「共依存」わたしの叔父さん レントさんの映画レビュー(感想・評価)
共依存
14歳の幼いころに父を自殺で亡くしたクリスは叔父に引き取られて育てられたが、高校生の時に叔父が倒れたために、体が不自由になった叔父の面倒を見ながら一人で酪農の仕事を切り盛りしていた。
前半はそんなクリスと叔父との暮らしが淡々と描かれる。クリスのおかげで牧場の経営を維持でき、自分の面倒まで見てくれる彼女に叔父は依存していた。
クリスは大学に受かるも獣医師になる夢を諦めて日々叔父の世話と仕事に明け暮れていた。
いまや二十代後半の年齢になったクリスは恋人も作れず週末のお祭りにさえ出かけることもできずにいた。
本作はいわゆるヤングケアラーの話かと思われた。高齢者の世話のために自分の人生を犠牲にせざるを得ない若者の話だと。
そんな彼女が獣医のヨハネスの助手を務めたことから諦めたはずの獣医師への夢が蘇る。また教会で知り合ったマイクにも心惹かれていく。
しかしマイクとの初デートに叔父を同席させたり、獣医の診断に付き合い半日家を留守にして叔父を放置していたことをやたらと気に病む。
とにかく彼女は叔父のことが心配でしょうがない。目を離したすきに叔父に何か起きたらと気が気ではない。
獣医の誘いで都会のコペンハーゲンに泊りで同行する際にも叔父についてきてほしいと頼むほどに。
ヤングケアラーとして叔父の世話をして生きてきた彼女。自分がいないと叔父は困るだろう、叔父を一人にはしておけない。それはあたかも叔父を気遣っているようだが実はそうではない。彼女が叔父がそばにいないと耐えられないのだ。幼くして父と不幸な別れ方をした彼女にとって自分を実の娘のように育ててくれたは叔父はいまや父親以上の存在であった。依存していたのは彼女の方だった。
子を世話する方の親が子供に依存してしまうことを共依存という。親が子を構いすぎて子供の自立さえも阻害してしまうという。クリスの場合は叔父に依存して自身の自立を妨げることになっている。叔父は責任を感じてクリスを解放するためにリハビリを受け始めるのだが。
旅先から約束の電話に出ない叔父のことが心配で居ても立っても居られない彼女の姿はもはや普通ではなかった。
足を滑らせて入院する羽目となった叔父のそばから離れない彼女をマイクは諭そうとするが彼女は聞き入れようとはしない。
マイクとの連絡を絶ち、貰った携帯や獣医師の本もヨハネスにつき返してしまう。自身の恋愛や夢を捨ててまでも彼女は叔父といることを優先した。マイクは手紙を残し彼女のもとを去る。
変わり始めたかのように思われたクリスの生活は結局元に戻る。映画は最初の二人の日常を再び描く。
朝の食卓はいつものように叔父はテレビ、彼女は本を読みながらそれぞれパン、シリアルを無言でほおばる。そこには会話はなくいつもテレビから流れる音声だけが二人の空間を満たしていた。すると突然テレビが壊れてしまう。二人の間に突然静寂が訪れ、まるでその空間にぽっかりと穴が開いてしまったかのようだ。
思えば二人の生活のルーティンのなかで会話がなされることはほとんどなかった。朝の身支度、農場での仕事、食後リビングでテレビを見ながらくつろぐ、ゲームをする。それらルーティンにおいてやることは決まっていたから会話などは不要だった。そして朝食の時間もテレビを見ながら黙って食事をするという決まりで暮らしてきた。しかしそのテレビが壊れて二人の間の空間に突如穴が開いてしまったのだ。
いままでお互いのこと、そしてこれからのことを話し合う時間などなかった。いや、二人はそれを避けてきたのだ。しかし、テレビが壊れたおかげで二人には会話をするだけの十分な時間が与えられた。
今までお互いの人生を考える深い会話をしてこなかった二人。しかしこの機会にそれが可能となった。クリスはまだ若い、このままでいいはずがない。かすかな希望をにおわせる形で本作は幕を閉じる
全体的に静かな作品ながら思わずクスリとさせられるシーンも多い。初デートについてきた叔父さん、二人のデートを離れたところで見守る叔父さん、映画も三人一緒に鑑賞する叔父さん。
介護依存、共依存という現代的な社会問題を扱いながらも重くなりすぎず鑑賞後余韻を残す良作。