった
非行行為の疑いで警察は取り調べで主犯格の自供に成功したものの事故の可能性は拭いきれず裁判では不処分が決定した
実際にあった数々の少年犯罪を題材にしているらしい
『先生を流産させる会』も実際にあった事件を元にしているが男子生徒を女子生徒に変更したことで一部から批判を浴びた
妊娠した先生があまりにもスーパーウーマンだったため非現実的に感じた
そういったいくつかしくじりがあってためか今回の徹底的なリアリティー追求がなされている
『先生を流産させる会』にも共通するが人それぞれに正義があり勧善懲悪ではなくスカッとしないところが良い
『先生を流産させる会』もそうだったが俳優陣がほぼ無名というかかなり知名度が低いのがまた良い
リアリティーに拍車をかけている
映画評論家のおすぎがかつて言っていたことってこういうことなんだろうか
ただ演出家にとってはこれは楽じゃない
演技力が高い有名俳優の方が楽なんだろう
北野武監督もたしかそんなことを言っていた記憶がある
いじめられっ子だったか
いじめっ子だったか
いずれでもなかったか
それによって感じ方は様々違うだろう
僕は市川絆星を全面的に擁護する気にはなれないがだからといって今回の作品に登場したいわゆるネット民(おそらく5ちゃんねらー)やYouTuberなどに共感することはできなかった
やっぱりああいう人たちは生理的に無理なんだろう
自分の中の正義が共感を決して許さなかった
ちなみに『先生を流産させる会』で妊娠したサワコ先生を演じた宮田亜紀が市川絆星の両親を家庭裁判所にパトカーで届ける際に助手席に座っていた婦警さんとして登場している
これは人間の暗部を抉った傑作
悪趣味だがおすすめです
かなりの刺激物なので覚悟の上でお願いします
とにかく考えさせられる
少年犯罪がテーマの作品は結構見てるのですが、これを見てちょっと考え方が変わった気がします。
更生ってなんだろう。償うってなんだろう。の答えが出ない。
加害者少年はこれからいろんな苦労もあるけど、ささやかながら楽しいこともある人生を送るのかな。彼は自分の罪と真っ直ぐ向き合ってないように見えたけど、じゃあ向き合ったらどうなるんだろう。反省して、後悔して、これからは真面目に人のために生きるぞと誓えばそれで許されるのかな。なら、他に何ができるんだろう。本当に向き合ったら生きていけないかもしれない。だから適当なところで折り合いをつけて逃げるのかもしれない。正解がないからぐるぐる考えてしまう。
死んでしまった少年は、殺してしまった少年がこれから味わう喜びも悲しみも苦しさも楽しさも何も得ることができない。遺族の悲しみは終わらない。
何もかもが重い、重厚、安易な着地のない心えぐられる作品
犯罪被害者視点で描かれた映画は多い。報われない、継続する苦しみを抱え、視聴者も同情、理不尽さなど共感しながら見やすいからだろう。一方本作は終始加害者視点である。同情や共感をおぼえることはなく、胸糞悪いだけで腹立たしい。司法制度、弁護士、親から許された子どもたちがどうなるのか。裁かれることもなく、バチが当たることもなく、スカッとすることもなく終わってゆく。このモヤモヤを残すことが作品の狙いであったのだろう。まさにやるせない映画だった。
この丸投げは許されない
いやー非常にリアルな話で面白かったです。
加害者の息子のいけすかなさもさる事ながら、また母親がよくない、まさにマザコン。
引っ越し先での学校で、過去がわかったときがまたリアル、どうしようもない教師もリアルで。
いじめられてた子は素直でとてもいい子だったね。
主人公の男の子がその子に残したのは喫煙と顔のキズというひどい仕打ち。
更生して、何かが変わるって感じではなくて少しだけ最後は心情の変化はあったのかもしれないがあのままではなんも変わらないだろうなー
最後の河川敷暴れはなんだったのか長いしいらないのでは笑
途中まではすごく面白かったが所詮物語なのだから加害者側にももっと反省や変化や希望に繋がるものが欲しかったな。
許されるとはどういうことか
完全に胸糞映画ですありがとうございます。
話としては本当にリアルです。現実から抜き出したような感じ。
そんな脚本を映像をとして伝えるカメラワークや技術はすごいなと思いました。
子役の演技もちょっと棒読みのところもありましたが上手だと思いました。
とくに主演の上村侑さんは中学生さながらの表情や行動をセリフは少ないもののうまく演じていたと思います。
また、手汗を握るそんな緊張感を出す演出は見事だったと思います。
この作品は法的には許されたが実際は許されないことをした子どもたちのその後の話です。
そのなかの主犯の少年(キラ)は基本的に静かな演技をしていました。
今までの全てを壊されたそんな彼ですがそれは彼のせいであって何も反論ができません。
しかし彼のせいであるものの何も関係のない人々が彼にバッシングをします。
それは加害者だけでなくでなく被害者の家族までも。
世間は彼を許さないでしょう。
その人々はなんの関係もない彼らを許せないのです。
そこがものすごくリアルだなって思いました。
この映画は加害者家族を主軸とした映画なので可哀想だなと思う部分もありますが、もしこの映画が被害者視点だと考え方感じ方はかなりかわると思います。
本当に正義の意味や価値が分からなくなる映画です。
もうきっと許されることがない子どもたちだが法的には許された子どもたち。
それは本当に許されたと言ってもいいのだろうか。
決してとても面白い映画ではないですが続きがとても気になりドキドキしたり考えさせられる映画でした。
もっと多くの賞を取っててもいいと思うんすよね〜
足りてない
もっとリアルで良い
こんな映画にありきたりなエンタメ演出はいらない。
少年たちの名前までは荒々しくてよかった。
少年たちも、クラスメイトも
13歳にしては老けすぎだが、芦田愛菜や寺田心が
出てくるより遥かにリアルで良い。
しかし、画面にテロップはいらない。
もしくはテロップの演出が適切ではない。
そこは、こちらに想像させて欲しい。
LINEのやりとりも別にスマホ画面を見せれば良い。
リアル路線とうまく同居できてなくて
編集を覚えたてのYouTuberかと思うほど
映画のルックがダサく感じた。
蓮實重彦が小説に「•••」はいらないと言っていたが
この映画には余計だった。
あとは、性描写をもっと描くべきだとも思った。
隠れ家にマセガキ2人がいたら
フレンチキスで止まる訳がない。
その表現からは逃げるべきではないと思った。
あの茶髪を下着姿にしてこそ映画なのではないか?
服の上から胸元のアップだけ写したカットがあるが
脱がせないならアレはいらない。
あとカラオケでは決して歌いたいタイプの歌じゃないのを
楽しげに歌っているのにも違和感があった。
あの母親は浜崎あゆみ、マセガキには三代目とかを
歌わせるべきだと感じる。
しょうもないオリジナルソングは興を削ぐだけだ。
悪な世の中丸出し。
結局世間は加害者を集団いじめしている。
加害者側の心情、被害者側の心情、それは当事者にしか分からない事である。私達外野は波風を立ててはいけない。
加害者は確かに裁かれるべきです。加害者の母親を過保護過ぎると思う方もいるでしょう、でも私個人はこの母親の行動に我が子に対する深い愛と強さを感じ立派だと思いました。私が母親なら世間体を気にして、つまり自分の可愛さが勝ってしまい、すぐに引っ越すだろう。戦う勇気などない。結局この家族ものちに引っ越しますが引っ越し先でもまた身元がバレてしまい、その時の学校クラスの生徒や先生の非道な行動に怒りを超えて失笑しました。お前達加害者いじめしてるよ今!って。何が正義だバカやろー‼︎ですね。
この映画の中でジーンと感動した所が一つ。それは引っ越し先の加害者学校クラスの男女が家に訪れた時の母親の取った行動。母親強し‼︎‼︎
2時間越えの長いストーリーでしたが良く出来ています。中だるみがあるかと思いましたが、最後まで集中して見れました。主役の男の子は目力強く、自然な演技で今後が楽しみです。柳楽優弥さん主演の誰も知らないを観た時のこの子天才かも!と思った時の事を思い出させる役者さんでした。
一番の悪はいったい…誰だ?
冒頭の血まみれシーン、小学生であんなになるほどのイジメって、一体何をされたんだろう。
その経験中抑圧した怒りを爆発させるようになって、あんな思春期男子になったのだろうか。
キラの生い立ちはさほど酷くなさそう。
母親は息子の心を育てようと努力しないが、愛情は歪んでいても注いでいる。
父親は何も深く考えてもいないし男親としての信念みたいなものはまるでないが、まぁあんなのはよくいるだろう。
キラが、あんな人間に育つにはあまりにもその要素が少なく、観ていて納得できない部分が、逆にとてもリアルだと感じた。
作中描かれ続ける世間の私的制裁。
いきすぎた正義感と思えなくもないが、単にお祭り騒ぎとして楽しんでいる者も、少なからずいるように思う。
人を殺したのに裁かれなかった「法治国家なはずなのに法律に許されてしまった子ども」だから、みんなで裁こう、コイツになら何をしてもいいのだ、ということを武器にして、自分達のストレスをぶつけているだけにも見える、集団狂気の様は現代社会の深い闇だ。
どれだけ追い込まれても息子を盲信する母親に、Motherで息子をいたぶり続けた母親が重なる。
共依存のような親子関係は、きっとまたいつか新たな犠牲者を生み出すのだろう。
そのときは私的制裁ではなく、きちんと法によって裁かれて欲しいものです。
彼を無理矢理不処分にした篠原という弁護士なのか、安易に不処分の結論を出した裁判官?なのか、自分の望む息子の姿を押し付けた母親なのか、殺したのに嘘をついたキラなのか。
一番の悪は、いったい誰なんだろう。
きっと、これが、現実。
見逃していた作品。観たかったんです。気がついたら終わっていて。
アップリンクさん、上映ありがとうございます。
歯に衣を着せない作品。
終始生々しく、生温かい体温を感じ続ける描写の連続。故に、、、なんだ?この手触り。
リアルすぎる・・・。いや、現実なんだ、これ。現実を突きつけられている。
「おい、今、こーなってんぞ!」って「な?地獄だぞ!」って。
「警鐘」なんかじゃない。
誰かが隠し、誰かが守り、誰かが見過ごし、誰かが抱え込んでいるものを描いている。
ドキュメント映像では捉えられない、いじめの現場、子供たちの日常、少年犯罪の裁かれる現場、子供を取り巻く環境、親子関係、そして彼らを大きく包んでいる不特定多数達、、、世間。
僕たちが知るべき事実が描かれているんだと思う。
ここで描かれる人間はいつかは自分になる、いや、もうなっているかもしれない。
その「自分(になる)かもしれない」登場人物達を、巻き起こる出来事やそれらの顛末を、観客という立場で客観的に観ること、そして感じることが必要だと思う。
淡々とした日常風景のイジメ。
罪を感じてない子供たち。
無力かつ表面的指導の教育現場。
勝つことだけを考える弁護士
甘いもの(事件、スキャンダル)に群がり食べ尽くす蟻(匿名の世間)。
正義という名の暴力。
現実から逃げ続ける子供。
答えを見出せずもがき続ける子供。
子供ではなく自分を守るために必死な親。
子供を導けない大人達・・・・
これらの観ていることが本当に辛くなる現実、「今」を突きつけられる。
「どう思う?」
「お前はどうする?」
喉元にナイフのような映像(現実)を突きつけられながら問われている気がした。
どうにもできない。僕は現実を知ることしかできない。けど、その上で考えろ!と言われている気がした。だからこそ、できるだけ多くの人に目を背けずに観て欲しい。
きっときっと何かが変わる、変える、きっかけを作ってくれる作品だと思う。
キャスティングは演出の大きなファクターだと思っている僕として、本作のキャスティングを含めた演出のための準備は素晴らしいと思う。いじめのワークショップの実施などとても興味深く、演出的にも重要なポイントだと思う。本作は生々しくなければ意味がない。嘘っぽいと感じたら本作は作品としての力の多くを失っていたであろう。
また、映像作品としても素晴らしい。心情の表し方が秀逸だと思った。
新幹線の通過を背景にする、所在ない手の動き、目の動き、表情。視線のようなカメラ視点の移動など。さらに演者達。見事です。
そして、ラストシーン。
あの親子が選んだ道。それを選ばざるをえなかったのか?選んだのか?
いや、そもそも選んだのではなく、それしか方法が思いつかない親子だったのかも?
あの吸い合いのシーンは、ゾッとしました。
見事なまでに雄弁に映像が語りかけてきました。
それも現実。
僕たちは、キラのように原っぱでもがき叫び続けるのでしょう。
わかんねー、わかんねー、どーしたらいいんだー!って。
ただ、答え出るまでもがかなければ・・・って思う。
共依存の成れの果て
非常に重くて深い…だけどそれは誰の懐にも潜んでいる…だからこそ恐ろしい。
我が子のやったこと(それは殺人に限らず、ふだんの行動も)の真実を知ろうともしないで、我が子を庇う母。
善悪が分からなくなっている子どもたち…。
これは共依存の最たるものだろうが、こんなことはどこにでも転がっているのだ。
それが法に触れないから気付いていないだけで…。
ラスト近く、少年が夢の話をする。少年が向こうにいる赤ちゃんに向かって笑顔で手を振る。
そんな感情が、同級生をいじめ、殺した少年に同居していることの恐ろしさ…でもそんなこと、現実社会にはそれこそ恐ろしいくらいの数で存在しているのだ。
そしてラストシーン、少年と母親が煙草を吸いながら坂道を登って来る。14歳の少年と吸いかけの煙草をやり取りしながら…!
この後に及んでまだ尚気付かない、いや、気付けないところへ来てしまった。そして、この後も恐らく誰も彼らを止めることは出来ない、これが如何ともし難い現実なのです…
すごかった
いじめっ子顔の主人公がどんどん追い込まれていく様子にサディスティックな喜びを感じてしまう、そんな陰キャな自分の意地悪な感性を刺激されてつらい。自分の過去を蒸し返されていたたまれない気持ちになる。一番つらいのはいじめっ子メンバーの中の最底辺のグリムくんなのだけど、よく残りの二人がゲロしなかったものだ。
うちには6歳の男の子と2歳の女の子がいるので、彼らの未来が心配でしかたがない。事件にかかわってしまうと、被害者も加害者も地獄だ。そんなのとかかわりのない平和な世界で、温室でぬるま湯につかった人生を送って欲しいとしか思えない。
いじめについて「卑怯なことはよくない」「人には区別なく優しくするべきだ」「される方もする方も結局傷つく」と言って欲しい。
水面の影 チラシを見てください
水面に映る4人の少年の影を見てください。
細部にまでこだわった、今年ナンバー1の映画です。131分間、集中が全くが途切れずに“ココロ”が揺れ続けました。
“あなた“の子どもが人を殺してしまったらどうしますか?
自主制作映画のため上映館が少なく、ようやく上映開始した福岡でもわずか一週間しか上映されないけどタイミング合えば是非観て欲しいです。映画館用にチューニングされた音(不協和音、生活音、食物)、映像、役者の演技と顔のつくり、作品の熱量にハマってください。コロナシフトの映画館は、ほぼ満員でしたので予約はお早めに。
本作は、最初から最後までずっと「ザワザワ」します。イジメを受けた経験がある方はフラッシュバックしてしまうかもしれませんし、思春期の子どもを持つ親御さんも、母1、母2、父1、父2のどこに自己投影するかで「イライラ」や「ゾワゾワ」すると思います。
イジメの構造上、イジメられるより、イジメる側になる確率の方が多く、イジメ側の家族のその後にフォーカスした本作の着眼点の方が、投影しやすい人が多いのだと思う。
僕が、勝手に思い込んでいる社会の中での“男“と“女”の役割による違いが身につまされる感じがしました。
子どもの“しつけ“や“問題行動”のすべての責任が母親で、社会や世間体を重視する父親。随所にその表現が散りばめられており、正直言って胸が痛かった。
女性:母1、母2、弁護士、刑事、校長、担任、近所のお母さん、いじめっこ達、女の子
男性:キラ君とその仲間達、父1、父2、刑事、裁判官、店長
この作品から何を学ぶのか?この作品について語ることで社会性を育めると思う。
できたらもう一回観たい名作でした。
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