「鬼滅は苦手だけど、無限列車は好き」劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 てらゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
鬼滅は苦手だけど、無限列車は好き
アニメ全話見て鬼滅には全くハマりませんでした。
理由は色々とありますが、主な理由は、あの世界の倫理観が苦手だからです。
キャラクターの台詞や心理描写に全然共感できませんでした。
そんな状態で映画を観に行ったわけですが、無限列車に関しては手放しで面白かったと称賛できます。
テレビで久しぶりに二度目の鑑賞をしましたが、やはりめちゃくちゃ面白いなと感じたのでレビューすることにしました。
まず無限列車の好きなところは、戦闘舞台が列車だというところですね。
走る列車上で戦うというこの特別ステージ感。
「動く戦場」という舞台はワクワクしますし、映画化するのに相応しい舞台だと感じました。
そして何よりメインの敵キャラが魅力的で強いです。
例えば猗窩座は所詮肉弾戦ばかりの脳筋で、煉獄一人相手に辛勝した程度の実力です。
対して魘夢は、一睨みで相手を眠らせることができます。
列車と同化して無数の触手を伸ばして攻撃することもできます。
さらに列車と同化することで、唯一の弱点である首を隠すこともできます。
たとえ首の場所がバレても、お眠りや触手の攻撃で首切りを防ぐことができます。
自分の能力を最大限活かせる場所として無限列車を戦場として選んだ狡猾さも含め、非常に厄介で強力な敵だと感じました。
炭治郎達も5人がかりでようやく倒せ、誰か1人でも欠けていれば多くの犠牲が出ていた大物だと言えるでしょう。
最後に猗窩座戦ですが、落とし所が非常に上手かったと思います。
ここは初めて上限の鬼が登場するシーンですので、今後のストーリーのためにも上限の鬼の格を見せつける必要があります。
煉獄さんにあっさりやられるわけにはいきません。
かといってそれは柱側も同じで、登場したばかりの鬼殺隊の柱の一角があっさり鬼に殺されるわけにもいきません。
しかし結果的に煉獄さんはやられ、「あーあ負けてしまった」という虚無感が視聴者を襲います。
ところがここで炭治郎が言ってほしいことを全部言ってくれるんですよね。
「人間は鬼みたいに再生できるわけじゃない。いくつもの命を全部守り抜いた。これは煉獄さんの勝利だ」と。
これは負け犬の遠吠えなんかじゃなく、客観的視点に基づいても非常にロジカルな台詞で、「負けたけど勝ったんだ」と感じられる名シーンです。
結果として上限の鬼の格も、柱の格も落とさずに決着をつけられた見事なシーンだと感じました。
落ち込む炭治郎を叱咤激励するのが伊之助というのもいいですね。
アニメ版の時から伊之助ってかなりクレイジーなキャラクターで、ひたすら強さを追い求めるだけの荒々しいキャラクターでした。
それ故に滅多に人に媚びるようなことはしないのですが、唯一、「強さ」という点においては他人に対しても素直なんですよね。
アニメで窮地を義勇に助けられた時も、義勇の強さを素直に認めていましたし、「強さ」に対してストイックだからこそ「強い人」に対しては素直さを見せる側面を見せるキャラでもあります。
だから目の前で上限の鬼と死闘を繰り広げた煉獄さんのことも素直に尊敬し、メソメソする炭治郎を叱咤激励したわけです。
伊之助のことは今まで特に好きでも嫌いでもありませんでしたが、ここは伊之助らしさを感じさせる非常に納得感のあるシーンだったと思います。
いつも凛としていて全く表情を崩さなかった煉獄さんが、屈託のない笑顔でにこやかに逝くところも含め、非常に見所の多い作品です。
鬼滅の刃が好きじゃない、むしろどちらかと言うと苦手な部類だと感じていた私がここまで面白いと思えたのですから、ファンにとってはそりゃもうとんでもない映画だったのでしょう。
鬼滅の苦手なところ、面白くないと思うところ、私はいっぱい言えます。
一方で無限列車の面白いところも、私はまだまだ言えますよ。
400億、納得です。