「さよならしきれてないテレビ」さよならテレビ おちゃのこさんの映画レビュー(感想・評価)
さよならしきれてないテレビ
テレビをまともに見なくなって久しい。
インターネットと現代人の距離があまりにも近くなった今、テレビはどこか浮世離れしているようにみえる。必要以上にギラギラとしたセット、保守第一の番組。あらかじめ決められた枠組み。謝罪合戦。
うさんくさいノンフィクション=テレビという構造は昔からずっと変わっていないと思うが、情報の取捨選択をできる時代にわざわざうさんくさいノンフィクションを選ぶ必要はなく、テレビは高齢者と子どものためのものになりつつあると思う。
この映画でインタビュアーがアナウンサーの返答内容を誘導しようとしたり、いざ自身に質問を返されるとうやむやだったり、中途半端なドキュメンタリーだなーと思いながら観ていたが、それこそがうさんくさいノンフィクション=テレビという構造を体現していて、「さよならテレビ」ってどういう意味なんだろうと考えていた。
結局さよならしきれていないのか、古き構造からさよならしたいということなのか、はたまた視聴者からさよならされるところなのか。
「ぴーかんテレビ」制作会社スタッフによるあるまじき失態、というか人間として考えられない行為についてその当時、同じ名古屋の人間として被災された方々に本当に申し訳なく、心の底から恥と嫌悪感を覚えた。今でも思い出すと同じ感情が蘇ってくるが、毎年その日を二度とそういうことが起きないように振り返る日にしていると知り、ほんの少しだけ気持ちがほどけた。
アナウンサーをはじめ、契約を切られてしまった青年やジャーナリスト風の真摯な方がメインで出てきたけれど、密着すべきなのはむしろドキュメンタリーを嫌がっていた人たちなのではないだろうか。
始めたはいいが、どうも思ったより撮りづらく、協力的な人たちだけを寄せ集めたという偏り感が否めず、本質的ではないなーと思った。
結局、この映画を通してみえるものは、東海テレビに社会科見学をしに来た子たちがみたものに毛が生えた程度のものなのだと思う。
テレビがテレビにさよならする日は程遠い。