「【”メキシコ人身売買カルテルが誘拐したアリゾナ娘の叔父さんは、元グリーンベレーの、超絶殺人スキルを持った男だった・・”ランボーと言う冠を取れば十分にスリリングな映画である。】」ランボー ラスト・ブラッド NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”メキシコ人身売買カルテルが誘拐したアリゾナ娘の叔父さんは、元グリーンベレーの、超絶殺人スキルを持った男だった・・”ランボーと言う冠を取れば十分にスリリングな映画である。】
ー ランボーの諸作品を鑑賞していたが、今作は予告編を見て、劇場での上映を敢えて見送っていた。
理由は、分かるでしょう・・。ー
◆ジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)は、故郷のアリゾナの牧場で、古き友人マリアと孫娘ガブリエルと、家族の様に平穏な日々を送っていた。
ある日、ガブリエルは自分達を捨て、メキシコに移住した父の居所をメキシコ在住のジゼルから知る。
そして、ガブリエルはマリアの制止する言葉を振り切って、メキシコへ車を走らせる・・。
■感想
・ストーリーテリングは、実にシンプルである。故に、この作品の短尺加減も含めてお気に召さなかった方がいるのは十分に分かる。
だが、元グリーンベレーで、数々の死線を潜り抜けてきたランボーの数々の映画を愛する者であれば、この最終章は、是としたい。
・ガブリエルの父への思いと、それに対する愚かしき父の言葉。
そして、メキシコ人身売買カルテルに誘拐され、シャブ漬けにされる流れは、想像通りである。
(劇場予告編でも、描かれていた・・。で、私は劇場で観るのを止めた・・。)
◆今作の見所は、ランボーが敵地でボコボコにやられながらも、メキシコのフリージャーナリストの女性に助けられ、アリゾナに戻り、自分のアジトの地下壕に様々な殺人の仕掛けを行うシーンであろう。
地下壕での戦いとなれば、ベトコンとの熾烈な戦いを繰り返して来たランボーの掌中にあるからであり、観る側は安心して”報復劇”を観ることが出来る。
これを、予定調和として観るかどうかで、今作への評価は、別れるであろう。
<ラストシーン、安楽椅子に、傷を負いながらも独り腰かけるランボーの姿。
私は、今作を持って長きに亘るランボーシリーズは終結すべきと思うのだが、如何であろうか?>
◆追記
・メキシコ麻薬カルテルを描いた作品は多いが、私は「ボーダーライン」シリーズ及び、世間的な評価は低いが、リドリー・スコット監督の「悪の法則」が好きである。
特に、「悪の法則」は原作を記したコーマック・マッカーシーの”人間の本性は悪である”と言う思想の基に製作されただけあって、”スナッフ・フィルム”の恐ろしさなどに震え上がった作品である。
"奴らは人間の姿はしているが、全く別の残虐な生き物だ・・”と言ったウェストリーを演じたブラッド・ピットの、あのような凄惨な死の様を他の映画で見た記憶はないし、ペネロペ・クルスへの扱いと言ったら・・。
巨匠、リドリー・スコットでなければあのような凄惨なシーンを、大スターには演じさせられなかったであろう作品でもあるから・・。
こんばんは〜♪
私もレビューに書いた通り
「アメリカンニューシネマの流れを汲む、戦争のPTSDに苦しむ1人の男の生涯を追いかけた物語」として見た場合は、今回を完結編とする意義はあると思います^ ^
結局「何を求めるか」「どこまで求めるか」なんですよね。
ただし、凡庸な作品には高い価値を求める事はハナから無理な相談なわけで・・・。
「求められる」「期待される」という事自体が「ランボーという一連の作品が並々ならぬ良作であった」事の証だと思います。
テストで90点を取った時に
「惜しい!」と言われる自分か「凄〜い。頑張ったね」と言われる自分のどちらでありたいか。
出来れば「惜しい!今回はどうしちゃったの?調子悪い時もあるよね」と言われる自分でありたい。
今回のランボーにも「惜しい!」という気持ちなのです。作品を愛すればこそ!でしょうか。