「やはり幕引きも孤独な戦士・・」ランボー ラスト・ブラッド odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
やはり幕引きも孤独な戦士・・
「ランボー 最後の戦場(2008)」から構想10年、ロッキーは後進を育てて幕引きしたがもう一つの分身ランボーがどんな終焉を迎えるのか興味津々。
プロットは至ってシンプル、アバンタイトルで救えない命があることを暗示させる、止めてもメキシコに行くのだろうと思ったら、その通り、酷い目に遭うぞと思ったらその通り、ランボーが黙っていないぞと思ったらその通り、ランボーが地下壕に住むなんてまるでベトコンと思ったらやっぱり伏線、これほど先が読めてしまうのだから見せ場は戦闘シーンしかないでしょう。
ところが監督さんの名前がまさかのエイドリアン(エイドリアン・グランバーグ)、ロッキーの彼女じゃないかとググったらスキンヘッドのおっさんでした。本作が監督2本目で大丈夫かと思ったらとんでもない、過激どころかスプラッター映画、遥かに度を越しておりエンタメの一線を越えてしまった・・・。
カタルシスの仕掛けはプロレスと一緒、反則技の悪役に痛めつけられてからの怒涛の反撃、これは往時の東映任侠映画にも通じる王道。この手の映画は悪役が卑劣で残忍なほど盛り上がるのがお約束。批評家やメキシコから余りにも残忍なステレオタイプに描いていると非難されたようだが、メキシコの犯罪率はここ10年で20倍を越える勢いという。
平和な日本では信じがたいが、麻薬カルテルが取締り強化を表明した女性市長(テミスコ市のギセラ・モタ市長)一家5人を就任翌日に惨殺している(2016年)、近年だけでも100人近い為政者が殺されていると言う。
メキシコ人の外交官で作家のオクタビオ・パスさんはメキシコの犯罪の多さ、残虐性を、祖国の生い立ちがスペイン人による侵略、暴力支配に染められた歴史、犯され誕生した子孫と言う自暴自棄的な死生感がメキシコ人の根底にあるせいではないかと言っている。
ランボー自身は好んで戦う無法者ではないのだが、災いを呼び寄せる悲運の人、彼の人並み外れた殺傷能力は軍が植え付けたものだった。
途中、助けてくれる女性カルメンがFBIの捜査官で官民協力して悪党退治のプロットなら大義も立つと考えたがそれではよくある犯罪ものになってしまう、やはり戦争の落し子、ランボーらしい孤独な戦士としての幕引きのほうが相応しかったのでしょう。