花と雨のレビュー・感想・評価
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2002年9月3日
俳優の笠松将さんを2020年に知り、彼のファンになってから、映画館でも観たし、配信コンテンツでも拝見したし、BluRayでも観てるけど、9月3日付近にはこの「花と雨」を意識的に観るようになった。
歌詞にあるように吉田の姉ちゃんの命日なのだ。
この「花と雨」の歌詞が主軸となった映画。
26歳と言う若さで生涯を終え、姉ちゃんの履歴書はそのまま進まない。
それを見てて零れ落ちる涙
ここがすごく印象的で、言葉を失う。
そこから自分の履歴書を書き出し、リリックになっていく。
冒頭や姉ちゃんが亡くなった日など雨が降っていて、亡くなった日の窓辺に赤い彼岸花が写る演出は美しくもあり淋しさもある。
まさに「花と雨」
言葉数の少ない吉田やずっと吉田の中で抱えてる葛藤と姉ちゃんの死を持って、突き動かされていく後半は短いけれど、必見だし、ここから吉田はリスタートされていく。
そんな映画にいつも心を動かされる。
以下は「花と雨」歌詞より
長くつぼんだ彼岸花が咲き
空が変わりに涙流した日
2002年9月3日
俺にとってはまだ昨日のようだ
ずっと細かい棘が刺さってるような痛い感じ
劇場公開期間短く、見逃したもの。やっと配信で拝見。もう一度見たいと思うし、できたら劇場で見たい。
吉田役の役者さんがとてもよい。顔にキズもよい。日本語も英語もマンブルするような話し方で、チクチク、細かい棘が刺さってるような感じになる。
冒頭の風力発電機この世の哀しみをひきだす世界の果てみたいな風景から、車をプルオーバー。車内でのフライトアテンダントとの短い会話。この映画ではあまりない、小さな温かみを感じる少ないモーメント。
全体に撮影、編集がかっこよくて、東京の街の切り取り方もすごい共感ある。
ロンドンでも日本でもサルと呼ばれていじめられる。帰国子女なんて言葉があること自体意味不明だけど、帰国子女あるあるで、そこそこよい暮らし場合によってはかなり豊かな暮らししてるのに海外で受ける劣等感と帰国してから待ち受ける重苦しくのしかかり自由の観念打ちのめす閉塞感。いわゆる勝ち組になれた筈のお姉ちゃんも日本独特のバリアに閉じ込められ押しつぶされ、両親はお姉ちゃんに期待しお姉ちゃんは弟に期待していたような。
ガンジャ栽培部屋に至るながいながい階段、空洞、堂々巡り。害虫に食い荒らされる草。ほとんど笑顔(嘘じゃないやつ)ない映画、ハスラーうまくやってる吉田の自信と幸福感表現してる時だけ少し棘の傷み痛み忘れる。チビチビ書きためることばもマイクの前で逡巡しくぐもる声、、、
東京のこの頃のラッパーさん、ハスラー、こんな感じかと知ることができ吉田、SEEDAさんと周辺のこともわかり、そして無駄にラップ、ライブシーンない所がなんとなく真摯さを感じる。
<つづりきれないおもいをつづる>こと、ピリピリ、チクチクとトゲトゲしく吉田演じた役者さんが見事に表現している。
見てる時は、茶化す意味合いではなく、痛いなあとずっと思いながらだったが観賞後SEEDA さんのアルバム花と雨をきいて星満点になりました。
久々に途中で観るのをやめようかと思った
映画に大切な起承転結がまるでないダラダラとしたストーリー展開。さらには細部の描写がまるでなく、謎だけが残る悶々とした映画。
何故、順風満帆に見える姉が自殺したのか?
それは睡眠薬を飲んだものなのか?
窓越しの血の海は一体?二階建の戸建だぞ?
最後のオバさんスッチーは何者?
謎しか残らない。久しぶりに酷いものを観た。
アルバムを聴き込む事が大事!
アルバムを聴き込めば劇中の吉田の心中がわかるし涙した。
そう言う意味では今までの映画には無い試みだったのかも知れない。
ただアルバムの内容と映画の内容で食い違いが多少あるのは目を瞑った方がいいと思う。
意味不明
SEEDAが好きで作品はほとんど聞いてきたのですが
この映画を見てていまいち分からないことが多いです。
まず一番初めと最後に出てくる外人の女性(スチュワーデス?)は誰なんでしょうか?
またその人に、「必ず力になってくれるから」と紹介してもらった
雨の中で落ち合ったクラウンに乗った人は誰の事?
試験には受かったが何かの理由で今の会社を辞めようとした姉の結局自殺理由は?
分かる方解説してください!
今一良さが分からず。
最後の曲でばっとカタルシスを得て終わると思ったが、そこがよく分からず締まらずの印象。
お姉ちゃんの件がよくわからんのは弟視点だとまだ理解できるけど、本人が組織?にボコボコにされている理由はよく分からず。その前のシーンから推察すると金をとられたみたいなことだろうけど、それだとボコボコにされてはい終わり、になるわけないだろうし。わかる人には分かんだろうか。
惜しい
渋谷ヒューマントラストで。
日本のラッパーSEEDAのアルバム『花と雨』にインスパイアされた映画くらいの予備知識を聞いてたら、何の事ねぇバリバリ半分以上自伝映画じゃねぇか…みたいな。
渋谷ヒューマントラストの60席しか無いシアターだったけど、とはいえ満員かつ普段そこで見ないタイプの若い衆が多かったのは新鮮でした。
僕は元々ラッパーだし、10歳ぐらいからヒップホップに触れて、丁度高校生~大学生くらいに「日本のラッパーのフロウSEEDAかBES(NORIKIYO)状態」を体験して、「だったら絶対そういうのやんねぇ!」を選んだりした身なので結構SEEDAにはストレートじゃない思い入れがあったり。
アルバムの方の『花と雨』は名盤だと思ってるよ。
最近日本映画にちょいちょい産まれる「名曲」インスパイア映画が遂に日本語ラップまで…?
GReeeeN、中島美嘉、モンパチの次がSEEDAは面白いなとか思ってたけど、そこら辺とは違うバリバリの自伝映画でした。
ストーリーだったり、SEEDA自身の境遇だったり、思ったよりハスリンオーナイなところだったり、主演の笠松将の面構えがほんとに素晴らしかったり、そこら辺は別段言うことない。
でもそれを語る映画の文法だったり話法だったり、平たく言うと映像表現的なやつが、いいね!ってなるところと、忖度して許せるところと、忖度しても「はぁ?」ってなるところが2:7:1みたいな感想。
監督の映像派なところとヒップホップの中でもリリックに重きを置いた描写は食い合わせはいい気がするし、「そこそこボンボンなやつが自分に何もないことを焦る」みたいなそもそもの設定、未だに言われる「何で日本人がヒップホップなんてやってんのワロタチェケラwww」みたいなのに対する回答だったり、すげぇいいとこもあるんだけど。
いい意味であざといぐらいの「青」と「赤」の画面作りの対比とか、好きなんだけど。
音楽面だと、ラップの「上手さ」ってとこにクローズアップがされないのも俺は何気にいいところだと思う。
そもそもが技術論だけで語れない歌唱法だし、演者のスキルも必要になるし、音楽以外の描写が多くなれば多くなるほど、「さっさと音楽やればいいのに…」ってなっちゃうし。
でもそれでいて、SEEDAのそれに感じるラップってフロウ重要ね~っていうのを歩きのリズムと音で感じさせるさりげなさはいいじゃん。
上手さとは別の気持ちよさとかかっこよさ、バッチリでしたよ。
これで普通って感じるのは惜しいなぁ。
色彩のマイケルなマンっぽさとか、世界のキタノっぽさもありつつ、湿度高いけどエロくない画作りとか、何かすごい独特なカット割のリズムだったり、作家性ぽいところが垣間見えたけどそこが何か合わんかったのかなぁ…。
ていうか、やりたいことはわかるけどちょっと足りてなかったり、オナニーに感じる場面があったり。
あと『ムーンライト』が何か近いよね。
画も内容も。
上の方に書いたマイケル・マンとか北野武感も含めて、サンプリングじゃなくてフォロワーだと感じちゃうのはセンスとスキルなのかなとか思ったり。
じゃあヒップホップ的には古い言い方だけどワナビーでワックじゃん。
ダメじゃん。
一番好きだったところは、『Live and learn』のリリックを書き始めるとこ。
あそこは主演の顔面力も堪能できるし最高。
リリックを書く紙の意味、書く内容、引きのショットのタイミングがさながらILLなWheelのよう。
そのちょっと後の掃除、あれも好き。
一番嫌だったところは、『花と雨』の1バース目からサビまで実写版のとこ。
あそこは、主観ショットとそれの終わるタイミングと、起こることと、この監督が好きなぼやかしみたいな撮り方と、諸々がほんと水と油でうんこだなと思いました。
やりたいことはすげぇわかるんだけどね。
あと、『花と雨』を歌うとこも残念な感じ。
カタルシスを一応感じさせようとさせてるのに空振りしてるのはダサい。
何か、この監督インタビュー読む限りストレートなかっこよさとか解りやすさみたいなのを否定してたりするんだけど、ラスト観る限り、下手だから嫌いなの?とか感じちゃう。
単純に撮り方の問題だけじゃなくて、チラッとインストを流しちゃったり、お話の中での姉ちゃんが死ぬって以外実はそんなに重要に見えないところだったり、色々理由はあるけど。
ハスリング周りに対しては、そっちにも触れてきた人間なので日本でのそれも普通にある事だと思ってるし、現代的だと思う。
でもあの場所だけ急に色彩がベタベタになるの何とかならんかったの。
それまでの青さと赤さのさりげなさに比べて明確に下手じゃない?
気のせい?
まぁ、そういう目に着くところもちゃんと映像で語ろうとしてたり、挑戦してたりするから浮き彫りになるんだけど。
それは買うけど、じゃあちゃんとこっちも本腰入れて観るのがリアルだと思う。
日本のヒップホップ題材でこんだけ真面目に語れるのが、幸せな事なのかもしれないとか『チェケラッチョ!!』に死ねと思った高校生時代を鑑みて思うけどさ。
個人的に、ヒップホップ映画なるものの「ちょっと暗めなヒーロー誕生譚」の枠内に収まるものばっか+『パティ・ケイクス』以降それの設定が変わるだけってのが色んな国から比較的ぽんぽん来てて食傷気味なのはある。
そろそろなんか一発、ストレートでエンタメなヒップホップ映画こないかな。
それが日本発ともなれば、20年このジャンルにも浸かって、映画にも浸かってる俺は泣きながら射精するんだけどな。
SEEDAファンからの視点
まず日常的に映画の視聴習慣はなくレビューの書き方はおろか日本語の扱いさえままならない日本語ラップ(一部ラッパーは嫌うが便宜上の呼称)ファンからの多分に個人的見解を含んだ視点として了承を賜りたい。
おそらくSEEDAファンといっても年齢層は幅広くCONCRETE GREEN(SEEDA、DJ ISSO主宰のコンピシリーズ、以下、CCG)、SCARS(SEEDAも所属しているクルー)からのファンやKREVAの客演などでチャートに顔を出し始めたメジャー時代(インディーと行ったり来たりするが)、Youtube番組ニート東京で知った世代などそれぞれだろうと思う。
私自身は現在30代半ばで中学時代に日本語ラップの洗礼を受け、さんピン世代、nitro microphone undergroundからTHA BLUE HERB(以下、TBH)やshing02、MSCや降神といったラッパー達を好んで聴いていた。
「花と雨」のアルバムが発売された当時、日本語ラップは2000年を超えた辺りから目立ち始めたメジャーとアングラの二極化が進み冬の時代なんていう表現をされていたと記憶している。
SNSが浸透して容易に軽薄で稚拙な意見が目に写る時代ではなかったにも関わらず、にわかファン達にはバトルシーンが盛り上がっている今以上に風当たりが強く、テレビではセルアウトに走った聴くに耐えないポップスラッパー達がいっちょまえにヒップホップ気取りでででかい顔をしていたと思っていたらそれすらも落ち着きを見せ始めシーンには閉鎖的なムードが蔓延していた。“日本語ラップ村”という蔑称にも聞こえる言葉を認識したのもこの頃のように思う。
当時TBHの狂信者であった私自身もなんとなくその現状に冷めつつあり日本語ラップ全体からは距離を置いている時期であった。
SEEDAを認識したのは「花と雨」リリースからは少し時が経った頃に友人のカーステで聴かされたNOROKIYOの1stアルバム「EXIT」。初めはネイティブっぽい英語の発音やオーバーサイズのBBOYファッションが陰りを見せていた時代というのもありTBH信者の自分には違和感があった。当時は日本人ならば日本語でラップをしなければ本物ではないというような空気があったしストリートでは男性にもスキニーパンツが流行り出した頃だった気がする。
「EXIT」も「花と雨」に並ぶ言うまでもなく日本語ラップのクラシックであるだろうし名曲の数々はもちろん一曲目の“フリースタイルせがまれ イェーイェー連発 ネタしかできねぇメッキ野郎”のラインなんかは歌番組などの曲振りをステレオタイプなラッパー口調でフリースタイル風ネタを披露するラッパーがなんとなくダサいと思っていたことを代弁してくれた感があったし、それまではどこかまあまあ年上の大人の人達がやっている音楽という印象があった日本語ラップを1979師走生まれのNORIKIYOや1980練馬に生まれたSEEDAがやっていて、自分の年齢から言えば兄貴くらいの年頃ということもあって一気に身近な存在になった。
「花と雨」に出会ったのは「EXIT」の客演陣、曲中でシャウトされているラッパーの音源を片っ端から聴き集めようとした矢先のことであった。そして人生で5本の指に入るほど繰り返し聴き込んだアルバムになった。
適当にバイトして道端で遊ぶことを覚えながらも20代前半の漠然とした焦燥感の中にいた自分には殴られたような衝撃を受けたとともに人生観を変えられるほどに響いた。生々しいドラッグディールの描写や権力への不信感、金への執着心、月並みのボースティング(自分自身を誇示、自慢すること)に留まらない悲観的な状況からのポジティブな視点で描かれたパンチラインだらけのリリックや、それまで多くのラッパーが行なっていた“ストリート”に対するどこか抽象的な賞賛をせず“金とエロ”などのワードから聞こえる欲望にまみれた世界とそこにいる自身を見つめるストリート観、これこそがフロウだとでもいうようなラップスキル、思わず口ずさみたくなるフック(サビ)のかっこ良さ(サンプリングセンスも含め)にBach logic(以下、BL)の洗練されていてハイファイなトラックが合わさり両者のキャリアでベストワークといっても過言ではない。主にK DUB SHINEがつくっていたように感じる“英語使っちゃダメでしょ”の空気を一変し日本語ラップ史上に何度かあるシーンの流れを変えるエポックメイキングな1枚であることは間違いない。(実際にケーダブとSEEDAには確執が生まれた)
とにかくフィールする部分は違えど皆が曲名を見れば脳内でトラックが流れSEEDAが歌い出すことができるほどに大好きな大名盤であるということ。
ようやく映画のレビューに入る。
物語の進め方についてや映像の意味するところ、映画を撮影するうえでの定石なんかはこのレビューの冒頭通り何もわからない。子どもの頃に見たBACK TO THE FUTUREが唯一といっていい心に残る映画体験でMSC漢に言わせるところの“映画とか読書とかなんてどん臭い趣味はねえ”といった具合で女の子とのデートツールくらいにしか思っていない。
好きモノの皆さんには自伝映画ではなくあくまでも原案であるということを念頭に置いたほうがいい。
SEEDA本人のキャラクターはリアルタイムのリスナーにはよく知られていると思う。とにかくだらしなく半日の寝坊は当たり前、女と酒はあまりやらないが草とコカが好き、喋り下手で背が低い、浮き沈みが激しい性格。CPF(クラウドファンディング的にアーティストに出資した会員限定で音源の提供や限定ライブに参加できるサービス)で制作等に充てられるべき事前に集めた金でアメリカに遊びに行っちゃって約束してた音源が予定通り配信されなかったり、自分のリリパに本人が来なかったなんていうインタビューも見聞きした。これだけだとディスと捉えられなくもないがひとたびラップをやらせれば誰もが首を振り(縦にね)、スルーしようとしていたラッパーのアルバムにSEEDAのクレジットがあれば否が応にもチェックせざるを得なかったカリスマ性がある。
劇中では上記のダメな部分の描写はあまりない。実際はたぶんもっとクソ野郎であり“マーファカー!へけけ〜!”と笑うあのSEEDAは映像からは想像しにくい。ダメな自分を投影していたリスナー達には物足りないことになっているだろう。
CCGやSCARSが大好きだった連中は劇中の仲間達の描写も気になるところだと思う。熱心なファンには登場人物の名前を聞けば容易に想像できるものとなっている。I-DeAは相田、BESは別所など。BLの本名は知らないが麻生という役名で自分は名前から連想することはできなかったが見た目を寄せてきている(AKLOだったかSALUがデビューするときのインタビュー動画で出てきたくらいしか見たことないがあの感じ)。初見でBLが登場してきたというなんとなくわかったもののトラックメイカーの話題では“西のBL、東のI-DeA”とまで評されていたのだから関西イントネーションであればより登場シーンにインパクトが残せたのではないかと思う。(映画素人からしてもいきなりなにわ感が出るとブレるっていうのはわかっちゃいるが)
リスナーに馴染みの深い主要な仲間達はそれくらいでSCARSメンバー、SD JUNKSTAやCCGで絡みのあったラッパー達は出てこない。
アルバムを元にしているなら「ガキのたわ言」のレコーディング風景も知りたかったし、後に妻になるコーラスを担当したEmi Mariaがちょこっとだけ出てきてもいいし、仙人掌がラップ指導をしたのだから時系列はおかしいが「街風」収録の2人が共作した「山手通り」の冒頭にあるような先輩後輩の会話あるあるのようなユーモアある場面ももっと見たかった。
ただユーモアある場面がまったくないわけではなく「花と雨」のスキットが再現されている場面がある。実際の音源ではSEEDAとDJ ISSOが“最近さぁどやって金稼いでんの?”“いやぁバイトだよねぇ” “バイトだ?週いくつくらいやってんの?” “週…3日…くらい…” “3日だ?3日で実家じゃないべ?どやって食ってんの?それ家賃でとんでね?” “そー…だよねぇ…”の会話はイリーガルマネーで生計を立てていることを暗喩しているかのような勘ぐりを誘うし当時の自分が普段しているような内容や喋り方に親近感が湧くこのアルバムに欠かせないものである。
劇中では単純に再現度が低い。吉田はそこまで気にならないが会話相手が別所というBESであるし、何よりセリフの間が違う。DJ ISSOの自信なさげな発声と当面の生活をしのぐための大事な資金である日銭の管理をできないのか、しないのか、薬物でヨレてどうでもいいのか、でもなんか回ってるっちゃ回ってる自分でもよくわかってない状況がおもしろく感じたものだった。(彼はSEEDAののちのアルバムのスキットではバイトの状況がさほど変わらないのに車をゲットしている。)
冒頭の吉田がサイファーでラップを初めてする場面では相田が学校の先輩として登場するが実際のI-DeAはたしか青森出身でこの頃は出会ってないはずで、これはどういうことだ?と少し混乱してしまった。予備知識がない方にはスムーズに見れる場面なのかもしれない。
あと映画ってことで仕方ないだろうが登場人物がキレイ。この頃のアンダーグラウンドなラッパーなんてもっと小汚いし泥棒みたいなナリで出てきてほしい。
この手の映画でネックになるのは俳優がラップできんのか?という疑問。その点では主演の笠松くんのラップは指導の甲斐もあってか嫌悪感は湧かないし下手には聴こえない、ただ上手くはない。日本人でラップがうまいラッパーランキングがあるとすれば表彰台を争うであろうSEEDAのレベルを求めるのは酷なのはわかっている。BESだってそうだ。あの発声やフロウは簡単に真似できないからこそ価値がある。個人的にはトップ1,2はこの2人に決まっている。
だからこそあのスキットの再現の場面ではBESが相手だと素直に見れないし、思わず“水差すんじゃねーよ。そんなんじゃねーから”という悪態が頭をよぎった。
ここまで文句のようなことを連ねてしまったが感動の場面も多々あった。
映画館でビートが流れてきたときは素直にアガったし、街の情景を映す場面のピアノが効いたリミックスされたビートもかっこよかった。クラブの爆音とまではいかないがBGMの音量がもう少し大きくてもいい気がした。
姉の机で履歴書に経歴を書くと思いきや「Live and Learn」のリリックを書き始める場面は吉田の決意が感じられ熱くなったしラストシーンのライブで姉の姿が見えたときには感動した。
映像のどこがどう新しく古いか、かっこいいのか悪いのか細かいことはよくわからないしBACK TO THE FUTUREよりはおもしろくない。
しかし1800円の価値はある。
今でこそ社会への不信感や疎外感、焦燥感は薄れ自己肯定できているがあの頃感じた気持ちだけはまだ記憶として残っている。そこにはいつもSEEDAのラップがあったしあの大好きなアルバムの理解が深まるってだけでも見る理由には十分だ。
日本語ラップを題材にした映画として予想外の良さ
邦画のラップものってとにかく鬼門というか、非常にサムイものになってしまうのがもう変えられないセオリーだと思ってたけど、この映画はその問題に対する一つの最適解を出したと思う。
まあ、インスパイア元である音楽作品の方の花と雨とがっつり補完し合う内容なので、そっち側のインプットがない状態でこれを見たらどうなるかは正直わからない(実際他のコメントで誤解しまくってる人がいた)が、まあ万人に向けた映画である必要まったくないよね(って監督本人もパンフレットで言ってた)
全編にリアル感が有った
ヒップホップMC、SEEDAのアルバム「花と雨」を原案にした青春ストーリー。
主人公に共感は出来ませんが、私も若い頃、音楽で飯を食べる事を目指していたので、なんか昔の私を見ているようにも感じました。(私は薬をやったり売ったりはしてないですよ)
何かあると直ぐに時代のせいにして、今考えると自分の無能さを隠す為に全て「時」のせいにしていただけなんじゃないか・・・・
私自身、SEEDAのアルバム「花と雨」は聞いたことはありませんし、ラップ自体好きではないので、なかなか劇画の中に入り込んでいけませんでしたが、しかし、何とも映像とリンクしていて、見方によっては、ファンやラップが好きな方にはいいかもしれません。
また、主人公の笠松将さんが、主人公を自然に演じているように見えて大変に素晴らしい、脇を固める役者さんも大変に雰囲気に溶け込んでいて、本当のリアルの話や場面を映像にしているようでした。
大西礼芳さんは、改めて綺麗な女優さんですね。
好き嫌いがはっきりしそうな内容ですが、しかし、内容はリアル感が有って大変に良かった。
どこまでが実話なのか
偏ったポップカルチャーの知識しか持っていないと、評を書くのに苦労するジャンルがある。音楽映画がその最たるものだ。歌の善し悪し、楽曲の善し悪しの判断が出来ない分、圧倒的全体を占める要素を捨てて評に挑まなければならない。これを純粋に映画として評価できる優位性と捉えるか、もしくは作品の魅力を理解する要素を減らしてしまっていると捉えるかだが…自分は圧倒的に後者だと思っている。よって、知識がほとんど無い自分がこれから展開する論は、ヒップホップ弱者が書いている雑記くらいに思って貰えると丁度いいと思われる。
自分は今作をSEEDAのことを知って見た訳では無い。鑑賞前にザッと調べただけで臨んだため、彼の楽曲やラッパーとしての経歴は全く知らなかった。今日(12/17)の試写会でも、いわゆる”ヒップホップ好き”そうな人はチラホラ目につく程度で、大半は自分と同じ場所にいる人達だったように思う(思いたい…仲間が欲しい)。ただ実際見た印象としては、SEEDAに関する予備知識を事前に入れずとも問題ない作品だった。むしろ知識がある方が見た場合には、批判が出そうな部分もあったように見える(これに関しては有識者の意見を聞きたい。もしくはこのタイミングでSEEDA本人の回顧録などを、パンフレットなどに掲載して欲しいくらいだ)。前述したように、自分は今作を音楽映画として見ることを出来ず、ロンドンでの生活から異国=日本に放り込まれた青年の成長譚を見るつもりで挑んだ。結論としては、ある重大な問題によって、決して手放しで誉められる作品ではなかった。
冒頭、映画が海岸沿いにある風力発電所を空撮で捉えたショットから始まる。非常に綺麗でスケール感のある画でまず意表を突き、徐々に道路を走る車へカメラが寄り、遂に運転席の主人公(笠松将)を映す。これは明らかに意図的なショットで、つまり今作は広い世界の話ではなく主人公の青年の“閉じた世界”が舞台であるという宣言であり、かつ物語がここに戻ってくるということの説明でもある。上手いし画もカッコイイ見事な幕開け。実際今作は、殊撮影に関して本当に素晴らしい瞬間がいくつもある。監督の土屋貴史は、Perfumeや水曜日のカンパネラのMV撮影で名を上げた方だから、やはり力が入っているところだろう。東京の喧騒を捉えた、夜に光る電光掲示板とその下を歩いていく人々、その中に溶け込むようでいて座り込んで止まっている主人公、その二つをすごい量のカットを織り込みながら見せる編集も、やはりスクリーンで見ると映える。その他の場面でもアイデアの凝らされた箇所が多く、特に終盤、完全に一人称主観で家の中を回っていくあるシーンには唸らされた。自分の主観、という絶対的安全圏(もしくは牢獄)からはっきり投げ出されるという突発的な突き放し。主観と客観がシームレスに、そして暴力的に切り替わるその場面は、物語中の主人公と劇場にいる観客の双方にショックを与える。撮り方はシンプルかもしれないが、その効果は絶大だ。基本的な被写体を主人公に絞り、彼の背後から、前方から、周囲を取り巻く様々な事象を切り取っていくのも、作り手側の意図を考えるに的確な演出といえる(少し意味合いが違うが、人物の寄りが多い点で「サウルの息子」の撮影を思い出したりもした)。閉じた世界、若者故の狭い視点というのが表現されている点でも、“青春音楽映画”というジャンル定義にふさわしいものを撮れているようにも見える。
土屋監督は、MV出身。今作が長編映画初監督となる。MV出身の映画監督には、素晴らしい作品を作った人がたくさんいる。代表的なところで言えば、デビッド・フィンチャー、マーク・ウェブ、マイケル・ベイなどが有名だ。鮮烈な映像イメージ、細やかな画の構成(ベイにはない)、滲む独特の色…画で魅せることが求められる映画撮影において、これらは間違いなく力になる。土屋監督にもこうした才覚があるのは、自分が前述した様々な場面からも明らかだ。これが初監督作なのだとすれば、次回以降にも期待を持った人が多くいるはずだ。ただ、今作に関しては、MVから映画への過渡期故の粗が散見されてしまった。
特に(これは監督一人のせいでは絶対にないが)音楽映画としてのストーリーの盛り上げ方、基本的構造のバランスが妙なことになっている。
例えば、「天使にラブソングを…」を思い出してほしい。主人公は、社会の闇から教会に逃げ込み、そこで別の可能性を見つけて成長する。そこで聖歌が同作の音楽的側面を担うが、構成としては、①聖歌への偏見と理解、②仲間との練習・鍛錬、③挫折・危機の到来、④大団円、というようなザックリとした起承転結が用意される。実際他のジャンルの映画・ドラマでもこの構造(もしくはその変形)の見立てが適用できる。もちろんこれはオーソドックスな物語構造だ。全部が全部これに従っていたら似たものが頻出するようになるから、逆に突飛な構成の素晴らしい作品が型を破って現れ、観客を楽しませてくれることもある。そして今作も、その“型”を破ることを目指したと言うこともできるが、だとするとおかしなところが出てくる。
主人公が日本に来て、日本のラップに初めて向き合うその瞬間(①に当たる)、初めてラップが披露されると思うと、そこは少しユーモアを含んだ編集で省略する。ここで多くの観客は思ったはずだ、「え、ラップ見せないの?」。ただ、この時点で自分の頭をある考えが過った。これは、作品の最後でラップのシーンがちゃんと用意されているのだと。ギャレス・エドワーズ版「ゴジラ」で、ハワイでの決戦シーンを省略したのと同じだ。最大の見せ場は、作品の最後まで温存する。それはクラブでのラップバトルシーンで確信に変わる。前半で登場したいかにも2000年代初期的な不良の青年が、主人公と同じラッパーとして壇上に上がる。前半これでもかと憎々しげに描かれたその青年とマイクで一戦交えるわけだが、ここでも主人公のターンをすべて見せない(その後不良青年に廊下で追いつめられるシーンのヤダ味。言葉が武器の主人公のことを考えると、痛いところを突かれる素晴らしい場面だ)。さらにはいけ好かない、これまたいかにも軽薄で二枚舌の音楽プロデューサーに見放されるという展開も加わり、心情をぐちゃぐちゃにして、ストレスを掛けまくる。つまり、観客・主人公双方に鬱憤を溜めて、溜めて、溜めた先に開放!というカタルシスを生むためのお膳立てを丁寧に踏んでいるのだ。その前後に描かれる“バイト”の日々も含めて、ここまでは正直本当に面白い。自分の知らない世界、実は地続きに広がっている裏を垣間見る映画的な快感。「ウルフ・オブ・ウォールストリート」や「トレインスポッティング」などの感覚に近い(特に後者はかなり意識されていると言える)。それらの作品の、社会的に悪とされる方法で金を稼ぐ若者の日々を、日本で描いたらこうなるのか…果てはこれが日本でやられているのかと興味深く思いながら鑑賞できる。
主人公は、ラッパーとしてどん底まで落ち、もともとバイトだった売り子に本腰を入れていく。これもまた、最後の盛り上げのためのダウナーな時間帯として機能している。ここまでの約60分、まず音楽映画として周到な準備・助走がなされているのだが…ここからが問題だ。
ここまでの助走、溜め、ストレスを観客に用意しておきながら、結局主人公が人前でラップを最初から最後まで披露するシーンがない。つまり、明快なカタルシスがないのだ。
前述した不良青年や音楽プロデューサーが、アルバムを発表した主人公をどう見るのか、もっと言えばぎゃふんと言わされる場面が一切なく、彼らは前述のシーン以降全く登場しなくなる。確かに、今作が実話をベース(アルバム「花と雨」を原案)にしていると事前に宣伝している作品であるから、これが現実だと言われればそれまでだ。でもこれは映画だ。現実を見せながら、同時に観客を満足させることのできる夢の媒体である。バトルで蹴散らすような展開でなくとも、主人公のステージを見てどんな反応をするかくらいは脚色しても問題なかったはずだ。しかしそれはおろか、今作は「花と雨」の楽曲がフルで流れるシーンすらない。主人公の成長や葛藤は、確かに監督が舞台挨拶で仰っていたように、ほとんど「できる限り台詞に頼らず、映像で表現」出来ている(心情をもろに口に出している瞬間もあって辟易するが、先日見たある作品と比べたら数億倍マシだ)。ただそれも、姉との約束を守るという個人的な心情面でのものがほとんどで、劇中プロに指摘されているラッパーとしての技術面では、どこで成長したかがわからない。最後客を前にしているほんの数十秒で、観客側にラッパーとしての成長を見せることが可能だと思ったなら、それは大きな間違いだ。これでは、ラップとは技術でなく精神論で片付く何かという解釈まで成り立ってしまいかねない。
また、今作は前述の“バイト”描写についても、ラッパーというアーティストのイメージを悪い方に向けさせるバランスとなっているように見える。アメリカやイギリスでどうかは別として、日本では違法な薬物を売りさばく若者。前半から中盤までの描写は楽しいが、その稼業からの足を洗うタイミングが何より不味い。興味がある方は実際に見て確かめてほしいので詳しくは避けるが、あの描写では元の原案たる「花と雨」というアルバムの存在まで危ういものとしている。
もちろんこれも、「これが事実だ」と言われたら何も言い返せない領域の話ではある。ただの音楽映画でなく、より志の高い芸術作品を目指したというのならそれには間違いなく成功している素晴らしいビジュアルイメージを持った作品だし、姉と弟の絆を描いた非常に個人的なドラマとしても、後半の失速を無視すれば上手くまとまっている。ただ、それが一ラッパーの半生を描く作品として、ふさわしいアプローチだったのかは自分にはわからない。よりテクニカルにより熱さを織り込み、その隙間から秘めた感情が発露し、最後には溢れ出る。それが「花と雨」というアルバムの、ラップに命を懸ける人々の楽曲の成り立ちではないのか。それがただ、自分の理想や妄想であるなら、致し方ないことだが。
ここまで色々と書いてきたが、決して悪い映画ではない。鮮烈な映像群とカメラワーク、拙さと勢いと若々しさが溢れる力作である。好みに合うか合わないかは、是非自身の目で確かめていただきたい。
追記:
ビジュアルイメージで、一点だけ苦言を。主人公が大麻の栽培室で寝ている時に見る、ある“ビジョン”があるのだが…あれはいいのか?少なくとも自分が知識として知っている大麻の副作用にあれはなかったが、もしあれが日本人的な感覚からくる表現だとすれば、大いに誤解を招く場面になっていることは確かだ。大麻=危険であれば、今作でそれを吸うラッパーやその他の人を、観客はどう見るだろうか。
後半について。ドラマ的な失速を撮影=見せ方で乗り越えようとする姿勢には好感が持てる。ここでラッパーとしての技術的な突破口があればよかった…。ただ、履歴書の場面は良かった。型にはまろうとして、でもはまらない。それが映像で表現できている(涙は過剰だが)。
ジャンルは青春ものに分類されるのか(=青春ものというと爽やか、軽い...
ジャンルは青春ものに分類されるのか(=青春ものというと爽やか、軽いイメージをもつけれど本作はちょっと違う)、どこまで現実なのかとちょっと怖くなった。
言葉や説明がかなり排除されていて、一方で私には知識ないジャンルでもあるので、もう少し説明が欲しい場面が多かった。どこかで作者や監督の意図がわかる説明があったら助かる。
徹底して太陽の光など明るい場面がなく、雨、地下、屋内、夜、夜明けがほとんど。なので彼岸花の鮮やかさがかなり印象に残る。映画なんだけど映画っぽくない感じ。
主人公と立場は違うけど、若いころ模索して居場所探して足掻いてる感じが自身の心の奥底を揺さぶられている感じだった。
HIPHOP好きな彼氏に連れられて
彼氏がどうしても一番最初にみたいとのことで一緒に試写会にいきました。
HIPHOPの話だからわかるか心配だったけど、とてもキラキラした映像に感動しました。
途中、わからない用語とかは後から彼氏に聞いて「あ~」ってなる感じです。
土屋監督の他の映像作品もぜひみてみたいなって思いました💛
映像、ストーリー、音楽 上記のどれをとっても素晴らしい作品でした。...
映像、ストーリー、音楽
上記のどれをとっても素晴らしい作品でした。
何度も見返したくなる。映像と音の融合
関係者の皆様、こんな素晴らしい映画をつくっていただいてありがとうございます。
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