「人類の罪と罰と救いを描いている作品。感動した。」劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 eigazukiさんの映画レビュー(感想・評価)
人類の罪と罰と救いを描いている作品。感動した。
本作は少年漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の連載漫画「鬼滅の刃」(2016-2020)全23巻の一部のエピソードをアニメ化したアニメ映画作品である。家族を「鬼」に惨殺された主人公の炭焼きの少年竈門 炭治郎(かまど たんじろう)が家族の復讐と生き残った唯一の家族である妹の竈門 禰󠄀豆子(かまど ねずこ)の病気を救うために鬼を退治する専門部隊「鬼殺隊」に入隊し鬼と戦う物語。この映画では主人公の炭治郎が鬼退治の任務を受けて同僚の我妻 善逸(あがつま ぜんいつ)、同じく同僚の嘴平 伊之助(はしびら いのすけ)、上司の煉󠄁獄 杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)、そして妹の竈門 禰󠄀豆子(かまど ねずこ)たちと汽車に乗り込み鬼と戦う。
点数:5.0。お勧めします。大きな見せ場が2回もあり見終わったあとの満足感が半端ない。陰鬱で重苦しい気持ちになる残忍な鬼の場面と人間の美しい生き様の場面とが対比され影と光のコントラストとなって観る者の感動の涙を誘う。
この映画の注目点は列車という高速で動く乗り物が人生の時の流れを表現しておりその車中で眠って夢を見るということはすなわち生きている時間を無駄にして娯楽を見続ける視聴者への比喩ともなっており視聴者にメッセージを投げかけている点だ。映画冒頭に出てくる墓場のシーンは墓場まであっという間の人間の短い人生の時間のなかで夢を見る意味とは?と視聴者に問うているようである。また、映画の終盤で煉󠄁獄 杏寿郎が鬼の誘いを断り人間としての死を選んだのも最初の墓場シーンにつながる良い展開である。煉󠄁獄 杏寿郎が人間としての死を選んだのはそれが鬼殺隊の戦死した者たちの墓が象徴する世代を超えた人間のつながりの素晴らしさを知っていたからである。古代人も現代人も未来人もそして家族や同僚や友人や日本社会や世界中の人もすべて人はつながって生きていて、その人類のつながりが人類の素晴らしさの源泉だと煉󠄁獄 杏寿郎は私たちに語りかけるようである。結論として本作品は人はなぜ夢を見るのか?人はなぜ死ぬのか?など見終わった視聴者に深く考えさせる超良作である。
さらに、本作品は人類の罪と罰と救いを視聴者に説明している物語だと私は思った。すべての人類は罪を負いながら生きている。人類の罪は罰されて許されないと人類は決して救われないであろう。人類は自らの罪を罰され許されて救われたいと潜在的に思っているからこの映画が大ヒットしたと思う。潜在的に人類の罪を罰して人類を救ってほしいという思いがこの作品の鬼と鬼殺隊の行動に視聴者が感動する理由である。たとえば鬼が人を苦しめ命を奪う行動はもとは人間のする無慈悲な行為である。人間の罪は罰され許されないと被害者も加害者も救われないという社会のルールが浸透しているからこの物語で鬼が倒されることに視聴者はカタルシスを感じるのだと思う。(カタルシスなのは現実では人間の罪がすべて罰され許されているわけではない不条理な現実があるからである。)逆に鬼が人を苦しめるさまも見方を変えれば鬼は(宗教的な意味で)罪深い人類を救っているように見える。閻魔大王のいる地獄で鬼たちが亡者をお仕置きする理由は人類が罪深いからである。本作の鬼はまだ生きている人間の罪を戒めている。本作品は人類の罪と罰と救いを説明した非常に優秀な映画である。
視聴:液晶テレビ(有料配信アニメタイムズ) 初視聴日:2025年7月29日(気になってはいたがやっと見た) 視聴回数:1(早送りあり) 視聴人員:1(一人で見た)
追記:
人間が鬼となって人類の罪を戒める内容の作品にアメリカ映画「ジョーカー」(2019年)という作品がある。この映画では、貧しいながら真面目で誠実に人生を生きていた主人公アーサー・フレックが理不尽にも集団ストーカーたちに人生を脅かされ我慢の限界に達し人類の罪を裁く鬼「ジョーカー」に変身する。映画「ジョーカー」(2019年)と映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(2020年)は鬼が人類を裁く展開がよく似ていると思った。しかし続編映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」(2024年)では鬼となった主人公アーサー・フレックが逆に人間たちに裁判で裁かれる。鬼が人間を裁き、人間が鬼を裁くという内容が鬼と鬼殺隊が戦いあうこの「鬼滅の刃」という物語とそっくりだと私は思った。映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」(2024年)では最後には主人公のアーサー・フレックは人間に戻り、人間に裁かれ、新たなジョーカーにも裁かれるが裁かれる事こそが人間としての救いであり幸福であるとこの映画は言っているかのようである。
人間としての救いや幸福とは
1 人類のつながりを大切にする事
2 人類の罪への裁きも適切に行う事
人間としての救いや幸福とは何か。映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(2020年)ではそれは家族や友人や他人を思いやり人類のつながりを大切にすることであると説く。煉󠄁獄 杏寿郎は人類のつながりこそがバトルでの強さや不老不死の欲を超えて人間に救いや幸福をもたらすと考えている。彼は家族や友人や他人とのつながりは自分の命よりも尊い人類の救いであり幸福だと考えている。映画「ジョーカー」(2019年)と映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」(2024年)では人間としての救いや幸福とは人類が裁かれることだと説いている。主人公アーサー・フレックは人類の罪を裁く鬼「ジョーカー」として人類を裁き、のちに人間に戻って彼自身が裁かれたので人類が裁かれることが人類の救いや幸福につながると考えている。まとめると、人間としての救いや幸福とは人類のつながりを大切にし、すべての人類が適切に裁かれることである、ということが映画からの啓示だと思った。
2025/8/4 追記2:人生とは無限列車のようなものである
「人生」は、人がこの世で生きていくこと、またはその間の生活や経験を指す言葉です。具体的には、生まれた瞬間から死ぬまでの期間、またはその期間に経験する出来事や感情、生き方全体を指します。(AI回答より)
人生とは通常は一個人を指す言葉であるが、私は映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(2020年)を観て人生とは他人や先祖や未来人をも巻き込んだすべてを人生というのではないかと思うようになった。煉󠄁獄 杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)は鬼に負けて死んだがこれで彼の人生は終わったのではない。人生とは肉体の死後も永遠と続く無限列車(その遺志は未来へと連結して受け継がれる)だからだ。映画のタイトルの意味から作者は「人生とは無限列車である」と言いたかったのだと私は思う。たとえば、一人の人間が生きているなら彼のまわりには無限に他の人が関係している。彼の先祖や彼と同時代に生きる人々や彼が生きたことによって必ず影響を受ける未来人たちは彼と連結し無限に列車となってつながっているのだ。
追記3:
映画作品では珍しく本作品は宗教的な内容はほとんど入っていない感じがする。序盤の墓場シーンくらいである。そのかわり、宗教と似たような週刊少年ジャンプ的な思想が入っている。週刊少年ジャンプに掲載された漫画は少年誌ゆえに正義、友情、成長、愛などのテーマが描かれることが多く、それが宗教的な思想のかわりとなっている。たとえば、鬼を退治する鬼殺隊は正義、友情、成長、自己犠牲などの要素をもっている。この思想は読者の生きかたに影響を与える。海外の映画にはキリスト教的な思想が多くの場合入っている。たとえばアメリカ映画「ジョーカー(2019年)」にはキリスト教的自己犠牲や人類の原罪など映画の中でほのめかされている。主人公のアーサー・フレックは社会から理不尽な集団ストーカー行為を受け人類の罪を一身に背負った。これはイエス・キリストが人類の罪を肩代わりしたと解釈できる。またアーサー・フレックはジョーカーに変身して悪人を裁くのだが神となって悪人たちに天罰を下したと解釈もできる。これに比べて日本の漫画作品は独特の道徳や思想が入っていると思った。
追記4:暴力を正当化する人類が暴力の連鎖を生む
本作は鬼が人間たちに暴力をふるい、人間たちがその報復として鬼殺隊という組織を編成し鬼に暴力をふるう内容のアニメ映画である。人類が暴力を正当化するのはどういう場合なのだろう。一つ目は人類は暴力をふるわれた場合はこちらも暴力を正当化できると考えている。これは当然の権利のように思える。二つ目は人類は法律や宗教の戒律やなにか主義などのルールを破ったものは暴力を正当化できると考えている。ルールを破ったものは犯罪者とみなされ犯罪者は何をされても文句が言えないと考えられている。鬼たちは人間たちに暴力をふるい、人間たちのルールを破ったので暴力をふるわれても文句が言えないと考えられている。鬼たちの側も黙ってはいない。暴力の連鎖はこうして完成する。人類が暴力を正当化するメカニズムが詳しく解明されれば暴力の連鎖を止められるかもしれないと思う。鬼たちを同じ人間と見るか獣(けもの)として見るかによって結果は変わってくると思う。本作は場合によって鬼が人間に見えたり、鬼が獣(けもの)に見えたりすると思う。この感覚は不思議だ。禰󠄀豆子は鬼なのに人間に見える。童夢は完全に獣(けもの)の仲間に見える。相手を人間と見るか獣(けもの)と見るかで暴力は正当化されるかされないかが判断されているのではないだろうか。暴力の連鎖を止めるには、つまり人間の心に潜む「鬼」を滅するには、すべての人間を人間として見るように訓練しなければならないだろう。しかし、現在の法律や宗教は人間を時として獣(けもの)として扱う。現在の法律では犯罪者は獣(けもの)とみなされる場合があり、現在の宗教では暴力の連鎖は止められない。鬼を滅するには人類の変革が必要ではないだろうか。本作は最終的には鬼を滅し、鬼を人間に戻すことがテーマであると思うがその前段階として人間とは何か、鬼と人間の違いは何か、というのが本作「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編(2020年)」である。人間は死ぬ生物なのであるが無限列車のように無限に人と人は幾世代にもつながっていてそのつながりが人間である、とこの物語は説いている。いっぽうで鬼は死なないがそのつながりはとても稀薄でそのつながりの希薄さが彼らの暴力的思想を生んでいるのであろうか。つまり暴力を正当化するには人と人とのつながりを一時的に断ち切って忘れている。人類に暴力を正当化させないためには人と人が関係していることをアピールする必要がある。現在、国内外で暴力や集団ストーカー犯罪などが行われているが人類はみなつながっているという教育が大切だと私はせつに思う。人類はみな同じ「無限列車」に乗っている乗客なのである。
追記5:呼吸について
呼吸とは剣術の流派のようなものである。呼吸は日から派生して様々な流派に分かれている。呼吸にはその技法を継承した柱と呼ばれるマスターがいる場合がある。基本的には不死身である鬼を倒すためには呼吸の剣技を使いながら特殊な刀で鬼の首を切り落とす必要がある。
日(ひ)の呼吸 源流:すべての呼吸の始祖
月(つき)の呼吸 源流:日
水(みず)の呼吸 源流:日 マスター:水柱
雷(かみなり)の呼吸 源流:日 マスター:鳴柱
炎(ほのお)の呼吸 源流:日 マスター:炎柱
岩(いわ)の呼吸 源流:日 マスター:岩柱
風(かぜ)の呼吸 源流:日 マスター:風柱
蛇(へび)の呼吸 源流:水 マスター:蛇柱
花(はな)の呼吸 源流:水 マスター:花柱
蟲(むし)の呼吸 源流:花 マスター:蟲柱
音(おと)の呼吸 源流:雷 マスター:音柱
恋(こい)の呼吸 源流:炎 マスター:恋柱
霞(かすみ)の呼吸 源流:風 マスター:霞柱
獣(けだもの)の呼吸 源流:風
追記6:血鬼術について
鬼は特殊な血液が流れている不死身の人間であるが、自分の血液を武器に変える技をもつ上位の鬼が存在する。その上位の鬼が使う技を血鬼術という。