完璧な他人のレビュー・感想・評価
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完璧、などないのですが
上手くまとまったという印象。
内容は、家族ぐるみで付き合いのある旧友同士の集まり。外面と本音。違うのが人間でしょ?というノリの、割と定番な、スマホを介して秘密を暴きあうというストーリー。他人の秘密は蜜の味?いや他人事じゃない...というブラックユーモア満載の仕上がり。
でもそれも空想?いや現実?というオチが付きます。
パラレル・ワールド的な「もしも〇〇だったなら」という描き方で、日常の一枚下にある本音が、ザ・人間!という下衆さで描かれる。ゴシップ好きな人は気軽に楽しめると思います。エンディングあたりでテーマが。なるほど。人には三つの顔がある、と言いたかったのか。公的な顔、私的な顔、秘密の顔。「完璧な他人」と、その人のスマホの中味は、一致しない。
ただこのエンディングだと、現状維持の肯定だけで終わってしまうかも(かなり厳しくてすみません)。
「だから秘密は隠しておくべき」的なメッセージ、それならすでに多くの人はそうしていると思う。「見ざる言わざる聞かざる」の三猿を知る日本人には、わざわざ暴きあうのは胸が重く...粋じゃない、少し寂しい。
秘密、そしてその下に潜む本音。本音のさじ加減は、いつも難しい。嫉妬やコンプレックスや欲望など、珍しいことではない。ただ、それ本来は自分の課題。でも他人との比較で生まれるので、どうしても多くの人が相手に矛先を向けてしまう。特に近しい関係の友人や家族。大切な存在が、自分に痛みを与える相手だと愚かにも思ってしまう。
でも自分に痛みや弱みがあるように、相手にだっていろんな痛みや弱みが当然あるのだ。そのあたりまえを、思い出せるか。
思い出す前に、人はすぐ忘れる。それでまた、変わらず進歩もなく人生が続いていく...
うーん、時代だと思いますが、なんだか最近とみに、優しさより完璧や強さがデフォルト?と感じることが多い。無知や無責任が、重大な過失になる。まさにタイトル通りの、「完璧な他人」を強いられている。監視、ミスを暴いての社会的制裁。見える化。痛みや弱みがないフリを、お互いしないといけないのでしょうか。もー、しんどいわ。
ズッコケや隙を、明るく笑い飛ばせなくなってきた。
「完璧、な訳ないじゃん、完璧度合いを互いにはりあう?いやいや、それほんとに目指したい関係ですか?!」と言いたくなるのは、わたしだけじゃないだろう(と勝手に信じている)。
本作は、すでに世間がそうなっている(完璧を張り合う世界)と作り手は思っている証。そんな世間を風刺したいのかな。わたしは、まだギリギリ拮抗していると感じているのですが、楽観的すぎるか。
エンディングは、やや風刺の刺さりが甘くなってしまったかも。原作があるそうなので致し方ないか。
夫婦も友情も、予定調和を目指した方が無難、でなきゃこの映画みたいな修羅場が繰り広げられますよ。あなたはそれに耐えられますか。というメッセージだけが、なぜか心に残ってしまった。
予定調和でもいいが、そこに愛はあるか?嘘でも本音でも、愛が生まれるのにどう効くのか。それを観たいのです。
予定調和に限界がきた時。覚悟を決めて「完璧な他人」の上っ面を自分で引っぱがせるか。失うものも多い。とても勇気がいる。でも「完璧な他人」より、「不完全な自分」を選択できたら、魂も少し成長できる気がする。
日本版の勝ち
オリジナルのイタリア版はまだ見てないけど、日本版の作り方が上手かったんだとわかる。何しろ、笑えない韓国版。笑えるのが下ネタのみ。全体的にシリアスすぎるのかな?特に弁護士テスとスヒョンの夫婦は交通事故の被告人であることでも重い雰囲気になるし、ホストである豊胸整形医夫婦の娘のコンドーム事件においても徴兵制度というお国事情が絡んでくる。介護問題、LGBTにおいても、まだまだ韓国では重苦しいのか・・・
わだかまりを持ったままという点、イェジンとジュンモの浮気もバレてなさそうな点、そして交通事故に関しては弁護士資格をはく奪されるかもしれないどんでん返し。やばいでしょ・・・そして、結局は友人であっても秘密は抱えたまま生きていくのか、前向きじゃないなぁ~
ユ・ヘジンをオ・ダルスと勘違いしているくらい韓国俳優の名前が記憶できない。知ってる俳優が彼一人だったこともあってか、もっと性格のわかりやすそうな俳優を選んでほしかったところです。若手のソン・ハユンは今後にも期待!美人だ。
スマホは見ても良いことなし…
ゲームはやらなかったという落ちで良かった。。妻や40年来の友達も赤の他人。人は孤人ではなくとも、生まれながらにして個人である。例え血のつながった親子であっても、プライバシー、秘密はあるもの。スマホをオープンにしたことで、あれよあれよと今までの個人の秘密が、伏線も回収しながら明かされる様は見事、と言うか韓国らしい、より残酷な結末へ向かってしまう。言い出しっぺの真意がわからないが、こんなゲームはやるもんじゃない。
リメイクと聞いてたが
話も、内容も、オチも、全部もろぱくりやん、、
イタリア版の🇮🇹おとなの事情 がすっごく面白くてこれのリメイクて聞いてたから期待してたのに
内容はまったく違うのかと思ってどんな練りこんだ会話が繰り出されるのか楽しみだったのに、、
全く同じリメイクで展開読めたしなんか残念。
同じものをみたかんじ。
リメイクという新鮮味がなかった
リメイクって内容もまったく同じという意味なのか、知らなかった😎でもなんか残念
映画の違い・面白さの違い?
かなり昔、月をボ~ッと見ていると隣にいた友人の一言。”あまり見つめすぎると頭がおかしくなるよ。”と...唐突に言われたことに腹が立つわけでもなく、天才的秀才的ともいえる彼の優しさから異邦人の自分に対してのアドバイス。今でも何かしら、彼の人格形成は何だったのか?を振り返りたくなる。
日本では、”中秋の名月”という言葉が示す通り、自然界を楽しむ風習が存在するけれども、西洋では異なる。古くから迷信的に言い伝えられている”月”を見る行為は、あまりよくないとされている。特に女性に対しては、何かが起こると’まことしやか’に言い伝えられているけれども、イタリアの映画とその映画を原作とする韓国映画とも、広いベランダから月食を見る設定になっている。そのパーティに集まった男女3組のパートナー同士と、何故か一人で訪れた男性に起こる痴話げんか的騒動の顛末を描いている物語になっている。
ある程度の年齢を超えると人に言えないことが多くなるのは、当たり前で、イタリア映画では描かれていない子供時代の様子をこの映画の製作者が、シナリオに付け加えたことで子供同士の時は、何でも言えた仲でも大人になればそうはいかないというメッセージを伝えたかったのかもしれないが、それをする事によって、話が道徳臭くなり、また説教がましくなり、しかも映画のシナリオを分断したようになって、ラストの寛容なオチを素直に受け入れられなくなってしまう恐れがある。イタリアの映画では、不倫なんて小さい事って.....馬鹿馬鹿しい。今が楽しければ~ッて。ラストのアッケラカ~ンと帰っていくシーンが理解不可能となってしまう。
少しきつい言い方かもしれないが、このシナリオは、日本を含めチョップスティックを使っているような東洋人では、ヒマラヤ山脈のように理解できない壁のようで男女間のいさかいまでもブッラクに表現できる精神構造をイタリア人が持っていると解釈しないなら、この映画のように、どうしようもなくて、あか抜けない場面と終わり方となってしまう。それというのも机を囲んで、マッコリを飲み、鍋をつついていては、話が泥くさくなり、ホークを使う文化にはかてません。原作のほうは、会話自体は、ゆっくり進んでいくようでも、シナリオ自体が会話だけでなく、場面のカット、カットの展開のスピーディーさによって、いかにもあれよあれよと進んでいっているのに対し、韓国語では、発音の独自性からなる強発音の為か会話の波に乗れない自分がいた。失礼韓国のみなさん。原作は、確かに面白い内容で、しかも多くの国がリメイクをし、その回数の多さから、ギネスブックに登録された映画であることを頭に置いていただければ、話が分かるかもしれない。作りやすい映画の内容、しかし、そこに落とし穴があるかもしれない。
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