「病んだランボーが体現する戦争の真実」ランボー ラスト・ブラッド りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
病んだランボーが体現する戦争の真実
ミャンマーから帰還して10年の元グリーンベレー、ジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)。
故郷アリゾナで古くからの友人のマリアとその孫娘ガブリエラ(イヴェット・モンレアル)と細々と牧場を営んで暮らしていた。
ある日、ガブリエラは、自分と亡き母を棄てた父親がメキシコで暮らしていることを知り、黙って逢いに出かけるが、父親はにべもない。
父の行方を教えてくれた女友達に誘われるまま、バーに行ったガブリエラは、そこで人身売買組織に拉致されてしまう・・・
といったところからはじまる映画で、ランボーがガブリエラを救出する「怒りのメキシコ」編になるのかと思うと、そうはならない。
思い起こすと、第1作でベトナムから帰還したランボーは故郷米国で国を相手に戦いを挑む羽目に陥ったが、その後は、
第2作『怒りの脱出』では再びベトナム、
第3作『怒りのアフガン』ではアフガニスタン、
第4作『最後の戦場』ではミャンマーと、米国を代表するかのように他国にしゃしゃり出て大活躍をしていた。
だから、今度も・・・と思いきや、メキシコではやられっぱなしで、さらに、愛するガブリエラも喪ってしまい、私憤の限りを尽くして、自分のテリトリーを賭けての戦いとなる。
敵陣に乗り込むのではないので、ランボーに有利に運ぶクライマックスの戦闘シーンは、相手からすればどこからランボーが襲ってくるかわからない暗闇での戦い。
これは、ランボーが体験したベトナム戦争の裏返しともいえる。
そして、生身の人間同士の戦いは、戦いではなく殺し合いであり、そこにはもう正義とかいった言葉はない。
このクライマックスの殺し合いのシーンはさすがに楽しめない。
愉しめないように作ってある。
とにかく、生々しい。
第2作目以降、国を背負って戦ったランボーも、最終的には私憤の戦い・殺し合いしかないわけで、そこに戦争、国家の大義の真実のようなものが立ち上がってくる。
そう、結局、戦争は殺し合い。
ランボーは、殺し合いのプロフェッショナルでしかなかったわけだ。
それも、生まれ故郷を地に染め、大地を破壊尽くすしかないような・・・
というわけで、35年以上渡ってスタローンが描き続けたランボーは、娯楽アクションに見えて、その実、痛烈な戦争批判映画のかもしれません。
劇中、薬を服み続け、正常であり続けようとするランボーの姿は、病んだ米国の姿かもしれません。