「映画「鬼滅の刃」は、なぜ凡作か」劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
映画「鬼滅の刃」は、なぜ凡作か
興業成績を塗り替える勢いの映画「鬼滅の刃」。
残念ながら、映画としては凡作である。
では、なぜ凡作か?
それは脚本が甘いからである。
本作のクライマックスは、ラストの煉獄の死だ。
彼は、上弦の鬼(原作では中ボスみたいな存在)の猗窩座(あかざ)をあと一歩というところまで追い詰めながらも敗れた。
煉獄はなぜ死んだのか?
「猗窩座に殺されたから」という回答は「意味」を持たない。
医学的には出血多量で(または多臓器不全で?)亡くなった、ということと同じくらい「物語にとって」無意味だ。
繰り返すが、この映画のクライマックスは煉獄の死である。
そこに「意味」がなさ過ぎるのが問題なのだ。
無限列車での戦闘序盤、煉獄や主人公・炭治郎ら鬼殺隊の一行は、鬼の術中にはまり眠りにつき、夢を見させられる。
このシークエンスで、夢の中の炭治郎が「改めて」家族を喪うシーンの過酷さは涙を誘う。
そして、煉獄もまた、家族の夢を見る。
そう、「家族」は本作の重要なモチーフと言っていい。
猗窩座は煉獄の剣を受け早々に、彼の実力を認めた。
そして、猗窩座は、煉獄に対し「鬼にならないか?」と誘うのだ。
人間として殺すには惜しい、鬼になれば、もっと強くなれるのに、と。鬼になれば、傷を負っても再生し、そもそも老いることはない。どんどん強くなれるぞ、と猗窩座は言う。
端的に言えば、煉獄は、この猗窩座の「誘いを断ったから」死んだ。
であれば、この選択に納得感がほしい。
「主人公の側だから当然じゃね」では薄い。そんなの当たり前過ぎる。
煉獄が断った理由を、伏線を張り、補強をし、「ああ、だから煉獄は断ったのだ」と観客を「説得」してほしいのだ。
そして出来れば、ここにドラマがほしい。
贅沢を言えば、葛藤があってもいい(「スター・ウォーズ」のアナキンやルークのように)。そして、彼の生い立ち、思考、背景から、こうした葛藤を乗り越えることに盛り上がりが欲しいのだ。
例えば、前述の通り、観客は夢のシーンで煉獄の家族についてインプットされている。
ならば、そのインプットを伏線として、彼のその後の行動に「意味」を持たせてもいい。
家族を守るために死んだ、無気力になった父を奮い立たせたくて決死の闘いを選んだ、でもいいかも知れない。
だが、こうした要素はまったく見られない。
かくして、脚本上の説得力不足のまま、煉獄はただ猗窩座の誘いを断り、そして闘った末、死ぬ。
煉獄の死を主人公たちは大いに悲しむ。
少年が、目の前で味方が死ねば、泣くのは、そりゃ当たり前だろう。
だが、ここにも説得力はない。
炭治郎こそ多少のやりとりがあったが、伊之助、善逸は、ほとんど話すらしてないではないか。
「なぜ」そんなに泣けるのだ?「何が」そんなに、悲しいのだ?その説明はまったく、ない。
つまり、「ただ味方が死んで悲しいだけ」としか描かれていないのだ。
煉獄の死という本作のクライマックスを、さらに盛り上げることが可能なシーンなのに、残念ながら、ここも脚本が薄い。
ディズニーアニメを思い出して欲しい。
ディズニーアニメの登場人物が何かを決断するとき、行動するときには、彼らの過去の出来事や、何気ないセリフ、なんてことのない小道具が意味を持って立ち上がってくる。これまで、こうした瞬間に、何度心を動かされてきたか。それは、まるで観客を罠に掛けるように。巧妙に伏線を張り、背景をインプットすることで、「理由」を肉付けし、登場人物の行動に対する説得力を高めているのだ。
だから、ディズニーアニメは、子どもだけでなく、大人の鑑賞にも耐え、僕たちの心の奥深いところに刺さるのだ。
ほか、京アニ作品の演出の繊細さ、宮崎アニメの作品を超えたテーマの大きさはどうか。
条件は同じだ。
2時間ほどの尺、アニメという表現手段。
アニメは実写ではないから、予想を超えた役者の演技や、たまたま映り込んだ風景の鮮やかさ、といった不確定要素が入り込む余地はない。
クリエイターが作ったものだけがスクリーンに表される。
その中で、何を伝えるために、何を表現するのか?
逆に言えば、意図的に作ったものだけが、画面に表れるのがアニメである。その表現が薄ければ、観る者の心を動かすことは出来ないのだ。
なお、補足すると、原作においては、煉獄の死は、その後の主人公たちにとって「意味」を持ってくる。
だが、それはこの映画の「外」の話である上、作品中の時系列で言えば「先」の話だ。映画公開時にはテレビ、映画ともに続編の公開は発表されておらず、よって、本作を観る上での前提として考慮することは出来ない。
戦闘シーンの流麗さ、CGと描画の合成の巧みさなど評価すべき点はあるが、脚本が甘く、登場人物の書き込み不足によって、1本の映画として観たときに映画「鬼滅の刃」は、ごく平凡な作品と言わざるを得ない。
原作やテレビアニメ版のファンが大画面、高音質で楽しむためでもなければお勧めできないと思う。
煉獄はなぜ死んだのか? 勿論、戦う事を自ら選んだ結果である。
代々炎柱の煉獄家では、鬼になるとゆう選択は無い。時間を稼いで日の光が出れば死ぬ事は無かったかも知れません!
でも、闘うことを選んだ。王道である!
ありがとうございます。
もちろん、原作は素晴らしい。
で、「映画としては…」というところですよね。
これだけヒットしているということは、「映画だけ」観る(しかもオカネ払って)お客さんも多いと思われ、そこは残念だなー、って思いました。
また、フォローもありがとうございました!
映画をみて感じたことがほとんどこのレビューで言語化されていました。
ありがとうございます。
映画として煉獄さんのエピソードが少なすぎてクライマックスで全く泣けませんでした。
マンガでは今回のお話に至るまでの流れを一連で読んでいるのですごく泣けたのですが。
仰る通り「映画としては凡作」だと思いました。