私の知らないわたしの素顔のレビュー・感想・評価
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なりすましで復讐してく...みたいなドロドロした系じゃなくて切な...
なりすましで復讐してく...みたいなドロドロした系じゃなくて切ないラブストーリーだった。絶対に叶わない恋って分かってるから切ない。歳上女性×歳下男性の組み合わせの恋愛系はあまり見ないので新鮮。
テレフォンセックスとifストーリーで絡み合うクレールとアレックスは歳上女性好きとしては官能的で興奮した。クレール50代にしては美人だし、31歳の俺でも余裕で抱ける。
クレールが創作した話「もしもクレールがアレックスと接触してたら...」が面白い。一瞬だけでもクレールはアレックスと結ばれてほっこりした。
アレックスがクレールを通してクララの影を見ていたと知った時と、アレックスがクレールの正体がクララだと知った時、Wパンチの絶望が伝わってくる。しかも創作物なのにあえてバッドエンド。最後の主治医との会話で「結末は変えた」と言ってたがどんな感じに変更したのか気になる。
ジルが27歳下のクララを選んだのは気持ち悪い、しかもクレールの姪なのに...。こんな奴とは別れて正解だわ。
クレールは何もなかったように普通にジルと会話してたけど、内心めっちゃ嫉妬心で溢れてたんだろうなぁ
大学教授でお金持ちで美人
であってもパートナーがいないと淋しいんよね。逆に淋しくないわって色恋無くなったら人生かなり終盤の気がする。で、問題はクレールが今の自分の年齢を受け入れられないこと。原因は夫を奪ったカティアが許せないから。夫がクレールの元を去ったのはカティアが若かったせいだけでは無いはずだが、カティアがババアだったらこうはならなかっただろうし、まあ若さに嫉妬する気持ちは理解できる。
ところで、許さないってどういうことか?許さないとカティアや元夫が苦しむのか?良くないことが起きるのか?違う、苦しいのは自分、それでいいことが起きないのも自分。不幸な結末を決めつけているのは自分自身であること。結末は一つじゃないことに最後に気付いたのは良かった。
予想よりだいぶ良かった
人は恋愛感情によって「前頭葉」の機能が低下するという学説がある。
アドレナリンやドーパミンが増加し、セロトニンは不足する。テンションが上がり、不安感は増す。これを全体的に平たく言えば、要するに恋に落ちると「判断力」が大幅に低下する状況に陥るという事だ。それらの「作用」により感情はめらめらと燃え上がり、恋愛成就率は爆上がりになる。つまりそうやって生殖活動が盛んになるわけで、人類が生き長らえる上で非常に重要な機能だと言えるかも知れない。
そういった話を踏まえて本作を観ると、ある意味とても納得したりもする。内容的には凄まじいサスペンスとかでもないしSNSにまつわる「ありがちな話」とも言えるのだが、この映画自体は極端な例だとしても、結局はいい歳した常識ある大人だっていとも簡単にバカな事をしてしまうのだ、という「愚かさ」として観ればなかなか味わい深い作品と言えるのではないだろうか。こういった話を他人事として笑うのは簡単だが、脳内物質が出まくっている本人にそんな判断力があるかどうかは(年齢に関係なく)大いに疑わしい。逆に言えば、冷静に合理的な判断を出来る人は「それほど本気ではない」と言い換える事が出来るかも知れない。また冷静に合理的な意見を言えるのもあくまで「他人事」だからであり、さらに言えば大人がまともな意見を言ってるように見えるのも、要は当事者である事が(年齢的に)少ないからだとも言えるのではないだろうか。他人の恋愛話を聞いていて「何をバカな事やってんだよ」と思った事は一度や二度ではないが、それでも本人達はいたって「真剣」なのだ。対する自分がさほど真剣でないのはしょせん他人事に過ぎないからであり、つまり自分はもう「現役」ではないということを証明しているとも言えるような気がする。だからもし自分がいま当事者になってみれば、ビックリするくらい訳の分からない事を言い出したり突っ走ったりする可能性もあるかも知れない。もちろんそれを試す機会など今さらないが(笑)
さて物語は後半から一気に入り乱れる怒涛の展開、最後は退院が決まって安定したかと思いきや静かに電話をかけ始める異様に怖いラスト。この着地はなかなか良かったと思う。中年女性の壊れた心、不安定さと執着心を見事に表現しており、色んな今後を想像させるイヤミスな終わり方で実に素晴らしい。夢オチの是非などはあるかも知れないが、これはこれで良かったんじゃないだろうか。
主人公クレールとカトリーヌ医師との関係性も良かったしアレックスの雰囲気も良かった。強いて言えば、ジュリエット・ビノシュがやっぱり美し過ぎて、冴えない中年女性というにはさすがに無理があって少しリアリティに欠けてしまったかなという点だろうか。
とは言え、いかにもフランス映画らしいほろ苦さに新しい時代感覚と人間的な怖さがほど良くブレンドされた良作だったと個人的には高く評価したい。
アレックス、お前ってヤツは…! と思ったけど、最後まできて リュド...
アレックス、お前ってヤツは…!
と思ったけど、最後まできて
リュドーーー!!!お前って奴はーーー!!!!
ってなりました。
ただこのラストシーンって、アレックスに連絡してる?
そこはリュドへの復讐にしたほうが面白くない?(そういう事じゃない)
途中から子どもたちが出てこなくなったのだけちょっぴり不完全燃焼だったけど、思ったより満喫しました。
年齢下げすぎ❕
かつては炎のチャッターと呼ばれていたこともあり、ネカマだけはなんとか見分けられるようになったkossy。出会い系でも似たようなものがあると思いますが、先日見たTV番組では双方が年齢を偽り、写真も他人のものだったという再現ドラマをやっていました。あるんですよね。会話してみたら、20以上も年齢を偽ったら言葉使いで見破られるはずなのに、恋は盲目といったところなのか、この作品でもアレックスが熱を上げ過ぎたため気づかなかったのでしょう。電話がメインになったというのに・・・
精神科医兼心理療法士との会話によって進む物語。一番ショックな部分は失恋したアレックスが自殺したと聞いたところ。現実的には、会ってもないのにそこまではないだろう。さらに、罪滅ぼしのためクレールが小説を書くのだが、そこには別人としてアレックスと恋に落ちるクレールのストーリー。もしかしたら、この小説部分だけを映画にしたほうが良かったのでは?と思えるほど良くできていた(ラストの悲劇はさておいて)。
そんなんだから、ラストはそれほど驚きもなく、面白くなかった。とにかく、ジュリエット・ビノシュくらいの美女だったら年齢なんて関係ないと思う!
【知性、地位ある女性の満たされない想いを描いた作品かと思いきや、後半、多層、重層的な内容に引き込まれ独特の世界観を堪能した作品。】
冒頭はクレール(ジュリエット・ピノシュ)の行動に共感出来ず。
が、物語が進むに連れ、徐々に明かされる彼女の行動の真の理由に前半抱いた思いが、雲散霧消して行く。
クレールとカウンセラー(ニコール・ガルシア"ワオ!")との、静かながら深い遣り取りとカウンセラーの表情が、物語が進むに連れて、徐々に変化して行く様にも見いられる。
個人的にはクレールの本当の狙い、姿が見えて来た時点で恐ろしさが込み上げて来た作品。
(クレールはSNS上の恋人が亡くなった、と聞かされても、余り悲しくなかったのではないかな・・・。)
〈 劇中、クレールが罪の意識で書いた"と思わされた"本の内容が映像で撮し出される辺りから、急速に面白さが加速した作品。〉
わかる気がする
50歳を超えた大学教授の女性が、SNSで別人になりすまし、若く魅力的な男性とやり取りを始めたら、相手は自分に夢中になり、自分は相手に夢中になるのね。
それで、だんだん、常軌を逸していくんだけど、これ、わかる気がした。
50歳を超えて、若い人同士がするような恋愛をすることは、まあ、ないんだよね。でも、その感覚は知っていて、味わえるものならもう一度味わってみたいと思うの。この大学教授はSNSの力を借りて味わってるからね、それは、夢中になるだろうな。
教授に事情をつけてるから、作意では、それもあって夢中になるってことだと思うけど、なくてもね。
そしてラストもいいの。そう、やめられないよ、多分。
妄想でしか慰められない辛さ
鍵を握るカティアの正体は、なんとなく予想がつきました。
姪の写真を使う時点で、すでにクレールは病んでいたのではないでしょうか。
後半のアレックスと付き合うようになるところは、私はクレールの妄想だと思いました。
最後も怖いですね。アレックスの受難の日々の始まりです。
ヒネリの効いた女性サスペンス映画
ふたりの子どもを持つ50代のフランス文学教授のクレール(ジュリエット・ビノシュ)。
先ごろ夫と別れ、現在は若い建築家リュドと交際しているが、それも束の間、つい最近、男から一方的に棄てられてしまった。
クレールは精神分析医ボーマンの診療を受け、そのことを話し、リュドに近づくために、24歳のクララと偽ってSNSのアカウントを作った上で、リュドと同居している若い写真家アレックス(フランソワ・シヴィル)に接近する。
が、いつしかSNS上でのやり取りを超え、電話で直接会話をするようになり、その偽りの関係はどんどんと深みにはまっていく・・・
というところから始まる物語で、まぁ、一種のなりすましサスペンス映画ともいうべき映画で、なりすまし映画として「いつバレるか」「バレたらどうなるか」のハラハラを潜ませて進んで行きます。
先に書いたように、どんどん深みにハマっていく中で、クレールは24歳のクララという存在と不可分になっていきます。
ついには、直接会って欲しい、という展開になるのですが、どうにか躱(かわ)す。
が、何度もそううまくはいくはずもなく、彼が約束した待ち合わせの場所である駅へ、クレールはクレールの姿で赴きますが、当然のことながら、アレックスは気づかない。
それはそうで、クレールがSNSにアップした写真は、若い女性のものなのだから。
この最後の待ち合わせの場所にクララが現れなかったことで絶望に突き落とされたアレックスは、その後、崖から自動車を使っての投身自殺をしたことを、クレールは元カレのリュドから聞きます。
ここからが後半・・・
以降の展開は、これ以上のネタバレは、さすがにちょっと気が引けるので書かないことにしますが、ヒネリの効いたサスペンスです。
女性心理もなかなか巧みに掘り下げているのですが、ジュリエット・ビノシュという女優の個性が、いい方に出たか悪い方に出たかは、少々微妙。
純然たるサスペンス映画(ドンデンのある)なので、娯楽映画として愉しみたいところだけれど、ビノシュの演技派的演技がちょっと邪魔している感じ。
2000年度前半のアシュレイ・ジャッドやアンジェリーナ・ジョリー主演のハリウッド製映画だったら、もう少し純粋に愉しめるのだが、そうはいかない。
こうなると、もう、ジュリエット・ビノシュが好きか嫌いかで、愉しめるか愉しめないかがわかれちゃうかも。
原題「CELLE QUE VOUS CROYEZ」は、「あなたが考えているわたしというもの」ぐらいの意味か。
日本タイトルはひとひねりした感じがあって悪くないです。
曖昧な境目
ある心理カウンセラーによると、人は、三回、同じ嘘を繰り返すと、それを本当のことのように錯覚してしまう傾向があるのだそうだ。
自分自身をも騙してしまうようになるのだろうか。
真実と嘘の境目が曖昧になり、嘘が真実を侵食するのだろうか。
そして、この心の闇は大きい。
そして、また繰り返される。
クレールは言う。
「SNSは、嵐のなかの救命ボート」だと。
だが、それは深い闇の彼方で彷徨うボードなのかもしれない。
あらゆる欲へのマインドコントロール
ユーロライブにて試写会鑑賞。
主人公のクレールは20年寄り添った夫と別れひとりで生活し、彼氏にも唐突にふられてしまう。
その彼氏とまた繋がりたく、SNSを通してクララという別人を装いアカウントをつくり、そのアカウントで彼氏の友達と近付き別人格のまま彼氏の友達アレックスと恋をするという話だ。
アラサーの自分にとってはSNSを通して相手の顔も知らず声だけで恋に発展するというだけの展開に若干理解が遅れてることは否めないが、まぁそれなりに楽しむことはできた。
この作品ではSNSで別人を装うことで恋に発展するきっかけになったが、まぁこれはSNSでなくても自分の身分や素性を偽り相手を騙した恋の先には永遠はないということと同じだと感じた。
クレール自体、別人格のクララとアレックスを破局させクレール自身とアレックスが恋に落ちることになった。
それにも関わらず、結局偽りは相手を騙すことはできても自分を騙し続ける事には限界が来てしまう。
結局本当に自分の事を好きなのか、クララを忘れるために自分を愛してるのではないかと今度は相手を疑うようになってしまう。
最後はアレックスと別れ、彼が生きている事も確認ができ回復プログラムは終えたように見えたが、また誰かに電話をかける意味深な描写で終わる。
彼女は結局人との繋がり、人から愛されること、優しくされる事への欲が強く根本的にそこが満たされない限り繰り返すのではないかと勝手ながら解釈しこの作品を見終えた。
SNSの普及により自分の存在を他人に知らせる事は簡単な時代になった。ただ時として人間とはよく深く、さらにその先の欲求を満たしたくなる。
本来人から愛される事、優しくされる事は相手があっての事だからこちらから果敢に求めてはいけないものだ。
それをSNSを通して、自分を偽る事でいまは手に入れることもできるのであろう。
改めてこの作品を通して人間誰しもが持つあらゆる欲へのマインドコントロールの大切さを知ることができた。
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