マイ・フーリッシュ・ハートのレビュー・感想・評価
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【”心から音楽を奏でられない・・”最晩年のチェット・ベイカーの日々を、ノワール調の映像と、哀切なるトランペットで魅せる作品。】
■1988年5月13日金曜日、午前3時。アムステルダムに滞在中のチェット・ベイカー(スチィーブ・ウォール)が、宿泊先のホテルの窓から落下して死亡した。
いち早く現場に駆けつけた地元の刑事・ルーカス(ハイス・ナパー)は、前夜ライブ会場に姿を見せなかったチェットの身に何が起こったのかを調べ始める。
◆感想
・私にとって、チェット・ベイカーと言えば、哀切で囁くような声で歌い、クールなトランペットで彩る”マイ・ファニー・バレンタイン”である。
映画で言えば、イーサン・ホークが渾身の演技で、チェット・ベイカーを演じた「ブルーに生まれついて」である。
・今作は、謎の死を遂げたジャズミュージシャン、チェット・ベイカー。その死の真相に迫るミステリーであり、チェットの名曲をフィーチャーした音楽映画でもある異色の伝記ドラマである。
・ヘロイン中毒で、愛した女サラと共に、生活を始めるもその暴力と奇行により、独りになったチェット・ベイカー。
- 思うのであるが、どんなに才能があろうが女性に手を上げるような男は、破滅の道を辿るのであろう。今作で、チェット・ベイカーの死の理由を探る地元の刑事・ルーカスも同様である。-
<作品全体の、ノワール調の雰囲気と、奏でられるトランペットの音色が魅力的な、どこまでも救いや癒しの無い、総てがチェット・ベイカーの奏でる音楽に昇華していく構成が、斬新な作品。>
愛とときめきは違うもの
映画「マイ・フーリッシュ・ハート」(ロルフ・バン・アイク監督)から。
あれ、この設定、どこかで見覚えが・・と考えていたら、
映画「ブルーに生まれついて」(ロバート・バドロー監督)と同じだった。
1950年代のジャズ界で活躍したトランペット奏者
「チェット・ベイカー」その半生を描いた伝記映画だった記憶が蘇る。
全く違う視点だたら、面白かったけれど、ほぼ同じ流れ。
だからあえて、彼が吹いた最後の晩に演奏した曲、
タイトルにもなっている「マイ・フーリッシュ・ハート」の訳詞を
気になる一言に残しておこうと思う。
「夜は、美しい調べのよう。気をつけて、愚かな私の心。
月の光がどんなに白くても、用心して、愚かな私の心。
愛とときめきは違うもの。でもこんな夜には分からなくなる。
キスの魔法に釘付けになれば、どちらも同じに感じてしまう」
こんな素敵なフレースが突然、作れてしまうのに、
麻薬にために人生を潰してしまうなんて、もったいない。
こういった話の最後は「彼は孤独だったんだ」で締めくくるけど、
「死は人生最大の喪失ではない。最大の喪失は己の心の内で起きる」
「生きている間にしくじりを認めるのは難しい」
「傷つかない男など男ではない」
「音とリズムは魂の奥深くに通じる道を探している」なんかに、
こんな台詞の中に、何かヒントがあるのかもなぁ。
ライブで逢いたかった…
若い頃近所のジャズ喫茶のマスターに
聞いてごらんと勧められたのが
チェットベイカーシングスでした。
当時まだLP盤で。
彼、ジャンキーだけどね、とも。
でも、甘い歌声と物哀しいトランペットの
音色に一気に虜になったことを覚えています。
彼の死亡を告げる新聞記事も覚えています。
だから、最後の夜をこの映画で
知りたかった。
映画のシーンは、ずっと夜でした。
晩年の彼の心の中を映しているようで。
右に転んでも崖、左に進んでも谷
のよな彼の人生の、繊細な神経の危うさが、
曲に現れて、私達の心に響き渡るのかしら。
ファンとしては、そんな彼の人生も
魅力の一つとして捉えられるけれど、
しかし周りの人達は本当に
大変だっただろうなと思いました笑
切ない人生だっただろうけれど、
死ぬまで聴いていたいと思える
音楽を残してくれて、ありがとうと
天国の彼に伝えたいと思います❤︎
愚かな私の心
チェット・ベイカーという人物のことを全く知らない状態での鑑賞。
表向きは伝説のトランペッターであるチェット・ベイカーの死の謎を追う刑事の話であるが、チェットと主人公の心情が重なっていく。
チェット・ベイカーのファンの方は肩透かしを食らう映画だと思う。
この映画でのチェットの役柄は天才トランペッターではなく、「愛を見失った悲しき男たちの亡霊」である。まさにマイ、フーリッシュ、ハート。
退廃的な雰囲気や聞き心地の良いジャズなど好きな要素は多々あるが、少々盛り上がりに欠ける。
危険の凡庸化への抵抗
『Born to Be Blue』は,クスリに再度手を出すことで,愛する人を失うという悲劇で終わっている.そのような意味では,世界の「道徳的」秩序のなかで,ある意味「安全な」映画になっていた.
しかし,現実の悲劇は単純ではなかった.このあと,チェット・ベイカーは,例えば,ポール・ブレイと『Diane』などという,すごいレコードを出したりしてしまう(映画の中の死を伝えるラジオで流れていたのも,このレコードのバージョンだったと思う・・・).
クスリまみれの生活と音楽という,道徳的危険水域にあえて入り込もうとするとき,どうしても工夫が必要だった.彼の音楽にはクスリが必要だったと言うのも,クスリまみれだったのに音楽はすごかったと言うのも,「危険」の安全な,または凡庸な言い訳にすぎないように思う.
その工夫として,音楽家の闇の部分を「法の番人」の闇の部分に重ね合わせ,それにより,闇の部分と音楽そのものとの距離を作る(闇と音楽の間をつなぐ,いわば順接・逆接いずれの接続項をも排除する)という作戦に出たのが,この作品であるように見える.二つの闇の物語を重ね合わせるやり方は,結構おもしろかった.が,音楽家に思い入れのある人たちには,逆に,作り出される距離が過剰となり,刑事の物語がうるさく感じられるかもしれない.
ともあれ,危険な領域を危険なままに扱うことの困難さを,この映画は,あらためて教えてくれるような気がする.
見ていて辛い・・・・・
チェット・ベイカーの作品と言ったら去年公開された「ブルーに生まれついて」が思い出されますが、本作品の存在を知った時、予告編で、チェット・ベイカーの死が他殺の様な感じで扱われていたので、「エッ」と思って本作品の公開を待っていましたが、どうやらフィックションでした・・・
本作品、「ブルーに生まれついて」がチェット・ベーカーの生涯を追った作品だとすると本作品はチェット・ベイカー事故死する数日前から追っかけた話で、「ブルーに生まれついて」A面としたら本作品はB面と言った感じでしょうか・・・・
一応、フィックションという事ですが、しかし、まるっきりフィックションと言う訳でもなさそうであり、チェット・ベイカーのファンであれば、少々ショッキングな内容で、私自身本作品を鑑賞してただただ驚くばかりです・・・・・・本音を言えば、「見なければ良かった」とも思わせる内容です。
私自身、チェット・ベイカーが日本に来日公演したのをパルコ劇場で見ていて、その後直ぐに亡くなったので、本作品の内容のような事がチェット・ベーカーに起きていたのかと思うと少しショックです。
映画の中で、レコーディングを始めるシーンで私の大好きな曲「As Time Goes By」演奏しそうになるシーンで、チェット・ベーカーが「もう少し明るい曲をしよう、その方が気分も上がる」と言って違う曲をするのですが、「As Time Goes By」を聞きたかったな・・・・・
しかし、本作品、どんな意図で作られたのかな・・・・私的には見終わった後、何とももやもや感が残ったな・・・・
もっと、彼の音楽が聴きたかった…。
他の方の評価に辛口が多いので、少なからず心配しておりましたが、ジャズ好きチェット・ベイカー好きからすると、まあ、及第点かなとも思います。確かに、イ一サン・ホーク主演の「ブルーに生まれついて」の完成度からすると、雲泥の差は有りますがネ…。
映画の冒頭、「この作品はあくまでもフィクションです …云々」と謳ってはいるが、実際、晩年のチェット・ベイカーは、あんな感じだったんでしょう。
若い頃の彼は、「ジャズ界のジェームズ・ディーン」ともて囃され、オリコンで1位を獲得するなど華々しい人気を誇った様ですが、その一方、「彼がジェームズ・ディーンに成れなかったのは、長生きし過ぎたからだ」という皮肉も言われる様に、覚醒剤に溺れた彼の晩年が、荒んだ痛ましいものであった事、演奏旅行先の宿から飛び降りて死んだ事等は、事実であった様です。
この作品から、どんな教訓を得るのか?
覚醒剤は身を滅ぼすから注意しましょう?…実際、日本でも、田〇まさ〇さん辺りが、何度も逮捕されてますもんネ。
それとも、DVは相手も自分も傷付けるから、絶対に止めましょう?…男って本当、馬鹿な生き物よネエw
荒んで、破滅的な人生を歩んだ彼の後半生だけれども、それでも、彼の音楽に皆が魅了され続けるのは何でなんだろう?
彼の歌声は正に、天から授かったギフトだったんだろうなあ…とかって、そんな事を思ったりはしますけどネ…。
他人の振り見て、我が振り直せ!?
イーサン・ホークが演じた「ブルーに生まれついて」でのチェット・ベイカーは全盛期を描いた若い彼を、演じる俳優も男前であり、小綺麗にヤンチャで甘えん坊なイメージもあったが、本作でのチェット・ベイカーはシワだらけで死期迫る鬼気迫る雰囲気を醸し出し、本当にどうしようも無い姿を曝け出す感じが観ていて、痛い!?
都合が悪かったり、親族や関係者などから訴えられたりに身を構えたのか?登場人物など事実とは無関係な説明のテロップに少し戸惑う。
序盤から刑事が主役のように登場し、そんな彼の物語が蛇足で興味はチェット・ベイカーにしかない訳でテンションが下がったりも。
正々堂々と最後の日々を描いた作品と文句を付けて、架空の人物は排除し真正面からチェット・ベイカーを描いて欲しかったが、演奏シーンや演じた俳優の雰囲気など良い所もあるし、なかなか渋い作品になっているのでワ!?
ブルースがなかったら、何にすがればいい?
死の真相に迫る、、というから見ながら待つのだが、いやあまどろっこしい。正直、刑事のプライベートは要らん。狂言回し、ストーリーテラーの役回りなら、それに徹して欲しい。あんたの話には興味がないんだよね。おかけでほら、退屈で途中から寝ちまってしまったじゃないか。こっちは死の真相がわからずじまいだよ。
尻が痛い
チェット・ベイカー好きなら許せるかもだけど、当方ただのジャズ好き。
誘われていったがこの映画、謎解き?ファンタジー???
何なの?
製作者の自己満足としか思えなかった。
早く上映が終わるのを願いながら見てました。
Born to be blue
チェット・ベイカーにはオリジナルの楽曲がない。
でも、チェット・ベイカーの歌うマイ・ファニー・ヴァレンタインは、他の誰のマイ・ファニー・ヴァレンタインよりも、世界中で聴かれているのではないだろか。
チェット・ベイカーは、なぜ、こうも多くの人を惹きつけるのだろうか。
この映画も、そうしたチェット・ベイカーの変わらぬ人気の現れではないかと思う。
自分の暴力性とチェット・ベイカーの人生を重ねる刑事、チェット・ベイカーに関わろうとする人たち、そして、意味のないことだと分かっていても、あの死には何かあると興味を隠さない人々。
話は変わるが、村上春樹さんと、先般ご逝去された和田誠さんの「Portrait in Jazz」の巻頭を飾るのはチェット・ベイカーだ。
僕は、オリジナル曲を持たず、他の人の楽曲を演奏したり歌ったりするからこそ、チェット・ベイカーのトランペットや歌声が、その違いが際立つのではないかと思う。
彼の演奏や歌声は、他のどのジャズ奏者やヴォーカリストとも異なり、少年と大人の間に瞬間的に存在するような瑞々しさとも、不安定さともつかない、捉えどころのない揺らぎのようなものを感じさせる。
トランペットは、一時はマイルス・デイヴィスを凌ぐほどの人気だったというし、マイルス・デイヴィスは彼に批判的に接したこともあるという。
ジョアン・ジルベルトはボサノヴァを始めるにあたって、チェット・ベイカーの歌い方を参考にしたとも言われている。
先般観た「BLUE NOTE」のマイルス・デイヴィスの記録映像や音も若々しく心を揺さぶられたが、チェット・ベイカーのそれは、また異なるものだ。
そして、ジェームズ・ディーンばりの風貌も。
天は二物どころか三物も与えたかのようだ。
大変申し訳ないが、映画の若い頃を演じた俳優さんは、若い頃のチェット・ベイカーには敵わないと思う。
しかし、映画でも語られる通り、その生涯は絶頂と転落のギャップが激しく、その死はちょっと謎だ。
酒やドラッグや女におぼれ、喧嘩で前歯を折られてからは、トランペットを吹くことも歌うこともできなくなって引退同然だった時期がある。
そして、友人の援助で復活したが、拠点をアメリカからヨーロッパに移して、謎の多い死を遂げる前の数日間を描いたのが、この映画ということになる。
彼の半生を追ったドキュメンタリー映画「Let's Get Lost」の公開直前に彼はなくなっている(YouTubeで観ることができます)が、これも謎に追い打ちをかける。
今回の映画は、2年前に公開されたイーサン・ホークがチェット・ベイカーを演じた「BORN TO BE BLUE(ブルーに生まれついて)」に続く(おそらく)3作目になる。
死の謎を追った映画としては、ニルヴァーナのカート・コバーンの死に迫る「ソークト・イン・ブリーチ」ほどドキドキ感はなかったが、僕は、チェット・ベイカーは殺されたのではなくて、自分自身も若き日の自分の幻影を追い続けて、そして、現在の自分に失望し、あの日に戻ることはないのだと知って、自ら命を絶つことを選んでしまったのではないかと思う。
それほど、チェット・ベイカーの若かりし頃の演奏や歌声には、言葉で言い表すことが出来ないような揺らぎを感じるのだ。
チェット・ベイカー自身も、その郷愁からずっと離れることが出来なかったのではないだろうか。
映画の冒頭で刑事が呟くように語る。
「死は最大の喪失ではなく、それは己の心の中にある。悪魔と向き合わず、橋ではなく、壁を作った時に、ヒトは孤独を感じ、ひとりになる」
チェット・ベイカーが途中で語る。
「自分は悪魔と取引をした。ドラッグでハイになっても蝕まれないハートを手に入れた。その代わり、心で奏でることを悪魔に要求された」と。
映画では、心を見失って、更に、チェット・ベイカーの音楽は良くなったというセリフがあったが、僕は、見失った心さえも、過去の幻影を追い求めていたのではないかと思う。
そして、自ら死を選んだのだと。
最後に「Portrait in Jazz」のチェット・ベイカーの最初と最後の部分の文章を紹介します。興味のある方は、こちらも読んでみてください。文庫本も出てるかもしれません。
「チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない青春の匂いがする。ジャズシーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど、「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が他にいるだろうか?」
「技術的には洗練されているわけではない。…「こんな演奏をしていたら、どこかで転んでしまうんじゃないか。ぽきっと折れてしまうんじゃないか」という不安感さえ、僕らは抱いてしまう。…しかし、深みのなさが、逆に僕らの心を突き揺るがせる。それは僕らがどこかで経験した何かに似ている。ひどく似ている」
この文章もひどく素晴らしい。
微妙かな
チェット・ベイカーと言うとイーサン・ホーク主演で少しオサレ感があった『ブルーに生まれついて』が思い浮かぶけど、PG12の本作はその真逆。
音楽に関してだけは真摯だが、それ以外は破綻者だったベイカーの晩年を描いています。
まあ、セリフは陳腐だし、カメラワークは小賢しいし、ラストのオチはガックリするほどヒネりもセンスもないけれど、それでも演奏シーンなど観ていて面白いところがあったのも事実。
けど、まあ、人に勧めようとは思いませんにゃあ~。
うんうん。そんな感じ。
というか久々に武蔵野館行ったにゃ。
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