「ジャスト6.5のジャストって何?」ジャスト6.5 闘いの証 正山小種さんの映画レビュー(感想・評価)
ジャスト6.5のジャストって何?
原題はメトリー6.5、つまり「1メートルあたり6.5」。
1メートルあたり何が6.5なのか、とても興味を惹く題名です。
物語が始まるや取り締まりの現場で、犯人らしき人物の追っかけっこが始まります。アクションものかと思ってみていると、最初のシーン以外はかなりの部分が登場人物の会話劇でした。出てくる登場人物の誰もがとにかくよくしゃべります。
警察対密売組織のボスという構図なので、警察が正義という立場にはなるはずなのですが、組織のボスであるナーセルにも薬物に手を染める様々な事情などがあり、観ているうちにナーセルに感情移入していまう気持ちになってしまいます。
この物語の中で肝となる部分は、やはり題名にもある「1メートルあたり6.5」に関するセリフだと思います。世の中というものは、貧しい人たちから最後の1円(イラン映画ですから、最後の1トマーン?)に至るまで搾り取るようにできているのだという、まさに世の中のいやらしさが実によく表れているセリフだと思いました。このセリフはイランだけではなくて、富める者に搾取されるワーキングプアの増えている日本でも同じようなことが言えるかもしれません。もちろん、だからと言って、薬物を密売して他人を不幸にしてもよい理由にはまったくなりませんが。
物語の最後にもうひとつ6.5に関するセリフがあるのですが、このセリフからも薬物にかんするやるせない気持ちがよく伝わってきました。ただ、このセリフ、イランの動画サイトで見た際には、聞いた覚えがなかったので、ネットで検索してみると、どうやらイラン国内でリリースされたものでは、検閲か自主規制かは分かりませんが、削除されていたようです。テヘラン大学で行われた記者会見で監督が「映画のセリフの中には通達に合致しないものがあって…」などとおっしゃっていたので仕方ないことかもしれませんが、このセリフがあるとないとでは、物語全体の印象も大きく変わるので、検閲されていないバージョンを日本で見れたのはとてもありがたいことだと思いました。
翻訳についてですが、英語からの重訳だから仕方ないのでしょうが、タイトルの「ジャスト6.5」の「ジャスト」は必要なかったと思います。英語話者ならタイトルから正しいイメージを持てるのかもしれませんが、日本語話者の自分からすると、正直ミスリーディングに感じられました。単に6.5とするか、原題通り「1メートルあたり6.5」のほうがよかったのでは。
また、物語中、薬物の名前についてシーシェをコカインと訳している部分がありましたが、なぜ覚せい剤にしないのか不思議に思いました。イランでシーシェと言えば、アンフェタミンやメタンフェタミン等の覚せい剤を指すことは常識なのですが…。
また、登場人物の名前で、ハサン・ガーヴィーをハサン・ザ・カウと訳しているのは斜め上の訳で感心しながらも笑いを堪えるのが大変でした。ガーヴが牛という意味で、日本語にすると牛のハサンというあだ名なのですが、牛のハサンではなくて、ハサン・ザ・カウと英語にするのは目から鱗でした。
登場人物の名前について、もう一人、アリー・ジャーポニーつまり日本人のアリーという人物が出てきますが、これをアリ・ジャポネと表記しているのを見た際には、「アルカポネかよ」と突っ込んでしまいました。
ハサン・ザ・カウといい、アリ・ジャポネといい、この訳者、明らかに笑いを取りにきています。