劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のレビュー・感想・評価
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映画としてはよく出来ている
テレビ放送の録画で鑑賞。原作未読、テレビアニメ視聴済み。
当時の社会現象についていけず、見る前は殆ど期待していませんでした。しかし、いざ見てみると大迫力のアクションシーンに引き込まれ、感情移入できるシーンも多く、映画としてよく出来ているなと思いました。また、各キャラをわかりやすく説明している部分も多く、テレビアニメを見ていない人にも優しい内容になっているようにも感じました。
個人的には、炭治郎が夢の中で死んだはずの家族と会うシーンが印象に残りました。ここでは、現実ではないから早く起きろと自身の心の声が聞こえたことで、泣きながら家族の元を去っていきます。これは、コロナ禍で苦しんでる人が多い中、安全な非現実の世界に囚われず、前を向いて進むことが大切だというメッセージ性を感じました。
また、身体や刀を使ったアクションが多いだけでなく、炎や水などのエフェクトにも力が入っていて、まるで絶叫アトラクションに乗っているかのような展開になっているので、終始飽きることなく楽しめました。
気になった点は、ラストシーンへの導き方が強引だと感じた所です。列車の鬼を倒したと思ったら急に別の鬼が出現し、煉獄を殺害して炭治郎が投げた刀が刺さったままその場を去っていきます。この展開があまりにも急過ぎるので、テンポが途中で崩れているように感じました。その後に泣かせのシーンが入っていても、「え?こんな終わり方でいいのか?」と思うぐらい不自然に終わったようにも感じました。
そういった不満点もありますが、作画は「これでもか!」と驚くぐらい綺麗でした。CGで描かれてた汽車などもリアルで、クリエイター達の本気が伝わってきました。
和風アクションとしては満足できる作品となっているので、少しでも気になった方は見て損はないと思います。
上弦の鬼に全てを持ってかれた
【上弦の鬼に全てを持ってかれた】
煉獄の活躍を期待して見てたのに、最後の最後でぱっと出の鬼に殺されて萎えた。「なんでここに上弦の鬼が居るんだよ!」炭治郎も言ってたけどほんとコレ。どこから来たのか、なぜこのタイミングで来たのか、一言くらい説明が欲しかった。挙句の果てには鬼が逃亡。せめて相打ちにくらいさせてやれよ...煉獄が救われないんじゃんか。
【全体的に中途半端で薄っぺらい】
炭治郎や仲間達の過去やら、煉獄の過去やらを詰め込みすぎて薄っぺらい。特に煉獄の過去にはちょろっと触れたくらいだから感情移入できなかった。だから最後もイマイチぐ〜んと来なかったなぁ。まあ2時間に全てをぶっこむのは無理があるか。
【炭治郎の無意識の世界に感動】
この映画で1番感動したのは、炭治郎の無意識の世界。炭治郎の優しさと思いやりが、清々しいくらいに青く染まっていた。核に導かれた少年が泣き崩れてたけど、俺でもそうなってたと思う。あんなに優しくされちゃ破壊なんて出来ないよ。
俺も炭治郎みたいな無意識の世界を持って生きたい。
漫画で描ききれないところの表現良
映像がこんなにすごいかと感動。
鬼に飲み込まれた列車のシーン、
炭治郎の無意識エリアのシーンは驚き。
ウユニ塩湖だった。
小人かわええなあ…。
列車と戦いのシーンのあの迫力を
イラストレーション(CG?)で表せるのが
すごいっすよね。
ストーリーは原作通り。
ですが、狭い列車内での戦い、
無意識領域の描き方、
エンムの目の術の表現、
漫画では描ききれないところを
とても良い方に表現していて驚きでした。
エンムが列車と融合したあとの内部のうにょうにょ、
めちゃくちゃ気持ち悪かった。
触手やんけ…きっも…。
悪夢の中の家族惨殺シーンとか
そこそこグロさもあるけど
子供ってそういうの
やっぱ悪影響なのかな?わからん?
あかざこのときは嫌いだったんだけど、
後々憎めないキャラになるからなんとも言えなくて…。
敵キャラの中では好きなほうです。
始まりのお館様のシーンはみんなわかるのかな?
と思いつつ、
原作既読からしたら毎日お参りしてたのか…と。
2時間あっという間でした。
号泣覚悟でいきましたが
原作の無一郎のほうが泣けたな…と。
早く最新刊読みたい。
20.11.11映画館
炎柱が大活躍
アニメ一期からの続き。下弦の一との戦いとその後の上弦の参のとこまで。
原作に忠実。アクションは流石のユーフォーテーブルで少年アニメらしい作品。原作を知ってないと楽しめない
オリジナリティがあっていい
なかなかよかった。
先日、別のアニメを観て、そこそこおもしろかったが、物足りなさを感じた。それがなにかを考えていたのだが、本作を観ていて思い当たった。それはオリジナリティーだと思う。
いろいろと観ていると既視感のあるアニメが多いが、「鬼滅の刃」にはオリジナリティがあり、そこは評価できる部分だ。
ストーリーは単純で、鬼が出るといわれる無限列車に柱である煉獄杏寿郎が乗り込む。そこに主人公の炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助も乗り込む。その列車の中で、鬼殺隊の面々は眠りこけてしまうのだが、実は鬼の魘夢の術中にはまっていたのだった。そのことに気づいた炭治郎は夢から脱出し、魘夢を倒すべく奮闘する。というもの。
このストーリーというのが結構雑で、最初に出てきた登場人物がそれっきりだったり、最後に唐突に強い敵( 猗窩座)が出てきたりする。特に猗窩座は場を盛り上げるために出てきただけじゃないかというくらい唐突だったが、このあたりは物語が進むにつれて納得できる説明がなされるのかもしれない。お涙頂戴の要素も多いのだが、それもイマイチインパクトがなく、おざなりである。
ストーリーがたいして面白くないのであれば、本作のどこがよいのか、という話になる。それはキャラクターと映像だ。
登場人物のキャラクター造形、とくに煉獄杏寿郎などは非常にわかりやすくてインパクトのあるビジュアルで、多くの漫画家はここまでの造形ができない。
そしてufotableの作る、戦闘シーンの和風なテイストが斬新だ。ufotableという会社はこれだけの映像を作り上げることができるのに、なぜか鬼滅の刃とfateくらいしかHPに掲載されていないのが謎なのだが。それだけでやっていかれるのだろうか。
それはともかく、鬼滅の刃は個人的にはアニメにしてこそ評価のできる作品だと思う。もちろん原作ありきではあるのだが、原作は最初の数ページで挫折したので。
先に泣くと聞いたのが裏目
原作未読。アニメは観ました。
号泣した、や、煉獄さんに感動した、
あるいは絶対にネタバレするな、などの
公開当時の噂を先に聞いてたせいも多分にあるが、
毛一筋も泣けなかった。
煉獄の1対1が脈絡もなく入ってきたようで
思い入れもさほどなく。
さらに登場人物が死んだら悲しくて泣くって
感覚を生憎そんなに持ち合わせてもいないので、
キャラクターたちはいいことは言ってるけれども
申しわけない、そんなには響かなかった。
子供の頃に観たら違ったのかもしれない。
とうに若くないので、限りある命のほうが~というのも
幼少期にアニメで散々観てしまったし、
信念や役割を裏切らないのも
某アニメで登場するしな、など
雑念が入ってしまうのもいけない。
しかし目覚めるために何度も夢の中で自決するというのは
まっすぐすぎて突き抜けて狂ってるので
そこには大変しびれました。
ところで。テレビ放映されればそれだけ沢山の目に触れます。
世の中の人皆が同じ感動のツボではないのです。
違う意見の人もいるんだと流しましょうね。
大正コソコソ噂噺。ずっと見ないままでいた筆者は…
大人気なのは知っていた。
社会現象級大ブームなのも知っていた。
国内興行を塗り替えた事には驚愕した。
でも、何となく長らくスルーしていた。
が…、この程遂に初めて、『鬼滅の刃』を鑑賞!
いつもなら劇場版だけ見てアニメシリーズは未見のままが多いが、このとんでもねー!人気の作品。せっかくだし。
それに、いつかは見ようと思っていたので。
まずはアニメシリーズ(と言ってもまだ『炭治郎立志編』だけだけど)とこの劇場版を見た。
ちょっとだけアニメシリーズの感想。
話は今更説明しなくても充分過ぎるほど知られているが、一応。
鬼に家族を殺された少年・炭治郎。唯一生き残るも鬼になった妹・禰豆子を元の人間に戻す術を探すべく、鬼と闘う“鬼殺隊”に入り、果てしない旅を続ける…。
ジャンプ漫画なだけあって、王道の展開と見せ場の連続。
鱗滝の下で血の滲むような修行。鬼殺隊に入ってからも試練に次ぐ試練。
道中出会った仲間。善逸と伊之助。彼らとのやり取りが物語にユーモアとテンポを加えた。
様々な能力を持った鬼たち。闘いはいつも死闘。ボロボロに疲労傷付き、身体の限界を超えて。
勝利する時は必ず、己の不屈の精神、仲間との絆、禰豆子や家族への思い…。
時には鬼にだって悲しいドラマがある。
設定もキャラ描写もドラマもアクションも、一つ一つが緻密に練られ、引き込まれてしまう。
さて、この劇場版は…
初めて対した“十二鬼月”の累との死闘で負った傷を癒し、炭治郎たちは新たな任務へ。
乗客たちが不審な失踪を遂げる“無限列車”の調査。
そこで彼らが出会ったのは…
鬼殺隊の“柱”の一人。“炎柱”の煉獄杏寿郎。
柱ってアニメシリーズに初登場した時、えげつない奴らだなぁ…と。
一癖も二癖も三癖もあり過ぎ、規律違反の炭治郎と鬼の禰豆子を殺せ!…と。殺意や敵意剥き出し。お館様の鶴の一声で事なきを得たが…。
鬼以上に鬼。それほど修羅場をくぐり抜けてきたスーパーエリートたちなんだろうけど。
この煉獄は“炎”をモチーフに、赤い髪、カッと見開いた目。デカイ声で、竹を割ったような性格。
弁当を一口毎に、旨い!旨い!旨い! ハッハッハッハッハ!
えっと…、柱ってやっぱりヘンな人しかいないの…?
そこに鬼出現。煉獄は炎の如く瞬殺。
さ、さすが柱~!
よッ、煉獄の兄貴ぃ!
ハッハッハッハッハ!
彼らはある瞬間から眠らされていた。鬼との闘いも夢。
煉獄さえもかかる術。
その夢を見せていたのは…
十二鬼月の魘夢。
アニメシリーズで鬼舞辻無惨による下弦鬼パワハラ粛清の中、唯一気に入られ、能力アップ。
夢を自在に操り、この無限列車である事を企む。
全て魘夢の手中。計画通り。
魘夢が見せる夢は、各々が見たい“夢”。
炭治郎が見た夢は、死んだ家族との本当だったらこうであった筈だろう幸せな日々。
いつまでもいつまでも、これが当たり前のように、深い深い眠りに落ちていく…。
が、現実世界で必死に起こそうとする禰豆子と夢の中での違和感に気付き、覚醒。
その覚醒の方法は幾ら夢の中とは言え、相当な覚悟。それをやるのが、炭治郎。
夢から覚め、走る列車の上で魘夢と決戦。
魘夢の頸を斬り、勝った。
…が、魘夢は死なない。
それもその筈。魘夢の“本体”は身体には無かった。
魘夢は、この無限列車と同化していた…!
仲間たちも覚醒。二手に分かれ、一方は乗客を守り、一方は魘夢の頸を斬る。
壮絶な攻防が突っ走る…!
夢の中と現実の行き来。
見る側もどっちがどっち?…と迷わせるほど。まるで『エルム街の悪夢』。
魘夢に使わされた人間が相手の夢の中に入り、決行しようとする。まるで『インセプション』。
魘夢は炭治郎に“悪夢”を見せる。死んだ家族から辛辣な言葉…。しかし炭治郎はその悪夢も断ち切る。何故なら、俺の家族がそんな事を言う筈がない。俺の家族を侮辱するな!
『オリエント急行殺人事件』『新感染 ファイナル・エクスプレス』『ブレット・トレイン』…走る密室サスペンスとスリル満点のスピーディー・アクションは映画映え。
本作のハイクオリティーの作画をさらに高める。
列車と同化した魘夢の造型は不気味だが独創的。
ビジュアルもアクションの迫力もテンポも、日本アニメの超レベルを改めて目に焼き付ける。
魘夢の悪夢列車を止めた。
そこに現れた、新たな鬼。
同じ十二鬼月でも、遥か格上の上弦の鬼。
猗窩座。
その強さは手こずった下弦の魘夢とは次元違い。
煉獄と一騎討ちするも、煉獄さえ劣勢。致命的重傷を負う…。
煉獄の強さに惚れ込み、鬼になれと誘う。
鬼になれば、その強さは永遠のもの。
何故弱い人間のままでいる? 弱い人間でいたら、その強さは老い、死にゆくだけ…。
それが、人間の尊さ。老い、やがては死ぬも、限られた生命を強く、熱く生きる。
煉獄の炎のような信念。
人間は何故生きるのか…?
秀でた才を持つ者がいる。その力は何の為か…?
煉獄が幼き頃、亡き母から託された責務。
答えと意味が、全てそこにある…。
死闘の果てに、煉獄は…。
何となくそうなるだろうとは予想していたとは言え…。あの伊之助でさえ身体を震わし、涙を流す。
逃げ去る猗窩座への、炭治郎の叫びは見る人全員の心の代弁。
燃え尽きた煉獄の炎。
我々は彼のように生きれるだろうか…?
四の五の言って悲しんでる暇はない。
心に刻め。
我が身に焼き付けろ。
その熱く誇り高き姿と生きざまを。
煉獄語録と武勇伝に心底しびれた。
エンディングの主題歌『炎』も彼を謳い、胸に響く。
これが、“400億の炎”か…!
自分的には“無限列車”と言うより、“煉獄燃炎編”であった。
遂に斬り込み始めた『鬼滅の刃』。
次は『遊郭編』。
そして現在放送中の『刀鍛冶の里編』に追い付くぞ~!
ここで、“大正コソコソ噂噺”。
ずっと見ないままでいた筆者は、まんまと気に入ったらしいですよ。
無意識領域の描き分け、美しい映像…!!
公開当時何度も映画館に足を運び、アニメ版も観たし漫画も暗記するほど読んだけど、「遊郭編そして刀鍛冶の里へ」を劇場で観る前にもう一度鑑賞。
映像がすごい。
TVアニメも綺麗な映像で驚いたけど、映画館のスクリーンとなると格別。
通常のスクリーンは綺麗な映像を、4DXはアトラクションとして飽きずに楽しめました!
この先ネタバレ含みます。
私の推しは我妻善逸です。
漫画を全巻読んだ中で、彼の最も好きなシーンと言っても過言で無いのが無意識領域の我妻善逸。
映画だと触れられませんでしたが漫画だと
「無意識領域はその人間の核となる部分。普通は無意識領域には人は居ないが、我の強いものには稀に人間が現れる。」
というような補足があります。
「無意識領域に何で人がいるのよ!」というセリフがありましたが、伊之助と善逸の無意識領域には本人が居たのは2人の我が強いから。
伊之助は野生的な、善逸は暗く鬱々とした、2人の核となる性格なのだろうと言うのが垣間見えるシーンで大好きです。
映画ではこの2人のシーンがあっさり終わってしまってしょんぼり。
無意識領域についての補足のナレーションが欲しかった…。
鬼滅ってナレーション説明が無いからこの補足を織り込むの難しかったのかな😢
伊之助は野生的な珍獣のような無意識領域なのは想像がついてフフッとなりますが、善逸の無意識領域は真っ暗。
漫画だと善逸の無意識領域に入った子が「真っ暗で何も見えない…!息苦しい!身体中に墨汁を塗りたくられてるようだ…」というセリフがあります。
「真っ暗」だけじゃ伝わらない、もっと重い感情が伝わる台詞で大切だと思ってたから、せめてこのセリフだけは入れて欲しかった…!!
コミカルな描写で笑っちゃうシーンだけど、善逸の心の闇が深さが分かるシーンなんだよなぁ…。
伊之助の野生的に我の我の強い無意識領域。
善逸の真っ暗で息苦しい重く我の強い無意識領域。
煉獄さんの熱く燃え上がる無意識領域。
炭治郎の澄み切った広く美しい無意識領域。
みんなの心の奥底。
みんな違ってみんな良い。
炭治郎の澄み切った広く美しい無意識領域は、怖いほど綺麗。
我の強さで現れる人間ではなく優しさの化身の小人がいる無意識。
心の底から根っからの良い奴で、こんな綺麗すぎる心を持つ炭治郎だから嫌味なく真っ直ぐ正義の刃を振るうことが出来るんだ…と漫画を読んだ時も泣いたけど、これが映像になると伝えきれない美しさがあります。
大画面で言葉ではなく目で炭治郎の美しい心を体感できる。
…と、無意識領域が好きすぎるのでこの辺で語るのは辞めておきます笑
無意識領域が好き過ぎるので⭐︎スコア少しだけマイナス🙇♀️
本当は満点で良いくらい素敵なんだけど、無意識領域好きすぎて…!
もう少しだけ説明して欲しかった!!
これは漫画のおまけページに描いてあったのですが、「無意識領域の善逸…ムツオさん感がスゴイ!(筋肉少女帯のムツオさんは名曲です)」と吾峠呼世晴先生も言っております笑
八つ墓村、大好きなのでヒャー♡ってなりました笑
筋肉少女帯のムツオさん聴いたこと無かったので聴きましたが聴いてから無意識領域の善逸のシーンを観るとこの歌が頭をよぎります…!笑
少し期待外れでした
テレビの放送で直前のストーリーまで観てました。
映像はとても綺麗でしたが、那田蜘蛛山の方が面白かったです。興行収入歴代1位を取れるほどの作品とは思えなかったです。
気になったのは下記になります。
・煉獄が誰も乗客を殺させなかったという実績は邪魔です。
この設定のせいで、下弦の鬼が人間の乗客を一人も食べれず、怖さがないです。もし食べないのなら、一定時間内に幸せな夢から抜け出せないと、それだけで死が訪れるとかの設定が必要だと思う。
・炭治郎が逃げる相手に煉獄の凄さを語っているシーンは不要。
それより、煉獄が乗客や炭治郎などを命懸けで助けた方が説得力があります。
実際それで負傷していた方が、最期にも納得できたと思います。個人的には、負傷で柱を引退して後進を育てるぐらいにして欲しかったですが。
以上
むごすぎる
炭治郎にどこまで背負わせれば気が済むのか。
一家惨殺に合い、家族を失い、助けられなかった自分を責め、鬼になった妹の立場と命を守り、生きることだけでも体力と精神力を奮い立たせている15歳だというのに。更には戦闘。
無限列車編は鬼の質も悪すぎる。家族が全員生きていた幸せな夢を見させておきながら、それを自ら斬って現実に戻ってこなければいけない炭治郎。
脚本は正気なのか?
そして、こうして大切な存在を奪われた気持ちの集まりこそ、戦争や異民族に対する無条件の嫌悪意識を産んでしまう、戦争を助長・正当化するような話にどうしても見えてしまう。
鬼と共存派も柱の中にはいるものの、戦時中の竹槍対B29の日本同様、鬼から狙われたらもう最期、生き残る術などないのが不公平極まりない。
それでも迷いなき煉獄さん。特攻隊の、1番大切な命を犠牲にしてしまう倫理観と同じよ。
特攻隊は軽さゆえ飛べたがそれは命を守るという概念で作られず何も積んでいないから。実物を見ても鉄板と椅子のみの丸腰。対策されてから全く勝てなくなったが、その精神が理解できない価値観で怖いと、アメリカからは恐れられていた。
柱は戦略を変えなければならない。
そこに美意識を感じてしまう限り、日本人は組織で団結して見せて個人の能力や自己犠牲頼りの組織であり続けてしまう。
普天間にしろ、我慢が美徳でないのに耐えてしまった結果、出てるでしょ。
15歳の子にこんなに背負わせる話が良しとされてはならないと子を持つ親としてどうしても感じてしまった。
戦闘で首や身体の部位が飛び散る描写も、子供も見る作品としてあってはならないと感じてしまう。
視覚だけでなく精神的にもむごい作品。
寂しさ悲しみを、許せないという怒りに変えて鬼狩りにぶつけて、犠牲者達をこれ以上生まないために勤しむ柱達。悲しくてならない。
勧善懲悪の話は必要だし、海外にはあまりない、心の機微が描いてあり深みがあるのはとても良い。でもここまで悲しくさせることないって。
そして、悪い鬼なら殺して良いのか、子供も見てしまう作品なのだから、立ち止まって考えさせる1クッションが欲しい。我が子には見せられない。
悲惨さの中でも諦めず、同じ悲しみの連鎖を生まないために頑張れる柱達の苦悩と強さを大人は理解ができるからこそはまるのだろうが、子供達には派手な戦闘と暴力的直接的な殺害シーンばかり脳裏に焼き付いて終わってしまう。その記憶が大人になった時どこかで、憎い感情を覚えた時の言動ベースになる可能性も秘めていると思うと恐ろしい。
灰汁のある作品だが感動できる作品
それぞれのキャラクタの作品が立っている。作品中で成長していく三人組はそれぞれ炭治郎を除いて明確な欠点をもっており、対して煉獄は変わってはいるが信念が完全に固まっておりゆらぎ無く彼が三人を導くことになんの違和感もない。
何が見どころかといえば、煉獄と炭治郎の動きだ。煉獄はゆらぎない信念で三人を導く。その生き様はほれぼれし、胸が熱くなるものでもある。対して炭治郎は力はまだ弱いが、今回の事件を解決する糸を最初に見つけ、煉獄さえもできなかったことを成し遂げている。その理由は、煉獄のインパクトに負けており、主人公=視聴者の代弁者的な立ち位置であるために見えにくいが、炭治郎には真実を見抜く嗅覚と煉獄に負けない家族愛があるからだ。
今作で面白い場面は四つある。一つは呼吸法。呼吸法はこの作品が一貫して扱う一つのシステムであるのだが、実際の現実において呼吸法はストレス社会で精神や健康のために瞑想やヨガとともに勧められるものだ。スポーツやダイビングの世界でもやられているものであるが。ジョジョという作品においてもあったが、今作品の人気によってまた一般社会に知られる言葉となった。この作品から実際の呼吸法を知り行う人が増えたのならば、それはまたこの作品の世界への貢献として良いものがあるだろう(そんなあいまいな一般論をここで言う意味はあまりないと思うが)。2つ目は敵の技が、実際のスピリチュアルなシステムに近似する可能性があること。スピリチュアルなシステムを作品の中に盛り込むものは多いが、自然に描けているものは少ない。そして、今作の多くの時間を割いて行われる夢の中での攻防が、実際に行われれいると私が信じている、アストラル界での攻防に近似している可能性を感じたことだ。3つ目は、炭治郎が夢の中で自意識を蘇らせるきっかけとなった、夢の中での父親の助言、湖面に写った自分を叱咤する自分の顔である。守護霊が夢の中に現れたと考えればよいかもしれない。4つ目はそれぞれのキャラクタの核の描写だ。これについてはリアリティがあるのか何も感想を述べることはできないが、炭治郎の美しい核の描写が印象に残る。
敵と戦う系の漫画、エンタメ作品を見たがらない人は一定数いると思う。血なまぐさいのは駄目だという人や、感動モノ、恋愛ものしか見ないという人等。そういう人にこの場を持っておすすめしたいのは、敵を自分の中のエゴとして内面化して見ること、作品全体を自分の中の葛藤を暗示するものとして見ることだ。そうすれば、全てが学びとなる。
今作で一番心を動かされる場面は煉獄が自分より強い鬼と相対する場面だ。最後までブレず自分を貫く姿には心を打たれずにいられない。
灰汁と私が書いた所は、7割以上が炭治郎に対するものであるが、自分の心境を語る言葉の数が多すぎて説明過多と感じるかもしれない部分があることと、コメディ要素が強くですぎている部分があるかもしれないということだ。こういう部分は作品の味ではあるが、新参者が見た時になんだこれは?と思わせる危険性があると思う。
最後に、魘夢という鬼(敵を眠らせる奴)が負けた時に自分の心境を述懐する場面は、敵を邪悪なものとして描いて切り捨てる多くのバトルもの作品と趣を異とするものであり、面白く感じた。
「心を燃やせ」 - ド直球少年マンガ!
先日の地上波での放送を視聴。
無限列車の十二鬼月との闘いでは、炭治郎の健気さと一歩も引かない根性に「THE 少年マンガ!!!」の主人公を感じた。
「俺の家族を侮辱するな!!!」で目頭が熱くなる。
まっすぐに家族を誇れるっていいですね!
煉獄さんと猗窩座との闘いは、原作をまったく知らなかった自分にとっては超急展開。
「えっ…!!!煉獄さん…!!!」って少し置いていかれる気持ちになりますが、その後のアツい展開にどんどん引き込まれて、そんなの関係なくなります。
自分の生きる意味とは?
果たす責務とは?
何に自分は心を燃やして、命を使っているのかを考えさせられる映画でした。
久しぶりのド直球少年マンガ、最高です。
ひとつ言うのであれば、これは映画館で見るべきだった…!!!!
CMが入ることすらもったいないくらい、いい映画でした。
必死に泣かそうとしてくる映画
原作未読、テレビシリーズは全て観たうえで映画館で一度鑑賞。
テレビ放送されたので再度鑑賞しての感想です。
映像が綺麗、キャストがしっかりしているのは他にもたくさんの方が書いている通り。そこに異論はありません。
ただ、一本の映画としてはどうなんだろう…
一つは「死」の捉え方。家族の死と再びの別れ、そして煉獄さんの死を泣かせポイントとして必死に泣かせようという演出を盛り込んで来ます。「泣け!おい泣けるだろほら泣け!」と詰め寄って来る印象。
はっきり言って安直。そもそも鬼の存在で死がありふれた世界観において、大した出演機会の無いキャラクターの死で皆さんよく泣けるなと…
ほとんどこの映画が初登場のような煉獄という人物。戦闘ものの作品で、戦うことを生業とするキャラクターが敗れて命を落とすという展開。 その戦いに必然性は無く、ふらっと現れた猗窩座と戦い、刺し違えてでも倒そうとするも及ばず… はっきり言って虚しさしか残りませんでした。
これに対し、「200人の乗客は誰も死ななかった」から偉いと。
これが名探偵コナンなら200人を救った価値は大きいのですが、残念ながらこの世界は鬼滅の刃。日常的に鬼が人を食っている世界。死の重さが全然違う。
構成にも違和感が残ります。
タイトルの「無限列車」で、魘夢との戦いがメインと思わせておいて、結局そのあとの戦いがメイン? 原作に縛られているのかもしれませんが、1本の映画としては構成が中途半端。前述の虚しさと合わせて、後味が悪い…
これはあえてなのかもしれませんが、触手等のCGが安っぽく、絵と異質過ぎて不自然。絵とCGのハイブリッドな表現等、技術的にはもっと凝ったことができたはずが、安上がりな異質感の表現に逃げたように感じました。
総じて、鬼滅の刃が好きで仕方ない人、映画をあまり観ない人にだけウケる映画なのだと思います。ただ、今のご時世その母数自体が膨大であるためヒットしたということなのでしょう。
ほんとに国民的アニメ…?
ここまで国民的アニメになっているので、自分も一応観ておかねば…と思ってアニメを観たが、無駄にグロい描写と全く感情移入できないのが辛くて13話でギブアップした。
そして今回は地上波で映画をやるということで、「もしかしたら映画はいいのかもしれない」と思い視聴したが、、、やっぱりダメだ。
涙無しでは見れない、と言っていた友達の気持ちが分からない。
煉獄さん、確かにいい人だなとは思うけど、主人公達との関係性薄すぎて。
強いな、凄いな、とは思えど涙は全く出ませんでした。
映画始まってから煉獄さんと仲良くなる描写も無いし、気づけば闘ってばかり。
家族とのシーン挟めば泣けるって思ってるのか?
これじゃ感情移入する訳がない。
むしろ何故泣けるんだ。
ちょいちょい入れてくるギャグシーンも苦手。
アニメの時から思っていたが、ギャグを入れるタイミングのセンスが悪い気がする。
コミカル要素を無理矢理入れてる感がすごい。
煉獄さんが死んだ直後にコミカル描写いる?
ちゃんと悲しみに浸らせて欲しかった。
まあどっちにしろそんなに悲しくなれなかったけど…
あとアニメの時から思ってたが、全体的に説明くさい。
闘ってる時の炭治郎、プロの実況者か?
情熱的な性格のわりに客観的すぎるし、自分が死にそうな時に人のこと考える余裕なんて絶対無いだろうし、リアリティが欠けすぎてる。
物語に入り込もうとしてるのに、炭治郎のセリフでスっと冷める。
夢見せる鬼も思ったより簡単に負けちゃうし。
あの無駄に長い捨て台詞、いる?
「もしかして、本当はこの鬼も元々は優しい人間だったりしたのかな?」って泣かせに来るのを期待してたけど、裏切られた。なんもなかった。
肝心の煉獄さんも、終盤で急に現れた新キャラの鬼に殺されちゃうなんて 意味わからない。
しかも鬼逃がすんかい。
全てが中途半端。
鬼滅ファンの皆さんには申し訳ないが、鬼滅の面白さはやっぱり分からないな、と再認識した映画だった。
LiSAさんの主題歌「炎」は良かった。
あの曲で映画が救われていたのでは?
鬼滅は苦手だけど、無限列車は好き
アニメ全話見て鬼滅には全くハマりませんでした。
理由は色々とありますが、主な理由は、あの世界の倫理観が苦手だからです。
キャラクターの台詞や心理描写に全然共感できませんでした。
そんな状態で映画を観に行ったわけですが、無限列車に関しては手放しで面白かったと称賛できます。
テレビで久しぶりに二度目の鑑賞をしましたが、やはりめちゃくちゃ面白いなと感じたのでレビューすることにしました。
まず無限列車の好きなところは、戦闘舞台が列車だというところですね。
走る列車上で戦うというこの特別ステージ感。
「動く戦場」という舞台はワクワクしますし、映画化するのに相応しい舞台だと感じました。
そして何よりメインの敵キャラが魅力的で強いです。
例えば猗窩座は所詮肉弾戦ばかりの脳筋で、煉獄一人相手に辛勝した程度の実力です。
対して魘夢は、一睨みで相手を眠らせることができます。
列車と同化して無数の触手を伸ばして攻撃することもできます。
さらに列車と同化することで、唯一の弱点である首を隠すこともできます。
たとえ首の場所がバレても、お眠りや触手の攻撃で首切りを防ぐことができます。
自分の能力を最大限活かせる場所として無限列車を戦場として選んだ狡猾さも含め、非常に厄介で強力な敵だと感じました。
炭治郎達も5人がかりでようやく倒せ、誰か1人でも欠けていれば多くの犠牲が出ていた大物だと言えるでしょう。
最後に猗窩座戦ですが、落とし所が非常に上手かったと思います。
ここは初めて上限の鬼が登場するシーンですので、今後のストーリーのためにも上限の鬼の格を見せつける必要があります。
煉獄さんにあっさりやられるわけにはいきません。
かといってそれは柱側も同じで、登場したばかりの鬼殺隊の柱の一角があっさり鬼に殺されるわけにもいきません。
しかし結果的に煉獄さんはやられ、「あーあ負けてしまった」という虚無感が視聴者を襲います。
ところがここで炭治郎が言ってほしいことを全部言ってくれるんですよね。
「人間は鬼みたいに再生できるわけじゃない。いくつもの命を全部守り抜いた。これは煉獄さんの勝利だ」と。
これは負け犬の遠吠えなんかじゃなく、客観的視点に基づいても非常にロジカルな台詞で、「負けたけど勝ったんだ」と感じられる名シーンです。
結果として上限の鬼の格も、柱の格も落とさずに決着をつけられた見事なシーンだと感じました。
落ち込む炭治郎を叱咤激励するのが伊之助というのもいいですね。
アニメ版の時から伊之助ってかなりクレイジーなキャラクターで、ひたすら強さを追い求めるだけの荒々しいキャラクターでした。
それ故に滅多に人に媚びるようなことはしないのですが、唯一、「強さ」という点においては他人に対しても素直なんですよね。
アニメで窮地を義勇に助けられた時も、義勇の強さを素直に認めていましたし、「強さ」に対してストイックだからこそ「強い人」に対しては素直さを見せる側面を見せるキャラでもあります。
だから目の前で上限の鬼と死闘を繰り広げた煉獄さんのことも素直に尊敬し、メソメソする炭治郎を叱咤激励したわけです。
伊之助のことは今まで特に好きでも嫌いでもありませんでしたが、ここは伊之助らしさを感じさせる非常に納得感のあるシーンだったと思います。
いつも凛としていて全く表情を崩さなかった煉獄さんが、屈託のない笑顔でにこやかに逝くところも含め、非常に見所の多い作品です。
鬼滅の刃が好きじゃない、むしろどちらかと言うと苦手な部類だと感じていた私がここまで面白いと思えたのですから、ファンにとってはそりゃもうとんでもない映画だったのでしょう。
鬼滅の苦手なところ、面白くないと思うところ、私はいっぱい言えます。
一方で無限列車の面白いところも、私はまだまだ言えますよ。
400億、納得です。
おもしろいけど。。。
言われるほど泣ける内容ではなかった。
そこまで煉獄を知らないし。
アニメを全て視聴してから観ていますが、
それでも泣けるほど煉獄の事はわからない。
原作は読んでいないのでそのせいでしょうか?
某別漫画の仲間の過去編のように、
煉獄の話がきちんと作り上げられてからの無限列車だったらおそらく泣ける内容だったかも。
百歩譲って炭治郎はわかるけど、
善逸と伊之助が泣いてるのがかなり冷めた。
自分的には、炭治郎の悪夢を見せられた後の一言が一番感動的だった。
煉獄さん…貴方と出会えて良かった
この日は私の誕生日で、この映画館でのラスト上映という事で早起きして行ってきました。
煉獄さんの活躍や言葉は、一生私の胸に刻まれました。少年時代、病床の母から言われた「強き者は弱き者を助ける責務がある」
この言葉を煉獄さんは一生懸命果たそうとします。煉獄さんが必死に戦う姿はカッコいい!!
昨年、母を亡くした私にとっては、心にくるものがありました。母から言われた言葉は忘れられないんですよね…
煉獄さんもきっとそうだったから、あんなに傷だらけになっても最後まで頑張ったのですよね…
もう何度観ても泣けます!素晴らしい作品です!!
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