ホドロフスキーのサイコマジックのレビュー・感想・評価
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奇妙な方法でないと救えない人はいる
ホドロフスキーの芸術は実際に人を救っているらしいとこの映画は伝えている。様々なトラウマを抱えた人々がホドロフスキーの元に相談にやってきて、ホドロフスキー流の演劇的精神療法を施され、トラウマを克服してゆく姿を捕えている。実際に相談者の表情が治療後晴れ渡っているのを見ると、なんとも言えない感動を覚える。
サイコマジックとホドロフスキーが名付けたその精神療法は、これまでに彼が作ってきた映画の内容とも密接に結びついている。彼の創作人生の中で編み出したものであり、これは結果的に治療行為の形を取っているが、創作活動の一種のようだ。一見すると変態的な行為なのだが、そうでなければ救われない人々はこの世界にはたくさんいる。というか、人間とはそういうものなんじゃないかと思う。
しかし、本当にホドロフスキーという人はユニークで底が知れない人だなあと感じる。小綺麗な世の中にまだこういう人が残っているということにすごく希望を感じる。
危険なメソッド
公開当時レビューしたつもりで、すっかり忘れていたようだ。
新型コロナの緊急事態宣言が明けて最初に劇場で観た作品。ふだん「癒し」やスピリチュアルな界隈はなるべく避けて通るのに、その時その状況、私の気分にあまりにもマッチしていて衝撃を受けた。それでのちにソフトも買った。
見終わって正直、これをパクるインチキケアラーとか絶対出てくるだろうなと思った。これは私がオウム真理教にはじまり、パナウェーブやら数々のオカルト系カルトのニュースとともに育った世代だから余計に警戒してしまうのかも知れない。
一方で、癒される人々を目の前にして私自身も癒されたような感触があったことは否定できない。
まずホドロフスキーが監督だから、という留保があり、そのホドロフスキーが表現活動の一貫としてやっている、そしてクライエントとの信頼関係もある、そういう諸々の条件こみで、ギリギリ、スレスレのバランスで成り立っている内容だと思う。
あくまで編集されたフィルムなので画面の外で何が起きてるかまでは判断できないけど。。
この中だけに限って言えば人生の痛みをドラマによって癒す試みはすごく感動的だし、演劇や表現することの真髄が現れているようにも思えた。
ただ、世間に流通する以上悪用のリスクもあるし、取り扱いには注意が必要。安直に真似すると大変ヤヴァイ危険なメソッドだと思う。
考えさせられた映画、ミニシアターへのエールを込めて
勤給事態宣言解除後、久々に観た作品。ホドロフスキーの精神分析、サイコマジックによって悩みから解放される斬新な心理療法には驚かされた。日本では、まずあり得ない事を彼はスペインやフランスで患者の悩みを言葉や行動で精神療法を行う。色々考えさせられた。映画としては、難しすぎる内容、結局ホドロフスキーは観客に何を伝えたかったのかのメッセージがなかったのが残念で2点にしたが、新型コロナ騒動で大変苦労したミニシアター、鑑賞したアップリンクの再開への努力にエールを込めて3点としました。
潜在意識を洗濯する
東京大学の脳科学者によると、意識と無意識の割合は最近の学説では1対数万と言われているそうだ。要するに人間の脳の働きの殆どは無意識ということなのである。
解りやすくするためにいわゆる意識を顕在意識、いわゆる無意識を潜在意識と呼ぶ。顕在意識は潜在意識の海に浮かぶ漂流物みたいなもので、情緒や直感といった人生を左右する主要な働きは殆ど潜在意識が受け持っている。
平凡な日常生活を送る中でも、人が選択を迫られる場面は1日に数百回もあるという。そんなに意識したことがないという人が多いだろう。つまり日常の殆どの選択は潜在意識が自動的に行なっているのだ。だからもし潜在意識をコントロールすることができれば、日々の選択は大きく変化し、つまりは人生も変化する。
潜在意識が本人の人格や人生を否定する方向に働くこと、即ちそれが悩むということだ。逆に肯定する方向に働けば、恋や幸福感ということになる。しかし人間は顕在意識の方にばかり気を取られて病んでいく。鬱病は考え方の問題ではない。潜在意識のコントロールの問題なのだ。
ホドロフスキーは潜在意識に直接的に働きかける。即ちそれは五感に働きかけるということである。身体に触る、声や音を聞かせる、光景を見せる、そして何かをさせる。脳は様々な情報を受け取っている筈だ。
前出の脳科学者によると、脳は身体を通じてしか情報を得ることが出来ない、脳にはセンサーがないから、五感を始めとした身体の感覚から情報を得ているということである。自分の身体の動きも情報のひとつであり、たとえばホラー映画を笑顔で観たら、怖さが半減するらしい。脳はスクリーンに映った映像や音響と同時に、笑っている自分も情報としてインプットするから、笑っている自分=余裕がある=大丈夫だという図式が脳の中で瞬時に認識される。それで恐怖感が減少するとのことである。
テレビで災害現場の被災者のインタビューを見ると、ときどき笑っている人を見かける。もちろん被災したことが嬉しいのではない。心が崩壊してしまいそうな状況で敢えて笑顔を浮かべることで自分は大丈夫なのだと脳に思い込ませるという、一種の防衛反応なのである。もう笑うしかない、という言い方はある意味真実なのだ。
ホドロフスキーがやっていることも同じメカニズムで、潜在意識が抱えている漠然とした不安や恐怖感、偏見、憎悪、自己否定、絶望といったマイナスの情緒を減らす効果があると思われる。
考えてみれば体に関する言葉には、潜在意識に働きかける内容のものがいくつかある。顔を洗って出直すという言い方は水に触ると気持ちが落ち着くことから来ているのだと思う。実際にスピーチの前などでアガっているとき、顔は洗えなくても手を洗うだけでも心が落ち着くものだ。この他に頭を冷やすとか、笑う門には福来たるといった言葉も同じだろう。潜在意識に働きかけて気持ちを変えようとする言い方で、多分昔の人は本当に頭を冷やしたり意図的に笑ったりしていたのだろう。笑うお祭りもあるし、お笑い芸人は社会的に必要な役割なのである。
現代は鬱病の時代である。正論が幅を利かせていて、ともすれば何気ない行動が何かのハラスメントとして非難されるたりするし、SNSに投稿すれば炎上する。自粛警察という言葉が最近生まれたが、要するに社会のパラダイムに寄りかかった正義の味方である。自分の考え方や世界観ではなくいわゆる世の中の大義名分を振りかざして他人を否定する人々だ。そういう人も本質的には鬱病で、他人を否定する気持ちは諸刃の剣で攻撃は自分自身にも向けられる。
コロナ禍で手を洗うことが奨励されているのは、期せずして鬱病の発症を防ぐことにも繋がっているのかもしれない。実際に自殺の件数は減っているようだ。今後は自粛しすぎて生活が苦しくなって自殺する人が増加していくだろう。必ずしも自殺を否定するわけではないが、少なくとも毎日入浴して一日に 何度も手を洗う人は鬱になりにくいのはたしかだと思う。
ホドロフスキーのように個人個人の潜在意識を洞察して、五感を利用して特殊な働きかけをするのは一般人には難しいと思うが、絵を見る、音楽を聞く、花を眺める、森を散策するといった行為が潜在意識に澱のようにへばりついているマイナスの情緒を洗い流す効果があるのは誰もが知るところである。そういったことを命の洗濯というが、まさに潜在意識を洗濯するやり方である。悩んでいる人に説教や忠告をするよりも、一緒に水辺を散歩するほうがよほどいいという訳だ。
金粉ショーの47歳はどうなった?
ホドロフスキーの作品を一つも観てなかったことに今更気づいた。彼の施した10組の心理セラピーをドキュメンタリー風に描いたものですが、各章ごとに監督自身の過去作品を挿入していて、『ホーリー・マウンテン』や『エンドレス・ポエトリー』など見たくなるような映像ばかりだ。
最初は母子を靴墨で塗りたくったりして、コミカルなサイコマジックなのかと思っていて、男女の裸が登場すると、単にエロマッサージの世界じゃねーか?などと胡散臭く感じられました。一つだけ、巨大カボチャをハンマーで叩き割る青年のエピソードは効果絶大だな!と、共感さえ覚えました。この時点から徐々に引き込まれてしまいます。
経血チェリストや経血絵画に至ると、あ、やばいものを見てしまったと気づき、もうホドロフスキーの術中にはまっていく自分。やっぱり、これはアートだ!などと、妙に感動すら覚えてしまいました。ただ、金粉ショーはいかがなものか?いや、これだけは絶対にやらせのギャグに違いないと、47歳童貞の彼に同情してしまいました・・・
なんだか新興宗教がかった怪しいセラピー。もう彼の罠にはまってしまい、癒されたいとまで感情移入してしまう・・・もしや、これが狙いだったのか、これらのサイコマジックによって治癒されていく登場人物ではなく、映画の観客に魔術をかけたに違いない。でも、俺は実験台にされたくない・・・特に金粉ショーには。
面白かった
エピソードの一つ一つがなかなかの説得力で楽しめました。ホドロフスキーって「エル・ポト」で名前知った人がほとんどだと思うんですけど、こんな人だったんですね。挿入された旧作の一場面で、ベッドの上に立って向かい合うカップルが、カメラを引いていくと、実は女性の方だけ小人症だと分かるシーンが印象深いです。
サイコマジックで癒されたい
アレハンドロ・ホドロフスキーの新作は自身が考案した心理療法「サイコマジック」をこれまでの作品の断片と実証実験とともに検証する超異色作。
彼の元に相談に来る人々の心の傷を次々と癒していく。胡散臭いが、ヤラセか否かはどうでもいい。信者の私はとことんついていきます。てか、ホント癒して欲しい。
「エル・トポ」で衝撃を受けたホドロフスキー。「ホーリー・マウンテン」「ホドロフスキーの虹泥棒」「リアリティのダンス」「エンドレス・ポエトリー」と計5本しか観ていないが、他に比較する者がいない特別な存在だ。
サイコマジック実践編
ホドロフスキーのセラピー、サイコマジックのさまざまな手技を紹介するこの作品。
タロットの専門家である事は知っていたが、セラピストとして教祖的存在である事が確信できた。
自身の自伝的な作品エンドレスポエトリー。
様々な出会いと経験から、芸術とスピリチュアルの強い繋がりを感じたが、こんなにも実践的な活動をしていたとは驚きだった。
ホドロフスキー作品の根底はこのサイコマジックにある事にあり、作品を観る我々は、あたかもサイコマジックを受けている様な気持ちになるのだ。
今回はそれを側から見る形なので、大きな気持ちの揺らぎも無かったのは残念だった。
癒される時
イマジネーションか、リアル世界か、で同じことが起こっている。
準備が整えば、起こることに身を委ねれば良い。
他人がもたらすことではなく、本人の中に隠れている力が、殻を破る。そして本来の命が生きられる。
ホドロフスキーも潜在意識と言っている。
エーリッヒ・フロムの名前が出てきたのが嬉しかった。昔の先生に会ったみたい。
何か新たな分野を創ってしまった伝説の人
未来の記録には必ずホドロフスキーの名前が記載されるだろう。それが芸術分野なのか医療分野なのかムー的分野なのかは分からないけれど、新しいものを想像した人物として名を連ねるに違いない─この作品を見てからというもの、そういう思いをぬぐい去れないでいる。
とかくオカルト的に見えてまう行為も、人間と誠実に接し行動する様を見せつけられると、何も否定すべきものがない。よくぞここまでやりきれるものだと感心するのだが、それだけにとどまらず、ひとりの創造主を見ているような気がした。
数々の事象をオムニバスのドキュメンタリー形式で描かれているこの作品は、いったい何なのか。映画であることは間違いないとは思うけれど、その枠に納まりきらない強烈なパワーを感じてしまう。
正直、凡人の自分にはついていけてないけれど、いつこの創造主にすがりつくか分からないわけで、ただただそうならないことを願うばかりではあるけれど、同時にこの存在を貴重に思えて仕方ない。
数々の感動を目の当たりにすると、ホドロフスキーの信者になりそう。
エル・トポが無性に見たくなった。あれは単に興味本位で作られたものではないと確信すると、ホドロフスキー作品がこれまで以上に光り輝くような気がする。
勝手ながら、この作品は相当重要な意味を成すと思ってしまった。
ホド爺のサイコセラピー??
心に傷を持った人々を癒す治療法、その奇妙な療法に唖然としながらもホドロフスキー作品に慣れ親しんだ者であれば何ら不思議に思わない。
ホドロフスキー初心者は要注意!?互いの趣味趣向に理解がある同士での鑑賞は絶対で、一人で観るにしてもホドロフスキーの世界観を理解していなければ、、。
インチキ?胡散臭い?宗教色強め?変態的?こんな言葉がいくつあっても足りないくらいに、待望のホドロフスキー新作は果たして映画作品として成り立っているのか?ドキュメンタリー映画としてフィクション?ノンフィクション?
真面目に観て良いのやら、不謹慎にも笑えてしまうギャグ要素も垣間見れ困惑してしまう。
モザイクいらずなホドロフスキー、あなたに身を委ねるのに何ら弊害はナシ。
インチキ臭さこそホドロフスキー
胡散臭い、インチキ臭い…ホドロフスキーを語るにはこのキーワードは基本だと思う。だからこそ、ホドロフスキーに惹かれる。紛い物の魅力と言おうか、プラスティックやガラスの輝きと言おうか、そこに太陽の光であったり、月の光であったり、水の流れであったり、自然の要素が入った瞬間に彼の価値が一際輝き、存在感を示す。そう言った意味では、やはり彼はシャーマンなのか?信じる者には宝、信じない者にはゴミであり、詐欺師でもある。不思議な人物だ。私にとってホドロフスキーは、捨てるに捨てられない薄汚い宝である。
心の整体師
公開延期となっている『ホドロフスキーのサイコマジック』を休館中のUPLINKからレンタルして先行観賞
寄付金付きで全国の映画館も支援してる感じ
精神分析セラピストとしてのホドロフスキーは相談者の身体に触れて心の整体師の如く寄り添います…
その芸術的な方法は笑えます…みんなされるがまま
要はトラウマからの開放なのですね
ホドロフスキーの深く大きな愛が溢れていて
あたしの身体の中心も熱くなりました…
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