ミセス・ノイズィのレビュー・感想・評価
全25件中、1~20件目を表示
現代社会の常識とは何か・・・。
本作のモチーフはなんと“騒音おばさん”。2005年に、加害者とされた主婦が傷害罪の容疑で逮捕されたいわゆる「奈良騒音傷害事件」である。当時はテレビのニュースやワイドショーでも頻繁に取り上げられたので覚えている人も多いのではないか。
しかし、本作は社会派の重い映画ではない。天野千尋監督は、いま誰の身にも起こり得る「SNS炎上」や「メディアリンチ」といった社会事情を絡ませながら、エンタメ性も楽しめる作品に仕上げている。途中で物語の視点が変わると、それまでの話の見え方が変わり、後半に向けて事態は思わぬ方向へサスペンスフルに展開、皮肉な狂騒曲へと昇華させていく。
この映画を見ると、我々は自分のことしか見えておらず、しかも世の中の断片・表層だけを見て物事や人を判断しているのではないかと気づかされるだろう。常識とは何かを見終わった後に問われることになる。
ゴミクソ映画
胸糞悪いです
私、自分のことしか考えてなかった
と反省する主人公ですが、作品としては最後まで改心した主人公は嫌がらせした隣人にも許してもらえて本も無事に出版できて大ヒットというハッピーエンド
主人公のことしか考えてない映画
隣人のおばさんのこと、私は強いから、で片付けんな
強い人でも辛くないわけじゃないんだよ
なぜお見舞いシーンが省かれたのかわからない
おじいさんは生きてるんですよね?
なぜおばあさんと一緒にお見舞い行かなかったんでしょうか
娘さんと話して笑顔になるおじいさんの描写でもあればまだマシでしたが、なぜ最後に自分たちを悪役にして追い込んだ小説を渡すことが罪滅ぼしのようになってるの?
子供を亡くして病んでる二人のために娘さんとこれからも遊ばせてあげた方が二人にとっては嬉しいでしょう。
なんだこの映画
主人公のことだけを考えた自己愛に満ち溢れた作品
偽善をもっともらしく書いた商業的脚本
『面白くしようとしているのは分かっても、もっと作品の核の部分の奥深さが欲しい。 人間だって白と黒の一色じゃなくて多面的でしょ。この作品にはそれが無い。』
と髭面の編集長の台詞がある!
この映画に対しての台詞だと思った。鳥肌が立つくらい的確な指摘だと思った。しかし、
それなのにこの映画の脚本が良いとする方々もいらっしゃる。
本当に人間は多面的で奥深いものだ。と思った。
僕にとっては『真っ黒なワンちゃん映画』で、この髭面の編集長と同じ意見だ。
付け足して、人に対して俯瞰しながら『講釈』をする人には、世間体をもう少し気にして髭ぐらい剃って、身綺麗にしてもらいたい。髭面で意見されると『Mr.ノイズィー』になりそうだ。
騒音おばさんに視点がかわってから怒涛の面白さ
お地蔵さんのお供えを持っていく怪しげなおばちゃん。このときにもう「ヤバい人」というレッテルが貼られた。まあまだ最初はヤバそうな人くらいだったかもしれないけれど、その後にくる早朝の布団叩きで、小説家の中で確定してしまった。
観ている私たちも同様だろう。あんな日が昇る前に布団を干そうとするって、どういうこと?とならざるをえない。
そして、視点が騒音おばさんに切り替わってからは怒涛の勢いで面白くなっていく。
まあ、少々問題あるよなと思って見ていた小説家が、騒音おばさんの視点からみると「ヤバい人」に変わる。
互いに得られる情報から最も簡単な推測をしようとすると、あっけなく「ヤバい人」に落ちてしまうのだ。
一度「ヤバい人」というレッテルを貼ってしまったら、もう何もかもがおかしく見えてくる。あとはエスカレートしていくだけ。
気がつけば、どちらも「ヤバい人」に見えるようになるのだ。第三者視点では。
そのことに二人は気づかない。当たり前だ。互いに自分は普通で正しいと思っているから。
実際にも、多少の問題があるとしても、充分に普通で、充分に善人といえるだろう。
結局は、思い込みとコミュニケーション不足による衝突でしかない。
この騒動の発端となった、お地蔵さんのお供えを持っていくラストの場面で、真の和解に至る瞬間は感動的ですらある。
近年はコミュニケーションをテーマにした作品が増えたが、そんな中でも、実に巧妙に、最高の娯楽性を創出した本作は、社会派コメディとして一級品だった。
あの人の
話だとすぐに元ネタが浮かぶ。でも映画は全く違う展開。一面的にしか物事を見ないことやマスコミの掌返しなど示唆に富む内容でとても良かった。ミセス・ノイズィの演技がピカイチ。
子供と旦那がひたすら可哀想 私見です、、
かなり自分に合わない作品だったので、このレビューを読まれて気分を害されたら申し訳ないです。
子供と旦那がひたすら可哀想な物語。
お隣夫婦ももちろん気の毒だが、一応「騒音」という入り口があるから、誤解されて止むなしかなぁと思うことはできる。
(映画の「都合上必要な」事情を水沢先生に言わないという進行に目を瞑ると)
常識と親や社会人、妻としての自覚&責任感のない作家。
安請け合いする出版社。
わたしもマスコミの仕事してますが、こんな最低なことあります!?腹立たしいです。
最初から一切、主人公に感情移入できない。
ボタンの掛け違いどころか、お隣とこの作家の女は同じ土俵に立ってない。
旦那はよく離婚せんな。
「俺限界」とか言う前にもっと妻と話し合うべきだし、子供のこと考えるべき。
「映画の話なんだからそんな風に自分の常識や趣味に合うか考えず作品を見て」と言う方もいらっしゃると思うが、頭から最後まで、そう言った意味でも引き込んでいくのが脚本、映画なんじゃないでしょうか。
水沢先生の親も登場するけど、どうして水沢先生がこんな性格になったのか不思議に感じる普通の人。
従兄弟が常識なく大活躍するけど、「従兄弟」なんて微妙な関係にしないで、水沢先生と「きょうだい」にしてくれれば少しは納得いったかも?
腹立たしすぎて、2/3ほど見たところで観ながらここまでレビュー書きました。
マンション出てく時も旦那がのほほんとしてるのが、どんな脚本家・演技指導なんかと思った。
まあ、夫を寛大に描く方がそのあとの妻の懺悔が効くのかなぁ...もうそんなところで演出考えても無意味なところまでわたしの心は離れていますが。。
最後まで観て。
一人の人間の成長物語として爽やかに終了。
お隣の若田さんには感情移入できていたけど、あまりに簡単に本読みながら「ふふふ」って笑って終わるのは、あんまりではないか、と思ってしまった。
それと、さすがに小さい子にテレビカメラ向けるとかそんな報道もいないと思う。週刊誌のスチールカメラは知りませんが。
とにかく、こういう映画は「日常にひょっとしたら起こりそう」とか、「自分もそんな一面あるかも、、」と思わせるリアリティが大事だと思っているけど、最後までなかった。
私にとって残念な時間でした、、
物語をどの側面から見るのか?
主人公の視点では、確かに「娘を狙うノイズィな隣人」なのだが、全体を俯瞰して見るとむしろ主人公の方が視野の狭い他責な人物に映るから不思議である。
ニュースやSNSで切り取られる場面は全体のごく一部であり、恣意的に捻じ曲げられていることがほとんどと言っても良い。そんな現代社会を風刺的に描いている作品。
余談だが、隣人夫婦は映画「ブルー」の赤髪の彼の両親だった、、よね?
常識とはなんでしょう。
人には人の事情があって
人には人のわからない部分があります。
それを改めて教えてくれる作品でした。
ただただ非常識な隣人のおばさん。
自分の家の娘を勝手に連れ出しあそび、
人が寝ている早朝に大きな音を立てて布団を叩く。
非常識すぎる。
はたからみたらそうです。
そして隣の家の夫は、自分の小説を買っていたり
娘とお風呂に入ったなどきき、完全に変人扱いです。
ですが、そのおばさんから見たら
子供をほったらかして1人で遊ばせるその母親に不信感。
1人じゃ危ないからと公園について行って一緒に遊んであげていた。
布団を強く叩いていた理由は
自分たちには子供がいたけど亡くなってしまい
色々なことのせいで病気になった幻覚が見える夫。
布団に虫がいるように見えてしまうため
安心させるために、布団を叩いていた。
お顔に落書きしちゃった子供の顔の汚れが落ちないから旦那さんが丁寧にお風呂場でお顔を拭いてあげていて
たくさん遊んだ後そのままみんなで寝ちゃってました。
それを小説家の奥さんは、許可もなく夜遅くまで連れ出して頭がおかしいと。
見る側から、意見が変わる作品だなって思いました。
小説家の旦那さんが真ん中から人を見れてましたね。
実際に、ごめんなさいね寝ちゃってと旦那さんにはしっかり説明してたのに、奥さんは聞くこともなく【なんなんですか?非常識です!!】と。
動きだけ見たら非常識だけど、その動きしたのに理由がある。
ただの変な人と決めつけたのは、表しか知らないから。
なぜその行動をとったのか。
どうしてそうしたのかまで少しも考えず
自分本意でしか人を見てないから
そうなってしまった結果です。
こんな重たく書いてますが
映画は時々笑っちゃいます。
しっかりとしたテーマをしっかり伝えてくれているし
笑えるシーン風に作るのもうまいなと思いました。
なのでテーマはしっかりあるけど気軽に見れます。
騒音おばさんのニュースが昔テレビでやってたのをすごく思い出しました。
すごい話題でしたが、こうやって話題にするような人がいたら、誰でもこんなふうに変な人と捉えられてしまうなって思いました。
ニュースを作る人たちの、悪者の作り上げは簡単にできてしまうんだなって。
この前見た【空白】という映画も
メディアにより作り上げられたニュースのシーンもあったけど、本当に簡単にああやって悪者を作り出せる世界だなって思いました。
これ見たあと、昔の騒音おばさんの真意が気になりまします。笑
最後は2人が和解して、小説をハッピーに買いてハッピーで終わってよかったです。
飛び降りた旦那さんが亡くなっていなくてよかったです。
人をすごく感じる作品でした。
みてよかったです、小説家の奥さんが演技うますぎます。
外見
理解のない夫と言うことを聞かない子供、作家視点で描かれる可哀想な自分視点。しかし、同情を許さぬ批判性もしっかりと織り込む。そこからの見事な反転。見た目がいかに不利に働くか。しかし、このおばさんもやはり行動が常軌を逸している。
過剰気味に描かれたマスコミとネットの炎上。バランスをとった編集者とクラブの女の子。最終的に和して着地するのは良いが、とはいえ、飛躍まで与えるのは調子が良さすぎる。
都合
見れて良かった。
SNSが猛威を振るう現代にこそ必要な作品だと思える。むしろソレがもたらした現代の病巣を描いているかのようだった。
俺はSNSこそしてないが小説家と同じ過ちを犯してないだろうかと、自身の内側に問いかける。
「人は見たいものしか見ない」と言ったのは誰だったろうか?
確かに隣人の行動は褒められたものではないが、他人様には他人様の都合がある。その兼ね合い。折り合い。…頭がおかしいと断罪する程、よく知らないだろうとも思う。だけど世間の風潮としては「自分を守れ」の一点張りだ。そうやって知らず知らずの内に作られた牢獄の輪郭を見るようでもあった。
作品を見て思うのは「常識」の所在など主観で変わるって事だった。ファーストコンタクトの双方の認識がまさにソレで…主観により捻れた事実の成れの果てだ。
というか…朝の6時に小説書いてるお前も大概非常識だ。だが本人は気づかない。
自分に必要な事は「正しい事」ではないのだ。
歩きスマホもその一例で…。
必要があって見てる。
だが、あなただけが歩いているわけではない。
それを心の狭い俺なんかは思う。
「なんだよ?お前の為に道空けろってのか?」
例えば、意固地になってワザとぶつかったとする。
「あ、すいません」
が返ってきたなら、こちらも謝れるだろう。
だが、「痛っ!どこ見てんのよ!」とか「前見て歩けよ!」なんて言われた日にゃ…「見てないのは、てめえの方だろうがあっ!!」なんて事になる。
ワザとぶつかった俺は悪い。悪意があるからだ。
だけど、そもそも人混みで周りを見てないあなたは、もっと悪い。そおいう事なのだ。
自分の事を棚に上げて、あまつさえ讃えてるような状況だ。
…現代では頻繁にそおいう事が起こる。
実の所、綱渡りのような毎日だ。些細な事であらぬ方向に転がって、勝手に拗れていく。
ほぼほぼ表層だけを切り取って公開する風潮にも問題はあるのだが、ソレを見て笑ってる大衆のなんと見苦しい事か…品性のかけらもない。この辺りは予想だにしなかったバラエティ番組の余波にも思える。
画面越しに起こる事は、画面の中だけでは収まりきらなくなってる。この奔流を変える事はできるのだろうか?画面の中でイジられる人達は、イジられるのが仕事なのだ。同じクラスの同級生は、イジられるのが仕事ではないのだよ。
「冗談やん。マジになんなよ、寒いなあ」
…何故に自分の価値観の中に友達を閉じ込めるのだろうか?
作中、飛び降りたおじさんは一命をとりとめたけど、亡くなってたらどうするの?
多分、どうもしないよね。
次から次へと新しい餌は撒かれ、自分が加担した事実も忘れていくだけなのだろう。
おばさんは言う「狂ってるのは世間だ」
そうなのだと思う。
ただ、だからと言って、スーパーの店員に悪態をつく権利はないのだ。衛生上の問題とか、スーパー側にはスーパー側で山積みなのだ。
家に持ってかえって漬物にすれば済む話だ。
勿体ないと皆で分ければいい話なのだ。
それぞれの都合が交錯する物語で、決して他人事ではない物語だった。
俺自身、安易にその連鎖に組み込まれる要因はいっぱいあるだろう。自分本位な風潮が蔓延してる現代だからこそ、生まれた作品だと思う。
地上波で流れる事はあるのかな?
コイツを流す局があるなら、まだ救いもあるんだろう…だけど「視聴率取れないから論外」って却下されるのが関の山だろう。
…情けない。
作品としては、とにかく脚本が秀逸だった。
深読みすればするほど肉厚な台詞のなんと多い事か。
それらの台詞を発する役の立場も相まって、痛烈な風刺がこれでもかと盛り込まれてる。
演出も良くて、娘の誕生日の空気感なんかは抜群だ。何より「おばさん」のキャスティングは絶妙。
「撮るんじゃないわよ!!」とカメラに怒鳴り散らすおばさんのなんと爽快な事か。
出演者達から醸し出されるメッセージも豊富で、素晴らしい。
こういう作品こそメディアで流せ。
広く世に知らしめるに足る作品だった。
布団を叩く音は騒音なのか、それとも生活音なのか…
15年以上前に世間を騒がせた事件から着想を得たフィクション。
低予算ながらも大変よくできた作品で、正直唸った。泣かされた。
人の思い込みや決め付けは本当に怖い。人は見たいものを見たいようにしか見ていない視野の狭い生き物だ。そんな分かり切った事を巧妙かつストレートに突きつけてくる作品だ。
主人公も、隣人のおばさんも、お互いに自分が正しいと思っていて、相手にレッテルを貼っている。それが最初は主人公の視点で語られているが、途中で隣人に視点が移る。すると、我々観ている側の意識もガラッと変わる。主人公の娘が腕のあざをどうしたのかと聞かれた時に「机にぶつけた」と答える。最初は主人公に肩入れしていたのが、隣人視点になった時に今度は母親が疑わしく感じてしまったのは私だけじゃないだろう。きっと娘は真実を語ったのだろうが…。
主人公が引っ越して来たあの日、隣人に挨拶に行っていたなら、どうなっていただろうか。
それでも同じ事態になっていたかもしれない。でも、もしかしたら、隣人は夫の具合と朝の布団叩きの事を、主人公は仕事と家庭のことを、少しのエクスキューズを言えたかもしれない。結局、主人公夫婦は再度引っ越すことになるが、最後の挨拶となったベランダ越しに聞いた隣人の布団を叩く音は、決して煩くはなく、むしろ懐かしささえ感じてしまうような、心地のよい生活音だった。あれは音の演出なのか、それとも、最初から同じ音だったのに、やはり観ていた側の思い込みだったのでは…と、もう一度見直してみたくなるほど、ハッとさせられた瞬間だった。
どこまでいっても他人は他人だし、人の生活や言動の真相まで知りえないのは当然だ。だからこそ、あの人はこうに違いない!と、断定することなど到底できないのだと、相手をよく見て話して理解する努力が必要なのだと、思い知らされる。努力をしても分かり合えないかもしれない。でも最初から諦めるより、何もしないより、勝手に思い込んでしまうより、少しは楽かもしれない。そんな風に思えた。
最終的に主人公が出版することが出来た本の帯に書かれた「笑って泣ける」の言葉通り、最初はケラケラ笑ってしまっていたのが、どんどん笑えなくなり、最後には号泣してしまう。実に上手い。衣装の演出もよく考えられていて、主人公の着る洋服の色や化粧の濃さがどんどん攻撃的になっていくのが演技も相まって視覚的に恐怖を与えていた。役者も全員素晴らしかった。
もっと多くの人に見て評価されて欲しい作品!
大人って馬鹿だなと。
上映しているところもあまり多くないのですが、マスコミやネットに踊らされ、冷静に物事をみることがいかに難しいかを思い知らされる映画です。自分自身の経験を踏まえても、身につまされる思いがします。
本来冷静で客観的であるはずの大人こそが一面的なモノの見方にとらわれ、逆に新津ちせ演じる幼い子供が、対立する大人たちのすれ違いを克服できるというのも皮肉なものです。そこにいくまで、どれほど多くの犠牲を払うことになったか。
最後に思わずウルっとくるのはまさに不意打ちです。脚本のなせる技です。何はともあれ一度ご覧あれ。
娘と主人公が最後の方、中華屋で食事をしながら会話しているシーンがと...
娘と主人公が最後の方、中華屋で食事をしながら会話しているシーンがとても印象的でなんとも言えないくらい印象に残っている。「わかってる!わかってるけど‥‥どうしたらいいかわからない。」
傑作。身につまされました。ただ、パパが傍観者すぎませんか?
事前情報を仕入れずに観ました。
隣家のおばちゃん目線の場面になって、不器用なところはあるものの、優しい人であることがわかったところで、非常に悲しくなりました。
こういうスレ違い、よくありますよね。
ママの仕事が忙しいときに、隣の家で子どもを預かってもらえるなんて、働くママにとって、こんな天国みたいな環境ってないはずなのに、逆にいがみあっているなんて、不幸すぎます。
私自身も、ちょっとしたことで、人を嫌いになることがあるのですが、一部分だけで判断しないよう、注意しないといけないと感じました。仮に、その人が嫌いでも、話し合ってみるぐらいはしないといけませんよね。
非常に示唆に富んだ映画でした。
ただ、1つだけ。パパが傍観者すぎる上に、上から目線でムカつきませんか?
子守を頼まれていた日に仕事を入れて、ママがテンパる原因を作ったのはパパだし、テンパっているママの代わりに、隣人と落ち着いて話し合うことだって出来たはずなのに、何もしないまま、ママには「自分のことしか考えていない」と偉そうなことだけ言う。ひどくありませんか?
最近の時流に無頓着な男性脚本家なんだろうなと思ったら(こういう一方向な決めつけがダメなんですよね)、女性の監督・脚本の作品でした(笑)。実は、わざとなんですね。
次は、続編「ミスター傍観者」として、夫婦のスレ違いを映画化して欲しいです。
イライラします。
とにかくイライラした。
もう冒頭からイライライライライライラ!イライラが止まらない。
ただ、これは作品の出来にではなく、登場人物にイライラした。
つまり、作品の世界に入り込んだからこそイライラしたのである。
このイライラがあるからこそ第二章ともいうべき隣人パートでのどんでん返しがかなり効く。
トラブルとは人間と人間が些細なことからすれ違いが発生し大きくなっていくという本質がかなりわかりやすかった。
そして、世間の無神経な煽り。
周りの空気で二転三転する感じといい現在をかなり痛烈に風刺していて良かった。
が、最後この物語を終わらせるために急速に風呂敷を畳んだ気がした。
結末をもう少し納得できて綺麗な締め方になっていたらなぁなんて思ったり。
後、細かい工夫を感じたところで言うと同じシーンでも視点別で撮り直してる気がした。
おばちゃん目線、お母さん目線でそれぞれ相手役の演技が変わっているのが興味深い。
我々観客が見ている映像もそれぞれの主観が入っている映像だったということか・・?
とにかくこう言ったところがかなり細かく作り込まれてるなと思った。
演技もみなさん素晴らしかった。
なんだか友達になれそうな2人
.
過去にヒット作を出版したものの現在スランプ中の子供を持つ真紀の隣には、早朝から布団をバンバン叩きまくるおばさんが住んでいてその2人の口論が世間を巻き込んだ大事に発展していく話。
.
真紀は自分の仕事が上手くいかないのと子供の問題を全部人のせいにしてる。騒音おばさんはいろんな事情があって案外真っ当な人でもあるけど、「世間が間違ってる」と他者からの理解を一切拒絶。
.
自分の問題より人の方に目がいってるから、真紀目線ではすごくうるさく聞こえてた布団を叩く音が、おばさん目線だとそんなにうるさく聞こえない。さらに、真紀に聞こえていなかった娘が外でボールをついてる音がおばさんの旦那さんには布団と同じような騒音に聞こえる。
.
『ザ・ハント』でも分断時代をブラックコメディで描いてて、アメリカは支持してる政党とかでわかりやすい分断だけど日本はわかりにくいのがより厄介。しかも真紀みたいな普通そうに見える人のが意外と他者への理解が1番なかったりする。
.
ちょっとしたご近所トラブルが世間を巻き込んだ大事になるのは『判決、ふたつの希望』を思い出した。あの映画もそうだったけど、どっちの言ってることもまぁ理解はできるし、お互いちょっとずつ間違ってるんだよなぁ。
.
ご近所トラブルという身近な問題
大活躍中の篠原ゆき子さん主演。
ご近所トラブルという身近な問題を役者の演技力と優れた脚本で映画化した天野千尋監督に拍手です。
あれよあれよ〜という間に引き込まれた。
なぜなら私も上階のバルコニー騒音に悩んでるから(汗)
集合住宅の多様なニーズと価値観の違い。
その人にとっては必然でも別の人にとったら大迷惑ということが多々。
隣人トラブルがマスコミやネット社会を巻き込んで家族を狂わせるというリアリティに目が離せなかった。
近所付き合いの希薄さ。
自分勝手な要求や思い込みと先入観。
エスカレートしたやり取りが予想外の方向へ。
あの着地点には色々と考えさせられた。
海外の映画祭に出品しても良いくらいの出来!
それにしても私は我慢しながら生きるしかないのね(涙)
騒音に悩まされてない人も必見の一作。
今年はコロナ禍で公開作品が速いテンポで終演していく。
本作も劇場が少ないから要注意ですね。
ロングランに期待してます。
余談
鑑賞後に劇場の出口で大高洋子さんにお会いした。
素敵な女優さんだった。お話出来て嬉しい!
脚本が見事過ぎる?
映画は、見たら面白いし、オススメ。
考えたことは、子育てのあり方だ。
自分が子供だった頃って、結構子供もいて、
だけど、待機児童とか問題になってなかったよな?
今、少子化なのに、どうしてって思う。
自分も、家は自営で、親は忙しくて、日常で遊んでもらったなんて
ほとんどないよ。
でも、近所の公園とか行くと誰かいて、遊んで夕方家帰った。時には近所のおじさんとか遊んでくれた。
社会全体で、子育てしてたんだと思う。
だけど、専業主婦も普通にいたし、
働いてる主婦もいた。
単純にいい時代だったんだな。
この映画の場合だって、もっと余裕がある社会なら
お隣さんに子供とか預かってもらって、
自分は小説書く時間を作るって選択もできたわけだし。
社会に余裕が、無くなってるのが大問題だな。
意外と楽しめる佳作
失礼ですが有名な役者さんも出演してない低予算の作品ながら、意外と楽しめました。
設定が面白そうなだけじゃなく構成もかなり凝ってて、そういうのは好みでした。
武蔵野館で観たんですが、作品のレベル的には佐々木ナンチャラよりこっちをたくさん上映してあげてほしいなと思いました。
あえて苦言を呈するなら、構成を成立させるために騒音おばさんがご都合で良い人なったり異常者なったりキャラがブレてるのが気になりました。
もっと言うと、この騒音おばさんはもう何十年も布団叩いてるんだから、その事情は周囲に知られているはずです。引っ越して来たときに主人公も騒音おばさんの事情を大家さんとか第三者から聞かされているのが自然だと思いました。
それだと話が始まらないのでご都合で情報を伏せるのは理解しますが、騒音おばさんが布団を叩く事情を最後まで語れなかった、納得できる理由を設けておくべきだと感じました。
で、さらにレベルが高いことを言うと、このトリッキーな構成にしたことで、騒音おばさんの真実を観客が主人公より先に知ります。
観客は騒音おばさんにも事情があって実は良い人
だったととっくに分かってるのに、主人公だけがゴチャゴチャ自分本意なことを言い続けます。
結果、主人公がどんどん魅力的では無くなっていくんですね。観客はどんどん感情移入できなくなります。
トリッキーな構成で観客を驚かせる代わりに、ドラマ性を犠牲にしてるわけです。
両立はできないので仕方ないことですが、ドラマ性を犠牲する構成だと分かってやったのか、それとも気付いてないのか、それは監督さんに聞いてみたかったです。
これに気付けると、もっと良い映画作れる気がします。
全25件中、1~20件目を表示