「Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile 裁判の主文が題名に」テッド・バンディ Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile 裁判の主文が題名に
”Ted Bundy's Girlfriend and Her Daughter to Speak Out In New Amazon Prime Docuseries” フランス語で「彼女」を意味するフランスのファッション雑誌ELLEの2019年10月の記事から、この映画の原作であるエリザベス・ケンドールの回顧録「The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy(1988)」が一度は絶版したものが、amazon.comにより娘のモリーの章を加筆されて再度出版される運びになっていると....。 死刑執行30周年記念か?
この作品は、もともとはアメリカを含め海外では、大手動画配信会社が放映権を買い取った為にVOD形式で配信された媒体で、それ以外では、多くの映画フェスに招待された作品とされている。その中でもクリスマスシーズンにほかの配給会社は、夢のある映画を視聴者に提供しているのと比べると連続殺人犯の映画を取り上げている配給会社の意外性がうかがえる。
映画の冒頭、このような言葉も......
Few people have the imagination for reality. -Goethe それは、現実は見た目だけではなく、そのもの自体が、状況によって異なる可能性があるという意味合いからゲーテのフレーズを引用したのか?
この映画自体に問題があるので、これだけを見ればあたかもテッド・バンディが無実であるかのように錯覚し、映るのは自然の話で、何故なら告白書や宣誓書に書かれた克明な自白証言がこの映画には一切登場しない。しかも一説には30人以上を殺したとされる殺人犯の映画で犯行を犯すシーンが皆無でラストのたった数分間もない場面にしかないという盛り上がらない映画にどうしてなったのか?そして最後のシーンだけに女性を直接殺害する場面がなぜ出てくるのか? なぜゲーテの言葉を映画のオープニング・クレジットに載せたのか?
それは、あくまでもエリザベス・ケンドール(クレプファー通称:リズ)の回顧録「The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy(1988)をもとに映画化がされているので彼女の”視点”からでしかバンディの人柄やそれに伴う出来事やまた殺人事件を描いていないために中途半端で訳の分からない映画になっている。死刑囚としての最後の願いが通じて、リズとの接見の場で彼女からの必死でしつこい程の質問にバンディが答えた面会用ガラスに”HACK SAW”と書く場面は、彼しか知らない秘密を吐露していて、リズの家の暖炉で起こった被害者であるドナ・メイソンのエピソードが原因とされる。
崇高という文字の存在しないこのような映画を盛り上げるには、刑務所内で起こったとされる性的凌辱などをエピソードにも加えてもよかったし、「バットマン」に登場するスーパーヴィランであるハーレイ・クイン自らがのたまうように「サイコパスでなくてソシオパスよ!」のソシオパスの観点から彼を描いてもよかったのではないかと...? 何故ならテッド・バンディの研究家が彼はソシオパスと断言している。
製作総指揮と監督のある意味、趣味の悪さが、マスコミを集めた前で彼に死刑を言い渡す場面の裁判長をジョン・マルコビッチにしたのは、ミスキャストと言え、もっと灰汁の抜けた俳優のほうが、バンディの一人芝居が目立つものとなり、裁判エンタティメントとして成立したかもしれない。ただ言えるのは、実際の映像を見る限り、マルコビッツがふんぞり返ってバンディに判決を言い渡すのではなく、その当時の裁判長は少し緊張気味に彼に自分の言いたいことを冷静に分かってもらいたい様子がうかがえるし、彼にその内容を理解してもらいたいという要求から丁寧に説明している姿勢が個人的には感じ取れた。
”California governor signs executive order stopping state's death penalty for now”CNNニュース”California death penalty: Governor Gavin Newsom halts executions”BBCニュースの2019年3月13日付のヘッドラインニュースで読み取れるところは、せっかくカルト教団の教祖マンソンのおかげで死刑制度が復活したのに、その50周年に合わせるように州知事がサインをしているのは、何故か? それは精神障害と人種差別による冤罪が原因とされる。この映画では、あまり関係ないと思われがちだが、実際に30人以上の犠牲者全員がテッド・バンディひとりの蛮行と言えるのか?事件の解決しか考えない地元警察は幕を閉じたくて、模倣犯の犯行もバンディの犯行としたのではないかと考えられないか?