ランボー ラスト・ブラッドのレビュー・感想・評価
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やはり幕引きも孤独な戦士・・
「ランボー 最後の戦場(2008)」から構想10年、ロッキーは後進を育てて幕引きしたがもう一つの分身ランボーがどんな終焉を迎えるのか興味津々。
プロットは至ってシンプル、アバンタイトルで救えない命があることを暗示させる、止めてもメキシコに行くのだろうと思ったら、その通り、酷い目に遭うぞと思ったらその通り、ランボーが黙っていないぞと思ったらその通り、ランボーが地下壕に住むなんてまるでベトコンと思ったらやっぱり伏線、これほど先が読めてしまうのだから見せ場は戦闘シーンしかないでしょう。
ところが監督さんの名前がまさかのエイドリアン(エイドリアン・グランバーグ)、ロッキーの彼女じゃないかとググったらスキンヘッドのおっさんでした。本作が監督2本目で大丈夫かと思ったらとんでもない、過激どころかスプラッター映画、遥かに度を越しておりエンタメの一線を越えてしまった・・・。
カタルシスの仕掛けはプロレスと一緒、反則技の悪役に痛めつけられてからの怒涛の反撃、これは往時の東映任侠映画にも通じる王道。この手の映画は悪役が卑劣で残忍なほど盛り上がるのがお約束。批評家やメキシコから余りにも残忍なステレオタイプに描いていると非難されたようだが、メキシコの犯罪率はここ10年で20倍を越える勢いという。
平和な日本では信じがたいが、麻薬カルテルが取締り強化を表明した女性市長(テミスコ市のギセラ・モタ市長)一家5人を就任翌日に惨殺している(2016年)、近年だけでも100人近い為政者が殺されていると言う。
メキシコ人の外交官で作家のオクタビオ・パスさんはメキシコの犯罪の多さ、残虐性を、祖国の生い立ちがスペイン人による侵略、暴力支配に染められた歴史、犯され誕生した子孫と言う自暴自棄的な死生感がメキシコ人の根底にあるせいではないかと言っている。
ランボー自身は好んで戦う無法者ではないのだが、災いを呼び寄せる悲運の人、彼の人並み外れた殺傷能力は軍が植え付けたものだった。
途中、助けてくれる女性カルメンがFBIの捜査官で官民協力して悪党退治のプロットなら大義も立つと考えたがそれではよくある犯罪ものになってしまう、やはり戦争の落し子、ランボーらしい孤独な戦士としての幕引きのほうが相応しかったのでしょう。
この男を…
怒らせてはいけない。冒頭は初老の男、ロッキーと被るが、今は田舎で静かに義理の娘たちと暮らすランボー。しかし、娘が本当の父親探しにメキシコに行った後、マフィアに囚われ、麻薬漬けにされてしまう。ランボーも瀕死の重傷を負いながらも、救出するが途中娘は死んでしまう。。まさか死んでしまうとは。ここからが、怒りのランボー。誰にも止められない。マフィアのアジトに乗り込み、ボスの弟を殺し、ランボー宅に追ってくるように仕向ける。家の地下にあらゆる仕掛けを作り、ゲリラ戦。ベトナム、アフガニスタンで単身戦ってきた男にメキシコマフィアが敵うわけない。ナイフでエグいほど殺していく。ラスボス兄もボウガンで四肢の自由を奪い、心臓を素手で握りちぎる。家族を失ってしまったランボー、次はどこへ行く?終わりだろうか。
かなり乱暴😅
ランボーシリーズは多分123まで見てると思う。4は見てないはず。
今回はシリーズ中で一番バイオレンスだったんじゃないか。
ストーリーとしてはベトナムのトラウマというところはあまり
ちゃんと描かれてなかったな。
ランボーってベトナム戦争で受けたPTSDがもとで戦わざるを得なかった
っていうところが必要だと思う。
今回そこが甘かったのでシリーズとしてどうなのかとは思うのだけど、
メキシコの犯罪組織がめっちゃ憎たらしく、
それを全部片付けてしまったところはドキドキさせられたし
スッキリもさせてくれた。
スッキリじゃないけど。
最期まで安寧がない それがランボー
ランボーシリーズをファーストから見直してラスト・ブラッドまで一気に堪能しました。
シリーズに一貫した怒りとやるせなさは最期までランボーを苦しめ、戦闘(或いは戦争)の無残さをこれでもかと見せてくれます。正直ランボーが狂気に駆られきってて、シリーズを見てて初めてランボー自身に怖さを感じましたね。今まで止めを差し切る(ダメ押しどころかやりすぎな気もするが)ってあんまりなかった描写だし。そして虚無感と物悲しさが残る‥。映画って、何らかの物思いを鑑賞者に与えて記憶に残るって思うんで、やっぱりスライの映画っぽくて自分は面白かったですね(楽しかったわけでなくね、ランボーは楽しい作品じゃないですけども)。
あと最後のシーンに歌が流れて欲しかったけど、やはり長い旅が終わったという意味で歌が流れなかったって自分では解釈しました。きっと馬に跨って旅立ったように見えて、死に場所が家じゃないってだけかなぁと(流石に次作への含みではないと予測)。最後に戦闘職人に戻ってしまったわけですからね。
記者の絡みも後半微妙に薄くなって謎でしたが、きっと武器類の支援を貰ったって解釈しました(冒頭のシーンでは自宅に一般の銃器くらいしかなかったし、家に戻ってからは凶悪な武器類は揃えてなんかないだろうから、シリーズ通してああいうキャラは大体支援してくれてた経緯あるし)。
こうやって自分なりに都合良く解釈したくなるくらい好きな作品って、やっぱり映画としては○だと思うので、シリーズを通しての意味で満点です。ちなみに泣けたのはファーストだけでした。
敵が弱すぎ、異常なスケールダウン( ; ; )
ランボーシリーズは、ランボーが一国の巨大な軍隊という権力に対し、義憤に駆られ、たった1人で戦うスケールの大きさに心打たれる。だから、敵が強いかどうか、ストーリーも大事だと思う。
1作は州警察だから大したことないが、2作目からは米兵捕虜を救出するためにジャングルで北ベトナム軍と果敢に戦い、3作はトラウトマン大佐を救出するためにアフガニスタンのソ連機甲師団と、4作はビルマの少数民族を弾圧する政府軍と戦い、アクションシーンの凄さもさることながら、毎回畏敬の念を持って観てます。
しかし、今作はラストブラッドで、スタローンさんも年齢的に最後だろうから、どんなすごい敵と戦うかと楽しみにしてましたが、今回はなんとメキシコのチンピラ。別に政府やシンジケートとつるんでたり、麻薬カルテルとかでもない、しがないチンピラ笑。それもたった20人くらい。おいおい、そんな戦闘訓練もロクにしてないトーシローさんがいくら暴れても、ランボーには敵ではないよ。チンピラさん、可愛そう。
スケールの小ささに情けなくて涙出ました。
娘役も今回初登場だし、感情移入もできないし、そんな娘がチンピラにさらわれて、救出し、復讐するストーリーは、陳腐すぎませんか?ランボーのタイトルが泣きますよ。
こんな情けないストーリーなら、やらない方が良かった。
アーミーナイフはもちろん、弓矢とかベトコンの罠とか爆弾とか、ランボー定番の武器は健在で、そこは楽しかったから、星は3個とします。でも、シリアでも南スーダンでも行ってシリア国軍やロシア軍と戦って欲しかった。
前々から見たかったが、やはり、最高傑作の2作や、ビルマ国軍と戦う4作が良かっただけに、ちょっと力不足だったな。残念涙
君は進めたのか?
映画「ランボー ラスト・ブラッド」
(エイドリアン・グランバーグ監督)から。
ランボーのいつ戦闘が始まるのか楽しみにしていたが、
残り30分を切ってから・・でちょっと残念。
何もかもが、中途半端な感じがしたのは、私だけ?
何人か登場した人物の役割もそうだし、
伏線になるような会話とか、メモするシーンが少なかった。
物語の冒頭、ランボーが古い友人の孫娘、ガブリエルに
「レターナイフ」を贈るが、若い彼女は
「悪いけど今どき手紙は書かないから」とつれない返事。
そこでランボーが「なら男から身を守るために」と、
冗談めいて「何かに使える」と手渡すシーン。
また、ある女性に復讐の手伝いを頼む「手を貸してくれ」と。
しかし、あっさり断られ「なぜ?」と聞き返す。
彼女は「何か変わる?、何も変わらない。
悲しくても前に進むしかない」とつれない返事。
そこで一言「君は進めたのか?」と。
この一言、今の私にもけっこう響いたなぁ。(汗)
ランボーってこんなんだっけ
ここ最近のアクション作品に慣れてしまっているのか
娘がメキシコに行くあたり、予想できなかったですかねぇ(笑)
ある程度のスキルがありながら最初、ノコノコとメキシコに入り、あっという間に悪者に囲まれてボコボコにされ、その後、娘が…
ストーリーはシンプルだけど、シンプル過ぎて単なる復讐劇になっちゃった感あります。
あと、敵の倒し方が…
もう死んでるだろってのに、更に銃でトドメを入れるあたり…(笑)
復讐心の激しさを表現したかったのかなぁ
過去の戦いの記憶が抜けない感を取ってつけたよーになってる感じしました。
もっと、スタローンの老けた感じも生かした感じを期待してたのになぁ
ランボー、これが最後の闘い…?
第1作の原題は『FIRST BLOOD』。
それと対になるようなタイトルからも意気込みが伝わってくる。
ランボー、最後の闘い。
ベトナム、アフガニスタン、タイ~ミャンマー…世界各地を渡り歩いてきたランボー。
そんな彼が最後に辿り着いた地は、米アリゾナ。そこは故郷で、亡き父の牧場。『~最後の戦場』のラストシーンが思い出される。
多くの激しい闘いを繰り広げてきたランボーだが、闘いからは長らく遠退き。
時折災害救出のボランティアに参加しながら、古い友人のマリアとその孫娘ガブリエラと穏やかに暮らしていた。
最初マリアは姉か妹なのか関係性が分からなかったが、血縁関係はナシ。ただの古い友人。
しかし“家族”のような関係で、特にガブリエラを“娘”のように愛し、見守り、育ててきた。
あの幾多の戦場を駆け抜けてきた歴戦の戦士にこんな顔があったとは…!
冒頭、牧場をガブリエラと共に馬に乗るシーンは何と穏やかな事。
ガブリエラは母を亡くし、父に捨てられた身。その父が今メキシコに居る事が、知人を通じて分かった。
ランボーとマリアの反対を押し切り会いに行くが…、冷たくあしらわれる。
傷付いた彼女を、知人が裏切り、極悪非道な人身売買の魔の手が…。
父親に会いに行ったきり行方知れずのガブリエラを捜す為、ランボーはメキシコへ。
米田舎警察、ベトナム軍、ソ連軍、ミャンマー軍を相手にしてきたランボー。
ならば、言葉は悪いかもしれないが、人身売買カルテルなら少々スケールが小さい…?
…いや、少女たちを“人”とは思わず“物”としか思わないクズゲスっぷり。
さらに、ランボーも歳には勝てない。一度捕まり、容赦なくフルボッコ。
でも最もランボーの心を痛め付けたのは、まさかの愛する“娘”が…。
奴らを絶対に許さない。
これが俺の最後の闘いになるだろう。
決戦の地は、自分の牧場。
普段からランボーが過ごしていた地下壕に誘い込み、さながら危険な“ホーム・アローン”。
かつてのような戦闘スキル、様々なトラップを仕掛け、奴らを翻弄。
『~最後の戦場』から続き、グロ描写もなかなか。だって、アレを引きちぎる…!
お馴染みの弓矢も。
このクライマックス戦で一気にアクションは激しくなる。
かつてのような超人的な強さではなく、ランボーも傷付きながら闘う。
しかし、そこに今のランボーの姿を見た気がした。
…でも!
これって何でかんで絶対『ランボー』である必要あったの??
『ランボー』でなくともよくね?
何か途中から、スタローンが老体に鞭打ったB級アクション見てる気がしてきた。
調べてみたら、監督がメル・ギブソンのB級アクション『キック・オーバー』の人。ああ~…。
原作者が声を上げたのも分かる気がする。
最後でこれ…?
一応最後の闘い終えたランボーだけど、
いずれ元上官の息子もしくは孫を鍛えるあちらのシリーズようなスピンオフ『トラウトマン』が始動したり…?
明確な政治意図を感じる作品
とりあえず今作の「ランボー ラスト・ブラッド」は色々な意味で15禁くらいな気がする。あとで調べてみたら案の定差別表現やらで訴えられてんでやんの。というかわかってて作ってるんじゃなければ制作側の精神異常を疑うわ。
アクションというか一方的な復讐シーンは派手で面白いですね。今回は全体的に低予算なのかわからんけど、犠牲者の数がぜんぶあわせても数十名ってところだし、爆発もわりと小規模ですが、逆に戦場でもなければ軍隊でもない一個人の復讐っぽくてそこに違和感はなかった。
まあ、映画の出来としては娘さんの浅慮から悲劇につながるあたりまでは丁寧だし、二組の親子の対比もわかりやすい。優しい善良な大人に育てられたせいで他人の悪意に対して想像がつかない若さというか青さというかもどかしさは責められるべきではない、と思う。むしろそこは付いていってやればいいのでは?と思ったくらいにはランボーの対応が惜しい。そのせいか後悔も深いんだが。あと終盤でテロップ前に席を立ったひとは最後のシーン見逃してる。多分あのラストみてないとランボー死んだなって思ってるだろうなあ。まあ続編ないだろうけど。
感想はここまで。以下は深いネタバレ。
清々しいほどに意図が見えすいた国策映画でした。普通にアクション映画として見るには重い展開と爽快感はあるんですが、「麻薬、拉致、監禁、売春、人身売買、国境、癒着、米国進入、拷問、ネグレクト」を全部詰め込んでメキシコってこういうところって印象操作してる作品。
制作された時期がいつかはわかりませんが、トランプ大統領のメキシコ国境政策を後押しする内容なのは間違いない。というか、メキシコがほんとにそういう場所ならメキシコの国内問題、そうでなければ米国の印象操作というありとあらゆる意味で制作意図が見えすいてる。
あと前作の「最後の戦場」の時も思ったがやたらと傷口を描写したグロというかゴア表現するのは監督の好みか?首は飛ぶは足は飛ぶは最後は心臓抜き取るとか、キルアかモータルコンバットの影響受けたとしか思えん。
老いたランボーが出来ること…
スタローンの顔がもうボロボロ、すげぇ爺さんになってる。
前作の戦争色は消え去り、ノコノコとクソ親父に会いに行った義理娘の復讐をするストーリー。
娘の経緯は時代劇のように進み、安易に騙されてエライ目に合わされるので、ちょっと呆れる。そう言う国だし、娘も「脳ミソ花畑か?」と言いたくなる。
もちろん無惨な結果になるが、この復讐劇は必殺仕事人の逆バージョンである。
仕事人は相手のところに侵入し仕留めていくが、
ワザワザ、恨みのある相手を挑発しトラップだらけの牧場へ誘い込み全滅させる展開は少々ムリがある。
この話にランボーが必要か?とは思ったが、改めての戦闘力の説明を必要としない分は楽かもしれない。
ラストに前四作のシーンが流れるが時の流れは恐ろしい。
これだけの戦闘を繰り広げ、理由はともかく大量殺人である…ランボーはそろそろ死ななければならないのではないか?
戦闘に生きて戦場に散る…畳の上ではないが、デッキチェアで老衰なんて死に方は違うんじゃないかと感じる。
ランボーの悲しみ/ランボー女子
公開初日に観に行った。私としては、自分の父親ほどの年齢の主人公に「うん、凄かったです。ランボーさん、お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」との労いの意に尽きるのであるが、数多あるレビューの中には、R-15指定のアクション映画に何を求めているのかと言いたくなるような頓珍漢な批評も見受けられる。また、更に続編があるのではないか、と憶測する向きもあるが、このシリーズ5作目で大団円と思われる。その根拠を示す。まず、本シリーズは鑑賞して幸せ成分の御裾分けを期待するような映画ではないことを踏まえなければならない。すなわち、ランボーの怒りと悲しみと虚無感に満ちた作品群である。怒りは、様々な形で全5作ともに通底している。ラストシーンの虚無感については、「やったぜ」感のある第3作「怒りのアフガン」でかなり希薄になり、次作の「最後の戦場」でピークに達したようである。
悲しみはどうか。悲しみをストレートに表現する所作として号泣が挙げられるが、第1作のラストでランボーはトラウトマン大佐に抱きしめられながらワァワァ泣いた。第4作「最後の戦場」までランボーが泣くシーンはここだけであったと記憶している。一般的に葬儀は悲しみを伴うものであり、葬儀の後、死者は埋葬される。第2作「怒りの脱出」において渓流でベトナム兵に射殺されたコーをランボーが土塚に埋葬する場面があるが、戦場で何十人もの敵を手際よく殺害する彼が人の死を悼む唯一のシーンであった、第4作までは。そう、第5作「Last Blood」ではランボーがさめざめと泣き、愛する人を埋葬するのである。私は、アクション映画としての本シリーズの性格上、ランボーの悲しみをこれ以上に表現することは困難なのではないかと考える。故に、続編はないと推察する次第である。
映画館でなければ見られないものがある。それは他の観客である。今回、私の席と同じ列で右方向にかなり離れた位置に若い女性が腰掛けた。開始5分ほど前だったので、彼氏が遅れて入場してくるのかと思いきや、とうとう最後まで彼女一人で鑑賞した。しかも、後半のランボーが繰り出すえげつない暴力シーンを見てからならともかく、上映開始前から表情が強張っていた。いやむしろ、決然とした面構えなる趣きであった。上映中、時折チラリと横目で彼女を観察したが、ストレートの黒髪はいつの間にかシュシュで束ねられていた。前述したように、第2作においてランボーがコーを埋葬した後、バンダナでロン毛を縛りながら復讐に燃える後ろ姿を彷彿させた。今回のLast Bloodでは極悪カルテルの首領らが拉致した女性たちに向かって「お前らはクズだ」と言い放つなど、絵に描いたような「女の敵」がヒールを演じている。このことも、目を覆いたくなるような殺戮シーンに匹敵する程えげつない、と私は思う。よって、世の男性(私のような主にオッサン)には「ランボーなんか、女子供の観るもんじゃない!」と考える人が多いとしても仕方がない。
それを敢えて、うら若い女性がたった一人で決然として本作を鑑賞する意義とは何であろうか。私が想像するに、彼女は彼氏に裏切られ、もしくは上司等の年配男性に弄ばれ、心身ともに大変傷付いたのであろう。そのような腐り切った男どもを本作の犯罪組織に見立て、自らを復讐の鬼と化した老ランボーに重ね合わせながら、逆襲への決意を新たにしていたのかもしれない。第2作「怒りの脱出」のコストマス監督がDVDの解説編で語っていたところによると、監督は「怒りの脱出」がこれほどヒットするとは思わなかった、と前置きした上で、「現代の大衆は本質的に孤独である。ランボーの境遇も孤独であり、たった一人の彼が強大な敵に向かって諦めずに戦う姿が人々の共感を得たのではないか。」と考察している。どんな逆境でも諦めずに戦い抜く。全シリーズを通して、ランボー映画が放つメッセージはこのことに尽きるであろう。エンディングロールを身じろぎもせずに見つめ、照明の回復と同時に席を立ってスタスタと場を後にするあの女性の強い眼差しが、私にとってもう一つのラストシーンであった。戦え、ランボー女子。
サイコーでした
ファーストの苦悩するベトナム帰還兵が影も形もなくなって、とんでも殺人トラップを仕掛ける変態おじさんになってて超最高です。一番の見どころはエンドロールに流れる過去作の映像にちょっとしんみりしてたら、なんとたった今見たこの映画のハイライト映像までまぎれこんできたところ!凡人どころか鬼才でも考えつかない仕掛けです。
スカッとジャパンの数億倍スカッとする映画
マフィアの連中が次々と倒されていくシーンがとても手に汗握りました。そして最後に今まで培ってきた知識とトラップ技術を生かして戦う所が上がりました😎😎😎
凄く面白かったが、結末には不満が
前作で、故郷に帰ったラストシーンを見て、ようやくランボーの戦争は終わったのか…と感慨深く思ったので、今作が出てしまうとまた戦うことになるな…と少し微妙な思いで観に行きました。
冒頭のシーンでは、PTSDに悩まされながらも災害救助や牧場の仕事をしながら、家族のような人たちとともに平穏に暮らしているのはああ良かったという思いだったので、娘を助けに行くランボーには感情移入して見ることができました。
結局娘を失ってしまったのはやるせない感じで見ていたのですが、ランボーが激怒し、戦いの準備を始めると、不思議と気分が盛り上がっていってしまった。復讐鬼と化したランボーの怒りに共鳴できたし、ギャング達を虐殺していくシーンもとても面白く見れたのですが…ランボーには娘を助けて、家族の暮らしを取り戻してほしかった。2・3・4では救出に間に合っているのになぜよりによって今回だけだめなのか…
娘を失っていたほうが最後の戦いに迫力が出るのはわかるのですが、多少面白さを下げてでもハッピーエンドになってほしかった。
映画とは関係ないのですが、コロナ対策で1席ずつ間隔を開けるのは良いが後方中央に客を固めず、もう少し全体に散らしてほしかったです。席は余っているのだから…
結果ありきのストーリーが延々と続く…
う〜ん…こんな内容のないとにかくバイオレンスな作品でランボーのラストでいいのか…?結果ありきで考えられたであろうひどいストーリーはツッコミどころや疑問点がたくさん出てきてしまう。ランボーに危険だからメキシコに行くなと言われても、次の日に母親にも行きたいと言うガブリエル。ここまで行きたいと言うのならランボーが一緒についていって父親に合わせれば本人も納得するし、危険な目にあわなかったのでは?という疑問が出てくるが、そんな事はしない。なぜならそれをやるとガブリエルは犯罪組織に捕まらないし、ランボーがメキシコに行くストーリーが進展しないから。犯罪組織に囲まれてボコボコにされるが、なぜかボスが止めて命拾いをするランボー。なぜボスはランボーを殺さなかったのか?理由はない。あえて理由を言うなら、主人公死んだらストーリー進まないし…え?アメリカとメキシコの国境って武器を大量に持ち込んでも簡単に通過できるの?まあ、武器持ち込めないとラストの派手な銃撃戦出来ないから…とまるで子供が書いたようなひどい脚本が延々と続き、見どころと呼べるのはバイオレンスでグロいアクションシーンだけ(まあ、これも見どころなのかは微妙…)こんなのだったら、やっぱりランボーは前作で終わっておくべきだったんじゃないのかなぁ…
ざまぁ感
ランボーシリーズ観たこと無いのですが、なんとなく鑑賞。
なかなかのバイオレンス描写で驚きました。
なんとなく観るもんじゃない…笑
若干、話しの流れに?ってなる場面もありますが、そんなもんラストのお祭りシーンで一気に忘れちゃいます。
後半に敵側がボコられるのが分かっちゃってるんで、ランボーが自宅で仕込みしてる時のワクワク感がハンパなかったし、ボコるのもこっちが思ってた以上にボコボコに殺ってくれるんで、超爽快です。
敵のざまぁ感が半端ないです。
ジャッキーの「復讐者」に近い感じでしょうか。
ランボーシリーズ観たこと無かったですが、個人的には観て無くても楽しめました気がします。
観てたらもっとアガると思いますが…。
ジョン・ランボーは優しい。(^^;)
一作目の原題が「ファースト・ブラッド」だったので、この作品が「ラスト・ブラッド」と名乗っているのならば、正真正銘、この作品が"ランボー"シリーズの最終章なんだろう。
本来なら愛すべき娘の様だったガブリエラを雑巾みたいに殺してしまった、憎くて憎くて堪らないはずの人身売買組織の連中を簡単に即死させてしまう点に、ジョンは優しいな、と変な感情が沸いてしまった。(爆)
まぁ、相手が所詮メヒコの能無しチンピラどもだから、今まで軍隊レベルと戦ってきた"一人一個小隊"のジョンにとっては朝飯前のヨーグルトにすらならない程度の相手ではあるから仕方無いのかも。
エンドロールで過去の作品のプレイバックをしてくれたのも嬉しかった。
ランボーが倒した相手が原型を留める事無く損傷しているので、描写的にR-15は致し方無いが、昔の"必殺"シリーズみたいに排除すべき極悪人どもが虫ケラの様に倒される姿を見てスカッとしたい人にはお勧めしたい。
病んだランボーが体現する戦争の真実
ミャンマーから帰還して10年の元グリーンベレー、ジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)。
故郷アリゾナで古くからの友人のマリアとその孫娘ガブリエラ(イヴェット・モンレアル)と細々と牧場を営んで暮らしていた。
ある日、ガブリエラは、自分と亡き母を棄てた父親がメキシコで暮らしていることを知り、黙って逢いに出かけるが、父親はにべもない。
父の行方を教えてくれた女友達に誘われるまま、バーに行ったガブリエラは、そこで人身売買組織に拉致されてしまう・・・
といったところからはじまる映画で、ランボーがガブリエラを救出する「怒りのメキシコ」編になるのかと思うと、そうはならない。
思い起こすと、第1作でベトナムから帰還したランボーは故郷米国で国を相手に戦いを挑む羽目に陥ったが、その後は、
第2作『怒りの脱出』では再びベトナム、
第3作『怒りのアフガン』ではアフガニスタン、
第4作『最後の戦場』ではミャンマーと、米国を代表するかのように他国にしゃしゃり出て大活躍をしていた。
だから、今度も・・・と思いきや、メキシコではやられっぱなしで、さらに、愛するガブリエラも喪ってしまい、私憤の限りを尽くして、自分のテリトリーを賭けての戦いとなる。
敵陣に乗り込むのではないので、ランボーに有利に運ぶクライマックスの戦闘シーンは、相手からすればどこからランボーが襲ってくるかわからない暗闇での戦い。
これは、ランボーが体験したベトナム戦争の裏返しともいえる。
そして、生身の人間同士の戦いは、戦いではなく殺し合いであり、そこにはもう正義とかいった言葉はない。
このクライマックスの殺し合いのシーンはさすがに楽しめない。
愉しめないように作ってある。
とにかく、生々しい。
第2作目以降、国を背負って戦ったランボーも、最終的には私憤の戦い・殺し合いしかないわけで、そこに戦争、国家の大義の真実のようなものが立ち上がってくる。
そう、結局、戦争は殺し合い。
ランボーは、殺し合いのプロフェッショナルでしかなかったわけだ。
それも、生まれ故郷を地に染め、大地を破壊尽くすしかないような・・・
というわけで、35年以上渡ってスタローンが描き続けたランボーは、娯楽アクションに見えて、その実、痛烈な戦争批判映画のかもしれません。
劇中、薬を服み続け、正常であり続けようとするランボーの姿は、病んだ米国の姿かもしれません。
全81件中、21~40件目を表示