「この物語はフィクションですが、登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは大いに関係があります。」さよならテレビ Kenjiさんの映画レビュー(感想・評価)
この物語はフィクションですが、登場する人物・団体・名称等は、実在のものとは大いに関係があります。
東海テレビが、自分たちの内部を撮影したドキュメンタリー。
内部の人間が内部のことや、業界を批判できるわけがない
という批判に対して
ええその通りでございます
と言わんばかりのラスト
「この映画の目的は?」の問いに「テレビの「今」ってどんなかなって」
なんて曖昧な表現をしてたのはなぜか
最後のネタバラシもそうだけど
働き方改革の顔出しの放送事故のやつ、調べてみたけどそれに関する情報は全く出てきません。
つまり、そういうことなんでしょ?
この物語はフィクションですと
そう思って見ると
「出演者」たちも違和感満載だ
全く出来の悪い新人。ろくにしゃべりもできなければ、箸の持ち方さえめちゃくちゃ。
そんな人をリポーターとして出すだろうか。
対比的な、ジャーナリスト然とした記者。
読書量の割には、発言内容が表面的だ。そもそもあの部屋からして怪しい。
「卒業なんて綺麗事ですませていいのか」
しがない一契約社員が、そんなわかりやすいセリフを吐いてくれるだろうか。
考えすぎか
でも、映された人物が演技をしているか、台本があるかないかに関わらず
映す側にとって、その映像を構成して編集してしまえば彼らは「役者」であり「出演者」になるんだろう
(覆面座談会の事件自体は事実としてあったらしい。でも、セシウムの話題で福島さんのこころの揺れ動きを見せた直後に、あの件を組み込んだのは。訴えるものがより強くなるように感じます)
つまりこう言いたいんじゃないか
東海テレビさんへ この物語はフィクションです
と。
テレビ関係者のみなさん、あなた方もご承知のとおり、報道をはじめドキュメンタリーでさえ、テレビはフィクションです、と。
でも
真実である必要があるか
そもそも真実とは何か
客観的な報道などあるか
何かを撮っている時間の、撮られていない何かは真実ではないのか
「真実性」を追求するためには「現実」を撮らなくてはいけないのか
真実を作り上げて、権力を監視することがテレビの役割じゃないのかと
テレビは物事の一面だけを取り上げて、編集して真実を作り出すのが仕事だ
政府やスポンサーの情報をそのまま流すだけのテレビは、ただの広告塔でしかない
自分たちで情報を編集して、真実を「創造」して伝えていく。その力を削ぎ取られて、本来の役目を果たすことができなくなった今のテレビに対して
「さよならテレビ」
と言いたいんじゃないでしょうか
「ドキュメンタリーって現実?」
ええ、フィクションですが
現実です、と。
本当ですね!
間違った情報を書き込んでしまってすみません。
それでも、自分なりにこの映画の主題を考えるきっかけになった部分でもあるので、このレビュー自体は残しておきたいと思います。
教えていただいてありがとうございました。